偽りの戦端

 ウェイバーに追い返され、優花梨はマッケンジー邸を後にした。逃げる様に深山町を離れ、新都へ辿り着く頃には、既に昼時を過ぎていた。
 明後日の夜には優花梨は日本を発たなくてはならない。いや、日本を発つまで、“あと”2日はある。そう考えると、これで全てを諦めるのはまだ早いと思った。
 不躾に聖杯戦争に参加するなと言っても、相手は納得しないに決まっている。綺礼の言った通りだ。話し合いにもならなかった。

 どうすれば最良の結果へ導けるのか――その答えは出なかったが、またウェイバーに会いに行く余地はある。そう思うと少しだけ、気が晴れた。
 流石に今日もう一度会いには行けない。明日なら、ウェイバーも少し言い過ぎたとか思ってくれていて、話し合いという形に持っていけるかも知れない。優花梨としては、兎に角ウェイバーが無事でいてくれればそれで良いのだ。
 今日の残りの時間は、ウェイバーとの話し合いにおけるシミュレーションに充てよう。そう決心し、優花梨は新都のビジネスホテルへ戻り、物思いに耽った。

 結論から言うと、答えは出なかった。
 ウェイバーが死ななければ良い。だが、聖杯戦争に参加したままで、死を逃れる事など可能なのだろうか。昨日綺礼に会った時に、聖杯戦争の事をもう少し詳しく聞いていれば良かった。答えてくれるかは別として、実行するしないでは、まるで違うのである。

 綺礼との遣り取りを思い返す。綺礼とアサシンは、しっかりと信頼関係を築いている様に見えた。
 では、ウェイバーは、召喚して日の浅いライダーと、信頼関係は既に築いているのだろうか。いなければ、これはチャンスだ。なんとかして二人の仲を裂き、ライダーが「もっと強いマスターと契約したい」とのたまえば、マスターを別の魔術師に変更する――といった事も可能ではないだろうか。

 優花梨は聖杯戦争に関して詳しい知識がある訳ではないが、全くない訳ではない。この聖杯戦争、意外にも緩いルールなのだ。

 様々な策を考えているうちに、日は落ち、まもなく優花梨の部屋の電話が鳴った。
『柊様、夕食は何時頃になさいますか?』
 ホテルの係員からの電話に、優花梨は淡々と答えた。
「いえ、外食しますので、夕食の準備は結構です」

 時臣へ絶対なる信頼を置き、崇拝していた優花梨だが、綺礼の影響か、ここ最近その熱も冷めつつあった。操り人形というより、何も出来ない子供をさりげなくフォローしているという扱いを受けている気がして、優花梨は電話を切った後大きな溜め息を吐いた。



 冬木に到着して3日目。宿泊2日目の朝食は昨日と同じメニューであった。まだ飽きは来ないが、流石に明日の最終日は、このホテル併設のレストランではなく、別のお店で済ませよう。そんな事を考えつつ、優花梨は本日の予定を思案した。
 明日はF空港への移動も考えると、余裕のある行動は出来ないと考えていいだろう。つまり、ウェイバーを説得するにあたり、ゆっくり話し合える時間は、実質、今日しかないのだ。

 ウェイバーの話しぶりを見ると、どうやらあのマッケンジーという老夫婦に、自分が孫だという暗示をかけて、ウェイバー・ベルベットとしてではなく、『ウェイバー・マッケンジー』という架空の存在として、あの家の家族という設定で住んでいると思われた。
 成程、綺礼が『寄生』という言い方をしたのも納得出来る。

 あっさり解けてしまう暗示で済ませてしまう所が、ウェイバーの甘い所だが、優しい所でもある。では、下手にまたマッケンジー夫妻に会って、何かの拍子で暗示が再度解けてしまうのはよろしくない。ならば、ウェイバーに直接会うのが手っ取り早い。なるべく、老夫婦が寝静まった夜の方が良いだろう。ウェイバーがあの家の2階に住んでいる事は分かったので、玄関を通さず2階の窓から忍び込む事くらい、魔術を使えば朝飯前だ。

 ちなみに優花梨は、ウェイバーが非常に解け易い簡易な暗示しかかける事が出来ないという事は、知る由もなかった。更にはグレン・マッケンジーが、聖杯戦争が終盤に差し掛かり暗示が自然と解けた後も、わざと騙されてウェイバーの祖父を演じていたという事実を知るのは、更に先の話である。


 さて、ウェイバーの部屋に忍び込む夜まで、一体どうしようか。優花梨は一昨日の夜の龍之介との一件が原因で、例え日中でも新都を観光する気にはなれなかった。
 また、云わば柊家で監禁されて育った優花梨には、冬木に馴染みのある知人など一人もいなかった。初めに浮かんだのは凜の顔だが、わざわざ禅城の家まで出向くのも先方に対して申し訳なく、更にこの聖杯戦争中に優花梨が冬木に来ている事を知ったら、葵に余計な心配を掛けてしまう。もしかしたら時臣から連絡が行っているかもしれないが、明日には時計塔に帰る手筈が済んでいる事を考えると、優花梨が冬木にいる事は、葵は知らないと見ていいだろう。ならば、凜には会わない方が良い。

 その結果、会いたい人物として思い浮かんだのは、もうずっと顔を見ていない少女――
 遠坂――いや、間桐桜。
 かつて妹の様に可愛がっていたが、今は間桐の家に養子に出された少女。桜の顔を一目見たいと優花梨は思った。


