風向き時機を失せず

 突然のアトリの告白に、オルシュファンはすぐに言葉を返す事が出来なかった。返答に困る以前に、その意図を読み取る事が出来なかったのだ。
 アトリの言う『好き』は、純粋に友人として抱いている感情なのか、それとも。どちらにせよ、「そんなに薄情な人間だと思っていたのか」などといじけてみせたかと思えば、唐突に己の事を好きだと言って来るなど、やはり今日の彼女はどこかおかしいと言わざるを得なかった。
 そこまで考えて、オルシュファンは今のアトリが不安定な状態に陥るのは当然の事だと気付いた。己に元気な姿を見せ、フランセルとラニエットに挨拶をするだけの筈が、本人の意図せぬ形で大事になり、皇都はおろかクルザスから離れなければならなくなったのだ。
 二度と会えないわけではないが、再会がいつになるかも分からない。数ヶ月後か、あるいは数年後か。イシュガルドという国が変わらない以上、アトリも安心して訪れる事は出来ないだろう。このキャンプ・ドラゴンヘッドに来る事自体は容易くても、また今回のような事が起こる可能性もある。
 幸い、東アルデナード商会が皇都と繋がりがある事で、交易目的で皇都を訪れる事が可能になるなど、ある程度緩和されるという期待は持てそうではあるが、すぐにどうにか出来るわけではない。

「あのう……困らせてしまって申し訳ありません」

 考え込んでいたオルシュファンに、アトリはおずおずと謝罪の意を告げた。告白に対し黙り込むという反応は、決して拒否ではないものの、受け容れるというわけでもない。アトリとて、良い返事がない事は初めから分かっていた。

「色々と思うところがあって、つい口にしてしまったのですが……別に恋人としてお付き合いして欲しいというわけではないのです。種族も国も異なれば、お互い置かれている立場もありますし」

 アトリは傷付いたり落ち込んでいる様子はなく、寧ろ穏やかな笑みを湛えていた。
 明日ここを発てば、次はいつ会えるか分からない。二年前の別れと同じ状況下が、アトリを感傷的にさせているのだろう。オルシュファンはそう捉えたが、それでも返す言葉が見つからなかった。
 決してアトリを拒みたいわけではない。だが、友人ではなく恋人となると、まだお互いを知る時間が必要なのではないかという迷いが生じたのだ。

「ただ、あなたに偶然助けられた私が、あなたに恋という感情を抱き、あなたに会える日を夢見て日々を乗り越えて今日まで来た事。それを伝えたかっただけです。すみません、勝手で」

 アトリは苦笑を零せば、オルシュファンから離れ、粗方食べ終わった食器を片付け始めた。もう話は終わりという事だ。

「待て、アトリ。話はまだ――」

 オルシュファンはアトリを引き留めようとしたが、その先の言葉が出て来なかった。彼女の告白に対する答えを持ち合わせていないというのに、これ以上何を話せというのか。
 アトリは空になった食器を抱え、部屋を出ようと扉を開けると、部屋の外にいた使用人とぶつかりそうになった。

「も、申し訳ありませんアトリ様!」
「ちょうど良かったです、後片付けを手伝って頂けますか?」
「え? いえいえ! 私たちがしますから、アトリ様はどうぞごゆっくり……」
「今日が最後なので、寧ろ少しでもお役に立ちたいのです」

 そう告げると、アトリはまるで逃げるようにその場を後にした。使用人は恐る恐る部屋を覗き込み、オルシュファンへと問い掛ける。極力プライベートに踏み込まないよう、最低限の言葉を選びながら。

「……オルシュファン様、よろしいのですか?」
「構わん。客人だというのに、率先して働くのは今に始まった事ではないからな」
「……で、ですが。『今日が最後』というのは……」

 先程アトリが告げた言葉がどうしても引っかかり、無礼を承知で訊ねる使用人に、オルシュファンは苦笑を浮かべながら答えた。

「何も、もう二度と来ないという意味ではない。そんな薄情な女ではないと、アトリ本人が言っていたのだからな」

 アトリと離れ、オルシュファンは漸く冷静になった。平常心を欠いているのは向こうも同じで、今頃、想いを口にしてしまった事を後悔しているかも知れない。だとすれば、今の己に出来るのは、彼女をあたたかく迎え入れる事だ。想いに応えるにはまだ時間が必要だが、友として今まで通り接するのは何も問題ない。改めてそう決めたものの、既にオルシュファンの心の中では、アトリに対して単なる友とも違う感情が生まれつつあった。





