ハリポタ 僕らの時代 | ナノ
●(最終話3)
「
……」
口を開くけれど、ヒュッという空気が抜ける音しかしなくて声は出ない。
サラザールの笑い声が頭の中で響き渡った。
『愚か者。貴様の身体なぞ、もうすでに奪っておるわ』
そんな。
そんな、馬鹿な。
いや、本当は気付いていた。
蛇語が話せる時点で、喉はサラザールに支配されているのではないかと思っていた。
このままでは、身体が支配される。
視界も闇に染まる。
魂が握り潰される。
このままでは駄目だ
意識が霞む
覚
束無い足取りのままナチは視界が見えていないにも関わらず、まるで見えているとでも云うようにポケットに入れたサバイバルナイフを手にした。
ぐらぐらと揺らぐナチの身体。
口を動かしても声は出ない。
ナチは自分の耳の上辺りにナイフの刃先を当てた。
身体を奪われるくらいなら、心中をしようというのだ。
声は出ないから死の呪文は唱えられない。
首を切ろうと出血は止血されたら意味が無い。
その為に、一発で絶命できる急所を刺すつもりなのだ。
揺らぐ身体で、足を擦りながらナチは秘密の部屋に入る穴を探る。
そして自分の立ち位置を理解したのか、声を発する事も無い口の端を少し上げた。
そして、ナイフを勢い良く、急所に突き刺した。
ナチの身体はナイフを刺した状態のまま、倒れる。
倒れる方向は予め定められていたのか、ナチの身体は秘密の部屋へ通じる深い穴の中へと吸い込まれていった。
それを確認したかのようなタイミングで、秘密の部屋の入り口は口を閉ざす。
元の状態になった空間。
そこには、ナチが脱ぎ捨てていたセーターと透明マントがあるだけとなった。
暫くして、ダンブルドアがその空間に現われた、隅に置かれたセーターと透明マントを手に取って洗面台を見る。
「……ナチ」
静まり返った空間に声が反響する。
ダンブルドアはナチの遺品を抱え、その場を去った。
新年を迎えて新聞の一面を賑わせたのは、ナチ・サハラの失踪事件だった。
リドルもそれには流石に驚いたようで、新聞に食い付いた。
また、最後にナチを見た人として聴取まで受ける事になった。
しかしリドルは眠らされた為に細かい事は知らない。
周りの者も最近のナチの行動が怪しかったと証言した為、リドルは早々に解放された。
「ナチの奴、何処に行ったんだろうな」
ナチの友人であり、リドルの友人でもある者が言った。
リドルは知らないとしか答えられず、それに悔しさを感じているようで唇を噛む。
昨日の行動や、それまでの行動から、何かを予感出来たはずだ。そうリドルは思っているのだ。
誰もナチの行き先を知らない。
居なくなる数日前から、ナチが何かおかしいと分かっていたのに。
昨日、強制的にリドルを眠らせたナチ。
リドルはそれに腹を立てたが、今朝ナチが消えたと知って事件性を考えずにいられないのだ。
リドルは不安でならなかった。
ナチに腹を立てたし、大嫌いだとも思った。
けれど、やはりナチを心の底から嫌いになれないので、ナチが心配でならないのだ。
一人で歩いていると、以前ナチと共に歩いていた通路に辿り着く。
そこは、雪にはしゃいだナチが箒を呼び寄せた場所だった。
魔法史の授業をサボって遊んだ事を思い出したリドルは、口を一文字に結んで眉根を寄せた。
窓ガラスに爪を立てて、力を入れ過ぎて指先が白くなる。
外は曇天で、吹雪いていた。
→
最
期の抵抗を試みようとナチが騒いでいるが、それはまるで稚児が手足を動かすのと何ら変わらない。
私の手中にあるナチの魂。
「貴様との時間は、なかなか有意義であった」
ナチの魂が騒ぐ。
どうやら、まだ聴覚があったようだ。
強い魂だ、失うには惜しい。
しかし、敵となれば邪魔なだけだ。今の内に仕留めよう。
ナチの魂を握り潰す。
これで良かろう。
まずは、サハラ家に行くか。
ナチは財力も地位もある。
そこでまずは地固めをするのが良かろう。
地固めをして、勢力を作れば後は容易だ。
私が望む、純血のみの世界を作り上げよう。
下賤な血を紛れ込ませるなど、笑止。
愚かな事は望まぬ。
懐かしい建物を抜け、サハラ家へと行く為に馬車が待つ外へと向かう。
「ナチ」
途中、まるで私が此処を通ると知っていたかのように佇む男が声を掛けてきた。
憎きグリフィンドールの寮を守る、ダンブルドアと云う男だ。
ナチの私生活にもだいぶ関わっていた男。
抜け目が無いのでも知っている。
「何でしょうか」
話せばボロが出るだろう。