 間桐家の住所は分からなかったが、住民に道を訪ねるとすぐに判明し、難なく辿り着いた。それもその筈、間桐邸はろくに手入れがされておらず、幽霊屋敷と形容しても失礼にあたらない位の状態の為、近隣住民も間桐と聞いてすぐに分かった様だ。


「はいはい、どちらさん?」
 間桐家を訪ね、出て来たのはやたら酒臭い男性だった。優花梨は若干気負いしながらも、平常心を保って答えた。
「あの、私、柊優花梨と申します。そちらでお世話になっている、桜ちゃんに会いに来ました」
「はぁ?」
 怪訝そうに首を傾げる男性。無理もない。自分と桜では年齢も離れ過ぎていて、友達というにはおかしいと思われても致し方ない。だが、眼前の相手が親権者かは分からない為、遠坂の名前を出しても良いものか、優花梨は悩んだ。

 刹那、物凄い魔力を感じ、優花梨は身構えた。
「おやおや、これは可愛らしいお客さんが来たものだ」
 男性の後ろに現れた老人――年齢不詳と言ってもいい、今にも倒れそうな外見なのに、そんな雰囲気は微塵も感じさせない。そんな老人は、優花梨に訊ねた。
「何用か? 魔術師の娘よ」
 やはりこの老人は魔術師――それも相当な腕の持ち主だ。考えてみれば、時臣は桜を守る為、それ相応の魔術の家門へ桜を養子に出したのだ。そもそも、何も隠す必要はなかった。

「私は、現在英国の時計塔で、魔術師見習いとして魔術を学んでおります、柊優花梨と申します。そちらでお世話になっている桜ちゃんとは古くから親交がありまして、今回たまたま時間が出来ましたので、一目顔を見に訪問した次第で御座います」
 凜とした表情で優花梨はそう言うと、老人はほう、と面白そうに息を吐いてケタケタと笑った。
「柊――そうか、そうか……成程、分かったぞ。遠坂の傀儡の娘であるな」
「はい、左様で御座います」
「さて、遠坂は何を企んでおるのか? 聖杯戦争中に、傀儡の娘を寄越すなど……」
 失念していた。マキリ――現在は間桐と名前を変えているが、この家もまた、遠坂と肩を並べる『始まりの御三家』なのだ。優花梨は慌てて弁解した。
「いえ、違います! 聖杯戦争も、時臣様も関係ありません! 私事ですが、明日には日本を発つ為、その前に個人的に、桜ちゃんに会いたいと…」
 老人は優花梨の言葉を信じた様だった。ゆっくりと頷くと、男性に桜を呼んでくるよう命じた。

 老人に客間へ案内され、優花梨は椅子に腰かけた。老人の名前は間桐臓硯。先程の男性は間桐鶴野といい、間桐家の現当主なのだという。
「当主様だとは知らず、先程は鶴野様に失礼な態度を……」
「気にせんで良い。見ての通り、あの体たらくでな。あれの息子もろくな魔術を受け継いでいない故、桜を養子に迎えたのは願ったり叶ったりじゃ」
 桜は心良く迎えられているのか。優花梨はほっとした。その矢先――

「桜を連れて来たぞ」
 鶴野が桜を連れ、客間に現れた。その姿を見て、優花梨は言葉を失った。

 覇気のない死人の様な表情。焦点の合っていない虚ろな瞳。すっかり変色した髪色。
 遠坂家にいた時の桜とは、完全に別人と化していた。
「さ、桜ちゃん…?」

「感動の御対面といった所じゃな」
 臓硯はくつくつと笑うと、ゆっくりと席を立った。
「後は二人でゆっくりすると良い。積もる話もあるじゃろう。尤も、桜はあまり会話は出来ないと思うが――」
 臓硯と鶴野が客間を後にする。その直前、臓硯は振り返って優花梨を見つめた。
「遠坂も勿体ない事をするよのう。柊家の調練も興味深いものだと聞いているのでな。英国へ逃がさずに柊家で調練を続けていれば、素晴らしい胎盤になったものを」
 臓硯の言葉に、優花梨の顔は一気に蒼白と化し、身体が勝手に震えだした。
 ――恐い。
 この人は、全てを知っている。柊家の何たるかを。
 そして、目の前の桜の姿。間違いなく、昔の自分と同じ様な目に遭っている。それどころか、自分以上の虐待を受けているのは明白だ。髪の色まで変わるなんて、尋常じゃない。

 扉の閉まる音がする。臓硯も鶴野も居なくなり、客間には優花梨と桜だけが残された。
 過去のトラウマを思い出し、震えの止まらない優花梨。何も考える事が出来ない。そんな状態の優花梨を、か弱い力で包み込む腕があった。
 桜である。

「お姉さん……具合、悪いの?」
「……桜ちゃん」
 焦点の合ってない虚ろな瞳で、それでもなお、優花梨を気遣おうとする桜。その姿を見て、優花梨は漸く正気を取り戻した。
 彼女はまるで――時臣に救われる前の自分と同じだ。
 優花梨は桜を抱き返した。壊れ物を扱う様に、優しく。
「桜ちゃん……ごめんね」
「お姉さん、どうして謝るの」
「私なんかじゃ、あなたを助けてあげられない……」
 ぽろぽろと涙を零す優花梨。桜は優花梨に身を委ねながら、ぽつりと呟いた。
「あの、お姉さん」
「ん、なあに…? 桜ちゃん…」
「私、この家に来てからは、前のお父さんやお母さん、お姉ちゃんはいなかったって思いなさいって言われたの」
「……そう……」
 養子に出した以上、遠坂とは完全に縁を切れという事か。なんて残酷なのだろう。優花梨は頷くしか出来なかった。

