そうして朝日が転がるように

 アトリはただ単に、己を助けてくれた騎士に一言礼を告げて、早々にグリダニアへ向かうつもりであった。フランセルやラニエットに対して恩を返す為にも、ある程度地に足の付いた生活を送れるようになってから、改めてクルザスの地を訪れようと考えていた。
 だが、それはあくまでアトリの都合であり、相手が同じようも考えているとは限らない。それどころか、真逆の方向へ話が進む事もあるのだと、アトリは身をもって知る事となる。

「積もる話は後にして、まずはお前の溢れる生命力に経緯を払わねばならんな。美しきアウラ族が、まさかここまで頑丈な肉体を持った種族とは……」
「あ、あのう」
「そう緊張しなくても大丈夫だ。ここはお前にとって脅威となるものは存在しない。安心して寛いでくれ!」

 寧ろあなたが今の私にとっては脅威だ、とアトリはつい口に出しそうになった。

 この『キャンプ・ドラゴンヘッド』へ足を踏み入れた後、アトリは有無を言わさぬ勢いで応接室らしき部屋へ引き連れられ、暖炉の炎が燃え盛るあたたかな環境で飲み物まで用意され、最早身動きが取れない状態となってしまっていた。更には、アトリの隣では招き入れた張本人が熱い視線を送っており、完全に逃れられない状況であった。
 どういう訳か、このオルシュファンという騎士はアトリを気に入っているらしい。単に倒れている己を彼が偶々見つけて助けてくれた、ただそれだけの関係であり、ここまで興味を持たれる理由が全く思い付かない。故にアトリは、好意とは違った意味があるのではないかと思わずにはいられなかった。そう、例えば――。

「……あの、アウラ族はそんなに珍しいですか?」
「む? ……そうだな、イシュガルドで見掛ける事は滅多にないが」

 エオルゼアから見れば、アウラ族は遥か東方の地の種族である。アトリの父のように貿易目的でクガネから訪れる者も居り、中にはそのままエオルゼアへと移住する者もいるらしいが、それはあくまでクガネとの交易を行っている国に限られる。
 このイシュガルドは他国への門を閉ざしている。だからこそ、この地に住まう者がアウラ族を珍しがるのは自然な流れであった。

 顔の左右に生えた大きな角。頬から首まで覆われた鱗。腰から伸びる尻尾。アトリにとっては生まれた時から当たり前のものであり、ひんがしの国はアウラ族が多く住まう土地である。
 ここエオルゼアも様々な種族がいるが、時には奇異の目に晒される可能性がある事は、アトリとて覚悟の上でいた。ウルダハは元々交易での繋がりがあった為、アトリが冒険者として生きていく上で差別されるような事は今のところなかったが、アウラ族であるがゆえに、父をあのような形で喪ったのもまた事実である。

「だが、私は……いや、『キャンプ・ドラゴンヘッド』に居を構える者たちは、決してお前を迫害したりはしない。何故なら、ここは冒険者が集う場――唯一他国の者の滞在を認めている場でもあるからな」

 アトリは耳を疑った。イシュガルドが排他的である事は紛れもない事実であるとして、唯一他国の者――それも冒険者を受け容れている場を管理している騎士が己を助けるなど、そんな偶然が起こり得るのかと驚きを隠せずにいた。

「これで、心から安心して貰えただろうか?」
「は、はい……申し訳ありません。決してオルシュファン様を悪く思っていたわけではないのですが、どうしてここまで友好的なのかと少々疑問があり……今の説明で、漸く腑に落ちました」

 冒険者を受け容れているのなら、力のある者に興味を抱くのは特に不自然な事ではない。雪道で倒れ、凍死寸前だった女がものの一日で回復するのだから、それを褒め称えるのは決しておかしい事ではない。それどころか、今のアトリにとって己の価値を認めて貰えるという事は、今後生きていく上で非常に意義のある事であった。

「さて、漸くお前の信頼を得たところで……申し訳ないが、お前の名を教えて貰えないだろうか。他国の者を一時的にでも滞在させるにあたり、身分の証明が――」
「私、アトリと申します! 第七霊災前に、ひんがしの国よりここエオルゼアに参りました」

 オルシュファンが言い終えるよりも先に、アトリは勢いよく名を名乗った。身分の証明が必要という以上、出身地は言わなければならないだろうと偽りなく口にしたは良いものの、当然エオルゼアではない土地から来たとなれば、誰もが驚く事である。

