「いやぁ、一週間などあっという間ですな。早いもので、もう『盂蘭盆会』当日です」

 与えられた練習期間は充分とは言えないものの、逆先夏目、月永レオ、三毛縞斑の手助けにより、『ALKALOID』はステージでパフォーマンスを披露出来るレベルには到達する事が出来た。とはいえ、慢心していては取り返しのつかないミスに繋がる事もある。慎重に、けれども怖気づく事のないよう心掛け、これまで積み重ねて来た全てを出し切れば、自ずと道は開かれるだろう。

「キミ、ちょっといいかナ?」
「夏目さん? ええ、少しなら構いませんが」

 己たちの出番が差し迫るなか、逆先夏目が突然声を掛けて来て少々訝しげに思ってしまった。単にALKALOIDに激励を掛けに来たのなら、リーダーでも何でもない己を指名するのは不可解だからだ。
 その疑問をすぐ払拭するかのように、彼は己の傍まで歩を進めれば、周囲に聞こえない程の小さな声で囁いた。

「花城光莉ちゃん、会場に来てるヨ」
「……光莉さんが、ですか?」

 何故彼はその名前を口にし、そして何故彼女はここに来ているのか。
 知り合いのライブを観に来たと考えるのが妥当であるが、この盂蘭盆会に玲明学園の現役の生徒は出ていない筈だ。何も学園内に拘らなくとも、事務所関係や仕事の繋がりで、様々な交流はあるのかも知れないが。などと考えを巡らせていると、逆先夏目は溜息混じりに答えを紡いだ。

「キミの晴れ舞台を観に来た、以外に思い当たる理由があるのかナ?」
「俺の……?」
「本当に自覚がないノ? さすがにあの子がちょっと可哀想になって来タ……リスクを冒してまで星奏館に忍び込もうとしたりしていたのニ」
「あの光莉さんがそんな事を?」

 アイドルという職業に身を置き、しかもコズプロのような徹底的に管理されている厳しい事務所に所属している彼女が何故そんな事をするのか、まるで見当が付かなかった。己の実家である教会に足を運んでいたのは、昔のよしみであり、教会に住まう子どもたちを気に掛けているからだと説明が付く。だが、星奏館はES管轄とはいえ男子寮だ。女子が立ち入ろうとしようものなら大事になるぐらい、彼女なら分かっている筈だ。

「キミの知っている花城光莉は、そんな事は絶対にしないって言い切れるのかナ?」
「はい。強いて言うなら俺の実家の教会を度々訪れる事はありましたが、それは別に問題行為ではありません。男子寮に忍び込むなど、明らかにペナルティが発生すると考えなくても分かる筈ですが……」
「行動には必ず理由が伴ウ。そこまでしないと気が収まらない事があった筈だヨ。ああ、そういえば……」

 逆先夏目は思わせぶりに視線を泳がせれば、今度は双眸を光らせて貫くような視線を己へと向けて言った。

「そういえば彼女、キミにどうしても謝りたいって言ってタ」





「タッツン先輩、何の話だったの?」

 逆先夏目が立ち去った後、ぼうっとしていた己の目の前に白鳥藍良が現れて、漸く我に返った。どうも彼女の話となると心ここに在らずといった感覚に陥ってしまう。我ながら一体どうしてしまったのか。ALKALOIDの活動に支障が出る程ではないとはいえ、本番を控えている以上気を引き締めなくては。一先ず仲間をしっかりと視界に捉えれば、簡潔に質問に答えた。

「光莉さんが会場にいらしているそうです」
「本当ォ!? どうして来てくれたんだろう? いや、タッツン先輩を観に来たのは分かるけど、どうやっておれたちが出るって知ったんだろう」
「夏目さんが招待されたそうです。なんでも俺に会いに星奏館に来られて、話の流れでそうなったらしく……俺も詳しい事は分からないんですが」

 己の回答に、白鳥藍良はすごいねェ、と感嘆の息を吐いた。何が凄いのか分からずに返答に困っていると、天城一彩と礼瀬マヨイも傍に来て次々に口を開いた。

「巽先輩、それこそいつも言っている『神の御導き』というものではないだろうか」
「私もそう思います。光莉さんが招待されたのも、何か意図があっての事なのか、特に意味のない事なのかは分かりませんが……」

 神の采配で彼女はALKALOIDの初ステージを観る事が叶おうとしている。確かにそれは皆が驚くような事なのだろう。彼女とて己たちのような無名のユニットの同行を探るのは困難だ。それが逆先夏目の気まぐれにより、情報を得るだけではなくチケットまで手に入れるのは、星奏館に侵入しようとした事を抜きにしても早々ある事ではない。
 だが、それだけでは根本的な解決にはならない。