「優花梨お姉ちゃんの事も、いなかったって思わないと駄目なのかな…」
 桜は誰に訊ねるでもなく、独り言のように呟いた。その言葉に、優花梨は抱き締める力を、少しだけ込めた。
「私は私。『柊優花梨』は、桜ちゃんのお友達」
「お友達……じゃあ、いなかったって思わなくても大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。だから、おじいさんもこうして会わせてくれたと思うんだ」
「良かった……」
 桜はそう言うと、少しだけ頬を緩めて、優花梨に甘えるように寄り添った。

 どれだけの時間、こうしていただろうか。二人寄り添いながら、色々な事を話した。桜は臓硯の言う通り、あまり会話が出来ない様子だったので、優花梨が積極的に話をした。遠坂の話題は徹底的に避けた。時計塔での魔術の勉強、ウェイバーとの出逢い。ほぼ後者を語っていた気がする。

「優花梨お姉ちゃんは、その人の事、大好きなんだね」
「……うん。でも、彼は立派な家柄じゃないから、恋人として付き合ったりとか、そういうのは無理なんだ」
「どうして?」
「魔術師って、そういうものだから。より立派な魔術師を産む為に、それなりの家門の人と結婚しないといけないの」
 微苦笑しながら優花梨がそう言うと、桜は虚ろな目を伏せた。――もしかしたら、彼女に絶望を与えかねない言葉だったかもしれない。優花梨は慌てて付け足した。
「でも、そういう想い人がいるってだけで、頑張れるんだ。恋をするとね、人は変わるの」
「そうなの?」
「小説とかの受け売りだけどね。でも、私も、彼と出逢えたお陰で、自分はただの人形じゃないんだって、思えるようになったの」
「ただの人形じゃない……」
「うん。だから、桜ちゃんもそういう人に巡り逢えたら、今の辛い状態から抜け出せると思うんだ」
「………」
 優花梨の言葉に、桜は戸惑っている様だった。余計な事を言ってしまった。それに、この会話をあの臓硯が聞いていたとしたら、桜にとって良くない事が起こりそうな気がした。

 まだ一緒に居たいのはやまやまだが、失言をする前に此処を去った方が、桜の為にも良いかもしれない。
「じゃあ、私はそろそろ帰るね。明日、イギリスに発つの。明日は殆ど時間がないから、今日この一日を、桜ちゃんの為に使えて本当に良かった」
「私も優花梨お姉さんに会えて、嬉しかった」
「また会いに来るからね、桜ちゃん」
「うん、また来てね」
 そうは言いつつも、桜は優花梨の腕を離さない。無理もないかも知れない。ひとまず、玄関まで一緒に行く事にした。

 すると、そこには臓硯がいた。
「これ、桜。柊のお嬢さんが困っていらっしゃるじゃろう。手を放してやりなさい」
「……ごめんなさい、おじいさま」
 桜はぴくりと肩を震わせそう言うと、優花梨から名残惜しそうに手を放した。
「じゃあ、またね、桜ちゃん」
「ばいばい、優花梨お姉さん」
 力なく手を振る桜に、優花梨は笑みを作って手を振り返した。にたりと嫌な笑みを浮かべる臓硯に深々と頭を下げ、優花梨は間桐邸を後にした。



 間桐邸から新都へ戻った頃には、陽は落ちていた。足早にビジネスホテルへ向かう途中、優花梨は後ろから突然、男に声を掛けられた。
「優花梨ちゃん…?」

 びくりと肩を震わせ、優花梨は恐る恐る振り返った。
 深くフードを被った怪しげな男。一昨日の龍之介ではない。生きているのか死んでいるのか分からないと言っても過言ではない、恐ろしい雰囲気を醸し出している。
 だが、冬木に声を掛けてくれる様な知人は、遠坂の関係者以外にはいない筈だった。
 ――いや、何度か会った事がある人物が、一人だけいた。

「あ、あの、もしかして……」
 優花梨がその名前を口にする前に、男はフードを上げ、顔を露にした。その姿に、優花梨は悲鳴をあげそうになり、咄嗟に口元に手を当てた。
 白く染まり切った髪。顔の半分は、まるで何かを注入したかの様に腫れ上がり、引き攣っている。
「あ、ああ…なんて……」
「恐がらせてごめんよ、優花梨ちゃん。俺の事が分かるかい?」
「……雁夜さん……雁夜さんですよね…?」

 間桐雁夜。
 過去にまだ柊家に囚われながら、遠坂家と交流していた頃。そして、時計塔に招聘された頃。葵に連れられ、凜や桜と公園へよく遊びに行った。その中で、何度か会った事がある。
 遠坂葵の幼馴染であり、魔術の家門に生まれながら、魔導の道を捨てた男性である。
 葵と彼の交友は不定期に続いており、時たま会っては、無関係の優花梨にも優しく接してくれていたのだ。

「…一体、どうしてこんな姿に…?」
 優花梨は歩み寄り、悲しげな瞳で雁夜を見上げた。そして、先程の桜の姿を思い返し、つい言葉を零す。
「桜ちゃんも…雁夜さんも…どうして……こんな……」
 桜という言葉に、雁夜は反応を示した。
「……桜ちゃんに会ったのか?」
「はい、先程、会いに行きました。あんな…酷い……昔の私よりも…ずっと…」
 優花梨はそう言うと、自然と涙を零した。その涙を、雁夜は人差し指で優しく拭った。
「そういえば、君も初めて出逢った頃は、今の桜ちゃんの様な雰囲気だったね」
「私は良いんです。柊家から逃げ出す事が出来ましたから。でも、桜ちゃんは……」
「間桐臓硯はそういう男だ。だから俺も、一度は間桐を捨てた」
「一度は…? という事は…今は…」
「桜ちゃんを救う為、間桐に戻った。優花梨ちゃん、遠坂の庇護を受けている君なら分かるだろう? 『聖杯戦争』――俺は聖杯を手に入れる。そして桜ちゃんを救う」

