前日のトラブルなど全て払拭されたと言っても過言ではない程、MDMは大成功に終わった。これも天城一彩というひとりの少年が、世界を敵に回しても兄を助けたいと行動を起こし、仲間であるALKALOIDの皆も決して彼を否定せず寄り添い、それに呼応するように多くのユニットが協力してくれたからだ。ついには後半戦でCrazy:Bは更正――したかは分からないけれど、ひとまずは誰も解雇されず、大団円で幕を閉じた。
 そうした人と人との繋がりは、まるで化学反応のようだった。『ALKALOID』――化合物を意味するその名が表すように。





 MDM翌日。ESビル内、コズプロのとある一室にて。事前に七種副所長との面会を申し出ると、多忙だろうに即座に許可が下りて、私は休む間もなく事務所に馳せ参じた。上に言われるより先に、こちらから真っ先に副所長に詫びるのが筋だと思ったのだ。
 処分も覚悟している。そう告げた私に、副所長はわざとらしく笑ってみせた。

「処分? はっはっは、何を言いますか花城さん! MDMであなたの評価もうなぎ上りですし、そう易々と手放すほど、我々を愚かだと思って貰っては困りますね」

 昨日はMDM中盤の休憩時間を全て睡眠に充てたお陰で(まさか意識を失うとは思っていなかったけれど)後半戦ではいつも以上にコンディションも良く、なんとか乗り切る事が出来た。寝落ちなんてしてしまったのは、身体の疲れよりも、ALKALOIDとCrazy:Bの後半戦進出が確定した事で安堵したのが大きい。
 でも、まさかこうもあっさりと評価に繋がるなんて。

「うなぎ上り? 本当ですか?」
「まあ、実際はこのタイミングであなたに不利益を与えると、コズプロの評判がますます悪くなり、ブラック企業という烙印を押されかねませんので」
「……そういう事ですか」

 巽さまが私たちと共演した時に、ステージ上であんな事を宣ったからだと考えなくても分かる。
 確かに私を解雇するにしろ行動制限を設けるにしろ、どちらにしても人権侵害(と言うと大袈裟だけど)にあたるとファンが黙っていないだろう。こんな私にも応援してくれる方々はいるし、それに私のファンだけでなく、他のアイドルのファンからも『自分が応援している子も、友達に会う事すら許されない酷い環境にいるのか』なんて思われたら大変だ。

「七種副所長……ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありません」
「いえ、寧ろ好都合ですよ。役にも立たないのに口ばかり出す御老輩には、そろそろ退場して頂きたいところでしたし……」

 まさかその御老輩とやらを追放したんじゃないだろうか、と背筋が凍った。何も聞かなかった事にしよう。

「という訳で、花城光莉さん。あなたはあの『聖人』とやらがステージ上で好き勝手言い放ったお陰で、身の潔白が証明されました。ゆえにあなたに処分を下す理由はないんです」

 棘のある言い方で、つい頬が引き攣ってしまった。ひとまず頭を下げたけれど、これでそのまま終わるのはどうにも後味が悪い。副所長は間違いなく様々なトラブルに頭を悩ませていただろうし、巽さまの一件だって寝耳に水だろう。『好都合』というのは私に気を遣わせない為に言っているのかも知れない。だとしたら、余計黙ってはいられない。

「副所長! あの、それでも私、本当にご迷惑をお掛けしたと反省しています……それにどんな理由であれ、私を見捨てないでくださって……この恩をどうお返しすれば良いか――」
「簡単ですよ。あなたがアイドルとして大成すれば良い話です」
「そんな簡単に……」
「Crazy:Bの事もありましたし、コズプロの信頼を回復させる為にも、花城さんのような清廉潔白な方に馬車馬のように働いて頂ければ……おっと、馬車馬などと言ったらそれこそブラック企業ですな。失敬」