「お前はエオルゼアの外の世界から来たというのか……!?」
「はい、運悪く第七霊災が起こって国に帰れなくなってしまい……。その為、暫くはエオルゼアで冒険者稼業を――」
「冒険者だと!? こんな偶然が起こるとは……ハルオーネの神が我々を導いたとでも言うのか……!」
「ひえっ」

 オルシュファンは突然立ち上がり、前のめりになってアトリの両肩を掴んだ。お互いの鼻がぶつかりかねない程の距離の近さに、アトリの口から小さな悲鳴が零れた。それでもお構いなしに、オルシュファンは熱弁を振るう。

「アトリ、お前はイシュガルドとグリダニアの国境線で倒れていたのだ。という事は、今はグリダニアで冒険者稼業をしているのか?」
「いえ、元はウルダハで――」
「ウルダハからここまで来たのか!? エオルゼアに来たばかりのお前が、自分ひとりの力でここまで……」

 言えば言う程オルシュファンの気を引いてしまい、アトリは早くも萎縮してしまった。自分に興味を持って貰えるのは嬉しい事ではあるものの、その勢いに今まで解けかけていた警戒心が蘇ってしまう程であった。
 今は挨拶だけ済ませてグリダニアに向かい、エオルゼアでの生活に慣れたら再びこの地を訪れようと考えていたというのに、アトリは徐々に予定が狂い始めている事に不安を感じ始めていた。この話の流れから言って、この後己の身の上話をする事になる。もしオルシュファンが自分の境遇に同情し、ここでも冒険者稼業が出来ると口にすれば――アトリには断る術がない。相手の好意を無下にする事も出来なければ、グリダニアに拘る理由もないからである。
 故郷に帰るまでの一時的な滞在と考えるならば、正直どこでも構わないのがアトリの本音であった。ただし、唯一の懸念はこの『キャンプ・ドラゴンヘッド』は他国の者を受け容れているとしても、イシュガルドという国自体はそうではない、という点であった。

「質問攻めにしてしまって申し訳ない。だが、私はお前のようなイイ冒険者を待っていたのだ! 暫くここに滞在するのだろう? 寝床なら私が用意しておこう」
「あの! ちょっと待ってください!」

 あまりにも順調に話が進み過ぎ、というよりも一方的に進められてしまい、アトリは必死で声を上げた。まるでこちらの意志などお構いなしではないか、と文句を言いたくなったが、この地が冒険者を受け容れていると知って、かなり心が揺らいだのもまた事実である。あまり強い物言いは出来なかった。

「さすがに初対面だというのに、寝床まで用意して頂くのは心苦しいといいますか……その……」
「遠慮などするな。ここは国も種族も関係なく、ただ強い者を求めている……それだけの話だ。フォルタン家の名にかけて、決してお前に疚しい気持ちなど抱いていない。だから、どうか私を信じて欲しい」

 ここまできっぱりと疚しい気持ちはない、と言われるのもそれはそれで複雑だ、と身勝手な感情を抱いてしまったアトリであったが、一先ずは彼に甘えても良いのではないか、と意思が揺らぎ始めていた。根負けした、と称した方が正しいかも知れないが。
 この閉鎖的な地で冒険者稼業に勤しむかは置いておくとして、今からグリダニアに向かうとすると、到着するのは夜になる。下手をしたらその前に陽が沈み、闇夜の森で最悪道に迷う可能性も無きにしも非ずである。
 とりあえず一晩世話になり、明日の事は明日考えよう――そんな甘い事を考えて、アトリが承諾しようとした瞬間。

 足音と共に、部屋の扉が乱暴に開かれた。

「何事だ!」

 オルシュファンはすぐさまアトリから距離を取って、突然の来訪者に向かって声を荒げる。だが、相手の顔を見るや否や、すぐに姿勢を正し困惑の表情を浮かべる。そんな彼の様子に、アトリも不安になって扉の向こうにいる人物へと顔を向けた。

「オルシュファン卿、礼を欠いて申し訳ない」

 アトリの視線の先にいたのは、女騎士――オルシュファンとは違い、甲冑を身に纏っていた。一瞬の隙もない、溢れ出る凛々しさから、恐らくは手練れの人物であると察した。余程急な用事であれば、己は大人しくしておこう。アトリがそう思ったのも束の間。
 女騎士の視線がアトリへ向く。明らかに敵対心を持った鋭い目を向けており、まさか己が関与しているのではないかとアトリは不安に思いつつ、なんとか平常心を抱こうとした。
 だが、残念ながら嫌な予感というものは大抵当たるものである。