 雁夜の言葉に、優花梨は全て納得がいった。
 あんな状態になるまで過酷な目に遭い、今もこれからも酷い目に遭い続ける桜――彼女を助ける為に、彼もまたサーヴァントを召喚したのだ。間桐の魔術で、こんな姿に成り果ててでも、桜を救う為に。
 流石の優花梨も理解した。聖杯に頼る以外に、今の桜を救う方法はない。

「優花梨ちゃんは、どうして冬木に? ――時臣の命令か?」
 何気なく訊ねる雁夜だったが、時臣の名前を出した時だけ、目付きがより一層険しくなる。
「いえ、寧ろ時臣様の意に反する行動というか……」
「はは、優花梨ちゃんも変わったな。勿論、良い方向に」
 優花梨の言葉に雁夜は薄く笑ってみせた。もっと笑顔を見せたいのだろうが、腫れ上がり引き攣る顔がそうはさせてくれないのだろう。

「実は時計塔で、好きな人が出来たんです。その彼が、聖杯戦争に参加すると言って冬木に来てしまって……私は彼を止める為に、冬木に来ました」
「……優花梨ちゃんは、どうして彼を止めるんだい?」
「決まってます、間違いなく殺されるからです。言いたくはありませんが……彼は浅い家柄の魔術師です。まだ見習いの身でもありますし、一流の魔術師に勝てる保証はありません」
「はは……手厳しいな。でも、優花梨ちゃん。サーヴァントが強ければ、それをひっくり返す事だって可能なんだ」
「そうなんですか?」
 優花梨の問に、雁夜は右手の甲を見せて自信満々に答えた。
「俺が召喚したサーヴァント【バーサーカー】は最強だ。必ずや時臣を倒してみせる」
 雁夜の言葉に、優花梨は戦慄した。時臣を倒す――つまりは、殺すという事だ。

 優花梨が怯えた理由を、雁夜は、優花梨の想い人がバーサーカーに殺されてしまうせいだと勘違いし、慌ててぎこちない笑みを作った。
「あっ、大丈夫だよ。君の好きな人には手は出さない。聖杯戦争は、何もマスターを殺さなくても、サーヴァントが倒されれば、そこでマスターの負けは決まる。優花梨ちゃんは、好きな人に死んで欲しくない、ただそれだけなんだよな?」
「――は、はい! そうです!」
「だから安心してくれ。俺はマスターには手は出さない」
「あ、ありがとうございます…! はぁ、皆、雁夜さんみたいなマスターだったら良いのにな」
「はは、そう言ってくれて嬉しいよ」

 盲点だった。雁夜に言われなければ、ずっと気付かないままだった。
 マスターが死なずとも、サーヴァントが倒されれば、その時点でそのマスターの敗退は決まる。
 要は、ウェイバーの召喚したサーヴァント【ライダー】が、サーヴァント同士の戦いで負ければ、ウェイバーは生きたまま聖杯戦争を離脱する事が出来るのだ。問題は、ウェイバーが他のマスターに殺されないかどうかだ。時臣もケイネスも、直接マスターを殺すような戦い方はしないだろうが、他のマスターはそうもいかないかもしれない。時臣の補佐である綺礼は別として。

「雁夜さん、私、自分が為すべき事が、今分かった気がします! 雁夜さんのお陰です、ありがとうございます!」
 突然満面の笑みになって深々と頭を下げる優花梨。雁夜は困惑したが、嬉しそうな彼女の姿に、つい顔を綻ばせた。
「優花梨ちゃん、本当に変わったね。桜ちゃんも、君みたいに変われると良いんだけど」
「はい、私も桜ちゃんに笑顔が戻る事を、切に願います」
「僕も優花梨ちゃんと話せて良かったよ。頑張るよ、桜ちゃんの為に」
「雁夜さん、御武運を祈っております」
 優花梨と雁夜は微笑を湛えて、互いにその場を後にした。

 優花梨は全く知らなかった。間桐雁夜の余命があと僅かで、命あるうちに遠坂時臣を殺そうとしている事を。



 夜も更け、日付が変わらんとする頃。
 優花梨はマッケンジー邸へ向かうべく、ホテルの部屋の窓を魔術で全開までこじ開けた。ここから魔術でウェイバーの元へ、文字通り飛んで行くのだ。ホテルの玄関から直接歩いて出ようものなら、外見の幼さと時間帯から、受付に足止めを食らいそうな気がしたからだ。
 また、龍之介との一件もあり、更に最近この冬木で殺人事件が多発していると聞き、徒歩で移動するのは気が引けた。だが逆を言うとこの時間なら、魔術を行使しても、一般人の目には触れないだろう。

 優花梨は五大元素のうち自身の特性である風を、ある程度自在に操れるようになっていた。優花梨はホテルの窓から飛び降りると、すぐに風を発生させて上空へ浮いた。また、別の魔術も発動し自身を守っている為、不安定に風に煽られる事もない。もっと様々な魔術を学び、鍛錬を積めば、もう少し効率の良い飛び方が出来るのだが。時臣ならばこんな面倒な方法を使う必要もないだろう。優花梨は脳内で独りごち、月明かりの下、空を飛んでマッケンジー邸へと向かった。