「と言っても、ステージと客席では会話もままなりません。俺としては別にあの子の謝罪は求めていないんですが……ただ、光莉さんは俺と直接話をしない限り、納得出来ないでしょうし」
「何言ってんの、タッツン先輩! 光莉ちゃんは謝るより何より、今日はタッツン先輩の復帰ステージを観に来たんだと思うよォ」

 喝を入れるように大きな声で、そう言い切った白鳥藍良の言葉にはっとした。まるで、これまで霧に包まれていたような感覚が一気に払拭されるかのように。

「巽先輩? 別に藍良はおかしな事は言っていないと思うけれど」
「ああ……そうですね。一つの物事に囚われて、目の前の事が見えていなかったようです。お恥ずかしい限りですが」

 彼女は決して過去の己に囚われているわけではなく、幼馴染としての己に会いに来たのだ。一年以上入院生活を送り、もう二度と完治する事はないものの、辛うじてアイドルに復帰出来るだけの身体を取り戻した己を、純粋に応援する為に。
 そして、己の思考は正しいと後押しするかのように、先程までは緊張で震え上がっていた礼瀬マヨイが、穏やかな笑みを浮かべて己へと説く。

「きっと、巽さんの復帰を誰よりも待ち望んでいたのは光莉さんだと思います。その為にも、このステージを成功させ……あ、あの、やはり私も出ないと駄目でしょうか」
「はい、勿論です。マヨイさんはALKALOIDに必要不可欠です。我々はこの一週間でそれを十分体感しましたからな」
「ヒイッ!! 追い打ちをかけないでくださいぃぃ!!」

 鼓舞するつもりで言ったのだが、逆に追い詰めてしまったらしい。そこまで怯える必要もないのだが。己たちは決してひとりでステージに立つのではなく、数奇な運命で巡り会った、この四人で共に支え合っていくのだから。





 まさかこうしてアイドルに復帰出来る日が来るなどと、一年以上入院していた頃、己の足はもう二度と元に戻ることはないと言い渡された頃、そして、漸く退院出来たものの、己は全てを失ったのだと気付かされた頃には、まるで想像出来なかった。季節はめぐり、共にアイドルとして歩む仲間と出逢い、再び舞台に立つ事が出来た事を神に感謝しなければ。決して神は信じる者を見放す事はしない。玲明学園での出来事は、己の信仰心が足りなかった故に起こった悲劇なのだから。

 仲間たちと共に歩を進め、ステージに足を踏み入れた瞬間に沸き起こる歓声。この『盂蘭盆会』は、己たちを含むリストラ寸前のアイドルを救う為に開催されるドリフェスだ。だが、出演している全てのアイドルが救われるわけではなく、他のドリフェスと同様、観客によってその判断が委ねられる。己たちも決して楽観出来る状況ではなく、このステージが最後となる可能性もある。
 如何なる結果になろうとも、決して後悔のないように、全力を尽くすまでだ。すべては、神の御心のままに――。



 己たちはあくまでSwitchの前座であり、月永レオによって作られた歌を一曲披露し、後はSwitchのバックコーラスを行うのみの出番であった。それでも観客はあたたかく出迎え、名もなき己たちにも声援を送ってくれた。思うように動かぬ足を庇いながらのパフォーマンスを不甲斐なく思いつつも、今出来る最大限の事はこなせたと言えるだろう。これも言わば四人の共同作業によるものであり、ソロアイドルという概念が失われつつある世の風潮を抜きにしても、故障を抱えた己ひとりでは為し得なかった事だと言い切れる。

「タッツン先輩、見て!」

 宴も酣となり、仲間たちとステージを去ろうとした時、白鳥藍良が興奮した様子で己の手を引いた。先日の練習では、自分ひとりがユニットで足を引っ張っていると思い込み涙を見せていたというのに、今この瞬間は満面の笑みを浮かべている。気分が高揚している事に加え、こうして実際にステージを成功させた事で、本人も意識せず大きな自信に繋がったのだろう。

「はい、どうしましたか? 藍良さん」
「光莉ちゃん、本当に来てるよォ!」

 大勢の観客を前にしている以上、特定の客を指差すことはあまり良い行いとは言えないのだが、この時ばかりは何も言えなかった。白鳥藍良が指を差した先、関係者席の一角に見覚えのある女子たちが並んで立っていた。先輩は悪くないのだと訴えて、ALKALOIDのアルバイトを手伝ってくれた玲明学園の女生徒たち。そして、彼女たちに囲まれて俯いている、昔馴染みであり後輩でもある少女。その姿を見紛う事はない。