 私個人――というより私たちのユニットに商品価値があるのなら、仲間たちの未来のためにも、与えられた仕事をこなして地道に頑張っていこう。それが本当に七種副所長への恩返しになるのなら、こんなに有り難い話はない。

「お仕事はあればあるだけ有り難いと思っているので、身体を壊さない程度であれば、是非」

 私の言葉に、副所長は眼鏡の奥の双眸を一瞬顰めさせた。

「……心配ですか? 風早巽の事が」

 何気ない問いに、私は即答できなかった。

 巽さまは昨日のMDMで相当無理をしてしまい、暫く安静にしていないといけない状態だと、ALKALOIDのメンバーから連絡があった。
 一応事務所が違っていても、ホールハンズで連絡を取ろうと思えば取れる。とはいえ、プライバシーが保証されているとは思えず、多分情報部かどこかで個人的なやりとりも閲覧可能だと疑っている。だから異性とのやり取りは控えていたのだけれど、向こうから連絡が来たのは、きっと今回ばかりは私に共有しなければならないと、ALKALOIDの皆が思ってくれたのだろう。副所長が巽さまの容態を知っているのは、その立場ゆえ自然と情報が入って来たのだと思う。

「……勿論、心配です。でも、今はALKALOIDの皆さんがついているので……私は大人しくしています」
「おや、意外と薄情なんですね。『単なる幼馴染み』なら、堂々とお見舞いに行ってもいいんですよ? あなたの潔白はHiMERU氏も太鼓判を押してしましたしね」

 あまりにもさらっと言うものだから、つい流しそうになってしまったけれど、どうしてその人の名前が出て来るのか。
 そう思った瞬間、これまでもやもやしていた事が全て腑に落ちた。『ジグソーパズルのピースがすべてぴったりはまるような感覚』なんて言い回しがあるけれど、まさにこういう事なのだろう。
 HiMERUさんがこれまで私に干渉して来た理由は、この人が絡んでいる。それに――。

「……副所長。私のプライベートな連絡先をHiMERUさんに教えましたね?」
「え!? あ、ああ、彼、もしかして花城さんに連絡したんですか?」
「いえ、別に良いんですけど。そもそも連絡を取ったところで、お互いに何が起こるわけでもないですし……」

 あっさりHiMERUさんの名前を出した割には、私の問いに副所長は珍しく少しだけ慌てていた。そんなレアな様子を見れただけでも、個人情報漏洩の仕返しにはなったかも、なんて思ってしまったあたり、私もつくづく甘い。

「……花城さん、気になりますか? どうして自分がHiMERU氏にあなたの連絡先を教えたのか」
「聞いたら教えてくれますか?」
「教えたいところですが、こればかりは彼のパーソナリティーな部分に関わるので、本人に直接聞いて貰えればと」

 上手く逃げられたけれど、私としてもこれ以上追及する気はなかった。私の個人情報は漏らしても彼の情報は守るあたり、本当に大事にされているのは『HiMERU』というアイドルなのだ。裏でどんなやり取りがあったのか知らないけれど、知ったところで何の得にもならないし、私にとって不利益ではないならどうでもいいと言った方が近い。

 まあ、機会があれば本人が話してくれるだろう。それより、私の潔白をどうしてHiMERUさんが証明できるのか――もしかしたら、前に私が星奏館で張り付いていた時にばったり会ったのは、偶然じゃなくて監視されていたのかも。だったら私が巽さまに会わないよう命じられた時に、助け舟を出してくれても良かったのに。
 駄目だ、考えれば考える程、あの人が理解できなくなるからやめよう。

 やっぱり、あの人は苦手だ。二年前に思っていた『苦手』とは、何故だか微妙に違う感覚なのが我ながら不思議だけれど。





 時は流れ、夏季休暇も間もなく終わろうとしている頃。仕事に忙殺されて、オフで夏休みを満喫できる時間なんてないに等しいけれど、ユニットの皆と過ごした今年の夏は、今までの人生で一番充実していたと断言できる。MDMも今となっては良い想い出なんて思えるようになったあたり、私も漸く巽さま――巽くんに対して、心の整理が付きつつあった。崇拝対象として密かに想いを寄せるのではなく、ひとりの友人として付き合おう、と。