今、この身体が私の物になっていると気付かれては支障をきたす。
私はナチ・サハラの財力と地位が欲しいのだ。
気付かれるような素振りはしないでおこう。
「何処に行っておった」
「校舎を見て回りたくて」
「そうか」
ダンブルドアの隣を抜ける。
その時、ダンブルドアがこちらを見る目が細められていた。
探るような視線。
この男は何処まで理解しているのか。
しかしこの男は確証を持っていないのだから、私を尋問する事も出来まい。
ナチの卒業証書を受け取って、馬車に乗り込む。
座った時、ズボンのポケットに違和感を覚えた。
中を探れば、サバイバルナイフと封筒。
「ふ……はは、はははははっ!」
愚かな子だ。
手紙を燃やす。
炭すら残らない業火で焼いてやろう。
サバイバルナイフは窓から投げ捨てる。
こんなマグルの品など要らぬ。
さあ、この自由に動く身体で、手始めにナチの父親を殺そう。
そうすれば、私がサハラ家の統領になるのだから。
***
新年の新聞には、ナチが一年早く卒業した事が書かれていた。
それを読んだ僕の心は驚くほど冷めていた。
彼は僕の友達ではない。
そう思ったから正直どうでも良かった。
だから新聞をろくに読まなかった。
けれど周りはそうはいかない。
「トム君!トム君!」
一月経った時、僕の部屋のパートナーが新聞を持って部屋に駆け込んできた。
「何?」
読んでいた本を閉じる。
パートナーは僕に新聞記事を見せてきた。
「ナチ君のお父さんが衰弱死して、ナチ君が家を継いだって」
「ナチの父親が?」
良かったじゃないか、ナチは父親が嫌いだったのだから。
読むつもりが無いからはねのけようとしたけれど、良いから読んで!と新聞を渡される。
新聞記事の真ん中に、ナチの写真。
ナチはインタビューに答えているらしく、俯き加減で話していた。
その表情はわざとらしい。
ナチは父親と仲が悪いのだから、死んで良かったと思っているくせに演技なんてするなよ。
そう思って眺めていると、ナチがこちらを見た。
にこりと笑うナチ。
その表情に、背筋がぞっとする。
写真の中のナチはまたすぐにインタビューに戻った。
何だ、今の感覚は。
ナチが笑った。ただそれだけなのに、何でこんなにぞっとしたんだ。
目を細めて、口の端を僅かに上げる笑い方。
それに恐怖を覚えた。
自分が獲物になったような気がした。
怖い。
今のは何だったのだろう。
僕が何でナチにこんな恐怖を覚えなくちゃいけないんだ。
「トム君?」
名前を呼ばれて、ハッとする。
パートナーは心配したみたいで、僕を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「うん」
寒くて、腕を擦る。
この不安は、何なのだろう。
卒業式にナチが来ると知ったのは、卒業式の前日だった。
「ナチ、OBとして来るらしいぜ」
「今じゃサハラ家当主だもんな、適わねぇなぁ」
周りはナチに会えたら何を言うかという話をしている。
「なぁリドル」
「え?」
「リドルは何を言う?」
「僕は別に、何も」
言うことはない。
それ以上に、一年以上前のナチの写真が忘れられないのだ。
あの表情は何なのだろう。
ナチに会いたくない。
会うのが怖い。
そんな思いが胸に生まれて、訳が分からない。
何で僕が恐がらなくちゃならないんだ、相手はナチなのに。
「あーあ、今日で学校とさよならか。七年間過ごしていたから、変な気分だよな」
「我が家よりも我が家って感じだもんね」
その言葉には、同意する。
確かにホグワーツは我が家みたいなものだ。
孤児の僕にとっては、本当の意味で我が家だろう。
「その点トムは良いよな。教師になるんだから学校にまだ居られるんだし」
「凄いよなー、若い教師なんて今まで居なかったのに」
「後輩の女子はおおはしゃぎよ」
突然会話に参入してきたのは、いつだったか、姦しい三人の女子達。
「羨ましいよねー。私もトム君の授業受けたかったなー」
「トム君が教師になるって分かってたら留年していたわ」
「トム君モッテモテー」
周りの男まで冷やかしを言い出す始末。
僕は学校を卒業すると同時にホグワーツ魔法学校の教師になる。
闇の魔術に対する防衛術の教師だ。
ダンブルドア先生の口添えがあったおかげで、教師になれた。
ナチは僕に教師になれると言って、事実、教師になった。
では、ナチはどうなったのだろう。
ナチはヒーローになりたいと言っていたけれど、ヒーローはあんな笑い方はしない。
ナチ、君はヒーローになれなかったの?