 翌朝、アトリは完全に寝坊し、慌てて寝室として与えられた部屋から飛び出した。いつもはオルシュファンより早く起き、掃除や料理の手伝いをしているというのに、この日は初めて寝過ごしてしまった。
 オルシュファンの読み通り、勢い余って告白してしまった事を後悔し、暖かなベッドの中でひとり悶絶してろくに寝付けなかったのだ。

「おはよう、アトリ。昨日はよく――」

 アトリの足音に気付いたオルシュファンはすぐに駆け付けて、何気ない挨拶を口にしたが、彼女の泣きそうな顔を見てつい笑みを零した。

「――どうやら、あまり眠れなかったようだな」
「うう……すみません」
「謝るな。寝坊ぐらい誰でもするものだ。それに出発の時間も特に決めていないのだろう?」
「それはそうなのですが……」

 アトリは頬を赤らめて、オルシュファンから目を逸らした。手伝えなかった事に対する謝罪は勿論ではあるが、それ以上に昨夜オルシュファンに一方的に告白してしまった事に対する罪悪感もあった。とはいえ、それを伝えるとなれば昨日の事を蒸し返す事になり、そのまま口ごもった。

「朝食の準備はもう出来ているぞ。ここを出るにせよ滞在期間を延ばすにせよ、まずは腹ごしらえをせねばな」
「いえ、もう離れると決めましたので……」
「よく眠れなかったのなら、もう一晩ここで過ごして万全な体調になってからでも遅くないとは思うが」
「大丈夫です」

 オルシュファンのさりげない気遣いに、アトリは首を横に振った。眠れなかった原因は彼自身なのだから、もう一晩ここで過ごしたところでろくに眠れないのは明白であった。



 オルシュファンは昨夜の出来事などなかったかのように、いつもと変わらず雑談に興じており、アトリはそれが彼なりの気遣いなのか、それとも自分の告白など彼にとっては取るに足らない事なのか、判断が付かなかった。オルシュファンの為人を思えば後者であるわけがないのだが。
 どちらにせよ、返答しようがない告白だったのだから、何事もなかったように接するのが最善なのだとアトリは結論付けた。寧ろ嫌われなかっただけでも幸いである。

 食事を終え、アトリはいつものように後片付けをと思ったものの、使用人たちに追い返されてしまった。もう出て行くのだから結構だ、という意味なのか。その意図が読み取れず、アトリは困惑しつつも準備を整えて外へ出た。

 極寒の地であるクルザスでの生活は、エオルゼア三国に比べると確かに不便ではある。だが、アトリが「こんなところに住みたくはない」とは一度も思わなかったのは、過酷な環境でも生き続ける多くの人たちの存在があったからだ。
 皇都イシュガルドでは貧富の差が激しく、これ以上踏み込めば酷い国だと思ってしまうかも知れない。それでも、今のアトリにはイシュガルドに対する悪いイメージはなかった。寧ろ、千年もの間ドラゴン族との戦いを続けているなど、尊敬に値するほどであると捉えていた。

 雪で照り返される朝日に、アトリは目を瞑った。いつもより陽光が眩しく感じるのは、暫くここを離れなければならず、無意識に感傷的になっているからだろうか。

「イイ天気だな。まるでお前の旅路を明るく照らしているように思えるぞ」

 アトリに続いて外に出たオルシュファンがそんな事を言ってのけて、アトリはつい振り向いてその顔を見上げた。いつもと変わらない笑みを自分へと向けている。
 散々迷惑を掛けて、挙げ句の果てに一方的に想いを押し付けて、こんな己に彼はどうしてここまで良くしてくれるのだろう。アトリは自分の幼さを恥ずかしく思い、このまま何も云わずに去るのはそれこそ道理に反すると気付いた。オルシュファンの事を本当に好きでいるのなら、誠実であるべきだ。一時の感情で彼を振り回してはならない。本心はどうであれ、彼を困らせてしまった事に変わりはないのだから。
 アトリは漸く、オルシュファンと改めて向き合う事に決め、まっすぐな瞳で彼を見つめた。

