- 約束の夜明け -

 結局あの精神世界で、グレイがジェットに協力を求めるよう話し合う事は出来ず、何の解決にも至らなかった……ように思えたのだけれど、どうやら違ったらしい。グレイの中で、『ジェットに頼らずLOMに挑む』と決意するきっかけが出来たのだという。
 やっぱりグレイはこのままヒーローの道を進んで欲しい。ジェイ・キッドマンも言っていたけれど、『強さ』というのは肉体的な力だけではない。自分の弱さを認め、受け容れ、克服しようと努力する、そんな謙虚な姿勢は『精神的な強さ』があればこそだ。自分の能力を過信していては、いざスランプに落ちた時に立ち直れなくなる。まさに過去の私がそうで、精神的に弱いからこそ強がっていたのだと今なら分かる。

 きっとグレイはもう大丈夫だ。それにLOMでは何よりチームワークを重要視する。一人きりで戦うのではなく、イーストセクターの皆と協力して戦うのだから、絶対に乗り越えられる。もう私が気に掛ける必要もないだろう。
 ――私も、頑張らないと。グレイに置いて行かれないように、私は私で為すべき事をしなくては。





 グレイの進退が決まるLOM開催と時を暫くして、私も昇格試験を受け――結果は無事合格。ランクは漸くAAAに上がったけれど、これで一段落というわけではない。寧ろ改めてスタートラインに立ったという感覚でいる。メジャーヒーローを目指すには遅すぎるかも知れないけれど、志は高いに越した事はない。仮にそこまで辿り着けなかったとしても、AAランクのまま何年も燻っていた過去の私のままでいるよりかは、ずっと充実した未来が待っているに違いない。

「ルリ。昇格試験合格、おめでとう」
「リリー教官!」

 憧れの人に廊下で声を掛けられて、意識せずに自然と声が弾んだ。
 私もリリー・マックイーンのような、ヒーローとしても、一人の女性としても素敵な人になれたらどんなに良いか。現実的に考えて、人には努力で出来る事と出来ない事があるのだけれど、まあ、今日くらいは夢を見たって良いだろう。

「ありがとうございます! リリー教官のようになりたいと思っていましたが……これで一歩夢に近付きました!」
「おいおい、世辞を言っても何もやらんぞ?」
「お世辞じゃありません、本当に教官の事を尊敬しているんです。ヒーローとしても、人としても……」

 そう口にした後、さすがに重いだろうかと不安になったけれど、リリーは一瞬呆気に取られた後、すぐに満面の笑みを浮かべた。家族の前ではいつもこんな感じだと思うけれど、このHELIOSで見れるのは、ちょっとレアかも知れない。
 なんて考えていたら、突然リリー教官に抱き締められてしまった。

「嬉しい事を言ってくれるじゃないか、やはり教えるなら可愛い女の子に尽きる……!」
「いえ、私なんて……男子も可愛いと思える子がたくさんいると思いますけど……?」
「ふむ、例えば?」
「ええと、例えばルーキーだとウエストセクターのジュニアくんとか……」
「ルリ、お前は年齢と見た目だけで考えてないか?」

 リリーは呆れがちに溜め息を吐けば、私の拘束を解いて、何を思ったのか口角を上げてとんでもない事を口にした。

「ルーキーで可愛いと思える奴か……そうだな、強いて言うならイーストセクターのグレイ・リヴァースか――」
「グ、グレイが、可愛い……!?」

 いや、確かにそう感じる時もあるのだけれど、あくまで私がグレイに好意を抱いているからだと思っていた。リリーから見ても可愛いと思えるのなら、きっと誰が見てもそうで、つまりグレイがヒーローとして活躍するようになれば、一般市民の女性からの人気も出るのではないか。いや、それも良い事のなのだけれど、なんというか、うかうかしていられない気がしてきた。

「ルリ、どうした? 顔色が悪いが……ああ、『可愛い』より『格好良い』の方が良かったか?」
「い、いえ! そういう訳ではなく……いえ、可愛いし格好良いですけど! って、何言ってるんだろう私……」
「落ち着け。……というかもうすぐLOMの開始時間か、引き留めてしまったな」

 リリーは苦笑いを浮かべ、引き留めた事に対して申し訳ない、と言いたげな表情をしている。私がグレイの事を気に掛けていると思い出したのだろう。尤も、私に対してそこまで気を遣わなくても良いのだけれど。だって、グレイは絶対に大丈夫だから。
 と、そうは言っても、やっぱりLOMを直接この目で見たい事に変わりはない。

「リリー教官、気に掛けてくださりありがとうございます。私、グレイを応援しに行ってきます!」
「こらこら、グレイの進退が懸かっているとはいえ、セクター同士の試合だぞ?」

