ハリポタ 僕らの時代 | ナノ
●(最終話2)
『やめろ!』
「エクスパルソ!」
脇の下から肩に向けて、激痛が走る。
それでも目は閉じない。
サラザールが住む僕の腕は、爆発の威力のせいだろう、一度上に飛んで黒い液体を巻き散らす。
スローモーションで見ているような気分だ。
握り締めていた拳は開くことなく、拳のままで落ちてゆく。
腕が飛ばした黒い液が顔に掛かった。
それは冷えた顔には熱くて。
空中で回転した腕は、重力によって洞穴へと吸い込まれてゆく。
そうだ。それで良い。
もう二度と、地上には現われるな。
永遠にその洞穴の中に居ろ。
「約束を忘れるな!」
僕は穴に向かって吠えた。
僕が勝てばリドルに手を出さない。
その約束を忘れるな。
声を出した途端、世界の時間感覚は正常に戻った。
暗闇に吸い込まれてゆく白い袖を纏った腕は、すぐにその姿を消す。
ぐらりと身体が傾く。
腕から溢れ出る血。
いきなりの痛みに眩暈がする。
これでは失血死だ。
「インセンディオ!」
杖の先に炎が出る。
治癒魔法でどうにかなるものではない。
焼いて、血管を締めなくては血は止まらない。
血が溢れ続ける肩に炎を押しつける。
サラザールに、腕に付けられた烙印と似た激痛。
痛い。
目を開いているはずなのに、暗転する。
駄目だ。
こんなところで意識を失う訳にはいかない。
まだやる事があるのだから。
ガコン、という音がする。
僕は秘密の部屋の入り口から離れる。
片腕を失ったからだろうか歩くのが難しく、平行感覚が保てなくて転ぶ。
ぶつかった床は冷たくて、意識が戻ってくる。
「……はは」
歯がカチカチと音を奏でる。
何も楽しくないのに笑いが止まらない。
涙も勝手に出てきて、惨めだと思った。
左腕で涙を拭う。
まだやる事があるのだから、ここで立ち止まるわけにはいかない。
これまでは序章に過ぎない。
ポケットから最後のポリジュースを出す。
気分が悪いのに気分が悪くなる物を飲むのか。そんな事が頭に浮かんだけれど、一気に飲む。
すると、右肩から右腕が生えてきた。
ポリジュースは失った物まで補えるのか。
でも、この方が都合は良い。
尤も、袖まで修復はしてくれなかったし、シャツは血塗れのままだけれど。
萎えた膝を庇いながら立ち上がる。
隅に放られたままのセーターを着て、透明マントも拾う。
振り返り見る。
そこには静寂と闇と、それから窓から射し込む僅かな月明かりが支配する世界。
もうここに用は無い。
廊下に出て、階段を下る。
二回踊り場を通過したところで、ダンブルドア先生が居た。
驚きよりも、納得。
ダンブルドア先生はやっぱり、すべて見透かしていたのだ。
そうでなくては、ここに居るはずが無い。
僕がここを通る事も、何をしてきたのかも分かっているのだろう。
この配慮のおかげで、ダンブルドア先生の部屋へ行く手間が省けた。
「ナチ」
「何でしょうか、ダンブルドア先生」
「最後の夜だからと徘徊するのは褒められた事ではない」
何も知らない教師としての発言は、少し滑稽だ。
的外れな発言に、高ぶっていた心が和む。
「済みません、名残惜しくて」
僕も話を合わせる。
ダンブルドア先生は、ほぅと息を吐いた。
「ナチ、最後の仕事は成功したかな?」
その言葉には、流石に面食らう。
けれど、これには答えなくてはいけない。
僕はダンブルドア先生の元へ行かなくてはと急いでいたのは、これを言う為なのだから。
「はい、先生。危機は去りました」
「そうか、良かった」
ダンブルドア先生は安堵の溜め息を吐く。
「でも、完全ではありません」
付け足すように言えば、ダンブルドア先生は髭を撫でる手を止めて、僕を見た。
その瞳はいつもの慈愛に満ちたものではなく、鷹が敵を見つけた時のような鋭いもの。
その瞳を見て、ダンブルドア先生もそういう人だったのかと思う。
この人はただ甘いだけではない。
戦う時は戦ってくれる。
そう、確信した。
「どういう事かな?」
「そのままの意味です。だから先生、お願いがあります」
先生は僕の頭に手を置いて、頭を撫でてきた。
人に頭を撫でられるなんて、いつぶりだろう。
変な感じだ。
親にも頭を撫でられた事はないのに。
「こんな老人で役に立てるならば、何でもしよう」
「ありがとう御座います」
僕はポケットに忍ばせていた手紙を出す。
「これを、リドルに渡して下さい」
ダンブルドア先生に内容を読まれるかもしれないという気持ちは少なからずある。
その為に、手紙の封はリドル以外には開けられない仕掛けをしておいた。
だから、大丈夫だ。
それにすべてを知っているだろうダンブルドア先生が、これを読んで何かをするとも思えない。
まぁ、ハグリッドを救う為に、これを証拠として出されたら終わりだけれど。
「手紙か。確かに受け取った」
「お願いします。それから、先生に預けている梟も、リドルにプレゼントしたいんです」
「梟を?」
「リドルが受け取ってくれたらで良いです」
「ふむ、分かった」
一呼吸を置く。
ここからが、本当の意味でのお願いだ。
「先生、お願いです。リドルを護って下さい。この学校に居る限り、闇はリドルに接触しようとする。闇からリドルを護って下さい」
サラザールがあの約束を守るとは思えない。
何百年と待った存在が目の前にいて、手を出さないはずが無い。
あの狡猾さだ、きっとリドルとの接触を計ろうとする。
それを防げるのは、ダンブルドア先生くらいだ。
「……ナチでは無理なのかな?」
それは僕を心の支えにして、リドルが闇に染まらないという事?