 道順を確認する為に、一時的に魔術で視力を大幅に上げ、街を見下ろして道順を確認する。優花梨は新都の夜景の美しさに思わず見とれた。騒がしい繁華街よりも、こうして落ち着いた場所(と言うよりも空だが)でキラキラ輝く景色を見る方が、自分にとっては好ましい。そんな事を思いながら、深山町へと進む。
 深山町は古い住宅街の為、新都とは真逆で闇に染まっている。多くの住民が既に寝静まっている為である。優花梨は暗視の魔術を使い、道順をしっかりと確認する。地上に降りた方が分かり易いが、また龍之介の時の様な事がないとも言い切れないので、このまま空を飛んで真っ直ぐ目的地へ進んだ。


 マッケンジー邸へ辿り着いた優花梨。2階の窓の閉められたカーテンから、薄らと明かりが漏れている。つまり、ウェイバーはまだ起きている。1階が暗いところを見ると、老夫婦はもう寝ているだろう。
 優花梨は空に浮いたまま、2階の窓をコンコンと軽くノックした。
 反応はない。気付いていないのか。
 仕方なく、優花梨は魔術を使って窓の鍵を開け、音を立ててスライドさせ強引に中に入った。
「こんばんは、お邪魔します」
 ――が、ウェイバーは何らかの魔術を行使している最中なのか、まるで優花梨に気付かず、微動だにしない。
「おう、昨日の小娘か」
 代わりに、昨日部屋のど真ん中でいびきをかいて寝ていた大男――ウェイバーの召喚したサーヴァント【ライダー】が、片手を振って笑みを見せた。

 確か昨日、この大男のサーヴァントは寝ていた筈だが。ウェイバーから事情でも聞いたのだろうか。とりあえず、拒否はされていないので、優花梨は靴を脱いで部屋に入り、靴を抱えたままライダーへ深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。私、ウェイバー君の同級生の柊優花梨と申します。突然侵入してしまって、申し訳ありません。ですが、どうしてももう一度冷静にお話をしたくて」
「ほう、こんなけったいな方法で来るとは……なかなか面白い奴だのう、小娘」
 ライダーは顎に手を添えて興味深そうに、優花梨を見遣った。そして手元の靴を見るなり、それを強引に奪って部屋の隅へ投げた。
「きゃっ」
「履物をずっと手に抱えたままでは、ろくに寛げんではないか」
「ですが、床に置いたら部屋が汚れてしまいます。日本は英国と違って、土足で過ごす文化は――」
「ええい、そんな細かい事はどうでもいい! いいからそこに座らんかい」
「は、はあ」

 とりあえずライダーの言う通り、優花梨はその場に正座した。折角なので部屋の周りをきょろきょろと見回す。ウェイバーの私物以外の物がある様な気がした。もしかしてこの部屋には、『本物の』孫が住んでいたのかも知れない。今こうしてウェイバーが成り代わって居座っているという事は、どちらにせよ本人は今此処にはいないのだろう。

「落ち着かない小娘だのう」
「当たり前です。肝心のウェイバーは気付いてくれないし、私は一体どうすれば…」
「そうか。……のう、小娘。余の事は存じているのか?」
「ウェイバーが召喚したサーヴァント【ライダー】ですよね。昨日ウェイバーから聞きました」
「そうではない、サーヴァントのクラスではなく、余が誰かと聞いておる」
「えっ? えっと、そこまでは聞いてません」
 優花梨がぽかんとしながらそう言うと、ライダーは突然立ち上がり、鍛え抜かれた胸を張り、大層な笑みを湛えて自信満々に言い放った。
「我が名は『征服王』イスカンダルである」
「イスカンダル――あ、アレキサンダー大王!?」
 優花梨は驚きのあまり目を見開いて、両手を口に当てて跳び上がった。そして腰が抜ける様にへなへなと、再び床に座り込む。優花梨の反応に、ライダーは気分を良くしたらしく、満面の笑みを浮かべた。

 アレクサンドロス3世――古代マケドニア王国のアレクサンドロス大王、またの名をアレキサンダー大王。アラビア語・ペルシア語ではイスカンダルと呼ぶ。
 そんな凄い『王』を、ウェイバーは召喚してしまったのか。
「す、すごい」
「どうだ、凄いであろう? 現世でもなお語り継がれる征服王が、ライダーのクラスを以て現界したのだ」
「いえ、貴方が凄いのは勿論ですけど、貴方を召喚したウェイバーも凄いなって」
「ほほう?」
 自分だけでなく、マスターのウェイバーをも褒め称える優花梨に、ライダーは面白げに目を細めた。
 しかし、優花梨は正気に戻った瞬間、ライダーとまるで正反対の絶望した表情を浮かべた。

 サーヴァント同士で戦い、サーヴァントが負ければ、マスターは殺されない限り生還する事が出来る。優花梨はその望みに賭けていた。
 だが、目の前のサーヴァント【ライダー】……最強のサーヴァントではないか。まだサーヴァントは綺礼の【アサシン】しか見た事がなく、しかもそれも真名すら分からず、更に言うと他のサーヴァントの情報は全く以て分からない。だがそれでも、マスターの力不足を以てしても、それらを補えるだけの力を、ライダーが持っているのは、明白だった。

