あのころ僕らは若過ぎた

 喪失感と自分たちの無力さに呆然としつつ、ノア調査団一行は拠点へ戻り、シルクスの塔での出来事をラムブルースに報告した。ラムブルースは驚きを露わにしつつも、その場に立ち会わなかった事で、かえって冷静に状況を飲み込む事が出来た。

「……しかし、分かってきたぞ。玉座の前に出現したのは、恐らく、この世界と異界を繋ぐ門『ヴォイドゲート』だ」

 フィオナたちが冒険者部隊の元へ駆け付けた時には、既に玉座の前に黒い裂け目が存在していた。ウネとドーガが『門』と呼んだ裂け目――ヴォイドゲートを封印しようとした矢先に、『向こう側』から禍々しい声が聞こえ、ウネとドーガ、そして彼らを助けようとしたネロが、引きずり込まれてしまったのだ。
 ラムブルース曰く、ザンデはクリスタルタワーの生み出す力を使い、声の主でありウネたちを引きずり込んだ妖異『暗闇の雲』のために、超巨大なヴォイドゲートを開こうとしたのだと推察した。

「幸い、今回はゲートが開き切らなかったようだが……。暗闇の雲……それほどの妖異という事か……」

 ラムブルースは現状を把握しひとり呟いたが、問題は飲み込まれた三人を助ける事が出来るかどうかである。

「敵が何であれ、あいつらを捉われたままにはしておけない。どうにか助ける方法はないのか!?」

 苛立ちを露わにするシドであったが、ラムブルースは目を伏せて首を横に振った。

「残念だが……異界ヴォイドには、踏み込むことができない。妖異召喚の例はいくつでもあるが、その逆となると、成功例を聞いたことがない。捉われた三人が、生きているのかさえ……」
「くそ……諦めるしかないのか……?」

 諦めたくはない。だが、異界に飲み込まれた者、あるいは自ら足を踏み入れた者が戻って来れたケースがないのは紛れもない事実である。
 まず、ノア調査団が三人を助けに異界へ行く方法もない。ヴォイドゲートは三人を飲み込んだ後、何事もなかったかのように跡形もなく消えてしまったのだから。
 ゲートを開く方法、と言うより妖異召喚を行う事は原理上出来ても、禁忌とされる術である。三人を救う為なら、とフィオナは一瞬良からぬ考えが脳裏を過ったが、そもそも三人を連れて帰る事が出来る可能性は極めて低い。この世界に妖異を招いてしまい、自分たちも異界に呑まれる恐れもあり、リスクがあまりにも高過ぎるのだ。

「……それでもオレは、ウネとドーガを助けたい」

 そう言ったのは、シドではなくグ・ラハ・ティアであった。彼の言葉にフィオナは我に返った。前例がないからと諦めるのはまだ早い。グ・ラハの言葉は例え理想論でも、その気持ちを頭ごなしに否定はしたくない。フィオナはそう思い、彼の言葉に耳を傾けた。それはきっと、彼女だけでなくこの場にいる全員が同じ気持ちであろう。

「同じ眼だから同情してるわけじゃねー。ただ、あいつらが数千年前から大事に抱えてた使命を、果たさせてやりたいんだ。それに……」

 グ・ラハは途中まで言い掛けて、徐に片眼を押さえた。ウネやドーガと『同じ眼』のほうである。
 シルクスの塔でも痛そうに目を押さえていた事もあり、フィオナはグ・ラハの元へ駆け寄り様子を窺った。

「グ・ラハ、大丈夫……?」

 だが、グ・ラハはフィオナの声が届いていないのか、譫言のように言葉を続ける。

「……このままじゃ駄目だ。どうしても、そんな気がする……。契約が破棄されなければ、暗闇の雲は、いずれこの世界に現れる……。世界に闇が氾濫する……その前に……止めないと……」

 まるでグ・ラハではなく、誰かが乗り移っているかのようにも見える。そんな筈がないと分かってはいつつも、フィオナは明らかにおかしいと思わざるを得なかった。グ・ラハ・ティアという賢人をよく知る者なら誰もがそう感じるほどであり、当然、ラムブルースも彼の事を気に掛けていた。