 ふと、ここ最近ずっと教会に出向いていない事に気が付いた。別に義務ではないし、というか巽くんに会う口実を作る為に、教会に住む子どもたちにケーキや茶菓子を持って行くという下心極まりない行為を続けていただけだ。本当に我ながらろくでもなさ過ぎて、この世に神が存在するならとうに天罰が下っている。

 ただ、子どもたちの笑顔が見ると嬉しくなるのも紛れもない事実だった。動機は不純とはいえ、仮に巽くんに会えなかったとしても、それを無駄な行為だと思った事はない。
 そもそも、私が教会に定期的に出向き祈りを捧げるようになったのは、巽くんが長期入院してからの事だった。だから、例え彼がその場にいないとしても、『行く必要はない』という思考にはならず、『行っても問題ない』という認識でいた。

 なんて、ごちゃごちゃと言い訳めいた『教会に行く理由』を自分の中で考えている暇があったら、手土産を持って早く出向いたほうがいい。
 七種副所長から『単なる幼馴染み』と太鼓判を頂いているのだし、昔から通う習慣が付いている教会に出向くのは、ごく当たり前なのだから。





 教会を訪れたは良いものの、ケーキが入った箱を思わず落としそうになってしまった。
 子どもたちが押し寄せて手土産に喜んでいる中、巽くんが足を庇いながら現れたからだ。

「た、巽くん!? どうしてここに!?」
「どうして、と言われましても、ここは俺の実家ですからな」
「って、歩かないで! 安静にしてください……!」

 前のような長期入院ではなく、あくまで安静にという事なので、自宅療養で都度治療を受けている状態だと思うのだけれど、てっきり星奏館にいると思っていたから、心臓が止まるかと思った。まあ、彼の言う通り実家だし、たまに実家に顔を出すのは当たり前の事だ。

「光莉さん、ご心配をお掛けしてすみません。日常生活に支障はないので、お気遣いは不要です。尤も、ステージに立つのは時間が必要ですが」
「そうやってまた無理したら、復帰が更に先延ばしになりますよ! 私は皆の顔を見に来ただけですので、これで失礼させて――」

 そうやって無理を繰り返して、本当に歩けなくなってしまったらどうするのか。心配というよりも怒りの感情のほうが強くなってしまって、下手な事を言う前に退散したほうがいい――そう思って踵を返した瞬間。

「光莉さん。少しだけ、時間を頂けますかな?」
「はい、今日はこの後予定はないので、特に問題ありませんが」

 何も考えず反射的に、馬鹿正直にそう答えてしまった私に、巽くんは満面の笑みを浮かべていた。きっとMDMのステージ上での出来事についてだろうし、堂々と、普通にしていれば良い。だって、巽くんと私は『兄と妹』なのだから。



 彼の後をついていき、礼拝堂へと足を踏み入れた。子どもの頃から今まで幾度となく訪れている、この粛然たる空間は、決して私のようなよそ者を拒んだりはせず、優しく受け容れてくれていると感じている。まるで心が澄んでいくような感覚を覚えるのは、昔も今も変わらない。
 彼の足の古傷を考えると、例え短時間でも立ち話は絶対に駄目だ。率先してチャーチチェアに腰を下ろすと、彼も倣って私の隣に座ってくれた。

「……光莉さん。先日のお返事ですが」
「返事……?」
「MDM当日の明け方に愛の告白をした事は、もうお忘れですかな?」
「ひえっ」

 改めてそうはっきりと言われると、本当に酷い事をしてしまったと自覚せざるを得なくなって、裏返った変な声が漏れると同時に背筋が凍った。ステージ上で『妹』と宣った事が告白への返事なのだから、もうこれ以上追い打ちを掛けないで欲しいというのが本音だ。

