- 狂った瞳はだれのせい -

『エマージェンシー、エマージェンシー。何者かによってタワーが襲撃されマシタ。タワー内にいるヒーローは、全員直ちに戦闘態勢に入ってクダサイ。繰り返しマス――』

 アッシュに喝を入れられて、漸くヒーローとして前向きに頑張ろうと思い立った矢先の事だった。タワー内に響くジャック02のアナウンスは、感情のない機械の声だからこそ、この異常事態を正確に、そして冷静に私たちへと伝えてくれる。

「ルリ、これってイクリプスが……」
「……多分そうだよね。だとしたら、私たちも無傷では済まないはず。覚悟しておかないと」

 たまたまタワー内にいた同僚と共に顔を見合わせ、どちらともなく頷いて走り出した。無傷では済まないと言っても、医療班の技術があれば治癒は可能だ。最悪、命さえ落とさなければほぼ確実に助かるとも言える。
 それでも、受けた痛みを忘れる事はなく、やがてトラウマとなって何年も自分の背中に圧し掛かり、足を引っ張り、前に進めなくなる事もある。
 まさに、今までの私のように。

「ルリ、大丈夫? 戦える?」

 走りながら横で問い掛けて来た同僚の言葉は、決して私を馬鹿にしたり、逆に過剰に気を遣っているわけでもない。ヒーローである限り、戦場で足手まといになる事があってはならないから、そう問うているのだ。それだけ、これまでの私は腑抜けていたという事だ。

 でも、もうこれまでの私とは違う。昔、苦しんでいた彼を救えなかった私を、成長した彼は正論で突き放した。弁解の余地なんて一切ないほどに。
 それでも私は結局彼を――グレイの事を嫌いになんてなれなかった。彼は何も悪くなくて、弱い私が一方的に彼を傷付けたのだから。
 そんな私が為すべき事は何か。答えはひとつしかなかった。
 過去は変えられなくても、未来を変えていく事は出来る。

「大丈夫、戦える。もう吹っ切れたから、色々と」

 ヒーローとしての責務を果たし、今度こそ本当に助けを求めている人に寄り添える人間になる。例え彼に許して貰えなくても、子どもの頃になりたかった姿に、少しでも近づける筈だから。





 ヒーロースーツを身に纏い、エリオスタワーを出た先では、既に駆け付けたヒーローたちがイクリプスと戦闘を繰り広げていた。襲撃というだけに、普段パトロールで現れるイクリプスとは明らかに数が違っていた。タワーが早々に陥落する事はないとはいえ、被害を最小限に抑えなければならない。その為のヒーローなのだから。

「加勢します!」

 例え劣勢ではなくても、早く目の前の戦闘を終わらせるべきだ。きっとこのエリアだけではなく、あらゆる場所で奇襲をかけている筈だ。
 久々の戦闘に不安はなかった。余計な事を感じる暇などないせいもあるけれど、不思議と高揚感さえ覚えていた。沸々と湧き上がるこの感覚は、『戦いたい』という欲求そのものだ。

 オーバーフロウを起こしたあの日から、周囲の気遣いに甘えて長い間微温湯に浸かっていたけれど、この瞬間漸く自分の心を解き放つ事が出来た。
 私は、本当は戦いたくて仕方がなかったのだ。



 パトロールではあまり使う事のないサブスタンス能力も、戦闘では存分に発揮する事が出来る。敵なのだから遠慮もいらない。例え、彼らが私たちと同じ人間であったとしても。
 イクリプスの正体は何なのか、本当の目的は何なのか。考えた事もあったけれど、その辺りは専門部隊ではない私では、詳しい情報を得る事は出来なかった。知りたければ強くなるしかない。イクリプス討伐部隊に配属されるほど、もっと強くなって、結果を出して――どんな道に進もうとも、決して立ち止まっている暇などなかったというのに、一度の大失敗で本当に遠回りをしてしまった。

 でも、もう二度と迷わない。ヒーローとして立ち直るには遅すぎるかも知れないけれど、このまま腐るよりは遥かにマシだ。例え手遅れだとしても、諦めたくなんかない。
 だって、私が密かに想っていた彼は、今の私の年齢でトライアウトに合格して、晴れてヒーローになったのだ。私が自分を『手遅れ』だと決め付ける事は、今の彼を否定する事にもなる。そんな事は絶対にあってはならない。
 彼の決意を肯定するのなら、私だって諦めない。そうして突き進んだ先が、例え昔の自分が思い描いていた未来と違っていたとしても、堕落していくよりはずっと良い筈だから。