卒業式は厳粛に行われた。
ナチはOBとして壇上に上がり、流暢な口振りで祝辞を述べた。
その表情は以前に比べて落ち着いていて、一年半の時の流れを知る。
髪型も今はオールバックにしているから大人に見えるのかもしれない。
式を終えると誰もがナチに近付いた。
ナチは笑顔を見せて、話をする。
その動き一つ一つが、舞台の上の人を見ているみたいで違和感が胸に生まれる。
この一年半で君に何があったの?
何でそんな作り物の笑い方をするの?
ナチが僕を見た。
その瞳に、心臓が凍る感じがした。
ただ見られただけなのに、目が合っただけなのに、心臓が潰されるような感覚。
「リドル、久しぶりだね。元気にしていた?」
ナチが近付いてきて、笑みを向けてくる。
その笑顔が怖い。
ナチが、怖い。
「顔色が悪いね、体調が悪いんじゃない?」
僕の顔に触れようとしたナチ。
思わずその手を避ける。
「リドル?」
「僕に、触るな」
ナチはちょっと驚いた顔をして、それから声を出して笑った。
周りが僕達を見る。
ナチが笑って、僕は笑わない。
僕の部屋のパートナーが心配そうに手をこまねいているのが視界の端に入った。
「何?どうしたの?本当に今日は調子が悪いみたいだね」
ナチは僕の腕を掴む。
その手の冷たさにぞっとした。
「外の空気を吸おう」
ナチは僕を式場から引っ張り出す。
嫌だと抗がう事が出来なくて、僕はナチと共に式場から出た。
野原を歩いて、暴れ柳の近くに来る。
ナチ、と容易に名が呼べない。
怖い。
「何で、ナチがこんなに怖いんだ」
歩みを止めたナチが言う。
クツクツと、喉に引っ掛かる笑い方。
振り返らないナチ。
その表情は見て取れなくて、余計に怖い。
「ナチ?」
「まだ私をナチだと思っているのか」
ナチは僕の腕を離す。
そして、振り返った。
オールバックのせいで髪に邪魔をされずにいる瞳。
その瞳の色に、驚いた。
深紅の瞳。
僕と同じ色のそれが、僕を見ている。
咄嗟に杖を構えると、ナチも優雅に杖を構えた。
「誰だ」
「私の末裔ともあろう者がここまで愚鈍とは、嘆かわしい」
その言葉に驚愕する。
僕に両親は居ない。
けれど、遠い祖先は知っている。
「サラザール」
「漸く気付いたか」
ナチの姿をしたサラザールはクツクツと笑った。
何でサラザールがナチの姿をしているんだ。
ナチは何処にいる。
「ナチをどうした!」
「一つの肉体に二つの魂は要らないだろう?」
その言葉に、ナチの魂がこの肉体に無いのだと知る。
ナチが。
どうして。
「ナチを返せ!」
「肉体だけで良いならば、返してやろう」
「ふざけるな!」
「ふざけてなどおらぬよ。肉体だけでも返してやるだけ、有り難く思っていただきたい」
本当ならば、灰となるのだからとサラザールは言った。
目の前にあるナチの身体が灰になるのを想像して、悪寒が走る。
何でナチがこんな状況になっているんだ。
ヒーローになりたいって言っていたくせに。
まさか、ナチはヒーローになろうと思ってサラザールと戦ったの?