脳裏に、杖を向けた時、リドルがどんな気持ちだっただろうかという考えが浮かぶ。
きっと、裏切りだと思った。
裏切り者の僕がリドルの心の支えになれる訳が無い。
きっと嫌われた。憎まれた。
それで良い。
そう思っているのに、手紙で弁解しようとしている。
嗚呼、僕は何処までも愚かで最低だ。
こんな最低な奴がリドルの支えになれるはずが無い。
沈黙で悟ったのだろう、ダンブルドア先生は僕の髪をくしゃりと撫でた。
「出来る限りの事はしよう」
「ありがとう、御座います」
お願いだ。
リドルを闇に引きずり込まないで。
リドルは真っ白だからその分闇に染まりやすいけれど、リドルに闇は似合わない。
教師を志して、僕みたいな厄介な奴に付き合えて、気を遣ってくれる、凄く良い奴なんだ。
そんなリドルは、僕みたいに闇に足を突っ込んではいけない。
ダンブルドア先生は僕を正門へと導く。
もう迎えの馬車が来ているのだ。
荷物は午前中に出していたから、僕が馬車に乗るだけですべてが終わる。
「お世話になりました」
「卒業、おめでとう」
「ありがとう御座います」
頭を下げて、卒業証書を受け取る。
一年早く卒業。
案外、そのおかげですべてが上手くいったのかもしれない。
もう一年学校に居るとなれば、腕を切り落とすなんて荒技は出来なかっただろう。
それに、期間が短かったからここまで出来たのだと思う。
期間が長かったら自分の腕をなくさない方法を探して、無駄に時間を食い潰していたはずだ。
だから、ちょうど良かった。
卒業さえしてしまえば、腕を無くしても学校はとやかく言われないしね。
馬車に乗り込むと扉が閉められて、すぐに馬車は動きだした。
ガラス越しに見た世界は闇色。
目を閉じる。
柔らかい背もたれに身体を沈ませる。
僕は、ホグワーツを卒業した。
* * *
目が覚めたら、誰も居なかった。
部屋は片側だけが生活感があって、僕が寝ていたベッドの方は使用されていないとでもいうような状態。
片側の汚れ方は、ナチの部屋のパートナーの物だ。
じゃあ、このもぬけの殻は、ナチのもの?
そんなはずはない。
いくら部屋掃除をしているからといって、教科書やペン一本まで片付ける奴はいない。
最後に見たナチを思い出す。
僕に魔法を掛けたナチ。
すぐに意識が遠退いたところから、強制的な眠りに落とされたのだろう。
思い出して、胃がムカムカとする。
ふざけるな。
魔法を掛ける前に僕を大好きだとか言っていたくせに、騙すみたいに急に魔法を掛けて眠らせて。
最低だ。
大嫌いだ。
嘘吐き。
なのに、何でだよ。
大嫌いなんだから腹立つしムカつくはずなのに、何でこんなに胸が苦しくて悲しい気持ちにならなくちゃいけないんだ!
悔しくて悲しくて、ベッドに拳を叩きつける。
ボフンとスプリングが軋むだけで、余計虚しくなった。
畜生。
馬鹿野郎。
僕の事が嫌いだったなら、そう言えば良いんだ。
なのに良い人面して、仲の良いふりして。
そんなに僕が哀れだったわけ?
友達でいてあげようって、そう思って僕の傍に居たわけ?
冗談じゃないよ。
僕はそんな可哀想な人間じゃない。
ナチが友達になってくれなくても、平気だ。
友達なんていらない。そう思って入学したのだから。
訳が分からない。
この五年間は何だったんだ?
一緒に食事して、一緒に授業受けて、たまに悪ふざけして……あれもこれも全部、全部が演技だったの?
ナチが分からない。
何で僕の前でまで演技するんだよ、する必要ないじゃないか。
演技をしてまで仲良くするくらいなら、仲良くならなくて良かった。
友達になんてならなくて良かった。
悔しくて悲しくて苦しくて痛くて、息が詰まりそうだ。
こういう時に大丈夫だよって、いつも言ってくれていたくせに。
何で此処は君の部屋なのに、君が居ないんだよ。
ナチの部屋に居るのが嫌で、ナチの部屋を出る。
談話室の方からは雑多な笑い声。
ナチはあそこに交ざっているのだろうか。
そんなに僕と一緒に居たくなかったの?
眠らせて遠退けたいくらいに?
だから昨日も、僕を拒絶したのか?
違う、それだと現状と合わない。
ナチの部屋はもぬけの殻だった。
そんな事をする理由と、僕を拒絶する理由が合わない。
ナチはきっと談話室には居ない。
じゃあ、何処に行った?
「あ、居た居た。おーいトム、そろそろ年越しだぞ」
わざわざ僕を迎えに来たのだろう、昨日も僕の様子を見に来た奴がこちらを見て笑っている。
「おーい、トム!」
その人の後ろから、また僕を呼ぶ声。
誰?と思って見れば、上級生が居て。
「何ですか?」
「ダンブルドア先生がお前を呼んでるぞ」
ダンブルドア先生が?
ナチが居ない今を見計らったようにダンブルドア先生が現われるなんておかしい。
きっとナチの事だ。
そう思うと嫌な予感が胸を支配して、僕は寮の入り口まで急いだ。
寮を出れば、そこには白い髭に半月型の眼鏡のその人。
夜だというのに廊下は明るくて、いつもは暗いのに何でだろうと思って天井を仰いだ。
そして気付く。
ダンブルドア先生が光の魔法を使って、天井に光の玉を打ち上げたのだと。
「お待たせしました」
「済まんな、年越しパーティーをしている時に呼び出してしまって」
「いえ」
「どうかね、学校生活は」
突拍子もない質問。
笑顔が引きつりそうだ。
今はただでさえ機嫌が悪いのに、無駄話に付き合うなんて冗談じゃない。
「充実していますよ」
「それは何より」
ダンブルドア先生はポケットに手を入れる。
僕は咄嗟にポケットに手を突っ込む。
ナチみたいに、また魔法を掛けられたらたまらない。
もう僕は誰も信用しない。
そう、しないんだ。
元から、してはいけなかったんだ。
ナチの事だって信用しなければ、こんな目に合わなかったのだから。
ダンブルドア先生はゆっくりとした動作で、ポケットから白い何かを取り出した。
光の下、それが手紙だと分かる。
かなり分厚い手紙だ。
「宛名は、トム、君じゃ」
「僕に?」
言い知れない不安が胸を支配する。
誰から?
視線をダンブルドア先生に投げかけても、ダンブルドア先生は手紙をこちらに差し出すだけ。
宛名に書かれている、Tom・Marvolo・Riddleは少し右肩上がりの角張った文字。
それだけで、誰が書いたのかが分かる。
ナチだ。
この手紙は、ナチが僕に宛てた物だ。
差し出されて、受け取る。
ナチは、何を書いているんだ?
封を切る
封を切らない
震
える手で、封を切る。
手紙を開くと、何も書かれていない白紙の状態。
けれどすぐに文字が浮かび上がってきて、相変わらず角張った右肩上がりの文字を、僕は目で追った。
途中まで読んで駆け出そうとした僕の腕を、誰かが掴んだ。
見れば、ダンブルドア先生。
「ナチは」
声が震える。
心の中には焦燥感。
落ち着いてなんて、いられる訳が無い。
「ナチは今、何処ですか?」
問えば、もう学校には居ない、と返される。
何で。
家に帰りたくないって言っていたくせに。
あれだけ嫌がっていたくせに、何でナチが大人の都合に振り回されなくちゃいけないんだ!