 ヒーローという立場上、特定のセクターに入れ込むのはあまり良い事ではないし、ここは心の中で応援する事にしよう。リリーの指摘に苦笑しつつ、足早に会場へと向かったのだった。


***


 LOMは無事終わったものの、己の進退がどうなるのかは今すぐ分かる事ではない。一先ず自分たちのチームは勝利を収めたけれど、仲間たちに頼り切りの状態ではヒーローとして相応しくないという烙印を押される可能性もある。決して楽観は出来ない状況だ。
 それなのに、どういうわけかビリーは絶対に大丈夫だと言わんばかりに楽観的だし、他セクターのルーキーの皆も同じだった。

 実を言うと、LOMが始まる前にとある行動を起こした。
 己がトライアウトに不正合格した事を、ルーキーの皆に打ち明けたのだ。
 このまま隠し続けていたら、今回のLOMで合格と認められたとしても、この先ずっと皆を騙しながらヒーローを続ける事になる。例え幻滅され、否定されたとしても、嘘を吐き続けるよりは誠実でありたいと思っての行動だった。
 皆、内心どう思っているかは分からないけれど、勇気を出して打ち明けた事を評価してくれて、応援すると言ってくれた。糾弾されて当たり前だと思っていたから、皆の優しさに心の底からほっとした。

 本当に、今の自分は恵まれている。過去をなかった事には出来なくても、これから先の未来を変えていく事は出来る。
 その為にも、まずはヒーローとして正式に復帰して、己を助けてくれた皆に恩返しをしたい。ずっと己を支えてくれたイーストセクターの皆、追放を取り消しするよう上層部へ訴えてくれたヴィクター、それに――

「グレイ〜、早速ルリパイセンに報告しないとネ」
「ほ、報告って言っても、まだ何も決まってないし……」
「わざわざ上層部の決定を待たなくても、オイラはもうグレイは復帰確実だと思うけど」
「で、でも……ルリちゃんも昇格試験があるって言ってたし、忙しそうだから――」

 彼女に会いたいと思いはするものの、どうしても勇気が出なかった。ルーキーの皆に己の過ちを打ち明ける勇気はあるというのに、もし彼女に会って、その後結局ヒーローとしての復帰が叶わなかったとしたら……そう思うと不安で仕方ない。
 すると突然、ウエストセクターのレオナルド・ライト・Jrが思い掛けない事を口にした。

「そういや、ルリなら昨日の夜に合格が決まったってキースが言ってたぞ」
「えっ、キースさんが……?」
「淡雪ルリって実力あるのに何年もAAランク止まりだったんだろ? 結構色んな奴が気に掛けてたらしいぜ。ま、それもグレイのお陰で復調したって話だけど……ウシシ」

 ジュニアが悪戯な笑みを浮かべたものだから、己と彼女の関係が各方面に知れ渡っているのだろうかと気恥ずかしくなってしまった。彼女さえ嫌じゃなければ、別に隠す事ではないけれど。

「こら、おチビちゃん。年上をからかったら駄目だよ」
「はぁ? 人聞きの悪い事言ってんじゃねーよクソDJ。からかうも何も、グレイとルリって付き合ってるんだろ?」
「…………」
「違うのか?」

 無言で溜息を吐くフェイスに、ジュニアは自分が失言してしまったと気付いたのか、慌ててこちらへ向かって頭を下げた。

「悪い、グレイ!! いや、てっきり二人は恋人だと思って……」
「え、ええと……間違ってはいない、のかな……」

 考えてみたら、お互いに好きだと伝えはしたけれど、正式にお付き合いしてください、なんてきちんとした申し出はまだしていない……気がする。それなのに、主にジェットのせいだけれど、生涯を捧げるだとか過程を一気に飛ばした話になってしまっている。
 彼女はそれを受け容れていると思うけれど、やっぱり、自分の口で彼女にきちんと伝えた方がいい。彼女とのこれからについて、自分の想いを。

「お前らそんな関係だったのかよ! だから前にルリがグレイの為にカップケーキ作ってたのか」
「アキラ、気付くのが遅いよ……」

 サウスセクターの鳳アキラとウィル・スプラウトの遣り取りを微笑ましく眺めていると、突然フェイスが己の顔を覗き込んで来た。

「ほら、早くルリさんのところに行って報告して来なよ。うかうかしてると、悪い男に捕まっちゃうかも知れないし」
「えっ、ええ!?」
「DJビームスこそグレイをからかっちゃ駄目だヨ〜! 確かにAAAランクのルリパイセンとなると、今後の活躍次第では人気が出そうではあるけど……」

