本当は、もっと前から気付いていたのかも知れない。彼女が己の事をどう思っているのか、単なる昔馴染みの友人なのか、それとも――こうしてはっきりと彼女に言われるまで、全く分からなかったわけではなく、気付かない振りをしていただけだった。
 お互いの立場を考えれば、特別な感情を抱いている事を『今』口にする必要はない。己たちが今やるべきなのは、アイドルとして実績を積む事だ。それは彼女も当然分かっている筈であり、キャリアを捨てて添い遂げるのは『今』である必要はない。

「巽さん、大丈夫ですか? その……何と言ったらいいか私も言葉が出て来ないのですが……ううっ、すみません……」

 礼瀬マヨイが遠慮がちに己の顔を覗き込んで来て、漸く我に返った。
 彼女が突然己へ抱いていた感情を口にして、そして別れを切り出して、走り去っていったのを己はただ見届ける事しか出来なかった。追い掛けようと思っても、肝心な時に限って足の古傷が疼いて動かなかったのだ。それから、一体どれだけの時間こうしていたのだろう。

「申し訳ありません、マヨイさん。皆さんも……」

 辺りを見回すと、ALKALOIDの仲間たちも、そしてESのプロデューサーである『あんず』も、心配そうな表情で己の様子を窺っていた。

「光莉さんを追い掛けた方が良かったのかも知れませんが……」
「……おれも正解は分からないけど……でも、タッツン先輩は追い掛けなくて良かった思う」

 足の不調を口にしてはならないと誤魔化してそう言うと、白鳥藍良がほんの少し怒りを露わにするような声色で言葉を紡ぐ。

「光莉ちゃん、人を試すような子じゃないと思うんだ。いや、おれはアイドルの光莉ちゃんしか知らないけど……」
「確かに、そういった駆け引きとは無縁の子ですな」
「だから、光莉ちゃんも考えがあって言ったのかなって……いや、MDM当日にあんな事言われたって、タッツン先輩が困るけどさァ。ちょっと勝手だよね、いやかなり」

 最初は怒っている理由が分からなかったものの、彼女に対してだと今の発言で分かり、つい笑みを零してしまった。誰よりもアイドルという職業を愛する彼の言う事は、納得出来る事が非常に多い。きっと彼が怒っているのも、客観的に見て彼女の行動が間違っていると言いたいのだろう。だからといって、彼女を責めるわけでは勿論ない。己も、そして皆も。

「あのう……」

 突然聞こえた、遠慮がちな女性の声。ここにいる異性はプロデューサーただ一人だ。自然と皆の視線が彼女へと集まる。プロデューサーという職業柄、アイドルから視線を受けるのは慣れているのか、至って淡々とした佇まいである。

「私、光莉さんの事は正直まだ、よく知らないんですが……でも、昨日の夜一緒に過ごした限りでは……別れを切り出す雰囲気には、全く以て見えませんでした」

 アイドル同士の恋愛沙汰に首を突っ込むなど避けたいはずの彼女が、そこまではっきりと言うのであれば、恐らくは何らかの根拠があるのだろう。

「昨日の夜、光莉さんの身柄を預かる……というと語弊があるけど、この場を設ける為に一緒に過ごしたんです。MDM前日なので、彼女のユニットのメンバーにも情報共有で連絡したんですけど……皆、光莉さんの事を応援してたんです。ずっと一緒にいる仲間たちの前で、嘘を吐くようにも思えなくて……」

 そして、プロデューサーの言葉を後押しするように、礼瀬マヨイも一歩踏み出して、怯えるような表情で口を開いた。

「あ、あの……私も……藍良さんの意見も分かるのですが……ただ、前に光莉さんを拉致――いえ! お会いした時、巽さんの事を諦めようとしている素振りはありませんでした……どちらかというと、『会えない事』を諦めているようには見えましたが……」

