ラジカル・メッセンジャー

 暁の血盟とは極力距離を置くべきだ。それが今のアトリが取るべき選択肢なのだが、どんな運命の悪戯か、そう上手くは行かなかった。
 アトリが東アルデナード商会から新たに任されたエオルゼアでの仕事は、クルザスではなく、雪の国から見て黒衣森とは別方向へ南下した先、『モードゥナ』と呼ばれる地にあるレヴナンツトールを拠点とするものであった。初めて訪れる土地で商売をする事に抵抗はなかったのだが、それよりも、アトリを悩ませる事態が起こっていた。
 かの『暁の血盟』が、拠点をザナラーンのベスパーベイから、このレヴナンツトールに移していたのだ。



「まさかこんな所で会うなんて。アトリさん、あなたが元気で良かったわ」
「は、はい……私も、皆さんの事が心配だったので、お会い出来てほっとしました……ミンフィリア様」

 レヴナンツトールにある酒場、セブンスヘブンにて。盟主ミンフィリアと偶然再会したアトリは、彼女にこの酒場へ連行されてしまい、今この瞬間、テーブルを挟んで向かい合っている。連行と称するのは語弊があるが、アトリとしても「ゆっくりと話したい」と言われて断る理由が思い付かず、迷っているうちに手を取られ、気付いたらここにいたのである。

「ミンフィリア、その子はお友達? それとも暁の血盟へスカウトを?」

 終始緊張していたアトリは、飲み物を持って現れたミコッテ族の女性の姿を見た瞬間、少しだけ安堵した。別にミンフィリアが苦手というわけではなく、ロロリトの手前どう接すれば良いか分からないというのが本音である。少しでも会話相手が増えれば、キャンプ・ドラゴンヘッドで冒険者やシドと過ごした時のように、聞き役に徹する事で難を逃れられると思ったのだ。

「残念ながら、三年前にスカウトは失敗しているわ。そうね……アトリさんさえ良ければ是非友人に、と言いたいところだけど、あなたの雇い主が良い顔をしないかしら」
「雇い主?」

 苦笑しながら答えるミンフィリアに、ミコッテ族の女性は首を傾げる。すると、ミンフィリアはアトリに顔を向けた。自己紹介したほうが早い、という事だろう。アトリはミコッテ族の女性に向かって深々と頭を下げた。

「初めまして、私は東アルデナード商会の商人、アトリと申します」
「東アルデナード商会……成程、仕事でこのレヴナンツトールに来たのね。ミンフィリアの友人なら、困った事があればいつでもここにいらしてくださいね」
「お気遣い、ありがとうございます」

 暁の血盟の拠点ではなく、酒場なら大丈夫だろう――まさかこのセブンスヘブンの更に奥に、暁の拠点『石の家』があるとは夢にも思わないまま、アトリは出された飲み物に口を付けた。アルコールは入っておらず、恐らくミンフィリアが気を遣ってくれたのだろうと察した。
 ミコッテ族の女性が店の奥へと戻り、再びアトリはミンフィリアとふたりきりになった。どうしたら良いか分からず黙り込むアトリに、ミンフィリアは微笑を浮かべながら、少しばかり意地悪な問いを投げ掛けた。

「あら、私とふたりきりは嫌?」
「ち、違います! ただ、ミンフィリア様が仰られた通り、ロロリト様があまり良い顔をしないだろうなあ、と……」
「そう……ならどうしてあなたをここに派遣したのかしら。私たちが拠点を移した事は、自然と商会の耳にも入っていそうだけれど」

 ミンフィリアもアトリに続いて飲み物を口にしつつ、勘ぐるように呟いた。

「まるで、あなたを試しているみたいね」

 それは、アトリも薄々思っていた事であり、寧ろそうされても仕方がないと受け容れていた。商会への恩を仇で返すような振る舞いは慎まなくてはならず、疚しい事をしなければ何も問題ない――アトリはそう思っていた。
 返答できず黙り込むアトリに、ミンフィリアは笑みを浮かべて話を変えた。