「あいつ、学校に居たいって言ってたんだ。冬休みに残れるのを、凄く喜んでた」
「知っておる」
「なら、何で帰らせたんだよ!ダンブルドア先生も、他の先生と一緒じゃないか!」
信じてたのに。
ダンブルドア先生は他の教師とは違うって、信じていたのに!
孤児の僕を蔑んだりしないから、皆を平等に扱ってくれる人だと思っていたのに!
結局こいつも一緒だ。
ナチが嫌がる場所に、ナチを帰した。
「家庭の問題には我々も口は出せん。それにナチが帰る事を承諾したんじゃ」
「嘘だ。ナチは帰りたくないんだから、帰るはずが無い」
「事実じゃよ、トム」
諭すような声音に胸が痛い。
ナチ。
馬鹿ナチ。
何で僕に何も言ってくれなかったんだよ。
居なくなるって、人より早く卒業するって言ってくれていたら、今になってこんなに苦しまなくて済んだのに。
今日までに覚悟をする事だって出来たのに。
ちゃんとお別れを口に出来たし、卒業おめでとうって言えたのに。
いきなり消えたら、嫌だよ。
僕は君に何も出来ていないじゃないか。
「ナチは最後にしんみりと見送られたくなかったのじゃろう。いつものように過ごして、去りたかったんじゃよ」
「こっちの気も知らないで」
鼻の奥がツンとして、視界が歪む。
手紙、こんな状態じゃ全部読めない。
「皆、悲しむ」
スリザリン生だけではなくて、グリフィンドール生もレイブンクロー生もハッフルパフ生も、皆が悲しむ。
皆、ナチが好きだったから。
寮に関係なく、誰もが君を必要としていたのに。
ダンブルドア先生は僕の頭を撫でた。
ナチのようにくしゃりとしてくるのではなく、柔らかく撫でてくる。
「部屋に行こう。温かい飲み物を飲んで、身体と心を温めたらどうじゃ?」
泣き顔では寮に戻れない。
僕は、ダンブルドア先生の部屋にお邪魔する事になった。
ナチが僕を避けていた理由が分かった気がする。
ナチは、寮を出る身仕度をしていたのだ。
僕に知られたくないのだから、僕が手伝いを申し出ても断って当然だ。
分かりづらいんだよ、馬鹿。
気付かなかった自分にも腹が立つけれど、やっぱり一番はナチだ。
次ナチに会ったら、絶対に一発は殴ってやる。
翌日、昼過ぎに発行された新年最初の預言者新聞の一面はナチだった。
『ナチ・サハラ、一年早く卒業』という見出し。
そこには、ナチが人より一年早く全授業課程を修了して卒業出来た優秀な生徒であると書かれていた。
傍にいる小さな白い鞠みたいなそれは、ピィピィと鳴いた。
昨日、ダンブルドア先生から渡されたプレゼント。
本当はナチから受け取るはずだった手紙とプレゼントは、ダンブルドア先生経由で僕の元に届いた。
ナチが拾った梟はまだまだ小さくて、新聞の写真の中に居るナチを見てピィピィと泣く。
どうやら、元飼い主をしっかりと認識しているみたいだ。
新聞を置けば、乗ってナチの写真に近づいて突いたり鳴いたりしている。
「君、ナチが好き?」
梟は首をくるりと動かして、くりっとした目を僕に向けた。
それから大きく口を開けて、一回鳴いた。
その動作が可愛くて、撫でる。
すると梟は僕の手に擦り寄ってきて、それから目を閉じた。
それに愛しさを感じる。
「しっかしトムが動物を飼うとはなぁ」
「何?悪い」
「いや、今の今まで飼ってなかったから、なんか変な感じ」
「にしても珍しいな、真っ白な梟なんて」
「そうだね」
梟は僕の袖を気に入ったのか、そこに頭を突っ込んでこようとする。
それを見た周りの人は、笑った。
つられて、僕も笑う。
皆、朝一にナチが一年早く卒業したと知った時は言葉を失って、悲しんだり怒ったり泣いたり、皆様々な対応を取った。
まだその波は個々の心を乱しているのだろう。
「今度、ナチに手紙書こうぜ」
「吠えメールとかどうだ?」
「あ!それ良い!私も書く」
女子も会話に交ざってきて、皆でナチへの嫌がらせを考える。
僕達に重大な事を黙っていた罪として、少しくらいは嫌がらせを受けても仕方ないだろうから、僕は止めなかった。
「あ、そうだ、トム」
「何?」
「ナチが居なくて悲しいなら、俺に泣き付いていいぜ?」
両手を広げて言う奴に、冗談、と言って鼻で笑う。
すると周りも笑って、腕を広げた奴も澄ました表情を崩して笑った。
泣いたり怒ったり笑ったり。
お通夜みたいになったら嫌だと思っていたけれど、そうならないみたいで安心した。
写真の中に居るナチは、僕を僕だと認識したのか、笑顔で手を振ってきた。
* * *
最後の一年半は慌ただしい。
勉強に就職。それからふくろう試験。
慌ただしく毎日が過ぎて、気が付けば僕は卒業式の場所に居た。
正装に身を包んでいても、卒業という言葉が何処か浮き世離れしていて、実感が無い。
この格式張った式が終わっても、新学期が来たら授業はどれを履修するか考えているような気がする。
本当に、不思議な感じだ。
来賓席に人が入ってきたところで、辺りが騒がしくなる。
周りが煩くて、欠伸をした。
昨日は遅くまで皆で騒いでいたから、眠たい。
「おいトム!欠伸してんじゃねーよ!」
急に後ろから背中を叩かれて、後ろを振り返れば友人が「あっち!」と来賓席を指差した。
「……え」
いや、え、ちょっと待ってよ。
一瞬心に疑いが生まれる。
でも僕が見間違うはずが無い。
僕がナチを他人と間違えるはずが無い。
一年半会っていない間に大人っぽくなったナチがそこには居た。
礼服を身に纏っていて、一瞬誰だか分からなかったけれど、周りの寮生もナチだと認識したのか騒ぎ出す。
ナチは口元に笑みを浮かべてこちらに小さく手を振って、来賓席に腰を下ろした。
あのノリはナチだ。間違いない。
でも、何でナチがあそこに?