「ルリ! そっちはどう――って、聞くまでもなかったか」

 別のエリアへ応援に行っていた同僚が戻って来て、我に返った。無限に湧き続けていると錯覚するほど大量にいた敵をほぼほぼ薙ぎ倒して、新たな獲物を無意識に探していた事に気付いて、まさか自分がこんな戦闘狂だとは思わず少しばかり落ち込んでしまった。敵を倒すに越した事はないけれど、我を忘れる程では先が思いやられる。幸い、今回はオーバーフロウを起こさずに済んだけれど。

「お陰様でね。というか、このエリアのイクリプス、多分囮だと思う。あまりにも手応えがなさすぎる」

 オーバーフロウを起こさずに済んだ、というよりも、起きる程の強敵がいなかったと捉えた方が正しいかも知れない。まさか雑魚だけを大量にタワーに遣わせるわけがないだろうし、きっと親玉が別のエリアにいて、今も戦っている筈だ。

「ルリ、なんか昔に戻ったみたいだね? それこそルーキーだった頃――」
「昔の話はやめてよ、さすがに昔は自意識過剰な言動が多かったし……六年経って精神的には成長してると思わせて……」
「自意識過剰っていうか、自分に自信がない位じゃないとヒーローやっていけないけどね」

 同僚の言っている事は、内面の事ではなくて『ヒーローとしての戦闘能力』に対して自信を持て、という意味だ。確かにその通りだけれど、謙虚な心は常に持ち合わせていなければ。例えばオスカーがメンターに選ばれたのも、決して能力の高さを驕ったりせず、謙虚に努力し続けて来た結果なのは見ていてよく分かるし。

「じゃあ、自分に自信を付ける為にももうちょっと頑張ろうかな」
「うんうん、その意気! でも、焦っちゃ駄目だよ。またサブスタンスが暴走してルリの身体がおかしくなっちゃったら……」
「でも、それを恐れていたら前に進めないしね。ブラッドさんだって、昔は何度もオーバーフロウを起こしてたって色んな人が言ってたし」

 私が過去に任務でオーバーフロウを起こして生死の境を彷徨った事は、一部の人だけが知っている。別に秘匿という訳ではなく、任務で命を落とす人も多いから、私のように一命を取り留めた人間の事など気に留める事など皆ないのだ。ブラッド・ビームスを含め、オーバーフロウで命を落とし掛けたヒーローは何人もいて、皆それを乗り越えている。たった一度のオーバーフロウで怖気づくような人間など、取るに足らない存在なのだ。

「ルリ、さすがにブラッドさんを目指すのは無謀だよ」
「目指すとは言ってない。ただ、皆乗り越えてるんだから、いつまでも立ち止まってたら駄目だなって」
「私はオーバーフロウとかいうの、起きた事がないから分からないけど……でも、無理して命を落とすなんて絶対に駄目だからね」

 まるで親が子を諭すような同僚の言い方に、つい苦笑してしまった。一先ずこのエリアから離れて、戦闘が起きている場所へ向かおう――そう思った矢先。

「ルリパイセン〜!!」

 こちらへ駆けて来るオレンジ色の髪の少年。というか、声と呼称だけで誰なのかすぐに分かったけれど。情報屋の彼は非常に交友関係が広く、その中に私も組み込まれているらしい。ゆえに、日頃話し掛けられる事がそれなりにあるから覚えてしまった。

「ビリーくん、どうしたの? もしかしてそっちのエリアに親玉が?」
「それは解決したんだけど……それよりも、グレイが大変な事になっちゃって……」
「グレイが!? 何があったの、まさか……」

 怪我か、あるいはまさか命を落とすなんて――いや、ジェイとアッシュも一緒だろうし、そんな事あるわけがない。そもそも『大変な事になった』とは何なのか。命を落としたならそんな言い方はしないし、怪我なら怪我とはっきり言うだろう。

「俺っちもどう説明していいか分からなくて……とにかく一緒に来て〜!」

 いつも饒舌なビリーが、説明すら出来ないほど混乱しているなんて、余程の事なのだろう。考えている暇はない。私は「分かった」とビリーに告げれば、同僚に顔を向けた。私が言うよりも先に、ちゃんと察してくれていた。

「こっちのエリアは私で見張っておくから、ルリはその子と一緒に行ってあげて」
「ありがとう! ただ万が一またイクリプスが来たら……」
「大丈夫じゃないかな? その子が言うには解決したんだよね?」

