- 破片から君を知る -

 今日を以て、『ヒーロー』グレイ・リヴァースの人生は幕を閉じた。HELIOSの退所を決めた後はあっという間に話が進み、ついにラボでサブスタンス能力を失わせる薬を投与され――つまり、もう異次元的な力を発揮するヒーローではなくなった。ヒーローになる夢を諦め切れなくて、どんな手を使ってでもトライアウトに合格したいと願い、やっとの思いで最後のチャンスを掴んだというのに、実にあっけない幕引きだった。
 尤も、不正を働いたのだから当たり前の話だ。初めから、己はヒーローになれる器ではなかったのだ。そんな事、初めから分かり切っていた事だというのに。

 ジェイにもビリーにも散々世話になったというのに、簡単に挨拶を済ませて逃げるようにしてタワーを後にした。
 今後も副作用がないか等体調を見る為に、ラボに定期的に通う必要はあるものの、どちらにせよ己はもうHELIOSを退所した一般人だ。誰にも会いたくない。合わせる顔がない。
 特に、こんな己を好きだと言ってくれた彼女には。

 退所前日にまさか彼女がラボに押しかけてくるなんて思わなかったし、本当に夢じゃないかと錯覚するほど信じられない事が起こって――夢なら覚めないで欲しいと心から願うほどだった。
 けれど紛れもなく現実で、夜が明ければ己はヒーローではなくなる。
 恐かった。
 彼女が好きなのはヒーローを目指していたアカデミー時代の己と、晴れてヒーローになった己の事であって、夢を捨てた今の己を変わらず好きでい続けてくれるという自信が持てなかった。
 だから、翌日にはもうHELIOSを退所するとは言わなかった。決して彼女を傷付けたくないという立派な理由ではなく、単に彼女にこれ以上幻滅されるのが恐かったのだ。
 あれだけ己を庇ってくれたというのに、黙って出ていくなんて、優しい彼女を更に傷付ける事になると分かっているのに。

「はあ……最低だ」

 家への道程を歩きながらつい思っていた事が口に出て、周りに誰もいないか辺りを見回すと、背後から突然声がした。
 今、一番聞きたくなかった声だ。

「おい、ギーク。街中で何やってんだよ。不審者として警察に突き出してやろうか?」

 よりによってアッシュに偶然会うなんて、本当に最悪だ。パトロール中の彼女に出くわす方が遥かに良かったと思うほどに。

「ぼ、僕に……話し掛けないで……」

 思わず後ずさった、瞬間。
 目の前に突然イクリプスが現れて、それを追いかけて颯爽と現れたのは。

「ルリちゃん!?」

 彼女は華麗に体を翻して、イクリプスに向かって攻撃を放つ。思えば彼女が戦っている姿を見たのは初めてで、その動きに一瞬見惚れてしまったけれど、まるで相手に効いている気配がない。

「ああ? おいルリ、そんな雑魚に手こずってんじゃねぇよ! クソッ、邪魔しやがって」

 アッシュは舌打ちすればヒーロースーツへと変身し、彼女の元へ加勢に向かおうとした。けれど、その前に振り返って己へ向かって声を上げる。

「ギーク! テメェもまだ能力は使えるんだろ、だったら加勢しろ!」
「そ、そんな……っ、僕は……」
「怖気づいてんじゃねぇよ! この負けい――これが、ヒーローとして活躍できる最後のチャンスだろうが!」

 突然そんな事を言われても、戦えるわけがない。ヒーローだった時だって満足に敵を仕留める事などまるで出来ず、今や能力を失いかけているのだ。更には曲がりなりにもストレートでトライアウトに合格した淡雪ルリでも一切攻撃が利かないのだから、己に出来る事などあるわけがない。
 このまま逃げてしまえたらどんなに良いか。でも、足が竦んで逃げる事すら出来ない。
 もうどうして良いか分からず、脳内はパニックに陥って――そして、意識はそこで途切れた。