「ごめんなさい、あなたも難しい立ち位置なのに。ただ、さっきフ・ラミン――このドリンクを持って来たあの人ね。ラミンと同じ言葉になるけれど、困った事があればいつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます。困った事……は出来れば起こって欲しくないですが」
「勿論その通りだけれど、ほら、ここは既にロウェナ商会が入っているし……」

 そう言って苦笑するミンフィリアに、アトリはそういえば、と思い出した。ここレヴナンツトールで露店を開き、集う冒険者に声を掛けていたところ、ロウェナ商会の会長と名乗る女性に挨拶されたのだ。根拠はないが、野生の勘で「この人は敵に回したら面倒だ」と感じ、愛想笑いで乗り切ったのだが……あれはもしかして牽制だったのか。アトリはこの仕事を別の商人に交代して貰えないだろうか、と一瞬だけ思ってしまった。

「……そうですね、ロウェナ商会にしてみたら商売敵ですからね……私としては敵対する意思はないので、本当に困ったら是非ミンフィリア様を頼らせて頂きたいです……」
「まあ、困っていなくても、気晴らしにここに顔を出してくれると嬉しいわ」
「え? もしかして、この酒場は『暁の血盟』が経営しているのですか?」

 アトリの問いに、そもそもこの場所自体が――ミンフィリアが真実を告げようとした瞬間。

「アトリ!」

 会いたかった子の声。だが、立場を考えれば、両手放しに喜んでも良いものか。
 声の主――アルフィノ・ルヴェユールは、セブンスヘブンに入るや否や、ミンフィリアとアトリを見つけて駆け寄った。

「まさか君とレヴナンツトールで会うとはね。驚いたよ」
「ア、アルフィノ様! お元気そうで何よりです、というかご多忙だと伺っていましたが……」
「ああ。実は今、組織を立ち上げようとしていてね」
「……組織?」

 アトリはアルフィノが何を言っているのか、瞬時に理解出来なかった。『暁の血盟』があるのに、組織を立ち上げるとはどういう事なのか。それも、盟主ミンフィリアの前でそんな事を言って良いものか。混乱するアトリに、アルフィノはさもおかしな事など何もないとでも言いたげに、堂々たる様子で説明を始めた。

「マーチ・オブ・アルコンズが成功したとはいえ、蛮神や帝国の脅威が去ったわけではない。今こそ、エオルゼアはひとつになるべきだと私は思うのだ」

 まさか、ウルダハ、グリダニア、リムサ・ロミンサの三国がひとつとなった組織を新たに作るつもりなのか。言葉を失うアトリに、アルフィノは真っ直ぐな瞳で言い放った。

「驚くのも無理はない。君はマーチ・オブ・アルコンズの時はエオルゼアから離れていたそうだからね。けれど、不可能な事などないと、冒険者が身を以て教えてくれたのだ。ならば、私は私の出来る事を為そうと思っている、ただそれだけだ」

 見た目の穏やかな印象と真逆と言っても良いほど、熱く語るアルフィノは、恐ろしいほど純粋無垢であった。
 アトリは決してアルフィノの事を悪く言いたいわけではない。だが、この世は理想論だけではどうにもならないと、それこそ身を以て痛感している。
 エオルゼア三国はグランドカンパニーという組織をそれぞれ持ち、各自の国を守っている。マーチ・オブ・アルコンズはまさにその三国と『暁の血盟』が協力して為し得た勝利であったが、それはガレマール帝国という共通の敵がいて一時的に成り立った関係であるとアトリは捉えていた。
 全く新しい組織を作る。言うのは簡単だが、実際にそれを立ち上げた後、正しく動かすのは非常に困難だ。いくらルイゾワ・ルヴェユールの孫とはいえ、齢十六の少年にそんな事が出来るのか。