「……グ・ラハ・ティア。ドーガたちに会ってから、あなたは様子がおかしい。その眼、やはり何かあるのでは……?」
「わからねー。……ただ、どうしても……何かを思い出さなきゃならない気がするんだ……」

 グ・ラハ自身もいつもの自分ではないと気付いていた。だが、それでもまるで何かに追い込まれるかのように、重い表情を浮かべていた。

「眼の秘密はアラグにある……歴史から眼を離すな……それが、親父から受け継いだ言葉だ。でも、今は……まだ……」
「俺からも頼む。あいつらを助け出す方法を模索してみないか?」

 今度はシドが声を掛けた。グ・ラハの様子がおかしいのも気掛かりではあるが、今は異界ヴォイドに飲み込まれた三人を助け出すのが先である。もしかしたら、その間にグ・ラハの『思い出さなければならない事』が判明する可能性もある。黙っていても何も解決しないのならば、行動を起こすしかない。

「ウネとドーガはもちろんだが……俺の旧友は、放っておくとタチが悪いんでな。連れ戻して、釘を刺しておく必要がある」

 シドがネロの事を冗談めかしてそう言うと、重い空気が緩和したような感覚を覚えて、フィオナは少しばかり気が楽になった。

「ほんの一時のこととはいえ、彼らは我々の優秀な仲間だった。私とて、失いたくない気持ちはある……」

 ラムブルースは迷う素振りを見せたが、結局のところ言葉を濁していたのは方法がないからである。彼ら三人を救いたい気持ちは、皆同じだ。

「わかった。専門家をあたって、何か手が打てないか考えよう。ただし、相手は闇の世界……すぐにとはいかないだろうから、しばし時間が欲しい」

 クリスタルタワーの封印も全て振り出しに戻ってしまったが、ラムブルースはシドの願いを受け容れた。その言葉にグ・ラハも満足そうに頷き、シドもまた口角を上げて、フィオナたちに向かって言い放った。

「あいつらのこと、必ず連れ戻してやろうぜ!」

 その言葉は、根拠もないのに本当に実現すると感じるほど力強く、まるで暗闇に差し込む一筋の光のようでもあった。





 異界ヴォイドへの渡り方、そして無事に戻って来る方法が確立できるまで、冒険者部隊はノアを一時離れる事となった。暫くは情報収集、試行錯誤の日々が続く事となる。
 そんな中、ラムブルースはグ・ラハの目の届かないところで、フィオナに声を掛けた。

「フィオナ。グ・ラハ・ティアの事をよろしくお願いしますね」
「……はい、ただ私に何が出来るのか……」

 ラムブルースの言いたい事はフィオナとて分かっていた。誰の目から見てもグ・ラハは様子がおかしく、『思い出さなければならない事』を必死で考え、悩み、時には譫言をぽつりぽつりと口にするようになっていた。

「『思い出す』と言っても、グ・ラハの出自ははっきりしています。単身シャーレアンに来る前のグ・ラハの事は、私は何も分かりませんが……彼の心の中には家族との思い出がしっかりある筈です」

 一体何を思い出さなければならないのか。それがグ・ラハの魔眼に起因している事は察しが付くが、彼の父親も、あまつさえ五千年前に生を受けたウネとドーガすらも分からない事と考えると、フィオナは不安しかなかった。

「一体グ・ラハはどんな運命を背負っているのか……ううん、どうしてグ・ラハなんだろう。どうして、グ・ラハがひとりで背負わないと……」

 現状、クリスタルタワーの封印がままならないだけに、まるでグ・ラハに世界の命運が懸かっているように感じてしまい、フィオナはまるで子どもが駄々をこねるように呟いた。賢人らしからぬ振る舞いに、普通なら苦言のひとつでも飛んで来そうなものであるが、状況が状況だけにラムブルースは決して咎めなかった。寧ろ、この子は自分たち聖コイナク財団を信頼してくれているからこそ、弱音を吐いてくれるのだと捉えていた。

「あなたが不安に思うのは無理もない。フィオナ、あなたに今出来る事は、これまで通りグ・ラハ・ティアに寄り添い、支える事です」
「寄り添う……それだけじゃ、何の解決にも……」
「ふたり揃って塞ぎ込むより余程建設的です。あなた方の存在は、我が財団にも大きな影響を与えているのですよ」