「皆の者、静かに」
ダンブルドア先生が声を高らかに言った。
ナチは周りにいる、肩書きだけはしっかりした年寄り達と何かを話して、笑っている。
初めて見た、ナチの仕事上の顔。
手紙に書いてあったとおり、外では誰にでも笑顔を振りまいているようだ。
質の良い笑顔を浮かべていて、ナチが無理して笑っているのだと、今だから分かる。
「本日はOBとしてナチ・サハラに来てもらった」
ナチが立ち上がって、一礼する。
それは決まっていて、ナチはもう学生ではなく社会を背負った立場なのだと思った。
厳粛に卒業式は進むけれど、周りもナチが気になるのか、式の最中にチラチラと来賓席を見ていた。
僕はすっかり眠気がとんでしまって、偉い人が話す長話しの最中も起きていた。
尤も、内容はまったく頭に入ってこなかったけれど。
卒業証書を受け取って式が終了すると、皆はすぐにナチの元に駆け寄った。
「ナチ!久しぶりだな!」
「久しぶり。それから、卒業おめでとう」
「ナチも、一年半経ったけど、卒業おめでとう」
周りと笑いあうナチ。
正装だからだろうか、両手に手袋を付けていて、肌で見える部分は顔だけになっている。
ナチは僕を見て、にこりと笑った。
「久しぶりだね、リドル」
「久しぶり」
いざ話すとなると、何を話せば良いのか分からない。
ナチはそんな僕にお構いなしに、僕の手を掴む。
「何?」
「これから同じ職場でしょ?よろしくね」
言われて、そうだった、と思い出す。
僕は教師ではなく、魔法省に勤める道を選んだ。
それは、考えが変わったから。
ナチの手紙を読んで、肩書きばかりに酔い痴れる腐った大人達が上層部にいる魔法省から変えなくては、純血や汚れた血という差別はなくならないと思ったのだ。
だから僕は、中から崩していこうと思って魔法省に就職した。
周りを見回す。
個々に別れを惜しんでいて、またナチと久々の再会に会話を弾ませる奴もいた。
ナチが皆に捕まるのは分かる。
人気者だしね。
でも僕も言いたい事が山ほどあるのだから、周りには悪いけどナチは借りるよ。
「ナチ、一年半の積もる話もあるし、外歩きながら話さない?」
ナチの友達は僕の提案に少しむくれたけれど、ナチはあっさり良いよと言って、今まで話していた人たちにまたねと言った。
大広間を出ると、さっきまでの騒ぎが嘘のような静けさ。
僕は学校を出て、丘の方へと足を進めた。
ナチはその後ろを黙ってついてくる。
見晴らしの良い高台。
振り返ると、ナチはこちらを真っすぐに見ていて。
僕は左手に卒業証書が入った筒を持って、右手でナチの頬に思い切り拳をぶつけた。
ナチは予測出来ていなかったのか、倒れる。
「……いっ」
「っの!馬鹿野郎!」
上体だけを起こして頬を押さえたナチは、僕を見上げてポカンとしていた。
殴ったせいか、今まで蓄めていた感情が爆発する。
殴った手も痛いし、何なんだよ!
「何でどれもこれも一人で溜め込むんだよ!先に卒業するならするって言えば良いじゃないか!」
「ごめん」
「あっさり謝るな!」
ナチはどうしたら良いのか分からないらしくて、ただ僕を見ていた。
「次からは、少しぐらい相談しなよ。僕ばかり助けられるなんて、冗談じゃないんだよ!」
「うん、ごめんね」
「だから謝るなって言ってるだろ!」
「ええ?じゃあ、これからよろしく?」
「なんか違うけど、うん」
ナチは立ち上がって、真っ赤に腫れた頬をそのままに笑った。
何だよ、その情けない笑い顔。
お尻を叩いて、ナチは草を払っていた。
「手袋にも草ついてるじゃないか、外せば?」
「手袋は身体の一部なんだよ」
「は?……え」
にこりと笑って僕を見たナチ。
殴られた拍子に整髪剤でまとめていた髪が崩れたのか額に前髪がかかっているけれど、その瞳に光が当たる。
すると左目が僕の瞳と同じ色になっていて。
何で?
ナチの瞳は、黒だった。
記憶の中にいるナチと違うナチが前に居て、言葉を失う。
この人は、ナチ?
「どうしたの?」
ナチは自分の異変に気付いていないのだろうか。
急に言葉を失った僕の様子を心配したらしく、ナチはこちらを刺激しないように穏やかな口調で声をかけてきた。
「ナチ、何かあったの?」
「え?」
「ナチの左目、僕みたいになってる」
ナチはすぐに左目を手で覆った。
その反応に、違和感。
ナチは自分の瞳がその色だと知っている。
そうでなければ、ナチも驚くはずだ。
驚かずに慌てて隠すなんて、変だ。
「ナチ」
声が思わず低くなる。
ナチは頭を掻いて、悪戯がバレた子供のように僕に怒らないかと訊いてきた。
「内容による」
「こういう時は怒らないって言ってよ」
「僕はナチには嘘を吐かないよ」
君は嘘吐きだけどね。
そう言外に伝えれば、ナチは肩を竦めて笑うだけ。
左手の手袋を外して、右の眼球に指をつける。
その動作に驚く。
目に触れるってどういう事?
気が狂った?
驚く僕を尻目にナチは眼球から手を離すと、僕を真っすぐに見た。
右目も、左目同様に紅い色になっていて息を呑む。
何でナチが僕みたいな瞳になっているのさ。
「色々あって、リドルと同じ色になっちゃった」
「何で」
何で君が瞳を紅くしているのさ。
自分で見慣れていたはずの色なのに、ナチが紅目だと違和感が強い。
だってナチは黒髪黒目だったじゃないか。
ナチは笑うだけだった。
何で何も言ってくれないんだよ。
何でそんな、もうすべて済んだ事だという調子なのさ。
そうやって全部自分で背負いこんで、また僕を除外するっていうなら、ふざけている。
ナチの胸倉を掴む。
接近した顔。
僕も身長は伸びたのに、ナチの方がまだ背が高くて見上げる形になる。
ナチは落ち着いて、と困ったように笑うだけだ。
それが余計に腹立つ。
何でそんな、他人事のような調子なんだよ。
「真実を話せ」
「知らなくて良い事も……」
「ナチはいつもそれだ!後で知った時の気持ちも考えろ!ちゃんと相談するなり話すなりしろよ!僕はナチの親友じゃないの!?」
ずっと思っていた事が溢れる。
僕はナチを親友だと思っていた。
そう思っていた人が何もかも誤魔化して姿を消した時の気持ちが、ナチに分かるわけ?
君はそういうところが全然分かって無いんだよ!馬鹿!
他の事には聡いくせに、何でここだけ鈍いんだ!
「ごめんね」
頭上から、ぽつりと呟かれた言葉。
いつの間にか垂れ下がっていた頭を上げてナチを見る。
ナチは悲しそうな表情をしていて、こちらも息が詰まる。
傷付いたのは僕なのに、何で君が傷付いた表情をしているんだよ。
「苦しめてごめん」
「謝るくらいなら、ちゃんと話せ」
ナチは頷く。
僕が胸倉を離せば、ナチは服を正した。
「サラザールと、色々あったんだ」
「サラザール?」
何でナチがサラザールと接触しているんだ?