「『妹のような存在』以外に、何があるんですか……?」
「やはり誤解されていましたか。これは光莉さんと早いうちにお会い出来て本当に良かったです」

 彼は相も変わらず穏やかな微笑を湛えているけれど、私は気が気ではなかった。どう考えても悲観的な方向にしか考えられない。
 ステージ上で事務所批判をしてしまったせいで、あの天祥院英智に酷い事を言われたのかも知れない。次勝手な真似をしたら今度こそ解雇だとか……だから、もう私は『妹』ですらなく、今度は私が巽くんに『もう会わない』と言われる可能性だってある。

 ……全ては自分が蒔いた種だ。全てを受け容れよう。

「光莉さん? どうしましたか、俺に向かって祈りのポーズをされるなど」
「私は……巽くんの言葉を全てを受け容れます……!」
「それは助かります。先日の告白はなかった事に、なんて言われたらどうしようかと思いました」

 最早彼が口にした言葉の真意を理解する事さえ出来ず、いるかどうかすら分からない神に『全ての罪を受け容れる』と心の中で祈っていた。そんな私の胸中など彼は当然知る由もなく、あたたかな眼差しで残酷なまでに断りの台詞を紡ぐのだ――そう思っていたけれど。

 時が止まったかと錯覚した。彼は私の身体に腕を回し、優しく抱き寄せ、気付いた時には私は彼の胸に身体を預けていた。

「光莉さん。俺も君の事が大好きです。『妹』としてではなく、一人の女性として」

 何が起こったのか理解出来ず、恐る恐る顔を上げると、すぐ傍には彼の優しい笑みがあった。

「自ら君の事を突き放したというのに、光莉さんに会えない日々は、心に穴が空いたようで……ALKALOIDの皆さんにも随分心配されました。それほど、君と過ごした穏やかな時間は当たり前のものになっていて、失って初めて気付いたんです……俺には、君が必要だと」
「……でも、それって妹みたいな感覚ですよね? 無理して受け容れようとしないでください。私、妹としてでも充分嬉しいです」
「こら、人の話をちゃんと聞きなさい」

 まるで親が子どもを叱るような口調で言われて、呆気に取られた瞬間。
 お互いの鼻がぶつかる距離まで彼の顔が近付いて、そして、唇が重なり合った。
 これ以上はいけない――咄嗟にそう感じて、慌てて彼の胸元を押して距離を取ろうとした。唇は離れたけれど、未だ彼の腕の中にいる事に変わりはなくて、かといって強引に離れられる程の強い力も入らなくて、どうしたら良いか分からなかった。

「巽くん、こういう事は駄目……だって私たち、」
「『アイドルは恋愛禁止』という理屈は分からなくもないですが。ただ、俺もひとりの人間です。人を愛する権利は全ての人類に平等に与えられています」
「でも、もしこの事がバレたら、私だけでなく巽くんの人生も……」
「要するに、俺たちだけの秘密という事になりますな。常に細心の注意を払い、慎ましく行動しなくてはなりません」

 まさか彼の口からそんな言葉が出て来るなんて思いもしなかった。確かにアイドルも一人の人間だし、ある程度の年齢になって結婚を発表した元アイドルが、実はアイドル時代から密やかに交際していたなんて話もあるけれど。

「……光莉さん、俺を本当に清廉潔白な人間か、あるいはまだ神だと思っておられるのですかな」
「い、いえ! 巽くんの言う事は一理ある……というか、もしユニットの子が誰かを好きになったとしたら、やっぱり応援しますし、バレないように私も色々策を練ると思いますし……」
「ふふっ、真っ先に仲間の子たちに置き換えて考え直すとは、光莉さんにとって本当に良い出会いだったのですな」