 彼女が昇格して、ヒーローとして活躍するのは喜ばしい事だ。ファンが増えるのも良い事だと思う。けれど、それでもし己以外の男が彼女に近付くような事があると思うと……考えただけで眩暈がして来た。

「……僕、ルリちゃんのところに行って来るね……!」

 別に彼女が今すぐにどうなるわけでもないというのに、気が動転してしまって足早に会場を後にしてしまった。背後で「頑張れ!」なんて声が次々に聞こえて来て、恥ずかしさはあるけれど、純粋に嬉しかった。ついさっきまではヒーローに復帰出来るかも分からなくて不安に苛まれていたのに、彼女の事で皆に応援されて前向きになれるなんて、我ながら単純だ。

 ただ、今彼女は何処にいるのか。そんな事も知らないまま会場を出てしまった。この後どこに行けば良いのか。彼女はLOM当日は会場で応援すると言ってくれていて、それを無下にする事はないと思う。だとしたら客席にまだいるだろうか。ただ、一般客に紛れて彼女を探すのもどうなのだろう。などと悩んでいると、人の気配を感じた。

「グレイ! お疲れ様!」

 ヒールの音を鳴らしてこちらへと駆けて来る姿は、まさに今会いたかった彼女に違いなかった。

「ルリちゃん……! どうして……」
「どうして、って……実はグレイが出てくるのをこっそり待ってたんだ。皆と色々話す事もあるだろうし、邪魔するのも良くないと思って……」

 あまりに嬉しすぎて顔が一気に熱くなった。そこまで気遣って、己が出てくるのを待ってくれていたなんて。

「ありがとう……! LOMもお陰様で、なんとかなった……かな……」
「うんうん、絶対大丈夫だよ! 前は人を傷付ける事を躊躇っていたように見えたけど、今回はグレイも前線でしっかり戦えてたし!」
「ビリーくんも、ジェイさんも、他の皆も……同じ事を言ってたから、やっぱりそうなのかな」
「他の皆も同じ事を言うなら、私の贔屓目じゃないね? 気が早いけど、復帰おめでとう!」

 満面の笑みを浮かべてそう言ってくれて、もう本当にこんなに幸せで良いのかと、嬉しさのあまり頭が働かなくなってきた。
 ――いや、駄目だ。しっかりしないと。漸く本当にヒーローとしてスタートラインに立てたのだから、これでやっと、彼女に正式に告白出来る。いや、今も一応『付き合っている』状態だとは思うけれど、これはけじめでもある。
 彼女の優しさに甘えるのではなく、ジェットの言いなりになるのではなく、これは自分自身の意志だ。

「……ルリちゃんも、AAAランクに昇格したんだよね……! おめでとう」
「あ、もう誰かに聞いたの? 昨日の夜通達が来たんだけど、グレイもLOMを直前に控えてるし、全てが終わった後の方がいいかなって思って……」
「うん、ルリちゃんも気を遣ってくれたんだろうなって思ったから……」

 言わないと。幸い今はこの場に自分たち以外誰もいない。もっと気の利いた場所で言えたら良かったけれど、フェイスの『悪い男に捕まるかも』という言葉が頭の中でリフレインして、気ばかりが焦ってしまっていた。

「あの、ルリちゃん……! 僕と……」

 彼女の両手を掴み、少し驚いたように目を見開いた仕草も可愛い、なんて思いつつ、ただただ無心で言葉を紡いだ。

「僕と……付き合ってください……!」

 そう言って頭を下げて、ゆっくりと顔を上げると、目の前には頬を紅潮させる彼女の顔があった。やっぱり両想いな事に変わりはないし、改めて告白されて嬉しいのだろう、なんて思ったのだけれど、

「……ごめんね、グレイ」
「……え?」

 まさか。いや、そんな訳がない。一体何が? 混乱して悪い展開しか考えられなくなり、一気に血の気が引いた。

「……私、てっきりもう付き合ってるものだと思ってた……」
「…………え?」
「だって、付き合ってないとキスなんてしないでしょ? いや、私だけがそう思い込んで、勝手に舞い上がってた……のかな……」

 顔を真っ赤にした彼女は、泣きそうな顔で必死に口角を上げていた。そんな様子に、失礼だけれどつい笑みを零してしまった。

「僕こそごめんね……ジェットが勝手な事言ってたけど、生涯を捧げるとかそういう話に飛躍する前に、まずは正式に恋人として付き合うって、僕の口からちゃんと言った方がいいと思っただけなんだ……」

 彼女は軽く肩で息をして、力なく笑ってみせた。振り回してしまってみたいで申し訳ない、けれど彼女のこんな不器用な姿も可愛いと思える。前なら『こんな自分が彼女と付き合えるわけがない』と初めから諦めていたと思うけれど、今は違う。