「そこのアウラ族の女にスパイ容疑が掛かっている。神聖裁判所への同行を願いたい」

 アトリがその意味を理解するより先に、オルシュファンが声を荒げた。

「スパイだと!? 馬鹿な、アトリがイシュガルドに来たのはほんの数日前だというのに……!」
「本当に『数日前』なのかという確証がない以上、教皇庁は納得しない。ましてや第七霊災が起こり、帝国がエオルゼア侵略を諦めていない以上……」

 女騎士は一瞬目を伏せ、言い留まった。この時の彼女が内心葛藤と戦っている事をアトリが知るのは、まだ先の話である。

「ルキア殿。無礼は承知の上だが……証拠もなく、こんな横暴な手段で他国の者を処刑する事を、貴殿は本当に由としているのですか?」

 アトリは訳が分からないなりに、オルシュファンが必死で己を庇ってくれているという事は理解した。そして、このイシュガルドも第七霊災によって混乱に陥っているのであろう、と。
 フランセルの助言がアトリの脳裏をよぎる。やはり自分は早々にこの地を去った方が良い。そして、ここでオルシュファンの後ろに隠れていても、事態は何も解決しない。アトリは勇気を振り絞って、女騎士――ルキアと呼ばれた女に向かって声を上げた。

「ルキア様。私がその『神聖裁判所』へ行けば、無実を証明する事が可能なのでしょうか」

 アトリの問いに、ルキアは頷かず、どこか言い難そうに視線を逸らした。すぐに肯定出来ない時点で、アトリは正当な裁判が行われるわけではないのだと察した。そして、オルシュファンがどれだけ己を庇おうと、逃げる事は不可能である事も。
 その推測を肯定するように、オルシュファンはアトリに向かって訴えかける。

「アトリ、どうか私の言う事を信じて欲しい。神聖裁判所へは絶対に行くな。お前は腕を磨けばイイ冒険者になれる素質があるが……クルザスの地で凍死し掛けるような無防備さでは、無残に殺されるだけだ」
「裁判を行う場所ではないのですか?」

 裁判所とは名ばかりで、『処刑』だの『殺される』だの物騒な言葉が出て来る時点で、ごく一般的な裁判とはまるで違うのだろうと、アトリは認識せざるを得なかった。とはいえ、この場で無実を訴えたところで証明にはならず、ただただオルシュファンに迷惑を掛ける事に他ならない。
 一体どうすればこのルキアという女騎士は納得してくれるのだろうか。アトリとしても異国の地で騒ぎを起こす気はなく、出来れば穏便に解決するに越した事はなかった。つまり、彼女の信頼を勝ち得る事が出来れば、僅かでも望みはある。
 アトリは無謀だとは分かりつつも、再びルキアに顔を向け、真っ直ぐな瞳で問い掛けた。

「ルキア様。どうすれば私の無実を信じて頂けますか?」
「私は貴様を神聖裁判所へ連行するよう命じられてここにいる。すまないが、質問に答える事は出来ない」
「私は『あなた』に信じて頂きたいのです」

 例え彼女に権限がなくとも、もし僅かでも『こんな命令は間違っている』と考えていたとしたら、諦めるのはまだ早い。アトリは無理だと分かりつつも、藁をも縋る思いでルキアに目で訴えかけた。その想いが通じたかは定かではないが――ルキアは軽く溜息を吐いて、暫し考えた後、無表情を保ったまま言葉を紡いだ。

「……アトリと言ったな。オルシュファン卿の言葉が事実であれば、貴様は経験の浅い冒険者という事になる。ならば、その言葉が真実かどうか、私が実力行使で判断させて貰う」

 その言葉だけでは、窮地を脱したかどうかまでは分からないものの、アトリは一先ず話が先に進んだ事に胸を撫で下ろした。だが、その横ではオルシュファンが相変わらず納得のいかない様子で、困惑の表情を浮かべながらアトリを見つめていた。
 相手はルキア・ユニウス――蒼天騎士団団長、アイメリクの副官にして、彼女こそガレマール帝国の元スパイであった身なのだから。

2021/03/30

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