 二人の意見はあくまで本人たちが個人的に感じた事であって、実際のところ彼女の本心は誰にも分からないだろう。
 だが、これだけは確かだ。プロデューサーの言う通り、彼女が仲間たちに嘘を吐くとは思えない。例え信頼している相手でも、言えない事や隠しておきたい事はある。けれど、それと『嘘を吐く事』は同じではない。

「あんずさんだけでなく、マヨイさんも違和感を覚えるのでしたら……もしかしたら、何らかの理由で突発的に口にしてしまっただけなのかもしれませんな」

 とはいえ、思ってもいない事を口にするとも考え難い。きっと心のどこかで、己との関係を終わりにしたいと――お互いが今置かれている立場から、終わらせなければならないと考えていたのだろう。

「……俺としては、今のままの関係で充分幸せだったんですが……光莉さんはかえって辛かったのでしょう。その事に気付けなかった俺の責任です」
「待って待って、タッツン先輩は何も悪くないよォ!? しっかりして!」

 決して仲間の気遣いを無視するわけではない。だが、己は彼女との関係を断ち切る事など望んではいなかった。ずっと今のまま――中途半端な関係であり続ける事が、お互いの立場を考えれば最善であり、己だけでなく彼女もそれを由として、居心地の良い関係を築いているの――そう思い込んでいた。
 彼女は、このままで良いと望んではいなかったというのに。

「光莉ちゃんの言葉が本心だろうと何だろうと、それでタッツン先輩が傷付くのは、おれは間違ってると思う……だって今日はおれたちにとって大事な日なんだよ? 光莉ちゃんにとってMDMはそんなに大事な舞台じゃなくて、言いたい事言って楽になっただろうけど、言われた方の身にもなって欲しいよ」
「藍良さん……」

 本当に、己はなんて良い仲間に恵まれたのだろう。こんないざこざを起こしてしまいながらも、誰もが己を責めず、寧ろ気遣ってくれている。

 今は、己が為すべき事を為さなければ。まだ解雇を免れたわけではなく、このMDMで結果を出すまでは安堵出来ない状況だ。だから、今はALKALOIDの一員として、ステージで最高のパフォーマンスを魅せる事を第一に考えなければ。己の都合で、皆の足を引っ張っらない為にも。

「ありがとうございます、藍良さん。俺は大丈夫ですよ。今はアイドルとして為すべき事をし、光莉さんとの事は追々考えます。どうせ俺が学園に復帰すれば嫌でも顔を合わせますしね。そうなれば、向こうが望まなくても話す機会自体は出来ますから」

 皆をこれ以上心配させないよう、笑みを作ってそう答えたものの、周囲の心配の眼差しは変わらない。
 いや、一人だけまだ口を開いていない者がいた。
 ALKALOIDのリーダー、天城一彩。
 己より年下ではあるものの、先頭に立ちユニットを導く力を備え、何よりアイドルとしての素質に恵まれた、才能に満ち溢れる若きホープである。

「……巽先輩。もしかしたら光莉さんがおかしな行動を取ったのは、僕のせいかも知れない」
「一彩さんが? 一彩さんもマヨイさんのように、光莉さんとお会いした事があったのでしょうか」
「いや、会ったのは今日が初めてだよ。巽先輩が来る前に少し話していたんだけど、光莉さんの事を『巽先輩の伴侶』と言ってしまったんだ。それが原因だとしたら、僕に責任がある」

 彼は決して冗談で言っているのではなく、至って真剣な表情で告げた。いや、いくらなんでもそんな訳がない。そう返そうとしたものの、白鳥藍良だけは意外にもそうは思わなかったらしい。

「あー……もしかしたらそれ、影響してるかも知れない……」
「いえいえ、待ってください藍良さん。さすがにそれはないでしょう」
「いや、関係ある! もし光莉ちゃんがタッツン先輩との今後について悩んでいたとしたら、ヒロくんに伴侶なんて言われたら、『傍から見たらそんな風に見えるんだ』って思って、距離を置かなきゃって……それであんな事言っちゃったのかも知れない」
「うーん……そうでしょうか……」

