まるで夢のような一時だった。巽さまがアイドルとして本格的に復帰されたステージを、この目で間近に見る事が出来たなんて。一晩立った今もあれは夢だったんじゃないか、なんて疑ってしまったけれど、一緒にドリフェスに連れて行ったユニットの子たちが現実だと証明してくれて、漸く永い眠りから覚めたような気がした。

「先輩、巽さますっごくかっこよかったですね〜!」
「…………」
「光莉先輩〜? 起きてくださ〜い!」
「起きてる」

 ユニットといえども常に一緒に行動しているわけではないのだけれど、この日は自然と皆共有スペースに集まって、朝食を共にする事となった。当然話の流れは昨夜の『盂蘭盆会』の内容になる。
 本当に、夢なら覚めないで欲しいと心から思うけれど、喜ばしい事にこれは現実なのだ。風早巽というアイドルが、一年以上のブランクを経て再びステージに立ち、多くのお客さまの前でパフォーマンスを魅せる事が出来たのは、夢なんかじゃない。止まっていた時計の針が、漸く動き出したのだ。

「……光莉先輩、もしかしてまた泣きそうになってます?」
「一年以上、本人のいない実家に通い詰めるほど好きで仕方ないんだし、そりゃあ泣きもするって」
「そうやって改めて言葉にすると、光莉先輩って凄いね……色んな意味で……」
「光莉先輩、本当拗らせてますねぇ〜」

 人が大人しいのを良いことに言いたい放題の後輩たちに対して、いつもなら叱り飛ばす事が出来るけれど、今日ばかりは怒る気にはなれなかった。我ながら甘い……いや、頭が働いていないと言った方が正しいのかも。

「……私の事はいいから、それより今日の予定を忘れないでね。昨日の『盂蘭盆会』を踏まえて、今後自分たちがどうあるべきか考えながら日々の仕事と向き合うように」
「昨日の? 先輩はともかく、私たちにとって重要な内容でしたっけ」
「あれは元々『Switch』の逆先夏目氏が、リストラ寸前のアイドルを救う為に開催したドリフェスです。巽さまのユニットは幸い高評価を得ましたけれど……残念ながらこの世界を去らなければならないユニットが大半でした」

 いつの時代も変わらない。かつて玲明学園がそうであったように、人気や実力が規定値に達さない者は容赦なく切り捨てられる。全てのアイドルを救おうだなんて理想論でしかなく、それを強引に実行しようものなら、全員が救われるどころか共倒れになる。かつて巽さまが行おうとした革命が失敗であった事は、重々理解している。例え長年慕い、尊敬している相手であっても、間違っているものは間違っている。
 けれど、過去を変える事は出来なくても、これからの未来をより良いものへ変えていく事なら出来る。そうする事が、学園の過去を知る数少ない者の宿命だと思う。だから――

「今の私たちは、かつて夢破れて去って行ったアイドル達の犠牲の上にあるという事を、どうか忘れないでいてね。今は分からなくても……いつかきっと、分かる時が来るから」





 仕事を終えた後、ボイストレーニングをしようと事前にレッスン室を押さえていた私はESビルへと繰り出した。もしかしたら偶然巽さまに会えるかも知れない――なんて邪な気持ちを抱いていたものの、当然世の中はそこまで甘くはない。それどころか、これから奈落の底に突き落とされる羽目になるとは微塵も思っていなかった。

 到着と同時にスマートフォンに手を伸ばすと、通知が来ている事に気が付いた。玲明学園で私たちのユニットを担当しているプロデューサーからで、上層部から話があるため、至急コズプロの事務所へ向かうように、との内容だった。レッスン室の予約時間は、今からちょうど30分後。上層部からの話となるとそう簡単には終わらないだろう、と私は泣く泣く予約をキャンセルしたのだった。



「急な喚問に応じて頂きありがとうございます、花城光莉さん! ささっ、どうぞお座りください!」

 上層部と言うから、てっきり無駄に歳を重ねた御老輩だと油断していた。
 コズプロの事務所に足を踏み入れるや否や、強引に応接室へ引き入れたのは、ESのビッグ3と言われるユニットのうちひとつ『Eden』の一員であり、このコズプロの副社長でもある、七種茨。
 よりによって、明らかに一筋縄ではいかない人物に呼び出されるなんて。それも『喚問』なんて言葉が出て来た時点で、明らかに悪い意味で呼ばれたのだと分かる。
 逆らっても無意味だし、ここは素直に従うまでだ。大人しく椅子に座れば、一体自分は何をしでかしてしまったのか、そしてこれから何を言われるのかと悩みながらも、背筋を伸ばして副所長を見つめた。