それで負けて、今の状態になったって事?
どうして一人で挑んでいるんだよ。
「何故貴様を此処に連れてきたか、分かるか?」
「僕を殺す為だろう?」
「半分は正解で、半分はハズレだ」
サラザールは手袋の中指を噛んで、手袋を外した。
現われた手には、紫の痣が斑にあって驚く。
「私の血を引かぬ肉体だからか、拒絶反応が現われた」
当たり前だ、その身体はナチのなのだから。
ナチの身体が他人の器になるはずが無いんだよ。
「その点、貴様の肉体は半分は汚れた血であるが、我が血筋の物だ。私の器には良かろう」
「僕の身体を乗っ取るって事?」
「その通りだ」
無駄話はもう良かろう。
そう言って、サラザールは杖を僕に向けた。
リドルは死んでも護る
護れない
さ
せ な い
どこかで、聞き慣れた声が聞こえた。
『リドル、目を閉じるな』
杖を握った右手に触れる温かな空気。
見れば半透明の手が僕の右手に添えられていた。
驚いて隣を見れば、半透明のナチ。
「ナチ」
『お喋りは後。前を見て』
前を見る。
すると、不思議な事が起きていた。
サラザールが持つ杖と僕が持つ杖が、光線で繋がっている。
『大丈夫、僕がついてる』
「どうすれば」
『気を強く持って。二人で力を合わせれば、サラザールにだって勝てる』
ナチは僕の手に手を添える。
すると、こちらの勢力が強くなった。
『その調子』
「でもこのままじゃ、ナチの身体が」
『僕の身体はもう保たない。だから、サラザールごと消してしまおう』
ナチを見ると、ナチは笑った。
その笑顔は見慣れたもので、安心する。
「何故貴様がいる!」
サラザールが叫ぶとナチは笑った。
『ただで死ぬと思わない事だね。さあ、リドル仕上げだ。いくよ!』
魔法に集中する。
するとサラザールの悲鳴が上がった。
光線が散って、世界が真っ白になる。
チカチカする視界。
目を開けると、前には何も無い。
ただナチの身体が纏っていた服と杖があるだけ。
後は草原が広がっているだけだ。
『勝ったね』
ナチの声に、横を向く。
半透明なナチがそこには居た。
白いワイシャツにスリザリン寮のネクタイを締めた制服姿。
顔はさっき見たのよりも幼い。
一年半前の格好のままだ。
「ナチ?」
『久しぶり、そして卒業おめでとう、リドル』
ナチはいつも通りの口調でそう言った。
半透明でなければ、ありがとうと返して終わりだろう。
「ナチ、死んでるの?」
『そうだよ。ほとんど首なしニックや血みどろ男爵と同じ存在』
さらりと言ってのけるナチ。
まるで『朝食?食べたよ』と言うような調子だ。
「何で死んでるの?」
『サラザールに負けたから。まぁ、今勝ったけど』
「死んじゃったの?」
『うん』
さらりと言ってのけられた言葉。
ナチが死んだ。
その事実が受け入れられない。
だってナチは目の前に居るんだ。
半透明だけれどナチは生きているみたいに思えてしまう。
風を受けてさわさわと動く草に対してナチの髪は動かないし、服も裾が揺れたりしない。
何で。
どうして君が死ななくちゃいけなかったのさ。
ナチは笑って、毎日を楽しんでいたのに。
『泣かないでよ、リドル』
「無茶言うな」
ナチは僕の頭を撫でようとして、触れられない事に気付いて手を戸惑わせた。
そのナチらしくない行動に、悲しくなる。
僕はこんな事、望んではいなかったのに。
確かに魔法を掛けられた時はナチを恨んだし大嫌いだと思った。
でもやっぱり嫌いにはなれなかった。
だから、今日はナチが魔法を掛けたのはちょっとした悪戯だったのだと笑って謝罪を言ってくれれば、僕は不貞腐れるけれど許した。
人より早く卒業するのを誰にも知られたくなかったから眠らせたのだと釈明してくれたら、僕は怒りながらも頷いた。
