- そうしていつしか朝日を迎えよう -

「つまり、囚人どもに追い掛けられてここへ逃げ込んだものの、奴らがなかなか諦めねぇからって、ずっとここで膝を抱えてたワケか……」
「う……うん……そういう事……」
「……ふぅん?」

 無事ジェットと合流出来たは良いものの、早くも呆れられてしまった。ましてや好きな相手も一緒にいるのだから尚更だ。好きな女の前でぐらいまともに戦えないのか、なんて思われていても仕方がない。

「おい、なんでそこでビクつくんだよ。まだ何も言ってねぇだろうが」
「だって、何となくだけど……呆れてるのが伝わってきたから……」
「あぁ、そうだな。よくわかってんじゃねぇか。けどまぁ、オマエがそんなだから俺がいるワケだし。別にとやかく言うつもりはねぇ」

 本当に自分が情けない。もし彼女と一緒にいたのが己ではなくジェットだとしたら、敵の攻撃を受ける事なく撃退出来たに違いない。
 つい彼女の方へ顔を向けると、気難しい表情でジェットを見つめていた。まだ身体の傷が痛む、と言うよりも、どこか考え込んでいるようにも見える。

「ルリちゃん、大丈夫……?」
「う、うん。平気。グレイが介抱してくれたお陰だよ」

 もう身体の痛みはだいぶ引いている、というのは嘘ではないだろう。だとしたら、何か他に気掛かりな事があるのだろうか。ジェットに関わる事で。

「つーか、これまでも別にそんなんで責めた事はねぇだろ。あのクソブタ野郎じゃあるまいし」
「あ……ジェット……。アッシュに、会わなかった……?」

 ふと気になって訊ねた瞬間、一瞬ジェットの顔色が変わった。
 それだけじゃない。彼女も肩を震わせた気がして、視線を移すと顔を強張らせていた。

 己がアッシュと行動している間、彼女がジェットと一緒にいたのはモニター越しで分かっていた。一緒にいたのは一体どのくらいの時間なのか、その時にそれなりに会話を交わしたのか、詳しい事は分からない。けれど、この二人が同時に同じ反応を取ったように見えて、もしかして何らかの密約を交わしたのではないか、と嫌な予感がした。

 彼女に訊ねるより先に、ジェットが己の質問に淡々と答えた。

「……アイツなら死んだ」
「……え?」
「囚人どもに襲われて、呆気なくあの世行きだ」

 あまりにも信じられなくて、何も言葉が出て来なかった。
 いくらなんでもそんな事は有り得ない、という純粋な疑問は勿論抱いたものの、それ以上に不可解なのが、彼女が徹底して黙り込んでいる事だ。曲がりなりにも、アッシュは彼女にとって一緒にHELIOSに入所した同期の仲間だ。無反応なんておかしい。まさか、こうなる事が分かっていたとでもいうのだろうか。

「ルリちゃん……これって、どういう事……?」

 恐る恐る訊ねると、彼女は困ったように視線を逸らして、ジェットへと顔を向けた。まるで、『どうしたらいい?』なんて目で訊ねているように見えて、やっぱりジェットと何らかのやり取りをしたのだと察するのは容易かった。
 すると、ジェットは軽く溜息を吐いた。

「……今のは嘘だ。残念ながら、クソブタ野郎はまだ生きてやがる。ビィビィうるせぇし言う事聞かねぇから、ブタ箱に閉じ込めてきたぜ」
「と、閉じ込めてきたって……」
「どうだっていいだろ、あんなゴミクズの事は」

 とりあえずアッシュが死んだというのは冗談だと分かり、ひとまずは安堵した。けれど、彼女が相変わらず黙っているのを見る限り、アッシュを閉じ込める行為は彼女も容認しているように思える。
 己とアッシュはともかく、彼女とアッシュは別に拗れた関係ではない筈だ。上手くやっている、というより寧ろ嫉妬心すら抱くほど距離が近いと感じるくらいだ。
 一体、ジェットは彼女に何を言ったのか。密約を交わしたのではなく、何らかの理由で彼女が反論できない状態に話を持って行ったのか。