 質問への答えにすらなっていない私の言葉に、彼は呆れるでもなく、逆に心底嬉しそうに見えた。きっとそれは、私だけでなく、彼にとってもALKALOIDという仲間との出会いが転機になったからだろう。
 とりあえず、質問に答えよう。答えは分かっている。それに、そもそも私があの時巽くんを怒らせてしまった理由も。

「……私、巽くんが退院して再会したばかりの頃は、正直、まだ巽くんの事を神様だと思っていたんです」
「『再会した頃は』という事は、今は違うという事でしょうか?」
「もう、先に言わないでよ。私、最初はどうして巽くんを傷付けてしまったのか見当もつかなくて、ただただ謝らなきゃって、そればかり考えて……」

 女人禁制の星奏館に張り付いたり、我ながら馬鹿な事をしたと本当に思う。私が自らの意志で侵入したと誤解された時、HiMERUさんはどうして庇ってくれなかったのかと以前は思ったけれど、庇いたくもないほど馬鹿な行為だから、灸を据える意味も込めて放置したと考えれば腑に落ちる。本当にそうかは分からないけれど。

「でも、ALKALOIDとして活動する巽くんを見て、やっと分かったんです。巽くんは紛れもなく私たちと同じ人間で、神と崇め立てる信者ではなく、共に歩む仲間が必要だったのだと……神様の役割を押し付けた結果、二年前にあんな事が起こってしまったのに……私、本当に何も見えていなかったんです」

 ずっと抱えていた想いを全て言葉にして、やっぱり私は彼と恋人になる資格なんてないと痛感した。彼を救ったのは私ではなくALKALOIDの皆だ。彼を崇拝するのではなく、手を取り合い、共に苦難の道を歩むという形で。
 自然と俯いてしまったけれど、髪を撫でられて慌てて我に返った。

「ご、ごめんね巽くん……私、慰めて欲しいわけじゃなくて……」
「いえ、ただ俺がそうしたいだけというか……こんな事が出来るのは二人きりの時だけですし。ここは誰の監視下にもありませんからな」

 たくさん迷惑を掛けたのに、こんなに優しくしてくれるなんて。私は何もしていないのに与えられてばかりで、こんなに幸せで良いのかと、自然と胸が熱くなって涙が込み上げて来る。

「光莉さん。改めてこれからも、よろしくお願いします。表向きには『兄と妹のような関係』という落としどころが一番無難かと思いますが……俺の本当の気持ちは、今、君に伝えた言葉が真実です」
「……巽くん、私の事本当に妹みたいに思っているのだとばかり……」
「藍良さんとマヨイさんにも言われてしまいました。一彩さんは異性愛と兄弟愛の区別が付いていない感じでしたが」
「一彩くん、アイドルとしての才能は素晴らしいですが、ちょっと性格的に危ういところがありますね……そこは巽くんがしっかりフォローしてあげないと、ですね」

 お互いに支え合い、助け合う。巽くんに対してそれが出来なかった事が情けなくて、悔やんだりもしたけれど、今は悲観はしていない。彼の幸せを最優先に考えるなら、救世主は誰でもいいのだから。

「とりあえず、無理をして少々不甲斐ない事態になってしまいましたが、いずれ頃合いを見て復学します」
「はい、お待ちしています……! その為にもちゃんと療養してくださいね。学園では今度こそ『巽さま』ではなく『巽先輩』って呼びたいんです」
「『巽くん』は駄目でしょうか?」
「玲明も変わりつつあるとはいえ、上下関係は守るべきですし、やっぱり『先輩』呼びが無難だと思うのですが」
「では、プライベートの時だけ、という事になりますな」

 何気ない会話なのに、いざお互いに異性として見ていると認識すると、気恥ずかしくて仕方がない。公私混同をしないというただそれだけの話なのに。
 私ばかりが照れていて、彼は落ち着いていると思うと、更に恥ずかしくなってくる。彼の顔を見ているだけでも顔が熱くなってしまって、つい彼の胸に顔をうずめた。