 そもそも天城一彩の何気ない一言で、彼女の心がここまで乱されるとは到底思えないし、ここで誰が悪いのか追及したところで無意味な行為である。原因が分かったところで時間を巻き戻し、彼女が想いを口にせず、秘めたままでいて『居心地の良い関係』を続けてくれるわけでもない。

「この話をこれ以上していても建設的ではありませんし、光莉さんの心は彼女自身しか分からないでしょうしな。我々は一先ず、目先のMDMでのステージを成功させる事を考えましょう」

 決して強がっているわけではなく、今はこうするしかない。彼女の事がどうでも良いわけではなく、下手に行動を起こす事で、逆に彼女を更に傷付ける事があってはならない。
 二年前、玲明学園という箱庭で、己はそれを身をもって痛感した筈だ。これ以上、繰り返してはならない。もう二度と、己の身勝手な行動で人を傷付けてはならないのだ。

「あんずさんも、ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません。アイドルが恋愛沙汰など、本来であれば処罰の対象かとは思いますが……」
「いえ、寧ろ二人の遣り取りで、『まだ』そういう関係ではないと分かりましたし……でも……」
「でも?」
「ALKALOIDの皆さんは大丈夫だと私は思っていますが、寧ろ光莉さんが心配です。彼女たちにとっても、MDMはどうでも良いステージではない筈ですから」

 プロデューサー『あんず』は夢ノ咲学院の生徒である。P機関の人間である以上、ESに所属するアイドルに干渉する事は可能だが、コズプロに関しては話は別だ。あの事務所はP機関の介入にいい顔をしない上層部も多く、ゆえにコズプロに所属する花城光莉に接触する機会はほぼなかった筈だ。天祥院英智の計らいで今回の場が設けられなければ、ずっと顔を合わせる事すらなかったかも知れない。
 昨夜初めて会ったばかりの『あんず』が、まさかここまで彼女を見抜き、きっぱりと言うとは思わなかった。
 花城光莉がまだ、不安定な子であるという事を。

「あんずさん、お気遣いありがとうございます。あの子はもう大丈夫だと思っていましたが……万が一、俺のせいでパフォーマンスに悪い影響が出るとしたら、悔やんでも悔やみ切れません」
「私に何か出来る事があればしたいんですが……正直、コズプロのアイドルにはなかなか干渉出来なくて」

 今回はあくまで天祥院英智の力があって再会出来ただけで、この先も彼に助力を求める事は出来ない。となれば、今彼女に接触するには事務所を通す必要がある。そんな事は不可能だ。
 けれど、このまま彼女に暗い気持ちでステージに立って欲しくはない。せめて、一時的でも構わないから、彼女の心を照らせる事が出来れば――。

「……あんずさん。俺に一つ考えがあるのですが……もし可能であれば、少しばかりご足労頂けますかな?」

 己のような解雇寸前のアイドルが、目上の立場であるプロデューサーにこんな事を頼むのは無礼であるとは重々承知しているが、それでも、一縷の望みに賭けたかった。

 己の提案を聞いた彼女は、すぐに力強く頷いてくれた。彼女が優秀なプロデューサーとして、夢ノ咲学院でひとりで数多ものアイドルを導いて来たという話は、決して大袈裟ではなく事実なのだと、この瞬間理解した。



「巽さん、きっと上手くいきます……! 光莉さんも、巽さん以外の方はどうでもいいという方ではないでしょうし……」
「今日の光莉ちゃんは身勝手だと思ったけど、だからこそこのままじゃいけないもんね。こっちも言いたい事はちゃんと言わないと!」
「巽先輩、大丈夫だよ。光莉さんと一緒に過ごして来た時間は、決して無駄ではない筈だ」

 二年前はひたすらに孤独な戦いだった。けれど、今は愛すべき仲間たちがいる。その仲間たちがこうして背中を押してくれるのだから、もう、何も恐れる事はない。

2021/01/17

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遠ざかれ、明るい星よ
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