「副所長……私、一体何をしてしまったんでしょうか……」
「ご安心を! そこまで怯えなくても、今すぐに花城さんを解雇するわけではありませんのでね」
「か、解雇!?」

 思いもしない単語が飛び出してきて、つい声を荒げてしまった。そこまで酷い事をやらかした記憶はまるでないのだけれど、例え『今』ではなくとも、『いずれ』解雇するという時点で余程の事だ。わざわざ副所長直々に言ってくるなんて、本当に私は何をやらかしてしまたのか。

「自分としては花城さんにまだまだ頑張って頂きたいと思ってはいるんですがね、頭の固い御老輩が……」
「あの、私、解雇される程の事をしてしまったのでしょうか?」
「ええ、花城さんにとっては解雇されるような行動ではないという認識なんでしょうけども。周りはそうは思わないという話です」

 副所長は軽く溜め息を吐けば、眼鏡をくいと上げて、作られたような笑みで淡々と説明を始めた。それはもう、誰が聞いても納得してしまう程、分かりやすく、説得力のある語り口で。

「花城光莉さん。あなたがコズプロに相応しくないと判断された行動が、ここ最近で二回ほど確認されております」
「二回も!?」
「はい。まず一つは星奏館――ES男子寮への侵入行為」
「…………」

 この時点で私は副所長に何も言えず、恥ずかしさで瞬く間に顔が熱くなり、最早頭を下げるしかなかった。
 侵入は誤解だ。星奏館の前にいた私をSwitchの子が中へと引き入れ、夏目くんが上手く纏めてくれたのだから。
 ただ、そうは言っても、寮監の許可なく男子寮に足を踏み入れた事は事実であり、それ以前に巽さまが出て来ないかと日々張り込みをしていた時点で、傍から見れば当然コズプロ所属のアイドルとして相応しくない行為だ。
 もう二度とそんな事はしません。神に誓って致しません。だからもうそれでいいでしょ。そう言いたいものの、まだ一つ爆弾が残っているらしい。さすがにこれ以上の事はやらかしていないと断言出来るのだけれど。

「まあ、男子寮侵入については、各方面からのっぴきならない事情があったと伺っていましてな。今回限りという事であれば、自分はそこまで問題視する事ではないと思っているんですが。問題はもう一つの件でして」
「あの、七種副所長。私、それ以上とんでもない事をやらかした記憶が本当にないんです」

 男子寮侵入については、誤解されるような行動を取った時点で弁解しても無意味だと思っているし、処罰があるのなら受けようと思う。けれど、それ以上のモラルに反した行為というのは、本当に心当たりがない。
 再び顔を上げ、まっすぐと見つめる私に、副所長は軽く頷いた後、慎重に言葉を選ぶようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「……花城さん、一先ずはあなたを信じましょう。再度となりますが、自分としてはまだ花城光莉というアイドルを手放したくはない。玲明学園のイメージアップを図ろうと改革を起こしている今、あなたの存在は必要不可欠。ゆえに、あなたにも自分――七種茨を信じて頂きたい」

 腹に一物も二物も抱えてるような副所長を心から信じるなど、かえって身を滅ぼしそうな気もするけれど、ここで頷かなければそれこそ解雇一直線だ。色々と思うところはあれど、私は静かに頷いた。

「少し前の事ですが……花城さんを除くユニットのメンバーが、無償でビラ配りのアルバイトをしていた事をご存知ですか?」
「……はい?」
「ああ、その様子ですとご存知ないでしょうな。という訳で、ここからは心して聞いて頂きたいんですが――」

 一体私の与り知らぬところで何が起こっていたのか。最早私は頷いたり言葉を発する気力もなく、ただただ副所長の言葉をぼうっと聞いていた。

 すべては、私が巽さまに謝らなければならなくなったあの日が切欠だった。
 巽さまの機嫌を損ねてしまい、嫌われたと思い冷静さを欠いた私は、ユニットの子たちを置いてひとりでその場を後にしてしまった。
 皆その後どうしたのか、あの子たちに訊ねなかった私が悪い。私は単に年功序列でリーダーになっただけで、ただ単に皆よりひとつふたつ年を重ねているというだけで、メンバーの事が何も見えていなかったのだ。

 あの子たちは私がいなくなった後、チラシ配りをしていたALKALOIDの手伝いを行ったのだという。どうしてそんな事をしたのか――理由は考えるまでもない。私の為を想って、良かれと思ってしたのだろう。バイトを手伝うのでどうか私たちの話を聞いてくれませんか、光莉先輩は何も悪くないんです、とか、そんなところだ。

「あの場には同じコズプロの『Valkyrie』のメンバーも居たんですが、彼のように正式に手順を踏んでアルバイト業務をして、対価としてL$が支給される分には全く問題ないんですよ。それに同僚の手伝いで無償で働く程度なら、良い行為とは言えませんがそこまで目くじらを立てる事ではありません。今回の問題点は、彼女たちがコズプロを追放された他所のアイドルの手助けをしたという点です」