 それならば、最終的にウェイバーが勝ち残り、聖杯を手にする事が可能かも知れない。
 だがしかし、それは、時臣が負ける事を意味する。
 遠坂家に一生を捧げる身として、やはりこれは、止めなければいけない事だ。
 でも、どうやって――

「む? どうした小娘。今にも死にそうな顔をしおって」
 ライダーが優花梨の様子に首を傾げた瞬間、今まで微動だにしなかったウェイバーがやっと、動きを見せた。

「――アサシンが…殺られた?」

 呆気に取られたかの様に、ウェイバーは目を開けた。そして、恐らく寝転がってテレビを見ながら煎餅でも食べているであろうと仮定したライダーへ向かって、嬉しそうな声をあげた。
「おいライダー、進展だぞ! 早速一人脱落だ! ――って、うわああああっ!!!」
 ライダーの傍に佇んでいる少女――柊優花梨が視界に入るなり、ウェイバーは叫んだ。その叫び方に、優花梨は思い切り顔を顰める。
「なにその反応。人を幽霊みたいに」
「ていうか、おい!! 何処から入った!! オマエまさか、玄関の鍵を魔術で開けて、コソ泥みたいな入り方したんじゃないだろうな」
「失礼な事言わないでよ。ちゃんとこの部屋の窓コンコンって叩いたもん。返事がないから魔術で窓の鍵開けちゃったけど」
「――は!?」
 優花梨の発言に、ウェイバーは素っ頓狂な声を上げた。部屋の窓――2階の窓を叩いて、窓の鍵を開けて入っただと? 玄関ではなく?
 頭に疑問符を浮かべるウェイバーに、優花梨は答えた。
「宿泊してる新都のビジネスホテルから、この部屋まで、空飛んで来たの」
「はあああああ!?」
「一般人には見られてないから大丈夫」

 空を飛ぶなんて芸当、今の自分には無理だ。ウェイバーは、自分と優花梨の魔術師としての差を自覚させられた。普段ならここで落ち込む所だが、そもそも、何故優花梨は此処にいるのだ。まずそこからだ。
「つーか、オマエなんで此処にいるんだよ。帰れって言っただろ」
「それよりウェイバー、アサシンが殺されたってどういう事?」
 優花梨はウェイバーの問を華麗にスルーして、逆にウェイバーに訊ねた。
 アサシンのマスターは言峰綺礼だ。アサシンが殺されたという事は、既にマスターとサーヴァントが7人揃い、聖杯戦争が始まっているという事だが、あの綺礼がこんな序盤で敗退など、一体何があったのだろうか。

 ウェイバーは溜息を吐いて、優花梨の問に答えた。
「言った通りだ。遠坂邸と間桐邸に使い魔を放って監視していたら、遠坂邸にアサシンが殴り込みに行った。それで、敢え無く返り討ちって訳だ」
「遠坂邸に? ――ああ、そういう事」
「何だよ、勝手に自己解決しやがって」
「多分、いや絶対、これは仕組まれた事。アサシンのマスターは時臣様の直弟子だから」
「……へぇ」
「これはきっと、他のマスターを撹乱する為。きっと時臣様は、自分のサーヴァントが最強だと証明する為に、そんな茶番を繰り広げたんじゃないかな」
 あっさりと答える優花梨に、ウェイバーはぽかんと口を開けた。優花梨は遠坂の庇護を受ける人間だ。それをこうもあっさりと、手の内を話してしまって良いのだろうか。

「でも、そんな事で殺されるなんて……アサシン、可哀想」
 アサシンが複数いるとは知らない優花梨は、綺礼と会った際に実体化で見た女性のアサシンが殺されたのだと思い、ぽつりと呟いた。
 そんな優花梨の反応に、ウェイバーは首を傾げ、ライダーは何やら含みのある視線を向けた。
 と、そんな事を考えている場合ではないと、ウェイバーは慌ててライダーに向き直った。
「ていうかおい、ライダー、解ってるのかよ! アサシンがやられたんだぞ! もう聖杯戦争は始まってるんだ!」
「ふうん」
「……おい」
 呑気に煎餅を齧りながら相槌だけ打つライダーに、ウェイバーは怒りを露にする。すると、漸くライダーは初めてアサシンに対して言及した。
「あのなぁ、暗殺者ごときが何だというのだ? 隠れ潜むのだけが取り柄の鼠なんぞ、余の敵ではあるまいに。それよりも坊主、凄いのはコレだ、コレ。おい、そこの小娘もしかと見よ」
 ライダーが指差す先はテレビの画面だ。優花梨もウェイバーと共に見遣る。再生されているのは『実録・世界の航空戦力パート4』。

「このテの軍事マニア向けの資料が大好きなんだよ、コイツ」
 ウェイバーが小声で優花梨に耳打ちする。
「じゃあこの辺一帯のビデオや本って……」
 周囲を見回すと、軍事関係の書籍や映像が乱雑に置かれている。ウェイバーは忌々しげにライダーを親指で差して言った。
「コイツの望みでボクが掻き集めた」
「……なんか、どっちがマスターか分からないね」
「しょうがないだろ! コイツ霊体化する気ないんだよ! やたら実体化に拘るんだよ! この格好で外に出られる訳にいかないだろ!」
「確かに…」