「……アルフィノ様、失礼を承知で言いますが……理想が現実に打ち砕かれた時、すべてを背負う覚悟はあるのですか?」

 まさかアトリからこんな言葉が出て来るとは思わず、アルフィノだけでなくミンフィリアも鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いた。アトリも余計な事だと分かりつつも、どうしても言わずにはいられなかった。
 恐らく、アルフィノの周りには止める大人がいないからだ。

「私はひんがしの国で何不自由なく暮らしてきましたが、偶々父とウルダハを訪れた際に、第七霊災が起き……その後、暴動が起こり父を亡くしました」

 決してアトリは己とアルフィノを同一視しているわけではないが、ただ、アルフィノは世間を知らないと思っていた。知識の話ではなく、人間の悪意についてである。

「その後は冒険者としてひとりで生きて行く事になり、今の私がありますが……ウルダハの貧富の差、そしてイシュガルドでも同じ状況を目の当たりにしてきました。皆が困窮しないような生活を……そう思いはしても、誰も改革に動けないのが現実です。理想だけではどうにもならない事もあるのです」

 アルフィノは、決してアトリが自分を否定したくて言っているのではないと察した。要するに、理想だけでは事は上手く運ばないという事だ。己を心配して、敢えて厳しい事を言ってくれている。そう分かり、アルフィノはアトリに向かって笑みを零した。

「ありがとう、アトリ。君の忠告はしっかりと胸に留めておこう」
「……つまり、本当に組織を立ち上げるつもりなのですね」
「ああ」

 きっぱりと言い切るアルフィノに、アトリはもうこれ以上何も言えないと溜息を吐けば、残りの飲み物を一気に飲み干した。
 そして、ミンフィリアに顔を向けて呟いた。

「ミンフィリア様、どうかアルフィノ様に悪意の手が及ばないよう、見守って頂ければと……」
「ええ、勿論よ。アトリさん、あなたもあまり気に病まないようにね」

 こんな無礼な事を言ってしまった己への気遣いを有り難いと思いつつ、アトリは立ち上がって飲食代を払おうと鞄の中へ手を入れたが、ミンフィリアがそれを制止した。

「お代は結構よ。私が無理矢理連れて来たのだから、ここは私が」
「……ありがとうございます」

 ミンフィリアに頭を下げて、アトリが立ち去ろうとした時、アルフィノと目が合った。さすがに言い過ぎてしまったとアトリは合わせる顔がなかったが、当の本人は気にしていなかった。悪気はないと分かっているからだ。

「アトリ、君はエオルゼアに来てから、様々な葛藤があったのだろうね。けれど、私が立ち上げた組織が上手くいけば、君もイシュガルドを変える行動を起こしたいと思うかも知れない。いや、寧ろそうなると信じているよ」

 その言葉に、アトリは返す言葉が思い付かなかった。愛想笑いを浮かべれば、「余計な事を言ってしまって申し訳ない」と謝罪を告げて、逃げるようにセブンスヘブンを後にしたのだった。





 レヴナンツトールでの初仕事を終えたアトリは、あらかじめ商会から指定されているグリダニアの宿屋『とまり木』へと向かった。自由時間はオルシュファンのいるクルザスへ行っても良いと許可は得ているものの、最低でも初日は指示された通りの動きをしようと決めての事だった。
 併設されているカーラインカフェで軽く夕食を済ませた後、部屋でシャワーを浴びてそのまま眠りに付こうとしたアトリであったが、突然リンクパールが鳴り、慌てて起き上がって手に取った。

「はい! アトリです!」
『――わしだ』
「ロロリト様! お忙しい中、ご連絡ありがとうございます……!」

 まさか会長直々に連絡があるとは思わず、アトリは恐縮して、目の前に相手がいないというのにベッドの上で頭を下げてしまった。

『調子はどうだ? ロウェナ商会から邪魔されてはいないか?』
「もう、ロロリト様ってば分かっていて私を派遣されたのですね。ロウェナ様ご本人と思わしき方に、ちょっとした圧をかけられましたよ」