 混乱しているのは私も同じで、同僚はちゃんとビリーの言葉に耳を傾けていた。解決した、という事はやはり親玉と戦っていたのだろう。そこはジェイとアッシュが応戦して、ルーキーのグレイとビリーは雑魚処理に当たっていたと考えるのが妥当だけれど……本当に何があったのだろう。





 ビリーと共にグレイの元に駆け付けると、そこには信じられない光景があった。グレイは意識を失っているのか、ジェイに介抱されていて、見た感じ外傷はなさそうだ。それより信じられないのはアッシュの方だ。かなり殴打された様子で流血もしていて、ここまで傷を負った姿は、多分、初めて見ると言っても過言ではない。
 呆然としていると、アッシュが私に気付いて、覚束ない足取りでこちらへ歩み寄って来た。

「アッシュ、大丈夫!? そんなに強い敵だったなんて――」
「敵じゃねぇ! ギークが俺を殺そうとしやがったんだ!!」

 一瞬、アッシュが何を言っているのか理解出来なかった。殺そうとした? 誰が? いちいち聞かなくても誰なのか分かるのに、頭が理解しようとしない。受け容れようとしない。そんな訳がないと、脳が必死で否定していた。

「な……何……? ねえ、アッシュ。今、なんて言ったの……?」

 自分でも驚くほど弱々しい声が出て、その質問に答えたのは、私をここに連れて来てくれたビリーだった。

「アッシュパイセンの言ってる事は嘘じゃない……俺っちもジェイもこの目で見たんだ。グレイが突然アッシュパイセンを殴って、更にナイフで刺そうとして……ジェイがなんとか止めに入ったけど……」
「…………」
「ルリパイセンなら何か知ってるんじゃないかと思って連れて来たんだ。でも考えてみたら、もし何かを知ってたらこうなる前にジェイやアッシュパイセンに相談してる筈だよネ。うう、俺っちも相当動揺してるみたい……」

 動揺するのは当たり前だ。私よりここにいる皆の方がグレイと一緒にいる時間は長かったし、同室のビリーは二人三脚でやって来たのだから尚更だ。彼らが嘘を吐くわけがないし、吐く理由もない。ビリーだけでなくジェイも一部始終を見たというのだから事実なのだろう。例えどんなに有り得ない事だとしても。
 ――有り得ない事。
 そう思った瞬間、全てが繋がった気がした。
 その違和感を突き止めるより先に、ジェイが静かに口を開いた。

「ルリ、こんな話をして申し訳ないが……数日前、グレイと……その、揉めたという噂を聞いたんだが、当の本人はそんな事をした覚えはないと言っているんだ」

 ジェイの言う『揉めた』というのは、私がグレイに思いきり突き放された時の事だろう。それしかない。

「噂というか、事実です……グレイに思いきり拒否されてしまったんです。どこかのタイミングで、私が嘘を吐いている事に気付いて……それで……」
「その時のグレイは、人が変わったようではなかったか?」
「はい、まさかあそこまで変わるなんて……口調も、態度も、まるで別人みたいに……」

 そこまで口にして、漸く違和感に気付いた。私だけでなく、ここにいる全員が同じ事を思ったに違いない。
 まるで別人のように人が変わった。それは比喩ではなく、まさに『その通り』なのだと。

「ルリ。君の知るグレイは、例え憎んでいる相手だとしても、暴力を振るったり殺めようとするような人間だろうか」
「そんな訳がありません! いつだって耐えて、何も言わず耐え続けて――」

 必死にジェイに訴えると、言い終えるより先にアッシュが声を荒げた。

「それは昔の話だろうが! 今のギークは間違いなく俺を殺そうとした! こいつらも見てんだよ!」
「違う、アッシュが嘘を吐くなんて思ってない! 私が言いたいのはそうじゃなくて……」

 誰も嘘を吐いていない。私も、アッシュも、そしてグレイも。
 ジェイが言った『当の本人はそんな事をした覚えはないと言っている』という言葉も真実だ。そしてきっと、それを言ったグレイも嘘は言っていない。
 全てが真実で、何も間違っていない。
 だとしたら――考えられる事はひとつしかなかった。

「もしかして、グレイは二重人格……?」

 突然スイッチが入ったように、完全に赤の他人になったかのように言動が変わり、あまつさえ人を殺めようとした。あんなに優しいグレイがそんな事をするなんて考えられない。それに私を悪意を向け、拒絶した記憶すらないらしい。
 それなら、答えはひとつしかない。グレイの身体には、本人の知らない『もうひとりの人格』が存在するのだ。

2021/04/10
[*prev] [next#]
[back]
- ナノ -