 ラムブルースは決してフィオナを責めるわけではなく、寧ろ穏やかな笑みを湛えていた。君たちが笑顔でいなくては、我々も調子が出ないのだ、とでも言いたげに。
 確かに、不安になったところでグ・ラハが元の調子に戻るわけではない。フィオナはなんとか笑みを作って、ラムブルースに向かって頷いた。

「私はともかく、グ・ラハには元気になって貰わないといけませんね。なんと言っても、ノア調査団の発足を言い出したのはグ・ラハ本人なんですから!」
「謙遜はいけませんよ。グ・ラハ・ティアを制御できるのは、フィオナ、あなただけなのですから」

 制御などまるで機械か何かではないか、とフィオナは失笑してしまったが、ラムブルースから太鼓判を押されたのだから、今はグ・ラハの傍にいるのが己に出来る事だと気持ちを切り替えた。例え役に立たなくても、同じシャーレアンの賢人として、そして何より、ひとりの友人として、傍に居たいと思うのは当たり前の感情なのだから。





 シルクスの塔踏破から数日。異界ヴォイドへの行き来について、ラムブルースが専門家をあたって色々と調べてはいるものの、未だ解決には至らない状態であった。
 フィオナたち賢人も自分たちなりに仮説を立て試行錯誤はしているのだが、どうにも埒が明かない状況である。
 そんな中、フィオナは突然グ・ラハを冒険に誘って、モードゥナを抜けて黒衣森へと繰り出した。

「冒険っつーか、ただの散歩じゃねーか」
「いいでしょ、たまには」

 あれだけ『冒険者と一緒に戦いたい』と言っていたグ・ラハが、ここ最近はこっそり抜け出す事もなくなっていた。状況が状況だけに仕方ないのだが、どうにも落ち着かないとフィオナが強引に連れ出したのだった。

「どうせならもっと強いモンスターがいる場所に行った方が、鍛錬にもなるだろ」
「例えば?」
「この辺だと……イシュガルドか?」
「あそこは完全に鎖国してる国でしょ。私たち、余計なトラブル起こしに来たんじゃないんだから……」

 フィオナはイシュガルドではなく、この機会にエオルゼア三国をもっと隅々まで回るのも悪くないと思ったものの、各所には帝国軍の根城『カストルム』が残っており、それこそイシュガルド以上に足を踏み入れたら厄介である。

「鎖国ったって、商人とかは出入りしてるんじゃねーの?」
「私たちは商人じゃないでしょ」
「商人のフリして潜り込むとか……っつーか、皇都じゃなけりゃクルザス自体には普通に行けそうだよな」
「なんでそこまで拘るわけ?」

 それこそ本来の目的から大幅にずれている。冒険したい、鍛錬を行いたいというのは、あくまでクリスタルタワー封印に伴い、少しでも冒険者の力になる為という前提がある。エオルゼア三国であれば、その傍ら情報収集も並行する事が出来るものの、クルザス地方は『エオルゼアとは別の国』と考えた方が道理に叶っている。そんな場所に行ったところで、有益な情報は得られず、最悪門前払いで追い出されるに違いない。そうフィオナは思っていた。
 だが、フィオナの問にグ・ラハは至って真剣な眼差しで答えた。

「折角だから、イディルシャイアに行ってみたいと思ってさ」
「あ……」

 イディルシャイア――シャーレアンの民が、エオルゼアの知識を収集する為に築いた植民都市である。それも昔の話で、今から十五年前、ガレマール帝国が侵攻するや否や『大撤収』を行い、シャーレアンの住人は本国へ帰還したのだった。
 今は無人か、あるいは誰かが住み着いているか。
 だが、当時のシャーレアンの建築物や遺物はそのまま残っている筈だ。フィオナたちが行って損をする場所でもなさそうである。

「確かに、シャーレアンの人間として一度は行ってみたいね。『大撤収』した場所に行くなんて、エオルゼアの人にしてみたら恥ずかしい行為かもしれないけど」
「とはいえ、帝国からシャーレアン人を守る為の命令だったからな。カッコ悪ぃのはその通りだが……」

 フィオナとグ・ラハは、互いに顔を見合わせて失笑するも、すぐに瞳を輝かせた。まるで、宝石箱を開けた無邪気な子どものように。
 フィオナは徐に地図を取り出して広げてみせた。イディルシャイアは『ドラヴァニア地方』にある。ここからどのような経路で行けば良いのか。