彼の血族は僕で、以前は僕に接触しようとしていたはずなのに。
そういえば、この一年半、僕に対してサラザールからの接触は無かった。
まさか、ナチが何かをしていたの?
「何があったの?」
不安に声が震える。
「彼は純血が好き。僕の体は純血で、ついでにスリザリン。だからサラザールが僕の身体を乗っ取ろうとする事も、道理に適っているのは分かる?」
「乗っ取る?」
ナチはそう、と言った。
ナチの身体が乗っ取られていた?
いつ?
「あ、今は乗っ取られてないよ」
「まさか、この一年半、ずっとその身に宿していたの?」
僕に被害が来ないように、サラザールを引きつれて学校を出たのだったら、僕は。
僕はずっと君に護られていた事になる。
ナチだけが苦労して、僕が安穏と生活していたのだとしたら、僕は僕が許せないし、ナチも許せない。
ナチは笑って、それは無いと言った。
その言葉に少しだけ安心する。
「僕は学校を卒業する時にサラザールを身体から離した」
「どうやって」
ナチは右手袋も外した。
そこには記憶にある細長い指なんて無くて、機械仕掛けの指と掌があるから言葉を失う。
鈍色のそれは、温かさも柔らかさも無い。
陽射しの下、光沢を見せるだけ。
何で、あるべき場所に手が無いんだ。
「ハグリットの蜘蛛に右腕をやられたのは覚えてる?」
「うん」
「その傷口からサラザールは入ってきて、僕の右腕を居場所にしたんだ。だから切り落とした」
「切り落とした?」
ナチは辺りを見回して、誰も居ないと確認したら上着を脱ぎ始めた。
均等の取れた身体のはずなのに、右肩から先がすべて機械仕掛けの物になっている。
肌色で構成されている身体の一部が、銀が曇ったような鈍い色を発していて。
「何で……」
何で君がこんな事になっているんだ。
ナチは右手を動かすと、機械音は殆ど無かった。
動きも滑らかで、普通の腕と何も変わらない。
けれどこれは、ナチの腕ではない。
「何で」
「これが最善策だったんだよ、リドル」
「嘘だ」
ナチが身体の一部を失うのが最善だったなんて、認めない。
認めたくない。
「身体を奪われるのに比べれば、腕一本なんて安いものだよ。現に今、僕はリドルと話せている。もし身体を奪われたら話も出来ない」
でも、僕と一緒に居なければサラザールはナチの身体を奪わなかったかもしれない。
もしくは、誰か他の純血が怪我をしていれば。
何でナチなんだ。
何でサラザールはナチに白羽の矢を当てたんだ。
「もう終わった事だよ、リドル」
ナチは服を着る。
だから今まで手袋を外さなかったのか。
右手は機械だから、機械の事を隠したかったから。
何故腕を失っているのか問われた時に困るから。そうだろう?
「これですべて話したよ」
ナチは前髪を崩して、極力目を隠す。
「あ、そうそう、これ見て、リドル」
ナチは白い手袋の上に乗せた物を見せてくる。
それは見た事が無いもので、ナチはコンタクトレンズだと言った。
「これを眼球に付けて黒目にしていたんだよ。なかなかの優れ物だよね」
「こんなのあったんだ」
「マグルが発明した物だよ。やっぱりマグルは優秀だね。まぁ、殴られただけで片目が取れるのは問題だけど」
「……あぁ、なるほど」
漸く、ナチが言いたい事の意味が分かった。
ナチはずっとこれを付けていて、黒目で生活していたのだ。
けれど、さっき僕が殴ったから片目が外れて僕に紅目だと気付かれた。
「……外れなければ、今の事は黙っておくつもりだったんだ」
「僕としては、知られたくなかったから」
その言葉に、腹が立つ。
ナチはやっぱり隠し事ばかりをする。
「だって僕だって本当は腕を失いたくなかったんだ。最善策だけど納得は出来ていない事を話したくはなかったんだよ」
だってほら、僕は完璧主義者だし。と言うナチ。
確かにそうだけど、でもそれは僕への隠し事だ。
「僕の前では、完璧主義は止めなよ」
「え?」
「完璧主義が祟って何でも自分で背負い込むような事はするなって事だよ」
何でも背負い込むと、押し潰されそうになるのはナチも同じはずだ。
その証拠にナチは手紙で様々な事を吐露していた。
手紙を貰うまでは、ナチは何でも自分で解消出来る人間なのだと思っていた。
けれどナチは本当の自分を知って欲しいとずっと心の中で叫んでいて、手紙を書く事で気が軽くなった部分はあると思う。
ナチは目を細めて、口元を緩めて笑った。
「君の家の事情ももう知っているんだから、隠し事なんて今更なんだよ」
「そっか、今更か」
「そうだよ、今更だよ」
「じゃあリドルも隠し事はしないでよ」
「僕はナチに隠し事も何もしてないよ」
「えー、嘘だぁ。僕はまだ本当の誕生日を聞いてない」
言われて、そういえばと思う。
でも、ナチと一緒に居る間は本当に自分の誕生日なんて知らなかったのだから仕方ないじゃないか。
ナチがクリスマスに祝ったりしたから、正式な誕生日が気になって孤児院の人に聞いて、それで漸く知った自分の誕生日を口にする。
「12月31日」
「12月31日?」
「そう、だからナチがくれた梟が、ちょうど僕の誕生日プレゼントになったよ」
「そうなんだ。そういえば梟は元気?」
「元気だよ。もう大人になったから手紙の配送も出来るようになったよ」
「それは良かった」
ナチは笑った。
その片頬は真っ赤で、見ていて少し罪悪感が生まれていたたまれない。
ナチに杖を向けて回復魔法を使うと、ナチはありがとうと笑った。
「そろそろ戻ろうか」
「そうだね、皆ナチと話したがってるよ」
「女の子はリドルと話したがってるんじゃない?ボタン全部奪われるんだろうね」
ナチの軽口に呆れるけれど、心が軽くなって、笑う。
この感覚がまた戻ってきてくれた事に心の中で感謝した。
→
中
にはナチの気持ちが詰まっている?