「おれたちが見てる事に気付いてなさそうだね。手、振ってみる?」
「いくら俺たちが無名とはいえ、観客のひとりを特別扱いしてしまうのは、些か配慮に欠けますな」
「うーん、そうだけど……でも、今日ぐらいは良いんじゃない? タッツン先輩の記念すべき復帰ステージでもあるんだし」

 人はこれを悪魔のささやきと称すのだろうか。いや、仲間を悪魔呼ばわりなどと許されざる事だ。そんな事を考えつつも、自然と彼女に向かって手を振ってしまっていたのだから、己もこの会場の熱気で高揚し、冷静な判断が出来なくなっているのかも知れない。
 己の動作に気付いた彼女の後輩たちが一斉に反応し、彼女に向かって何やら捲し立てている。そして暫しの間を置いて、漸く彼女が顔を上げる。本来こういう事をすべきではないのだが、と悩みつつも再び手を振って、これ以上はさすがに止めておこうと手を下ろせば、緩慢な足取りでステージを後にした。尤も、手を振ったところで彼女がそれに気付いているとは限らないのだが。



「光莉ちゃん、どうして下向いてたんだろう? もしかして具合でも悪かったのかな」
「俺たちの出番だけを観ていたわけではないでしょうし、疲れてしまったのかも知れませんな。光莉さんもお忙しいようですし」

 舞台裏へ戻るとすかさず白鳥藍良が声を掛けて来て、確かに不可解に感じつつも思い当たる事をそれとなく述べてみせた。同じアイドルたるもの、相手に対し尊敬の念を抱き、例え退屈なステージであろうと余所見をするなど、特に彼女がそんな事をするとは考え難かった。だが、その答えは思いも寄らぬ形ですぐに解決に至ったのだった。

「巽先輩、光莉さんは客席で泣いていたよ。きっと、巽先輩を見て感激したんだと僕は思うけど」
「ええっ!? さすがに表情までは認識できないほど距離あったけど!? ヒロくんの目、どうなってんのォ!?」

 天城一彩の言葉に白鳥藍良は驚愕の声を上げたが、確かに己も肉眼で彼女の表情を把握するまでは出来なかったものの、そう考えればすんなりと納得出来る。己の復帰姿を見て、俯いて涙を流すなど、そこまで感極まるほど待っていてくれたと思うと光栄であり有り難くも思うが、何とも形容し難い気恥ずかしさを覚えた。本当に己にそんな価値を見い出してくれているのだろうか、と。

「巽さん……良かったですね……光莉さんが来てくださって……」
「というか、マヨイさん大丈夫ですか? さすがにぐったりされていますね。すぐに休める場所へ移動しましょう」
「ううっ、すみません不甲斐なくて……」

 青褪めた表情で今にも倒れそうになりながらも、己へ労いの言葉を掛けてくれた礼瀬マヨイを介抱しつつ、本当に良い仲間と巡り会えた――そう実感し、神に感謝するばかりであった。



 客席にいる彼女の姿を見て、昔の事を思い出していた。と言っても、つい三年前の事なのだが、入院生活を送った一年で随分と老け込んでしまった気がする。
 己が玲明学園に入学し、まだ駆け出しのアイドルとして活動していた頃、彼女は学校生活と並行して出来る限り足を運んでくれていた。己のことをただの幼馴染としてではなく、ひとりのアイドルとして憧れを抱いてくれたからこそ、彼女もまたアイドルを目指し、玲明学園の受験に挑んだのだろう。
 自分で改めて認識すると、本当に己にそこまでの価値があったのかと自問自答したくなるが、何がきっかけであれ、彼女は己が思っていた以上に成長し、遥か高みへを目指し今も邁進し続けている。

 再びステージに立った己を見て涙を流した彼女は、まだ玲明学園に入学する前、己を純粋に応援してくれていた頃の彼女と何も変わっていない。あの一年で彼女を深く傷付けてしまった自覚があるからこそ、もう昔の彼女ではないと無意識に思い込んでいたのだ。巴日和や漣ジュンといった、共通の知人が指摘するように、そんな事などなかったというのに。

 彼女に会って、伝えなければ。君は謝る必要などなく、ただ昔のように君と睦まじくありたい――苦難に満ちた一年をやり直すかのように、そして失われた空白の一年を埋めるように、今度こそ、これからは君とささやかな幸せを積み重ねていきたいのだと。

2020/08/25

Wachet betet
betet wachet

目覚め、祈り、心を備えよ
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