 己が意識を失っている間、一体何が起こっていたのか。
 大好きな彼女を傷付けるような暴言を吐き、己を長年虐げて来た男を殺めようとした、『己ではない存在』は誰なのか。
 己が作り出した人格は誰なのか。
 やっと答えに辿り着いた。いや、ずっと気付かない振りをしていたのかも知れないけれど。
 己がずっと求めていた『強さ』を体現した、君という存在は――。





 意識を取り戻した瞬間、身体に痛みが走る。記憶がない間戦っていたのだろう。
 怖い。けれど、もう逃げちゃいけない。ちゃんと向き合わなければならない時が来たのだ。己が作り出した『彼』と。

「君は、僕がネット上で演じていた人物……『ジェット』なんだろう……? 僕が思い描いていた強い存在……僕が欲しかった『力』そのものを持つ存在……」

 今、この身体は自分ひとりのものではないらしい。己が作り出した人格が一人歩きをして、随分と勝手な行動をしているみたいだ。ここ一連の騒動然り、今この瞬間もそうだ。ジェイが己とアッシュの間に割って入っていて、少し離れた場所では彼女とビリーがイクリプス相手に戦っている。
 仲間割れしている場合じゃない。今己に出来る事はこれしかない。

「お願いだ、ジェット……。その力を僕に貸してくれ……!」

 己の中にいるもうひとりの存在へ訴えかけた。けれど、この身体を使って『ジェット』は声を荒げる。

「てめぇ……ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ! 俺はそんなことのために生まれたんじゃねぇ! てめぇがずっと抑え込んでいた怒りや憎しみを、代わりにぶつけるために生まれた……あのブタ野郎をぶっ殺すための存在だ!」

 確かに、アッシュに虐げられた日々は地獄そのものだった。漸くヒーローになれた後も、その相手が上司だなんて、いつまでも己は負け犬の人生なのだと思い知らされているようで、辛くないと言えば嘘になる。
 それでも、アッシュを殺したいとは思わない。

「っ……、駄目だって言うなら、僕はここで死んだっていい!」

 決して復讐をするためにヒーローになったんじゃない。
 強くなりたい。ただその一心で、憧れのヒーローになったのだから。



 やっとジェットも願いを聞き入れてくれて、ここは全員で協力する事を提案した。ジェイですら圧されるほどの敵だとしても、力業で動きを止めるぐらいは出来るかも知れない。アッシュも今回ばかりは共闘してくれる事になり、一縷の望みに懸けた結果――なんとかイクリプスを捕える事に成功した。
 ほっと一息吐いたのも束の間。
 力を使い果たしたのか、ふらついて地面へと倒れそうになる彼女の姿が目に入った。

「ルリちゃん……!」

 駆け付けるより先に、ビリーがサブスタンス能力を使って糸を放って、緩衝材のように彼女の体の真下に張り巡らせた。その上に倒れ込んだ彼女の元へ、ビリーと共に駆け付ける。

「ルリちゃん、大丈夫……!? 怪我は……」

 見た感じ目立った外傷はない。けれど苦しそうに悶えていて、明らかに無傷ではない事が窺える。

「ど、どうしよう……ルリちゃん、僕の声は聞こえる……!?」
「……ルリパイセン、『オーバーフロウ』で力が暴走してるっぽいネ」
「オーバーフロウ……ルリちゃんが!?」

 この目で見た事はないけれど、無駄に独学に励んだ年月が長いせいか、サブスタンスの知識にはそれなりに長けているつもりだ。
『オーバーフロウ』――サブスタンス能力が制御できなくなり、その力に飲み込まれ、身体を蝕まれてしまう現象だ。手当が早ければ命に別状はないけれど、今の彼女がどの程度サブスタンスに浸食されているかまでは判断出来ない。

「もうすぐ他のヒーロー達も駆け付けるだろうし、死ぬ事はないと思うけど……またトラウマになって戦う事が恐くなっちゃうかも」
「『また』?」
「おっと、ボクちんとした事がうっかり口が滑っちゃった」