 ジェットを問い詰めようと口を開いた瞬間、ジェットが手に持っているものを差し出して見せた。
 アッシュがヴィクターと連絡する際に使っていたインカムだ。

「インカムは奪い取って来たから、さっさと二人であっちの世界に帰れ」
「え……ちょ、ちょっと待って……帰るって、僕とルリちゃんだけで……?」
「当たり前だろ?」

 何となく、彼女とジェットがどんなやり取りをしたのか想像が付いた。

「なんで動揺すんだよ。無事に帰れるんだから、もっと喜んだらどうだ?」
「だ、だって……」
「俺がなんで生まれたか……オマエは、ちゃんと覚えてるよな? こうする事が、オマエの望みだった筈だ。まだあの野郎は生きてやがるが、一生この監獄に閉じ込めておけば死んだも同然……アイツはここに置いて、オマエは帰るんだ。本来、囚われるべきなのはオマエじゃなくて……あの野郎なんだからよ」

 ジェットが一体どんな事を彼女に言ったのかまでは分からない。
 けれど、もしジェットが『アッシュがいる限りグレイは幸せになれない』なんて事を彼女に言ったのだとしたら。
 そして、彼女が己と共に未来を歩みたいと、本気で考えているのだとしたら。
 彼女がジェットの言葉に逆らえないのは、納得がいく。
 でも、本当に彼女はそれで良いのだろうか。ずっと視線を逸らして眉間に皺を寄せている顔を見れば、『本当にこれで良いのか』と悩んでいるのは明白だった。



『おや、貴方は……グレイではなくジェットですか?』

 アッシュから奪い取ったインカムで、ジェットは早速ヴィクターに連絡を取った。どうやら元の世界に帰るには、ヴィクターの協力が必要不可欠のようだ。

「よぉ、ヴィクター。早いとこグレイとルリをそっちの世界に戻せ」
『……? グレイとルリだけ、ですか?』
「あぁ、そうだ。あのブタ野郎はワケあってこっちに残る事になったんだ。まぁ、そんな事はどうだっていいだろ? こっちは準備万端だ、早くやれ」
『ふむ……何やら厄介な事になったようですね。個人的な事情は、私には関係ありませんし興味もありませんが……アッシュだけそちらに残るというのは、賛同しかねます』
「あぁ、何だ? てめぇの意見は聞いてねぇんだよ」

 当然、ヴィクターはこんな無理な要求を呑むわけがない。そもそも、この精神世界に入り込む装置は、犯罪者の深層心理の研究に役立てる為に彼が開発したものだ。いくら試作品とはいえ、彼が開発した装置で人ひとりが閉じ込められ、元の世界に戻れなくなるなど、絶対にあってはならない事だ。

『人ひとりをこの世から消すというのは、そう簡単ではありません。ましてやヒーローがひとり消えたとなれば、かなり大きな問題に発展するでしょう。どなたの提案か知りませんが、グレイひとりで現実世界に戻ったとして、その後の事はちゃんと考えているのでしょうか?』
「チッ……ウダウダうるせぇなッ! てめぇの意見は聞いてねぇっつってんだろ。これはこっちの問題だ、てめぇは黙って言う事聞いてりゃいいんだよ……!」

 ヴィクターは何も間違った事は言っていない。いくらジェットが反論しても、ヴィクター自身が動かない限りは己と彼女だけを元の世界に戻す事はしないだろう。ひとまずアッシュが本当にこの世界に置き去りにされる事態にはならずに済むとは思う。
 ただ、話を進める前に、これだけは確認しておかなければ。

「ルリちゃん」

 声を掛けると、彼女は我に返ったように慌てて顔を上げた。

「ルリちゃんは、アッシュをこの世界に閉じ込めても良いと思ってる……?」
「良いわけないよ。でも……」

 してはいけない事だという認識でいる事は、正直ほっとした。けれど、ヴィクターのようにジェットに対して反論しない理由が確実にある筈だ。

「グレイこそ、本当に良いの? 元の世界で、アッシュがメンターでも……辛い思いをしないでやっていける?」
「そ、それは……」

 大丈夫、と即答出来ないなんて、自分でも思わなかった。良い事だとは思わない。それは間違いないのだけれど、かといって元の世界で『辛い思いをしない』かどうかは、さすがに頷くのが躊躇われた。