だから何だというのだろう。
僕の気持ちをナチは汲みもしなかったのに、僕がナチの手紙を読んでやる義理はない。
裏切った事の謝罪なんて書いてあれば、笑ってしまう。
謝罪するくらいなら裏切るな。
第一、手紙なんかに記さずに口で言えば良いのだ。
それも出来ないような小さな奴だったなんて、笑える。
僕がそんな奴と友人ごっこをしていたなんて、笑い話だ。
こんな物、要らない。
こんな者、要らない。
ナチなんて、要らないよ。
ダンブルドア先生に笑顔を向ける。
「先生、手紙をわざわざ届けてくださり、ありがとう御座います」
「……トム」
哀しげな表情の先生。
笑いたくなる。
第三者のくせに、何で貴方がそんな表情をするんだ。
滑稽だよ。
感情移入でもしているのか?
それとも、この僕がナチに騙されていた事を嘆くとでも思っていたのか?
それを我慢しているって?
くだらない。
「では、僕はこれで」
「待ちなさい。これはナチからのプレゼントじゃ」
「プレゼント?」
先生は何処に隠していたのだろうか、鳥籠を出した。
およそ、魔法で出現させたのだろう。
籠の中には白い鞠のようなもの。
それも見慣れた物で、僕にはすぐに分かった。
「梟の雛?」
「トムは動物を飼っておらんじゃろう。どうじゃ?飼ってみては」
動物なんて、冗談ではない。
梟なんて、蛇の餌になれば良い。
「先生、僕は動物なんて飼わない主義なんです。それはナチに」
「ふむ、そうか」
分かったと言って、ダンブルドアはあっさりと引いた。
それに、多少の違和感を覚えるけれど、構うものか。
「それでは、先生、良いお年を迎えて下さい」
「トムもな」
寮に戻る。
周りがちらちらと見てくるのも気にせず、暖炉の中に手紙を放り込んだ。
白から黒い炭へと変わる紙を眺めていると、知り合いが声をかけてきた。
「今の手紙、封を切ってなかっただろ。燃やしていいのか?」
「誰からの手紙?」
「知らない人からのだから、燃やして構わないんだよ」
笑顔で答えれば、周りは黙った。
ちょうどその時、年が明けた。
****
卒業式に、一年早く卒業した首席として出席してくれないかと言われた。
正直、気乗りしなかった。
それでも耳に挟んでいた情報を確かめたくて、出席する事にする。
礼服に着替えている時に映った自分の身体。
コンタクトレンズを改良して、黒目に見えるようにした。
けれど失った右腕は傷口を焼いて神経すべてを殺した事で腕を作り出す事も出来ず、機械仕掛けだ。
意志のままに動くから生活面で困る事は無いけれど、人に気付かれたら何故失ったのかという内容で厄介になるから、手袋をはめる。
服装を正して、いざ行くとなると小耳に挟んだ情報を思い出して溜め息が出た。
リドルは闇の魔術に対する防衛術の教師に志願したが、ダンブルドア先生がそれを拒絶したのだとか。
そしてリドルは、魔法省の誘いを断ってノクターンの一角に就職した。
この事から、おおよその事は理解した。
リドルは、闇に染まったのだと。
卒業式、壇上で挨拶をすると見慣れた面子が僕を見ていて、懐かしさと切なさを覚えた。
壇上を下りて暫く、卒業式が終わるや否や一年間会っていなかった友人達はこぞって僕の所に来て、再会を喜んでくれた。
その後ろ、少し離れた場所にいるリドル。
目が合うと、リドルは目を細めてにこりと愛想よく笑った。
その笑みに、背筋にぞっとしたものが這い上がってくる。
それでも何故か僕の足はリドルの方に進んで、それが余計に恐怖を煽る。
「リドル、久しぶりだね」
こちらも笑みを浮かべて声を掛ければ、リドルも久しぶり、と笑った。
その笑みは、家名ばかりを背負った奴が見せる笑みと似ていて、本当は笑っていないのだと分かる。
「積もる話もあるし、ちょっと外に出ない?」
「勿論」
やたらと笑みを振る舞うリドルを引きつれて、会場を出る。
誰も居ない通路。
夕焼けが差し込む通路はオレンジに染まっていて、その中でコツコツと響く足音しかしないのにどこか違和感を与えた。
いつもなら今頃、放課後にはしゃぐ下級生が廊下を走っていたのに。
過去を思い出して、淋しさを感じた。
学校を出て、人が居ない丘に着く。
「リドルはどうした」
「何を言っているの?ナチ。僕はリドルだよ」
「嘘を吐くな!お前はサラザールだな?」
振り返って、杖を向ける。
リドルも杖をすでに構えていて、真っすぐに僕へと向けていた。
真っ赤な相眸が僕を真っすぐに見据えている。
リドルは笑った
リドルは目を細めた
リ
ドルは笑った。
クツクツと、喉に引っ掛かる笑い方。
「サラザール」
「こうも見抜かれては、つまらんな」
そう言いながら笑う。
楽しそうに、さも滑稽だというように。
「リドルはどうした」
「魂はまだある」
しかし、とサラザールは続けた。
「私の手中にな」
それはいつでも消せるという事だろう。
もしかしたらもう消されているけれど、僕の動きを封じる為に嘘を吐いているのかもしれない。
それでも、サラザールがリドルの魂を持っているのか持っていないのか、確かめる術は無いのだ。
だから僕は、サラザールに手は出せない。
リドルがいるかもしれないその身体を傷付けるなんて出来ない。
「サハラには感謝している。実に楽しい駆け引きだった。サハラほど精神が強い者もおるまい」
「リドルには手を出さないって約束だっただろう」
約束なんてサラザールにとってはまとわりつく埃のようなものだろう。
邪魔になれば払い落とすだけ。
そうだと分かっていても、約束を主張する自分に惨めさを覚えた。
サラザールは僕の発言を聞いて、声高に笑う。
「勘違いするな、私が手を出したのではない。この子が自ら私に手を伸ばしてきたのだ」
「嘘だ」
「嘘ではないさ。サハラがこの子の心を砕いた。無自覚ではあるまい?」
言われて、思いつく事が数点浮かぶ。
僕はリドルを苦しめていた。
そして最後には、裏切った。
リドルがこうなったのは、僕が原因だ。
「信じていた者すら裏切る世界。人を見下す凡愚ばかりの世界。そんな世界はいらない」
リドルの声、リドルの口調。
無表情のリドルが僕を見ている。
本当にリドルが言っているみたいで、目の前が闇に染まる。
僕が追い詰めた。
リドルがサラザールに身体を与えるほどに、リドルはこの世界に失望し、憎んだのか。
ごめん。
ごめんね、リドル。
学校を早く卒業する事も言わなくて、ごめん。
せめてもっと早くに話をしていれば。
手紙なんかに書かずに、面を向かって話をしておけば良かった。
自分の本当の気持ちもろくに話せなかった己を呪う。
そもそも僕が居なければ、リドルと親しくならなければ、こんな結末は回避出来たかもしれない。
リドルが笑った。
クスクスと、楽しそうに。
「私はその表情がずっと見たかったのだよ。貴様は私が憑いている時でもそのような表情はしなかった」
当たり前だ。