「オルシュファン様、昨夜は本当に申し訳ありませんでした」
「謝るような事はしていないだろう。アトリ、お前は謝り過ぎだ」
「いえ、たくさん迷惑を掛けてばかりです」

 謝り過ぎはかえって無礼になる。とはいえ、こればかりはアトリとしても譲れなかった。

「一方的に想いを伝えるなど、相手の立場になって考えれば迷惑な事です。私たちの関係は『今のまま』が一番良いと、分かっているはずなのに……」

 決してエスティニアンに嗾けられたからではない。寧ろ彼は『今は時勢が悪い』と助言してくれていた。それを無視して想いを伝えたのは、アトリ自身の意志である。
 だが、オルシュファンはアトリにとって思いも寄らない事を口にした。

「アトリ。強いて言うなら一人でそうして決め付けてしまうところがお前の悪い癖だぞ」

 アトリは思わず肩をぴくりと震わせた。オルシュファンもさすがに呆れ果てて怒ったのでは、と覚悟を決めたが、彼は笑みを絶やさなかった。怒りを隠しているわけでも、無理しているわけでもない。

「私はお前の想いを拒否したつもりはないのだが。まあ、突然過ぎて返答に困ってしまったのは事実だが……」
「とはいえ、現実的に考えて無理ではないですか。オルシュファン様はこのドラゴンヘッドを管理していて、私は本来東方を拠点としている人間です。お互い自由が利くわけではない以上、恋人になるなど無理な話で――」

 真剣な表情で訴えるアトリの髪を、オルシュファンは優しく撫でた。それ以上は言わなくても分かっている。例え想い合っていたとしても、すぐに変われる関係ではない。お互いの置かれている立場、環境、そしてこのイシュガルドという国の在り方。添い遂げるなら互いに何かを捨てなければならない。その覚悟は、オルシュファンは勿論、告白したアトリにもない。
 だが、それは『今』の話だ。

「アトリ。私たちの世界は日々変化している。このクルザスも第七霊災を乗り越え、少しずつ復興に向かっている。いずれここにもエーテライトが再建され、冒険者も商人も気軽に訪れる事が出来るようになるのは、そう遠くない話だ」

 このクルザスが復興しても、己たちの関係が変わるわけではないではないか。アトリはそう思ったが、オルシュファンはそんな感情を見抜いているのか、アトリの顔を覗き込んで視線を合わせた。

「それと同じように、このイシュガルドという国もイイ方向に変わっていくと私は信じている。お前が安心して訪れる事が出来る国に」

 オルシュファンは決して気休めで言っているのではない。彼が嘘を吐いた事などないと、アトリもよく分かっている。
 この国が変われば、自分たちも様々な壁を乗り越える事が出来る。そう思い掛けたものの、そもそもオルシュファンは己の事を異性として意識しているわけではない、とアトリは首を横に振った。

「イシュガルドが良い国になる事を、私も祈っております。ただ、それとオルシュファン様が私の想いを受け容れるかどうかはまた別問題ですし」
「つい先程、決め付けるなと言った筈だが?」

 オルシュファンの言葉に、アトリは一気に頬を紅潮させた。まさか、そんな事があるわけがない。そう、彼は己を傷付けないよう気を遣っているのだ。アトリは何度も心の中でそう言い聞かせた。

「今すぐに行動を起こす事は出来ないが、前向きに考えたいと思っている」
「前向きに……?」
「うむ。この国が変わり、何の枷もなくお前がイシュガルドに滞在する事が可能になれば……アバラシア雲海も、未だお前が足を踏み入れた事のない場所も、思う存分一緒に冒険する事が出来るようになる」

 オルシュファンはまるで少年のように瞳を輝かせている。数々の功績を上げて騎士となった彼にしてみれば、イシュガルドの領土での冒険などとうに済んでいるだろう。ただ、アトリと一緒なら楽しいものになる――彼の言葉に嘘はない。
 ただ、果たしてそこに恋愛感情は含まれているのかと問われれば、頷く事は出来ない。恋人でなくとも、『友』でも『仲間』でも出来る事だからだ。