「おや? 光莉さんは恋人と二人きりになると、スキンシップが激しくなるタイプですかな」
「知らない……! 誰かと付き合うなんて初めてだし、分かるわけないですっ」

 なんて意地を張ってしまったけれど、こんな態度、今までかつて誰に対しても取った事がない。恋は人を変えるというけれど、自分にこんな子供じみた言動が隠されていたなんて。折角彼が私の想いを受け容れてくれたというのに、幻滅されるのは時間の問題かも知れない。

「そう怒らなくても、俺は君の全てを受け止めますよ。まあ、一方的にもう会わないとか別れるとか言われたら、さすがに黙ってはいませんが」
「うっ……もうそんな事言いません……」

 私が彼に出来る事は、もう二度と彼を傷付けない事、大事な日に余計な事を言わないようにする――そんな当たり前の事だ。本当に、こんな私を受け容れてくれて嬉しいけれど、その優しさに甘えてばかりではいけない。彼が幸せでいられるように、私もただ受け容れるだけではなく、何を与えられるか考えていかないと。例えば、こんな風に子供じみた意地を張らないで、素直に愛情を受け止め、相手に尽くすとか……それは、今この瞬間も出来る事だ。

「巽くん」

 顔を上げ、大好きな人を見つめて名前を呼べば、その唇へとそっと口付けをした。何もかもが初めてで、この先どうしたら良いのか、知識はあっても行動に移すのはまだ勇気がいるけれど、今急ぐ必要はない。これからゆっくり進めていけばいい。そんな悠長な事を思っていた――のは私だけだった。

「光莉さん……そんな積極的な態度を取られると、俺も我慢出来そうにないのですが……」
「え!? た、巽くん……! さすがに神聖な場所でそんな事は……!」
「おや、光莉さん、どんな事を想像されたんでしょうか?」
「〜〜〜っ!」

 目を細めて意地悪そうに口角を上げる彼に、もう何も言えず声にならない声を出してしまった。本当に巽くんはALKALOIDの皆と出会って変わった――というより、私が彼の様々な姿を見ようとしていなかったのだ。彼は神様のような存在じゃなくて、人間なのだから間違える事だってあるし、特には意地悪にもなるし、ごく普通に異性を好きになる事だってあるのだ。もっと早く、出来れば二年前に気付いていれば、あんな事態は防げたかも知れない。それだけは後悔している。

「光莉さん。俺は本当に今が幸せで仕方がないんです。過去のあやまちを忘れるわけではありませんが、前向きに未来へ歩き続ける事が使命であると……そう思うんです」

 彼は自分の胸の内を零しただけだと思うけれど、まるで後悔の念を抱いている私への答えに聞こえて、本当に救われたような気がした。

「……はい、私も一緒に歩ませてくださいね。スタートラインや道順は違っていても、目的地は同じですから」



 かつて神のように崇められた青年は、過ちを犯した瞬間地へと落とされ、救いの手を差し伸べる者は誰もいなかった。彼を救いたいと思う者達は居れど、それが出来る力を持っていなかったのだ。
 何が間違いだったのか、どうすれば青年を救う事が出来たのか。その解を見つけ出す事が出来なくても、例え解などはじめから存在せず、逃れられない運命であったとしても、今はもう考える必要はなくなった。
 青年は自らの力で立ち上がり、神ではなく人として、仲間とともに正しい道を歩み始めたのだから。

 かつて私が神と崇め立てた風早巽さま――歪んだ世界で神だと思い込んでしまった、風早巽というひとりの青年。幼い頃に私を救ってくれた、いつも私の憧れの存在でいたあなた。
 あなたが新たな希望を胸に舞い戻った今もなお、この想いが変わることはなく、いつ如何なる時も、これからもずっと、あなたの事を。

2021/02/20

Erfreute Zeit
im neuen Bunde

新しき契りのよろこびのとき
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