僕がサラザールに憑かれている時は、サラザールの始末の仕方に焦りこそしたけれど、それ以外の悩みは特に無かった。
僕が招いた事なのだから、どんな結末も覚悟していた。
そう、あの大晦日は死ぬ覚悟もしていたのだ。
なのに僕は生き残った。
代わりにリドルが喰われた。
一番望まなかった結末。
他人を巻き込みたくなかったのに。
リドルを巻き込みたくなかったのに。
リドルだけは、巻き込みたくなかったのに。
喉に何かが詰まったような感覚。
胸が圧迫されるような感覚。
なのに胸の中は空っぽで、空気しか入っていないような感じ。
「っ……」
心が崩れるのが分かった。
視界が歪む。
膝を大地に着いた。
サラザールは、リドルは、楽しそうに笑う。
その声は記憶にいるリドルとはかけ離れていて。
髪を掴まれて、無理矢理上を向かされた。
紅い瞳が、影のせいで漆黒になっている。
「貴様を殺しはしない」
サラザールは口の端を上げていた。
脳髄に浸透する甘い声音。
まるで蛇にゆっくりと締め付けられているみたいだ。
「僕にどうしろと?」
「私の下で動いてもらう。貴様の知能と度胸、それから技術も私は買っているのだよ、サハラ」
「サラザールに目をつけてもらえるなんて光栄だな」
最後に強がりを口にすれば、サラザールは満足したようだった。
見下ろす瞳が愉快そうに細められる。
「私の下で遺憾無く発揮しろ。それがリドルの望む世界を作り上げる事に繋がる」
サラザールはすべて分かっているのだ。
僕の弱点がリドルだと知っている。
そして、リドルの面影がある限り僕がサラザールを裏切れないというのも。
リドルに対する罪悪の気持ちから、僕がリドルの為になら力を奮う事も。
手下にしたのも、事の顛末を総て知る僕が敵側に回っては面倒だからだ。
完敗だよ、サラザール、リドル。
君達には、負ける。
僕は君達が望む世界を作る為に、動き回るだろう。
それがリドルの望みなら、それでリドルの気が少しでも晴れるなら、僕は何だってする。
左腕に、過去右腕にあった烙印が焼き付けられる。
骸骨に蛇の烙印。
その日、僕は後にデスイーターと呼ばれる存在となった。
→
リ
ドルは目を細めた。
不愉快だというように眉根を寄せて、口元も笑みが消えている。
「僕はサラザールじゃない。勘違いするのは勝手だけど、それを押しつけられるのは不愉快だよ」
「……リドル、なの?」
「あぁ、そうか。ナチは僕にこうなっていて欲しくないって思っていたから、サラザールのせいにしたいんだね」
リドルは合点がいったというように、口の端を上げた。
僕の図星だ。
僕はリドルにこうはなって欲しくなかった。
だから、サラザールがリドルを乗っ取ったのだという仮説の元に物事を考えていた。
「そんなに君の理想上の僕を押しつけないでくれない?迷惑なんだよ」
迷惑、と言いながら愉快そうに笑うリドル。
何を考えているのか、まるで分からない。
これがリドル?
こんなリドル、知らない。
「君は誰?」
再度問えば、リドルは腹立だしげに舌打ちをして僕を睨んだ。
杖の先は僕の方を真っすぐ向いている。
「何度も同じ事を訊くな。僕はリドルだ」
「リドルはこんな事しない」
「こんな事?」
リドルは口を開けて、声高に笑った。
「僕の知っているナチも、僕に杖を向けるような奴じゃなかったよ」
「それは……」
「言い訳はいらないよ。事実があれば十分だ」
笑って少し紅潮した頬が幼さを主張していて、口調の辛辣さと合わずにどこか別次元の出来事のように思えてならない。
ただ、今目の前にいるリドルは以前のリドルではないと分かるだけだ。
リドルの心は変わってしまった。
前の心とは、似ても似つかない形に変わっている。
それは、いつから?
僕がリドルに杖を向けた時から?
それとも、それより前から?
「ナチ」
「……」
「君には感謝しているよ。偽善まみれの世界にいた僕に、真実を見せてくれたんだからね」
「リドル、それは間違いだよ」
今君が見ているのは、人の醜悪な部分だけを集めた吐き溜めだ。
君が元居た世界が、真実だったのに。
そこから吐き溜めにリドルを引きずり落としたのは、僕なのか。
「説教はやめてくれる?ナチが僕にした仕打ちが真実なんだよ」
「あれには理由が」
「理由なんていくらでも嘘が付けるさ。ナチは口が達者だからね、いくらでもそれらしい理由を並べられるんだろう?」
リドルは聞く耳を持ってくれない。
そうしたのは間違いなく僕だ。
聞いてと言えば黙れと返されて、言葉を失う。
リドルをここまで追い詰める結果になるなんて、思ってもいなかった。
リドルの歯車をこんなに狂わせるなんて、僕は大馬鹿者だ。
「君には、僕の踏み台になってもらうよ」
「踏み台?」
「ホークラックス」
その単語に、驚く。
サラザールに身体を奪われそうになっていた時、僕が選ぼうとした道だ。
尤も、ホークラックスを使うには人を殺さなくてはならない。
僕はマートルをすでに殺していたけれど、ホークラックスの生け贄として殺した訳ではないからホークラックスを作れなかった。
リドルの発言と現状から、理解する。
リドルは僕をホークラックスの生け贄にするつもりだ。
「その反応からして、ホークラックスを知っているんだ。流石というべきかな、ねぇナチ」
リドルは嬉しそうに目を細めた。
風にサラサラと揺れる黒髪。
暖かな夕焼けに穏やかな風のこの場所でホークラックスの話なんて、浮き世場慣れしている。
まるで悪い夢だよ。
悪い夢なら早く覚めてくれ。
「僕が初めて殺す人間に選ばれたんだ。喜びなよ」
「僕を殺して、ホークラックスを作って、どうしたいの?」
「くだらない世界を終わらせるのさ。選ばれた奴だけがいれば良い」
「そんな世界は誰も望んでいないよ」
「残念ながら、そうでもないよ。仲間もいる」
仲間、か。
「僕は仲間になれないのかな?」
「諜報部員として中に入ろうって魂胆?」
「違うよ」
「ああ、中から崩壊させる目的か。ナチは口が巧いからね、仲間の団結が緩むかもしれない」
「何だ、バレてるのか」
笑って言えば、当然、と返された。
リドルは僕の中身を知っている。
僕が考える事も、大体予想がつくのだろう。
まぁ六年間の付き合いだしね、仕方ないか。
「何か言いたい事は?遺言ぐらいは聞いてあげるよ」
「そうだな……」
言おうとして、やめる。
「悪いけど、死ぬつもりはないよ」
言
おうとして、やめる。
情けないから、こんな事は言えないよ。
「うん、無い」
「淡泊な死に方だね」
「多くを語らない事も大切なんだよ」
僕は杖を手放した。
長い草の中に沈む杖。
完全な丸腰になった僕にリドルは訝しげな表情をした。
「潔いね」
「まぁね」
ここまで追い込んだのが僕なら、僕はそれを償わなくてはいけない。
かといって聡そうにも、話も聞く耳を持ってもらえないし、リドルを改心させる術を持ってすらいない。
そして僕は、リドルとは戦えない。
無い無い尽くしで、どうすれば良い?