「どうする事がグレイにとって幸せなのか、ずっと考えてる。アッシュと同じチームで、それもメンターで、グレイはそんな状況で幸せになれる?」
「幸せに……うん、なれるよ。ジェイさんもビリーくんもいるし、それに、ルリちゃんも……」
「グレイならそう言うって思った。でも私は、ジェットが嘘を言っているとも思えないんだ。ジェットがグレイの幸せを第一に考えているのは、紛れもない事実だから……」

 やっぱり、ジェットに色々言われたのだろう。ヒーローとしても、そして人として倫理的に考えても、いくらなんでもアッシュをこの世界に閉じ込めても構わないとは思わない。それは彼女も当然同じだと思う。それなのにここまで歯切れが悪いところを見ると、きっとジェトは己の過去を持ち出して、彼女を何も言えない状態にさせたのだ。

 それなら、自分が行動するしかない。
 言葉ではなく、この身を以て。

「ジェ、ジェット……」
「あぁ?」
「や……やっぱり、こんな事はやめよう……アッシュだけ置いて元の世界に戻るなんて……そんな事、僕には出来ないよ……」
「はぁ? 何言ってんだ、グレイ。俺は、オマエの代わりにこうしてるんだぞ。オマエ自身がこうしたいと思ってるから……オマエには実現する度胸がねぇから、俺が生まれたんだ」

 確かに、ジェットという人格が生まれたのは己が原因だ。薬の副作用が原因で別人格が生まれたと言っても、その原型を作り出したのは、紛れもなく己自身の願望だ。『こうありたい』という、己の理想の人格――それが目の前にいるジェットだ。

「アイツのせいで、これまでどんな仕打ちを受けた? どんな苦痛を味わった? オマエはいまだにこんな場所に閉じ籠ってるっつーのに、アイツはそれも知らずのうのうと生きてやがる。何の罪にも問われずに……やりたい放題、好き勝手やって生きてやがる……あのブタ野郎、俺にはっきり言ったんだぜ。……謝るつもりはねぇってな」

 ……気付きたくなかったけれど、そうはっきりと言われれば、受け容れるしかなかった。
 この世界はジェットではなく、己の精神世界だ。
 暗くて、冷たくて、ひたすらに孤独で、誰も助けにすら来ない、監獄の世界。
 こんな世界に未だ囚われていると彼女が知ってしまったとしたら。
 冷静な判断が出来ず、ジェットの言葉に惑わされてしまうのは当然だ。いくら己が許すと言っても、彼女は未だに思い詰めているのだから。

「オマエはそれでいいのかよ? それで、アイツを許せるのか? このまま、何事もなかったかのように過ごす事が出来んのかよ? ……アイツをこの世から消し去りたいと願ったのは、紛れもない事実なのに。あのナイフを買った時、オマエはどんな気持ちだったんだ……グレイ」

 このままじゃ、絶対に駄目だ。こんな形でアッシュを葬ったとしても、自分も、そして彼女も幸せになれない。
 乗り越えなければならないのだ。己自身の力で、ヒーローとして、人として、この手で幸せを掴み取る。辛い過去をなかった事には出来ない。けれど、この先の未来を変える事は出来る。その力は、きっともう手に入れている筈だから。

 ジェットの静止の声も振り切って、気付けば無我夢中で走っていた。アッシュが閉じ込められている牢獄を探しに走り回っていた。
 絶対に、全員でこの監獄を抜け出してみせる。





「グレイ……! オマエ、何やってんだよ!?」

 ジェットが駆け付けた時には、己はもうアッシュが閉じ込められている檻の鍵を開けた後だった。
 遅れて彼女も駆け付けて来て、己とアッシュの姿を見るなり、やっと頬を緩ませて力なく笑みを浮かべた。その表情を見て、やっぱりアッシュを助けた判断は間違えていない、良かったと心から思えた。

「か、鍵は開いた……。早く……ここから出て、元の世界に……」
「っ、ふざけんじゃねぇぞ、グレイ! せっかくこの俺が、ブタ野郎を閉じ込めてやったのに……っ、てめぇの望みを叶えてやったんだろうが――」
「こんな事はしちゃ駄目なんだ!」