あの新聞で見たナチの笑みが、僕の見間違いだと分かればそれだけで安心したのに。
なんで、こんな結末なんだ。
何でナチが死ななくちゃならなかったんだよ。
『あぁ、人が来たね』
ナチが学校の方を見た。
そこには、ダンブルドア先生。
僕は慌てて涙を袖で拭った。
「ナチ……」
ナチの幽霊の姿にダンブルドア先生は驚かなかった。
まるで総てを知っていたかのように。
事実、総てを知っていたのかもしれない。
ナチはこうなった経緯を話す。
大晦日の数日前から、サラザールの存在が自分に干渉して来ていると気付いた事。
大晦日にサラザールに挑み、負けて身体を奪われた事。
けれどナチの身体はサラザールの魂に合わず、拒絶反応を起こしてボロボロになっていた事。
そして今、サラザールは新しい器に僕を選んだ事。
『ダンブルドア先生はご存知でしょうが、リドルはサラザールの末裔です。だから、リドルの身体を狙ったのでしょう』
「なるほど。しかしその目論みは潰えたと」
『えぇ、僕の身体と共にサラザールの魂は灰になりました』
ナチは自分の身体が元あった場所を見る。
そこには、衣服と杖しかない。
ダンブルドア先生はこの事を皆に伝えなくてはと言って、城へと戻っていった。
僕とナチを二人きりにするための嘘だとすぐに分かったけれど、その嘘は優しくて、嫌ではない。
きっとダンブルドア先生は僕の目が泣いたせいで赤いのにも気付いただろう。
『そう言えばリドル、仕事何にしたの?』
「教師。闇の魔術に対する防衛術のだよ」
ナチは僕の言葉に本当に喜んで、音の無い拍手をしてみせた。
『おめでとう。凄いね』
「凄くはないよ」
『謙遜は良くないよ、リドル』
良かったね、とナチは笑う。
断たれたナチの未来。
でもね、ナチ。
君は、なれたよ。
「ナチはヒーローになれたね」
『え?』
キョトンとしたナチ。
その表情に、口の端がゆるむ。
「ナチが居なかったら僕はサラザールに勝てなかった。僕の身体をサラザールが乗っ取ったら闇の世界の始まりだ。それを食い止めたナチはヒーローだよ」
ナチがポカンとした表情で居るから、僕は笑う。
少し遅れてからナチは漸くハッとして、僕と一緒に笑った。
ナチは幽霊だけど、その目尻に涙が浮かんだのを僕は見た。
* * *
時間軸から完全に離脱した僕にとって、時の流れは驚くほどに速い。
リドルが初めて教壇に立った日に教室に居た生徒が今や社会人だし、誰かの親になっていたりするのだから驚きだ。
しかも僕がボグワーツの幽霊になっているのだから、信じられない。
「おーい!ナチー!」
湖を眺めていると、後ろから名前を呼ばれる。
声変わり前のボーイソプラノ。
やっぱり来たかという気持ちで笑いそうになるのを堪えて、僕はジェームズを見た。
丸縁眼鏡のジェームズは、癖毛を跳ねさせながら僕に走り寄ってくる。
「リリー見なかった?」
『見てないよ』
「こっちに来たと思ったんだけどなぁ」
『まだリリーを追い掛けてるんだ。あんまりしつこいと嫌われるよ?』
「煩いな!僕はリリーが好きなんだ!」
『恋は駆け引き。押してばかりじゃ相手は逃げちゃうよ』
ジェームズは口を尖らせる。
でも事実だ。
恋愛するならちゃんと駆け引きをしなくちゃ。
相手に押しつけるだけじゃ相手は逃げてしまう。
好きな人は振り向かせるようにしなくちゃね。
ジェームズは大地に座り込んで、立っている僕を見上げた。
そう見上げてこないでよ。分かってるよ、僕も座るよ。
「ナチは好きな人をどうやって振り向かせたの?」
『へ?』
「だから!ナチだって生きていた時に恋愛しただろ?」
言われて、三十年くらい昔の事を思い出すけれど……まともな恋はしていない。