 何やら話し込むウェイバーと優花梨に、ライダーが横槍を入れた。
「おい、何を騒いでおる。ほれ、このB2という黒くてデカいやつ。素晴らしい! これを10機ばかり購入したいのだがどうか」
「その金で国を買い取った方が早いぞ、きっと」
「そうかぁ…やはり問題は資金の調達か……。どこかにペルセポリス位富んだ都があるなら、手っ取り早く略奪するんだがのぅ」
 優花梨はライダーの言葉に思わずぽかんと口を開けた。ウェイバーを見ると、呆れ顔でライダーを見遣っている。もう慣れているかの様だ。ライダーは気にせずテレビにくぎづけになっている。
「とりあえず、このクリントンとかいう男が当面の難敵だな。ダレイオス王以来の手強い敵になりそうだ」

 優花梨は横目でウェイバーを見遣って言った。
「ウェイバー、なんていうか……お疲れ様」
「全くだ。聖杯戦争が終わる頃には、ボクは胃潰瘍になってるだろうな」

「で、アサシンはどう殺られた?」
 ウェイバーと優花梨が顔を顰めていた所、ライダーは突然起き上がり、真剣な顔でウェイバーに訊ねた。不意打ち過ぎて、ウェイバーは呆けた声を出した。
「……え?」
「だから、アサシンを倒したサーヴァントだ。見ていたのであろう?」
「多分トオサカのサーヴァント……だと思う。姿恰好といい攻撃といい、やたら金ピカで派手な奴だった。兎も角一瞬の事で、何が何やら……」
「肝要なのはそっちだ。たわけ」
 ライダーはそう言うと、ウェイバーの額に思い切りデコピンをかました。あまりの衝撃にウェイバーは後方に勢いよく倒れ込む。
「きゃっ、ウェイバー!?」
 なんというデコピンだ。こんな衝撃的なデコピン、生まれて初めて見た。普通にグーで殴られるより凄いんじゃないか。優花梨は慌ててウェイバーの元に駆け寄った。額が真っ赤だ。最早ウェイバーは涙を浮かべている。こんなウェイバー、初めて見た。

 そんな瀕死状態のウェイバーを気に留める事もなく、ライダーは言葉を続ける。
「あのなぁ。余が戦うとすれば、それは勝ち残って生きている方であろうが。そっちを子細に観察せんでどうする?」
「……ッ。おい優花梨、オマエ何か知らないのかよ」
「む? 何か知っているのか? 小娘よ」
「ライダー。優花梨はトオサカの……なんつーか、親戚みたいなもんだ」
「ほほう?」

 ウェイバーの説明は全く違うのだが、とりあえずライダーは納得したようだ。だが、残念ながら二人の期待に添える様な事は言えない。
「……ごめんなさい。今回冬木に来てから、時臣様には一度も会ってないの。時計塔に帰れっていう指示は、時臣様の直弟子からの言伝で。そもそも、ウェイバーを追って来たのに、時臣様に会いに行くのもおかしな話だし…。だから時臣様のサーヴァントの事は、本当に何も分からないの。ごめんね」
 申し訳なさそうに眉を下げる優花梨。ウェイバーは落胆の表情を露にしたが、ライダーはフフンと鼻を鳴らすだけで咎めはしなかった。

「そもそも人に頼る事自体が間違っておるぞ、坊主。その金ピカだか何だかを見て、気になる様な事はなかったか?」
「うっ。そ、そんな事言ったって……」
 一瞬過ぎて、何が何だか本当にさっぱり分からなかった。だから優花梨に訊ねたのだ。だが、優花梨は本当に何も分からない様だ。
 ウェイバーは先程、使い魔を通して見た出来事を思い返す。遠坂のサーヴァントの宝具によってアサシンが殺されたのは察しがつくが、その武具は、雨の様に降り注いだと言っても過言ではない程の数だった。

「……なぁライダー、サーヴァントの宝具って、普通は一つ限りだよな?」
「原則としてはな。時には二つ三つと宝具を揃えた破格の英霊もいる。例えばこのイスカンダルがそうである様に」
 ライダーの言葉に、優花梨は感嘆の声を漏らした。
「凄い…! やっぱりライダーって特別なサーヴァントなんですね」
「おい、余計な事言うな。褒めるとつけあがるぞ、コイツ」
 ウェイバーはライダーがこれ以上調子に乗るのを止めるべく、優花梨に横手でツッコミを入れた。

「まぁ、宝具を数で捉えようとするのは意味がない。知っておろうが、宝具というのは、その英霊に纏わるとりわけ有名な故事や逸話が具現化したものであって、必ずしも武器の形を取るとは限らない。“ひとつの宝具”という言葉が意味するのは、文字通り一個の武器かもしれないし、あるいはひとつの特殊能力、一種類の攻撃手段、といった場合もある」
「……じゃあ、剣を10本も20本も投げ付ける宝具っていうのも、アリか?」
「無数に分裂する剣、か。ふむ、有り得るな。それは単一の宝具として定義し得る能力だ」

 優花梨はライダーとウェイバーの遣り取りを真剣に聞いていた。時臣の召喚したサーヴァントもまた、とてつもない英霊の様だ。剣を10本も20本も投げ付ける? 無数に分裂する剣? 一体どんな英霊なのだろうか。ふとウェイバーを見ると、ライダーの認識は違うとでも言いたげな、渋い顔をしていた。

「まぁ良いわ。敵の正体なぞは、いずれ相見えた時に知れる事」
 ライダーはそう言うと、笑いながらウェイバーの背中を思い切り叩いた。今度はベッドに叩き付けられ、全力で咽るウェイバー。ライダーに悪気がないのは分かったが、これでは別の意味でウェイバーの命が危ない気がして来た。優花梨はとりあえず、咽るウェイバーの背中を撫でた。
 最早優花梨の手を払う気力もなく、ウェイバーは痛みのあまり泣きそうな顔で、ライダーに訊ねた。
「そ、そんなんでいいのかよ!?」
「良い。寧ろ心が躍る! 食事にセックス、眠りに戦――何事についても存分に愉しみ抜く。それが人生の秘訣であろう?」