 ビリーは明るく言ってみせたけれど、もしかしたら敢えて教えてくれたのかも知れない。
 十八歳にしてストレートでトライアウトに合格した淡雪ルリが、どうして今ヒーローとして名を馳せていないのか。
 過去にもオーバーフロウを起こして、身体を蝕まれて……また同じ思いをするのを恐れて力を発揮できずにいたのだ。
 順風満帆に生きて来た彼女が突然挫折を味わい、燻っている状況はどれほど辛かっただろう。落ちこぼれの自分とはまた違う種類の苦しみを味わっていただろうし、例えそれを表に出さずとも、心の奥底では戦うのが恐くて、ひとりでずっと悩んでいたのかも知れない。ヒーローなのに戦うのが恐いなんて、と。
 まるで、己と全く同じように。

 そう思った瞬間、周りの視線など気に留める余裕もなく、自然と彼女を抱き締めていた。

「ルリちゃん、皆が来るまであと少しだけ頑張って……!」
「う……うぅ……」

 己の腕の中で、苦しみながらゆっくりと目を開けた彼女は、瞬く間に双眸に涙を浮かべた。

「もう大丈夫だから……よく頑張ったね」

 そう口にして、随分と偉そうな言い方をしてしまったと早くも後悔した。けれど、気にする余裕もないのか彼女は弱々しい手付きで己の背中に手を回して、次の瞬間、まるで子供のように泣き出した。

「グレイ……どこにも行かないで……そばにいて……」
「うん、ずっとそばにいるから」
「私、このまま……死んじゃう、かも……」
「絶対大丈夫、もうすぐ皆が助けに来てくれるから。もう少し、頑張って……!」
「グレイ……」

 彼女は弱々しく己の名を紡げば、ゆっくりと手を離し、己に凭れ掛かって力なく見上げて来た。こんなに辛そうな彼女は当然見た事がないし、ビリーの『死ぬ事はない』という言葉がなければ、本当に死んでしまうかもしれないと思い込んで、大丈夫なんて口が裂けても言えなかったに違いない。

「……グレイ、ヒーローやめちゃ……だめだよ……」

 命を落とすかもしれない恐怖と戦っているだろうに、こんな時まで己の事を気遣ってくれるなんて。思わず感極まって鼻の奥がつんとしたけれど、ここで己まで泣いたらどちらが介抱しているのか分からない。
 毅然としていなくては。ヒーローの資格を失っても、今この瞬間だけは、彼女にとってたったひとりのヒーローでありたいから。

「うん、やめないよ。ルリちゃんは、僕が守るから……」

 そう告げた瞬間、自分まで突然痛みが押し寄せて来て、徐々に意識が遠のいていった。
 彼女に偉そうな事を言った矢先に倒れるなんて、ヒーローを名乗るのも烏滸がましいけれど、少しでも彼女の不安を取り除く事が出来たなら本望だ。

『ったく、どこまでお人好しなんだよお前は。この女は虐められていたお前を助けようともしないで、いざお前がヒーローになったら嘘吐いてまで媚を売る女だぞ』

 意識が薄れゆくなか、ジェットが脳内で随分と毒づいているけれど、そう言われても彼女に対しての恨みは本当に一切ないのだから、勝手な事を代弁しないで欲しい。アッシュを殺したいとも思っていなければ、本心は彼女を傷付けたいなどと、天変地異が起こっても有り得ないと言い切れる。

『ルリちゃんの事、悪く言わないで……ずっと好きだったんだ……しかもやっと両想いになれて、お願いだからルリちゃんを傷付けないで……』

 トライアウトに合格したのも、今この場でイクリプスを倒したのも、己ではなくこのジェットだというのは間違いない。『彼』に頼らなければヒーローになれなかったのに、一方的な言い方をしてしまったけれど、ジェットはそこまで怒っていないようだった。というより、己に対して呆れていた。

『そうかよ。脳内お花畑なのは結構だが、またあの女がお前を傷付けるような事があれば、俺は絶対に容赦しねぇからな』

 もう言い返す気力もなく、己の意識は徐々に闇へと沈んでいった。
 やっぱり、許されるならまたヒーローとしてやり直したい。もう叶わないと分かってはいるけれど、せめて今だけは、そんな甘い事を考えても許されたかった。

2021/06/04
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