「クルザス……というか、イシュガルドを経て更に雪山を超えた先に、ドラヴァニアがあって、更にその向こう……」
「イシュガルドはオレたちじゃ絶対門前払いだよな。迂回して行けねーかな……」
「商人のフリをしてイシュガルドを突破出来たとしても、その後が……」

 ドラヴァニアという名称から分かるとおり、この地にはドラゴン族が棲んでいると言われている。そもそもイシュガルドは千年もの間、ずっとドラゴン族と戦争を繰り広げているという話である。ゆえに、エオルゼア三国とともに帝国と戦う余力などなく、他国への門を閉ざす事で帝国の侵攻を防いでいるというのだ。

「……ドラゴン族って、強いよね」
「当たり前の事言うなよ。まあ、お前が何を考えているか分かるけどな……」

 少なくとも、今は無理だ。それがグ・ラハ・ティアとフィオナが口に出さずとも分かる結論であった。
 それ以前に生半可な鍛錬では、クルザスの過酷な気候の雪山を超える事すら困難である。

「……そう考えたら、昔の人は凄いね。そんな場所に植民都市を作るなんて」
「まあ、何百年も前の話だからな。当時は今と情勢も気候も違う。イシュガルドにも自由に行き来出来て、ドラヴァニアだって人が住み易い環境だからこそ植民都市を作ったわけだ」
「それなら、今は無人どころか、ドラゴン族の塒になっているかも……」

 フィオナはドラゴン族と対峙するなど考えた事もなく、恐怖で身体を震わせれば、そもそも己たちは何の話をしているのかと我ながら呆れてしまった。

「って、気分転換で外に出たのに、なんでこんな話に」
「気分転換? やっぱり冒険じゃなかったんじゃねーか」
「い、いや、森の中を歩くのも冒険……」
「物は言いようだな」

 グ・ラハも呆れ顔で肩を竦めたが、フィオナの意図は分かっていた。気分転換とは彼女本人がそうしたいからではない。自身の問題ならひとりでふらっと出掛けるくらい、彼女なら造作もない。ちゃっかり『暁』のヤ・シュトラなどと交流しているのもグ・ラハは知っていた。
 フィオナは己を気遣って、敢えてモードゥナの外に連れ出したのだ。クリスタルタワーの事、この『眼』の事、『思い出さなければならない』事、あらゆる不安を一時的にでも解消させる為に。

「……ま、偶にはこんな話をするのも悪くねーな? つーか、シャーレアンに居た頃はこんな感じだったよな、オレたち」
「ね、出来るかどうかも分からない事に思いを馳せて、あそこに行きたい、ここに行きたいって、地図を広げて……」

 そういえば、今のグ・ラハは何かに憑りつかれているわけでもなく、いつも通りに見える。そう気付いたフィオナは、せめて今だけでもグ・ラハが楽になれば良いと思い、彼の手を取って、子どものように手を繋いだ。
 まるで、シャーレアンで出会ったばかりの頃のように。

「おい、子どもじゃねーんだぞ」
「大人だって手を繋ぐくらいするよ」
「しねーだろ」

 グ・ラハは照れているのか頬を紅潮させ、尻尾はゆらゆらと揺れていた。動揺というより、大の大人が恋人でもない異性と手を繋ぐなど、誰かに見られたら恥ずかしいという気持ちのほうが大きいだろう。
 だが、フィオナはまるで気にしていなかった。そんな事よりも、グ・ラハが『いつも通り』でいてくれる事が何よりも大事だったからだ。

「いつか行けるよ、私たちなら。クリスタルタワーの封印が終わったら、イディルシャイアにだって、別の大陸にだって、どこにでも」

 クリスタルタワーの封印が終わった後、自分たちには帰る場所がない。シャーレアン本国には戻る事が出来ても、バル島が消滅しバルデシオン委員会が機能していない以上、心配事は山のようにある。
 だが、夢を見たって良い筈だ。少なくとも、今この時は。フィオナの願いを、グ・ラハは呆れるように眉を下げつつも、笑みを浮かべて頷いて肯定してみせた。叶うかどうか分からない、そして、彼の行動によって叶えたくても叶えられなくなる彼女の願いを。

2022/08/11

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