「つまり、オルシュファン様は私を異性として見る事は出来ないと……」
「何故そうなるのだ? お前と共に生きていくと考えるだけで、気持ちが昂り、高揚感に包まれる……これはきっとお前が抱いている想いと同じはずだ」

 果たしてその感情を愛と称するべきなのか。微妙に違う気もして、アトリは何と答えるべきか返答に困ったが、きっと昨夜のオルシュファンも同じ気持ちだったのだろうと思うと、自然と笑みが零れた。
 すぐに変わる事は出来ないのだから、少なくとも『今』はこれでいい。

「……はい! 私もオルシュファン様と一緒に過ごせたら、きっと毎日笑顔が絶えないと思います」

 互いに笑みを浮かべ、頷き合う。朝の冷たい風も、今のアトリにとっては清々しく感じる事が出来た。
 エーテライトが再建され、復興がより進めば、人の出入りも多くなる。そうして少しずつ変わっていく事で、皇都の頑なな体制に変化も訪れるかも知れない。今はドラゴン族も鳴りを潜めているという話だが、万が一攻め込む事があれば、他国と手を取り合う事になる。勿論、戦争など起こらないに越した事はないのだが。

「いつかその時が来たら、オルシュファン様に置いて行かれないよう、今から鍛錬を積まないといけませんね」

 アトリとて、エスティニアンの忠告を忘れたわけではない。己がイシュガルドで生きるのは夢物語で終わるかも知れないが、ドラゴン族とある程度は渡り合える強さは身に付けたいと思い始めていた。東アルデナード商会の人間であっても、冒険者としても生きて行くのなら、様々な敵と戦えるに越した事はない。
 本当に、オルシュファンと一緒にいると不思議と前向きになれる。昨日落ち込んでいたのが嘘のようだ。アトリは我ながら単純だと自分自身に呆れてしまったが、こんな自分も悪くない、と思い直した。

「では、あまりのんびりしてしまうと心残りが出来てしまいそうなので……そろそろ出発します。また来ます。出来れば、近いうちに」
「ああ。その時には『様』が外れていると良いのだが」
「そ、それは……尽力します……」
「まあ、無理に馴れ馴れしくしようとして、かえって気を遣うのなら本末転倒だが」

 アトリの言葉に、オルシュファンは苦笑して頷いてみせた。実のところ、今となっては最早敬称など気にならなくなっているのだが、少しばかりアトリを困らせたくなったのだ。

「ではな。お前とまた会える日を心待ちにしているぞ!」

 共に笑顔で頷き合えば、アトリは背を向けて、緩慢な足取りでキャンプ・ドラゴンヘッドを後にした。
 その後ろ姿が見えなくなるまで佇んでいたオルシュファンの元に、騎兵たちが続々と駆け付ける。実は二人の様子を窺っており、やり取りも筒抜けであった。

「隊長、御言葉ですが……」
「いや、皆まで言うな」

 オルシュファンも騎兵が見ている事に気付いており、あれでは告白に対する返答になっていないではないか、と皆が言いたいのも分かっていた。

「アトリはこのエオルゼアで家族を喪った後、漸く新たな人生を歩み始めたのだ。仮に私が愛を伝えたとして、困るのはアトリだ。冒険者である以前に商人でもある以上、クルザスに住むとなれば商会での仕事にも支障が出るだろう。私の為にアトリが何かを犠牲するなど、あってはならない事だ」

 オルシュファンは至極当然の事を言ったつもりでいたが、騎兵たちはどよめいた。己たちの隊長は、あの異邦人の事が好きなのではと冗談めかして言っていたが、思いの外本気ではないか、と。

「何にせよ、本人の意思ではないとはいえ、アトリが皇都に侵入してしまった以上、ほとぼりが冷めるまではこうするしかあるまい」

 例えこの地で一緒に暮らす事が出来なくとも、良い関係を続けていきたい。中途半端なままではかえって不誠実かも知れないが、結論を出すにはあまりにも早過ぎた。オルシュファンがアトリへ抱いている想いは恋愛感情なのか、それとも友愛なのか。彼の中でも未だ判断出来ずにいたが、彼女を心から想っている事は紛れもない事実であった。

2021/11/23

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