「真面目だね、グレイは。私はもうグレイに生涯を捧げる気でいたけど……」
「で、でも、ルリちゃんもヒーローとしての夢があると思うし、僕のせいで自分を犠牲にして欲しくないから……ちゃんと段階を踏みたいというか……」
「大丈夫だよ。私、欲張りだから。グレイとずっと一緒にいるし、ヒーローとしての夢も諦めない」

 きっぱりとそう言い切る彼女は輝いていて、本当に有言実行するだろうと思えるから不思議だ。アッシュが前に言っていた『現実逃避で結婚したがっている』なんて彼女はもう何処にもいない。勿論、この言い方は穿った見方だと思うし、ヒーローとして結果が出せなかった彼女は道に迷っていただけなのだと言い切れるけれど。
 そんな彼女が、己と再会した事でこんなにも変われたのだとしたら。こんなに嬉しい事はない。

「ルリちゃん、僕……ずっとルリちゃんの事を守るから……! 十年後も、二十年後も、その先もずっと……!」
「グ、グレイ、待って……!」

 思わず彼女を抱き締めると、戸惑うような声が聞こえたのだけれど、きっと照れているのだろうと思っていた。ただ、普段積極的な彼女が制止の言葉をするなど、余程の事なのに。舞い上がっていてまるで気付けなかった。

「皆が……見てる……!」

 己の胸元で彼女がそんな事を口にして、まさか、と思って恐る恐る振り向くと。
 少し離れた場所で、ルーキーの皆がこちらの様子を窺っていた。

「へぇ、やるじゃんグレイ」
「フェ、フェイスくん……」
「ごめんね、覗き見するつもりはなかったんだけど、通り道だったから」

 彼女を抱き締めたまま、完全に頭が真っ白になってしまっていた。ただ、皆優しいから大丈夫だ、悪いようにはならない。そう思って、思い込む事にして彼女から手を放そうとした瞬間。

「――おい、ギーク……LOMが終わって早々公衆の面前でルリに手を出すとは、随分と良い御身分じゃねぇか……」
「ヒッ……!」

 まさかアッシュが現れるなんて思ってもいなくて、今度は血の気が引いて寒気を覚えた。けれど、どういうつもりか彼女が己の手を引いて、我に返った。

「グレイ、逃げよう!」
「えっ?」
「アッシュに捕まったらスパーリング三時間だよ」
「そ、それは嫌だ……!」

 彼女と顔を見合わせて同時に頷けば、手を繋いで走り出した。

「おい、てめぇら! 待ちやがれ!」
「ええ〜、アッシュパイセン行かないで〜!」
「クソッ、邪魔するな!」

 皆の声を背に、彼女と共に行く宛もないままタワー内を駆け抜ける。どうやらビリーがアッシュを足止めしてくれたみたいだ。後でお礼を言わないと。
 ビリーには本当に助けられてばかりだ。年下の仲間に助けられるような己が、果たして彼女を守れるのだろうか。自分で言っておきながら不安になってきた。



「グレイ! さっきの話……私を守ってくれるって……」
「あ、ええと……ごめんね、出来もしないのに偉そうな事言って……」
「私、じゅうぶんグレイに守られてるよ。だから……」

 どちらともなく足を止め、呼吸を整える。もしアッシュがビリーを振り切ってこちらに向かっているとしても、追い付くまでにはまだ猶予はある。
 彼女は息を切らしているけれど、まだまだ走れそうだ。いっそこのままタワーを出て街へ繰り出すのも悪くない。なんて考えていると、突然己の手を取って、互いの小指を絡ませた。

「私も同じように、グレイを守るから。約束だよ」
「……うん……!」

 無理だと諦めかけた事でも、彼女が言うと本当に実現出来ると思える。今はまだ力が伴っていないとしても、これからヒーローとして経験を積んで、あらゆる意味で彼女を守れる存在になってみせる。

「はあ、走ったらちょっとお腹空いちゃった。グレイ、もし時間があればこれから外に出ない?」
「うん、実は僕も同じ事考えてた……」
「決まりだね! そういえば、グレイが好きなカップケーキ、私も食べてみたいなってずっと思ってて……」
「いいの!? 今ちょうど新作が出てて――」

 こんな夢のような毎日が訪れるなんて、HELIOSに入所する前は思ってもいなかった。夢のようだけれど、紛れもない現実だ。今度こそ実力でヒーローになれたのも、信頼出来る仲間たちに恵まれたのも、過去のトラウマを胸に未来へ前進出来たのも、彼女に告白出来たのも、すべて夢じゃない。『夢なら覚めないで欲しい』なんて、もう願う必要もない。
 悪夢はもう終わったのだ。闇に包まれた僕の世界はもう、夜明けを迎えたのだから。

2021/08/14
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