というか、今の今まで恋愛と無縁な枯れた生き方をしている。
生きていた時は女性から好意を向けられたけれど、家名や何やで好意を持たれるのが嫌で全部はねのけていた。
どうやれば相手を上手く操れるかで、相手に好意を持っているふりはしていたけれど。
相手の好意を利用するなんて事もしていたな。
あれ?こうやって思うと、昔の僕って嫌な奴だ。
「どうなんだ?」
『えーっと……』
流石にいなかったとは言いづらくて黙っていると、ジェームズは急にハッとして、僕を見た。
「相手が自分を好きになってくれたから、好きになってもらう努力をした事が無いとか言うなよ!」
『ジェームズの中で僕ってどんなキャラ?』
「女たらし」
何で、と問えば、だって!と言われる。
「リリーがナチに花を貰ったって喜んでたんだ!しかも、すっごく嬉しそうだった!」
『花?ああ……』
ジェームズに追い掛けられて疲れたリリーを花畑に連れていったのはつい先日。
その花畑は死んでからの僕の趣味で、魔法で開墾したりして作ったものだ。
僕は死んだけれど、勤勉なリドルのおかげで魔法を使える。
リドルは僕に少しでも生きていた時と同じになって欲しいと言って、僕の魔力を生きていた頃と同等にする方法を編み出した。
おかげで魔法は生きていた時と同じ感覚で使える。
むしろ、生きていた時よりも使い易いというべきかな。
杖を必要とせずに、指先で魔法を使えるのだから。
そんな訳で魔法を使える僕は、花畑や菜園を作っている。
そこにリリーを連れていったら、とても喜ばれた。
プレゼントにと、百合の花をプレゼントしたんだっけ。
『フレンドリーな付き合いだよ。何も恋愛対象者として優しくしたんじゃない』
「フェミニスト」
『君達より年寄りだからね。そういう生き方が当たり前だったんだよ』
「……」
ジェームズはむくれた。
こうも不器用だと、心配になるよ。
『リリーが好きなんでしょ?』
「そうだよ」
『なら、リリーが喜ぶ事をしなよ。彼女は力を誇示したところで喜ばないよ』
ジェームズは口を尖らせた。
まるで子供だ。
否、事実、子供なのだけれど。
リリーは理性的な人がタイプで、ちょっと夢見がちな恋愛が好みだろう。
対してジェームズは力で強さを見せ付けて格好良いと言われたいタイプだ。
まったく真逆なんだよね。
「ナチって本当にスリザリン出身?」
急な問い掛け。
『そうだよ。リドルもね』
「なんか信じられないや。パパやママは、スリザリンはグリフィンドールと仲が悪いって言ってたから」
『今もまだ少し仲が悪い部分はあるよ』
「でも、ナチは僕と話すし、他の寮の人とも話すじゃないか」
『だって寮でその人のすべてが決まる訳じゃないでしょ』
グリフィンドールって一言で纏めてもシリウスやピーターのような対照的な人間もいるわけだし。
鐘が鳴るとジェームズが立ち上がった。
授業なのだろう。
「ありがとね、ナチ」
『相談はタダだから、いくらでもおいで』
ちゃんと感謝を言える事が一番大切だ。
高慢だと思われがちなジェームズも、ちゃんと感謝の気持ちを表現出来る。
ジェームズは丘を上って、校舎へと姿を消した。
僕は花畑へ向かう。
じきに実りの季節だからだろう、菜園の方には花が咲いていた。
花畑から淡い色合いの花を摘んでリドルの自室の窓へ向かう。
中を見れば、ソファに深々と腰を下ろして読書中のリドル。
窓を魔法で勝手に開けると、リドルがこちらを見た。
『ただいま』
「窓から帰ってくるなといつも言っているだろうに」
リドルは溜め息を吐いて、まったく、と言う。
そう言いながらも、僕がいない時はいつでも窓から帰ってこられるように、窓の鍵を締めないのだから優しい。
その優しさに、甘えてしまう。