 ジェットを止めるには、本心を打ち明けるしかない。例え好きな人の前で、どんなにみっともない自分の姿を曝す事になったとしても。前に進む為には、こうするしかなかった。

「あの頃、毎日のようにアッシュやアッシュの取り巻きたちにされた事……今でも全部、詳細に思い出す事が出来る……思い出すたび怖くて泣きそうになるし……そうやって一生、生きていかなきゃならないんだろうなって思う……額の傷も、一生消えない。確かに、アッシュに一矢報いてやろうと思ってた……この世から消えて欲しいって、本気で願った事もあった……」

 彼女が言った、『ジェットが嘘を言っているようにも思えない』という言葉は間違っていない。ジェットは己の願望から生まれた人格なのだから。
 ただ、それは今の自分じゃない。過去の自分だ。『今』はもう違うのだ。

「だけど……あの頃と違って、僕は……っ、僕は『ヒーロー』になったんだ……! 弱い自分から抜け出すために……強くなるためにヒーローになった……アッシュにナイフを突き立てなくても、変わる事は出来る……一矢報いる、なら……アッシュよりも強く、アッシュよりも立派なヒーローになってやり返してみせる……」

 瞬間、近くで大きな音がした。この監獄で度々現れる囚人がこちらに向かっているみたいだ。正直、ここで戦ったところで何か得るものがあるわけでもなく、一刻も早く元の世界に戻った方が賢明だ。
 ジェットをどう説得すべきか考えるより先に、思い掛けない助け舟が出された。
 咄嗟に声を上げたのはアッシュだった。

「インカムは持ってるか!? あいつらが押し寄せてくる前に、現実世界に戻るぞ」
「わ、わかった……!」

 そうして、皆がパニックに陥っているうちに、ヴィクターの手によって四人全員で元の世界に戻る事が叶ったのだった。





 目覚めた瞬間、真っ白な天井が視界に広がって、妙な安心感を覚えた。間違いなくここはヴィクター・ヴァレンタインのラボだ。問題なく元の世界に戻って来れたという事だ。周りを見回すと、真っ先に横たわる彼女の姿が目に入った。どうやら自分が一番最初に目覚めたみたいだ。

 物凄く恥ずかしい事を口走ってしまった気がする……けれど、彼女ならきっと受け容れてくれると思う。
 ジェットは過去の自分が願った理想の姿だ。ずっと、彼女がジェットに悪く言われた事を不思議に思っていたのだけれど、『アカデミー時代の己の意思』がジェットの行動に反映されているのだとしたら、何となく行動原理に納得が言った。ヒーローになった今の自分なら、決して彼女を拒絶しようとは思わないけれど、もし昔の己だったら、『今更いい顔をするな』なんて思ったかも知れない。
 ……いや、本当にそんな事を思うのだろうか。確かにジェットの行動には己の意思が反映されているとはいえ、全てがそうとは言い切れない気がしてきた。いや、多分アカデミー時代の自分でも、彼女に優しくされたら、きっと本気で好きになっていると思う。やっぱり、ジェットが彼女に冷たいのは、己の意思ではなく彼自身の意思なのではないか。

 だとしたら、彼女にもちゃんと分かって貰わないと。過去の自分がそんな風に思っていた、なんて勘違いされたら堪ったものではない。
 尤も、そこまでしなくても『今の自分は昔とは違う』とはっきり口にしたのだから、彼女こそもう過去には囚われる必要なんてない。今の自分と、これからの未来を共に歩んで欲しい。その気持ちは紛れもなく本物だ。

「ん……」

 彼女の双眸がゆっくりと開かれる。一瞬、やはりアッシュだけあの世界から戻って来ていないのではないか、と不安になったけれど、多分大丈夫だ。ヴィクターの操作に間違いはないと言い切れるし、ジェットも、きっと分かってくれた筈だから。

 本来の目的だったジェットとの対話は、最早それどころではないという状況で終わってしまったけれど、結局のところは彼をコントロールしようという事自体が間違っていたのだ。ジェットに頼らず、自分の力でヒーローとして戦わなくては意味がない。それが分かっただけでも充分だ。

「……おはよう、ルリちゃん」
「グレイ……?」

 絶対に壁を乗り越え、ヒーローとしての道を再び歩んでみせる。彼女と共に、未来を生きて行く為にも。

2021/08/07
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