 コズプロを追放された他所のアイドル。それが誰なのか、考えるまでもない。

「花城光莉さん。あなたと『ALKALOID』の風早巽は、ただの先輩後輩の関係ではありませんね?」

 副所長はどんな回答を求めているのか、まるで頭が働かず何も言えなかった。どんな関係だと問われても、ただの先輩後輩の関係だけではないのは事実だけれど、俗に言う男女の関係ではない。幼馴染みや昔馴染みと称するのが適切だけれど、それを言ったところで副所長が満足する事はないだろう。

「なんでも、頻繁にご実家に行かれる程の仲だとか。玲明も厳しい寮生活ですし、男女の仲ではないと思っておりますが、残念ながらそう思わない連中もいましてね。本件も、あなたが指示してユニットの後輩たちに彼の仕事を手伝わせた、なんて疑われているんですよ」

 そこまで聞いて、漸く使い物にならなかった頭が働き始めてきた。と言うより、ここで声を上げなければ巽さまの名誉に関わる。いっそ私はどうなってもいい。けれど、ALKALOIDの一員として漸く一歩を踏み出した巽さまの枷になるなど、絶対にあってはならない。

「副所長。私が解雇されれば全て解決しますか?」

 思わず立ち上がり、そう声を上げた私に、副所長は少しだけ驚いて目を見開いてみせた。けれどそれも一瞬の事で、口角を上げたままきっぱりと私の質問に答える。残酷なほど冷静に。

「しませんね。我々の貴重な戦力が一人失われるだけです。それと、あなたが風早巽を庇いたいのなら、尚更甘んじて解雇を受け容れては駄目です。如何わしい関係だと認めるようなものですから」
「では……私はどうすればいいんですか?」
「話が早くて助かります! つまり、もう二度と風早巽に会わないよう徹底して頂くだけで結構です! 煩い老害には行動で示し、自らの潔白を証明して黙らせるのが一番ですからな!」

 確かにその通りだ、とこの時の私は力なく頷くしかなかった。副所長の言っている事は全て筋が通っており、正しい。多大なる誤解であろうと、私は疑わしい行動を取ったのだ。すべてが繋がっていて、今まで大目に見られていた数々の愚行が、ここに来て大事になったというだけの話だ。
 何もかも、私が悪い。

「承知しました。今後は玲明学園の生徒として、そしてコズミック・プロダクション所属のアイドルとして、相応しくない行動は控えるよう徹底します」
「いやいや、あっさりその言葉を聞けて安心しました。まあ、いずれ風早巽が復学すれば校内で顔を合わせる事はあるでしょうけど、余計な接触は控えるように、という事です」
「はい……副所長、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

 もう何も考える気すら起こらない。私は深々と頭を下げれば、副所長へ背を向けて退室しようと力なく歩を進めた。

「ああ、最後に花城さん」
「はい、何でしょうか」
「実際のところ、お二人はどういう関係なんですか?」

 その質問は興味本位なのか、それとも、今後上層部と私の処遇で話し合うにあたり必要となる情報なのか。
 どちらにせよ、決して疚しい関係ではないのだから、正直に言うまでだ。
 私は振り返って、感情のない声で答えてみせた。

「私が一方的にお慕いしているだけです。向こうは私の事なんて、信者のひとりとしか認識していないと思います」
「信者? 花城さんは教徒ではないと認識していましたが」
「宗教のほうではなく、玲明に革命を起こそうとしたひとりのアイドルの信者という意味です」
「ああ、成程。であれば、尚更距離を置いて目を覚ました方が身の為かと。その革命とやらが失敗に終わった事は、多くの生徒が玲明を去ったという現実が示していますからね」

 ここまで言われて何も言い返せない自分が情けなく、悔しかった。規律に反した行いをした者は無力で、世界で一番大切な人を貶されても、反論のひとつも出来やしないなんて。

 事務所を出た後、副所長に言われた言葉がじわじわと心を蝕むように浸透して、自然と涙がこみ上げて来ていた。謝るどころか、もう二度と会ってはならないなんて。すべては自らの行いが招いた結果だけに、誰かのせいにする事も出来ない。
 巽さまがアイドルとして再び日の目を浴びるというだけで、これ以上嬉しい事はないはずなのに。決して嬉し涙ではない、負の感情に溢れた涙が込み上げて来るのは、それだけ私は彼のことをただの友人ではない、ひとりの異性として恋焦がれていたからに違いなかった。

2020/09/13

Es ist euch gut,
daß ich hingehe

我、去りゆくは汝らの益なり
[ 14/31 ]

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