『疲れてる?』
「別に、疲れてはいないよ」
そう言いながらも、目頭を押さえている。
疲れているじゃないか。
リドルのデスクに花瓶を置いて、水を入れてから花を飾る。
リドルは花をちらりと見て、今回は何の花だい?と聞いてきた。
『アイスランドポピーとカスミソウ。なかなか可愛いでしょ』
「花を愛でる趣味は無いね」
『手厳しい』
リドルにピッタリな花だと思うのだけど。
『さっきまでジェームズと話してたんだ』
「またリリーの追っかけだろ?彼も大概飽きないものだね」
リドルは呆れているのを隠しもしない口調で言ってのける。
確かにあの頑張りっぷりは呆れを通り越して敬意に、敬意も通り越して呆れるものだ。
けれど、あそこまで人を好きになれるのは素敵だと思う。
僕には出来ない事だ。
『ねぇリドル。リドルの初恋っていつ?』
「はあ?」
素っ頓狂な声。
それもそうか。
僕もリドルも色恋沙汰の話は互いにしなかった。
リドルは僕の記憶にある限り、恋をしていない。
でも、もしかしたら好きな人がいたのではないかと思っている訳で。
死んだ僕に遠慮して恋人を作らないとかは無しだと言ってはいるけれど、リドルの事だから気を使っていそうな気もしないわけだ。
『どうなの?』
四十半ばの男にするような話題でもないけれど、聞けばリドルは紅い瞳で僕を一別して、あっさりとこう言った。
「恋した事は無いね」
『枯れてるなぁ』
「そう言うナチはどうなんだい?」
『僕も枯れてるよ』
「何だ、つまらない」
あれ?僕が誰かに恋してるって期待していたの?
『僕達の時代って今程自由恋愛では無かったし』
「確かにね」
リドルはあっさり肯定。
肩書きやらなんやらが昔は人を拘束していたから不思議だ。
今はだいぶそれが緩和されて、誰が誰を好きになっても良い状態になった。
「今の時代は変わったよ」
『そうだね。寮同士のいがみ合いも昔に比べたら無くなったし。リドルのおかげでしょ』
「は?何で僕なんだい?」
『誰にでも平等な先生だからね。大人が自分の寮を優位にしちゃうと、他寮はその寮を嫌いになって溝が生じるんだよ』
「僕は勉強が出来るかどうかで見てるだけだよ」
『まーたまた、照れ隠ししちゃって』
「煩いな」
本当に照れ隠しがヘタだね。
リドルが僕を睨んでくるから、笑みを向ければ呆れたような顔。
『今のリドルは昔のダンブルドア先生みたいだ』
「じゃあ僕は次期校長かな」
『そうなるね』
リドルはポピーを見て、指先で花弁を撫でた。
その表情は、花を愛でる趣味は無いと言いながらも愛情に満ちていて、僕の心を充足する。
こうして、僕のメモリーは更新されるのだ。
僕達の学生時代は終わったけれど、リドルが生きている限り、僕らの時代は続いてゆく。
→
魔
法が放たれる。
リドルは抗う事も出来ずに、その魔法を受け止めた。
リドルの身体が傾く。
するとナチの身体から煙が発生して、リドルの身体に突進した。
ナチの身体は煙が完全に離脱すると、灰になって大地に崩れる。
風が吹くと灰が動いて、ナチの亡骸は拡散して消えた。
リドルの身体は煙をすべて飲み込む。
すると、倒れる寸でで足に力を入れて立った姿勢を保った。
「くっ、くく、はははははっ!」
リドルは声高に笑う。
その笑みはニヒルで、今までのリドルとはまったく異なる。
リドルは笑みを殺して、前を見た。
ナチの残骸として残る服。
リドルは杖を向けて、何事かを呟く。
するとナチの服は身体と同じように灰になって消えた。
今この時、リドルは闇の帝王となった。
そして名を轟かせるのだ。
ヴォルデモートとして。
→
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