 ただ、アトリもまさかロロリトがこんな事でわざわざ連絡を寄越すとは思っていなかった。彼女自身もやもやした感情を抱えているのもあり、問われるより先に先手を打つ事にした。

「それよりも、まさか『暁の血盟』がレヴナンツトールに拠点を移したなんて! ロロリト様、知っていて敢えて私に黙っていらっしゃいましたね……?」
『ふむ、初耳だが……』
「そういう事にしておきますね。取り敢えず、私も厄介事に巻き込まれたくはないので、クルザスの異端者騒動の時と同様、彼らに深入りはしないつもりです」

 リンクパールの向こうで、ロロリトが含み笑いをする様子がうっすらと聞こえ、アトリはミンフィリアが「まるであなたを試している」と言ったのを思い出した。なんとなく、ロロリトが何故己をこの地に派遣したのか、アトリも薄々と勘付きつつあった。

「あの……もしかして、私に『暁の血盟』を探らせるおつもりですか?」
『そこまでは求めん。アトリが嘘を吐けぬ性格なのは重々分かっているからな』
「その御言葉、誉め言葉と受け取って良いのか複雑ですが……」
『なに、変わった出来事や気になる事があれば、わしへ報告するだけで構わん』

 その瞬間、アトリは「そういう事か」と、つい溜息を零してしまった。
 暁の血盟を探る必要はない。だが、『変わった出来事』『気になる事』は報告する――つまり、今日あった出来事も報告すべき内容である。暁の血盟と接触した事が後々知られて面倒な事になるより、『気になる事』を正直に話せば良いだけの話だ。
 アトリはそう解釈し、掻い摘んでロロリトに報告した。

「気になる事というか、言わないで隠していたと思われても癪なので、誤解なきよう言いますね」
『……アトリよ、珍しく気が立っているな』
「いえ。それよりも、『暁の血盟』のアルフィノ・ルヴェユールが、エオルゼア三国を一括した新たな組織を立ち上げるようなのです」

 ロロリトからの返事はない。驚いているのか、もしくは既に把握しているのか。どちらにせよ、アトリは正直に話すまでであった。

「失礼ながら、ウルダハは……砂蠍衆はそれで良いのでしょうか?」
『……その言い方、アトリは納得出来ないとでもいったところか』
「別にあの子を否定するわけではないですが、正直、上手くいくとは思えなくて……周りは誰も止めないのかと、驚いている位です」
『相手がルイゾワ・ルヴェユールの孫となれば、誰も口出し出来んのだろう』
「そうは言っても、まだ十六歳ですよ? 果たして各国のグランドカンパニーは本当に納得しているのか……」

 アトリが愚痴を零しかけた瞬間、改めて、ロロリトから忠告めいた言葉が掛けられた。

『アトリよ。くれぐれも奴等への深入りは禁物だ』
「……はい」
『別に会話をするなというわけではない。だが、情に流される事のないよう努めよ』
「承知しました。私には商会に拾って頂いた恩義があります、ロロリト様を裏切るような事は、決して致しません」
『……よかろう。今後もよろしく頼むぞ。勿論、クルザスを拠点として構わん。適度に息抜きせよ』

 そして、通話は途切れた。
 アトリは、やはり『暁の血盟』の動向を探らせるのが一番の目的であったのかと、すべてを理解し思わずベッドに倒れ込んでしまった。
 これではまるで、スパイ活動のようではないか。こんな事を言ったら本物のスパイに失礼かも知れないが。そんな事を思いながら、未だもやもやした感情が晴れないまま、アトリは眠りに落ちて行った。まさか本当にロロリトの――砂蠍衆の息が掛かったスパイが入り込むなど夢にも思わず、アトリの知らない間に、運命の歯車は徐々に狂い始めていた。

2022/12/10

- ナノ -