 ライダーの放言に、ウェイバーは閉口した。――そのうち2つは経験した事がないからだ。何とも言い難い微妙な表情をするウェイバーを見て、優花梨は恐る恐る訊ねた。
「ねえ、ウェイバー」
「何だよ」
「あのさ、私達、食事と眠りはするよね。戦はした事がないとして、セ……いや、ごめんね、何でもない」
「もうオマエは黙ってろ」
 優花梨の言わんとしたい事は分かった。ウェイバーとて男である。自身が童貞である事は、何としてでも隠したいのが男のサガである。聞いてくる方も女としてどうかと思うが、ここは一般常識のない優花梨なので致し方ない。ずばり聞いて来ないで躊躇しただけでも、招聘時と比べて大いに成長したと捉えて良いだろう。当時の優花梨なら何の恥じらいもなく訊ねて来たとしても、驚く事ではない。

 そんなウェイバーの胸中など知らず、ライダーは大きく伸びをして言った。
「さぁ、ではそろそろ外に楽しみを求めてみようか。出陣だ坊主。支度せい」
「しゅ、出陣って……何処へ?」
「何処か適当に、そこいら辺へ」
「ふざけるなよ!!」
 適当な事を言うライダーにウェイバーは怒ってみせた。サーヴァントとしての能力は兎も角、こんな性格の『王』を召喚してしまったウェイバーの気苦労を思うと、優花梨は同情せずにはいられなかった。

「トオサカの居城を見張っていたのは貴様だけではあるまい。となれば、アサシンの死も既に知れ渡っていよう。これで、闇討ちを用心して動きあぐねていた連中が一斉に行動を起こす。其奴らを見つけた端から狩ってゆく」
「見つけて狩る、って……そんな事簡単に言うけどな……」
「余はライダー。こと“脚”に関しては他のサーヴァントより優位におるぞ?」
 ライダーはそう言うと、腰から剣を抜き、宝具を呼び出そうとした。
「待て待て待て! ここじゃまずい! 家が吹っ飛ぶ!!」
 全力で止めるウェイバーを見て、その宝具を見てみたかった、と内心思った優花梨であった。


「で、結局オマエは何しに来たんだ」
 ウェイバーに当初の目的を訊ねられ、優花梨は閉口した。
 この英霊を前にして、サーヴァントが負けるだけならマスターは死なずに済む、なんて言える訳がなかった。
 優花梨は辛うじて笑みを浮かべて、頭が真っ白になったまま、答えた。
「昨日の事、謝りに来たの。ごめんなさい」
「なんだ…。別に怒ってないよ」
「そっか、良かった」
 そして、ぎこちない雰囲気になる二人。ウェイバーは昨日ライダーが放った言葉を思い出した。

『此処で一緒に暮らせば良かろうに』

 そうは言っても、これは戦争だ。彼女は無関係だ。だからこそ、遠坂時臣も彼女を危険な目に遭わせない為、英国に帰るよう命じたのだろう。
 ならば、自分のすべき事は決まっている。引き留める事ではない。冬木から優花梨を逃がすのだ。

「明日、帰るんだろ? 見送りは…出来そうもない。ごめん」
「えっ、あ……いいよ、別に。ウェイバーが生きて戻って来てくれれば、私はそれでいい」
「ああ、必ず生きて帰るから」
「……絶対だよ」
 優花梨はそう言うと、小指を差し出して来た。ウェイバーが首を傾げると、優花梨は悲しそうな微笑を浮かべて言った。
「日本の文化。約束事をする時はね、小指を絡め合わせるの」
 ウェイバーはとりあえず優花梨の言う通り、優花梨の小指に自分の小指を絡めた。すると、突然優花梨が歌い出す。
「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ーます! 指切った!」
「……は?」
 ぽかんとするウェイバーを他所に、優花梨は愛おしげにウェイバーの手を見ながら小指を放した。

「ライダー、ウェイバーをよろしくお願いします」
「おう、任せておけ。余も現界した以上、必ず勝ち進んで見せようぞ。坊主の願いは兎も角、聖杯は必ず我らの手に納めてみせよう」
 深々と頭を下げる優花梨に、ライダーは己の胸を叩いて笑顔で言い放ってみせた。
 優花梨はライダーによって投げ捨てられた靴を拾い、窓の縁に立ち靴を履き、二人へ向き直った。

「ウェイバー、生きて。絶対に生き残って」

「……ああ。言われなくても生き残ってみせる」
 ウェイバーがそう言うと、優花梨は悲しそうに笑って、背中を向けて夜空を飛び立っていった。


「……坊主」
「いいんだ、これで。優花梨は聖杯戦争とは無関係だ。アイツはボクに死んで欲しくないって言うけどな、ボクだって優花梨には死んで欲しくないんだ」
「我らで守ってやれば良かろうに」
「ボクは自分の事で精一杯だ」
「全く、うだつの上がらないマスターだのう」
「うるさい!!」
 ライダーに痛い所を突かれてウェイバーは怒鳴ったが、再び優花梨と会った事で、尚更劣等感を覚えたのは事実だった。何が何でも、聖杯戦争に勝利してみせる。厄介なアサシンは脱落した。後はキャスターの正体を暴くのみ――ウェイバーは己の令呪を見つめ、勝利を誓った。

2014/12/08


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