そう考えたら、リドルの踏み台になるのも良いかなと思えたのだ。
それでリドルの心が少し晴れるなら、良いかもしれない。
「バイバイ、ナチ」
「バイバイ、リドル」
リドルの表情が、一瞬歪んで見えた。
ああ、もしかしたら、また僕はリドルを傷付けたのかもしれない。
リドルは、止めて欲しかったのかもしれない。
僕は選択肢を誤って、君を傷付けてばかりだ。
ごめんね。
ごめんね、リドル。
草が生い茂った大地。
そこに佇む青年は、寝転がった青年を眺めていた。
「ヴォルデモート卿」
近付く仲間に新しい名で呼ばれた青年は、日記帳を持っていた。
それはかつて、青年が誰からもリドルと呼ばれていた時に、友人から貰った物である。
「殺ったのですね」
ヴォルデモートの仲間は嬉々として、大地に転がるナチの頭を爪先で突く。
仲間はナチの反純血主義を嫌っていてナチを疎んでいたので、死んだ事を心から喜んでいた。
しかしヴォルデモートは、そんな仲間に不快感を顕にした。
「やめろ」
「え……」
「お前は式場に戻れ」
睨まれた仲間は顔を青褪めさせて、すぐに退散する。
その様は仲間というよりも、ヴォルデモートの下僕の様であった。
ヴォルデモートは杖を振る。
すると、ナチの身体は消えた。
ヴォルデモートは踵を返す。
もう引き返す事は出来ない。
最愛の友人であり最も憎むべき友人の命を奪ったのだから。
この世界を闇に染める。
それがヴォルデモートの中で絶対的な目標となった。
→
「
悪いけど、死ぬつもりはないよ」
垂れ下がっていた腕を上げて、真っすぐに杖を向ける。
お互いに杖を突き付ける状態。
リドルは驚いた顔をした。
まさか僕が反撃しないとでも思っていたの?
それは、大きな間違いだよリドル。
「罪悪感から戦意を喪失して従順になるとでも思った?」
「少しはそうなるかと思っていたんだけどね。やっぱり君は神経図太いよ」
「人を殺そうとしているリドルに言われたくないなぁ」
「僕に逆らう気?」
「元々リドルに従順じゃなかったと思うけど?」
リドルの顔に怒りが現われて、後ろに跳躍する。
するとリドルは魔法を放って、元僕が居た場所の大地は抉れていた。
こちらも魔法を打つ。
リドルも左に回避して、僕と距離を取った。
リドルからは目を離さない。
リドルも僕から目を離さない。
「人を傷付けたくせに、また傷付けようとするんだ。最低」
「あれとこれは別。リドルが道を誤ろうとしているから、きっつーい御灸を据えようとしているだけ」
「君の価値観で生きる道を決めるな。僕の道は正しい」
「正しいって思うなら、皆の前で公表しなよ。それで受け入れられたら僕も何も言わないさ」
「平和呆けしている奴らは腐った世界にいても気付かないんだ。だから僕が変革を起こす」
「リドルがこの世界を腐った世界だと言うのは自由だから良いけど、それを全員に認識させるために殺人までして、力で知らしめるのは間違いだよ。歴史から何を学んでいたのさ、リドル」
「本っ当に口が達者だね。綺麗事ばかりつらつらと。虫酸が走るよ」
「正論を綺麗事と纏めるのも強ち間違っちゃいないね。でもね、リドル」
魔法を打ち合う。
丘の上で、僕が高地に居たのは運が良い。
リドルは傾斜に立っていて、下がろうとして足元をもたつかせた。
その隙を狙って、懐に飛び込む。
「なっ!」
思い切り飛び込んだから、殆どタックル状態だ。
リドルと一緒に斜面を転がる。
結構な勾配だったみたいで、止まらない。
まずい、このままだと森まで転がっていく。
義手を地面に突き刺して、リドルの身体を受けとめる。
義手の指や間接が奇妙な音を発したが、気にならない。
地面を転がって草を髪に絡ませたリドル。
「目が回った?」
僕の下で瞼をきつく閉じているリドルに問えば、リドルは焦点の合わない瞳をこちらに向けた。
左手で右手を押さえ付けて、杖の先が僕の方を向かないようにする。
「放せっ」
「戦いに馴れてないね。こんなので他人に挑むなんて無謀だよ」
「そんなのナチに関係ないだろ!」
「あるよ。僕はリドルに死なれたくないからね」
リドルはまた綺麗事か、と憎々しげに言った。
やっぱり、僕が何を言っても聞き入れてもらえないか。
本心なんだけどね。
「そんなにリドルは闇の世界が好き?」
「何を急に」
「本心を聞かせて。それによって僕も対応を考える」
リドルは僕を見上げて、それから少し口を動かしたけれど言葉は無かった。
それは迷いがある証拠だ。
「リドル、人を殺しちゃ駄目だ」
「君がそれを言う?マートルを殺したくせに」
「殺したから言うんだよ」
リドルは驚いたように目を見開いて僕を紅い瞳に映した。
「罪からは永遠に逃れられない」
そう、殺めた相手からは永遠に逃げられない。
今だってあの時の夢を見る。
彼女の両親の事を考える。
彼女の、あるはずだった未来を思う。
そんな罪を自ら犯すなんて、駄目だ。
リドル、君は君が思っているほど強くない。
心は繊細に出来ている。
だから僕が勝手に居なくなった事に、杖を向けた事に腹を立てたのだろう?
確かに僕は君の繊細な心を砕いた。
けれど、それだけで君の心が強靱なものに変わるとは思えない。
「リドル」
「その罪すら僕は愛すよ」
言われた言葉に、一瞬頭が真っ白になる。
リドルは押さえていなかった左手で杖を取る。
慌てて身を退かせば、先程まで居た場所に緑の光線。
「説教をどうも。面白かったよ」
「楽しんでもらえて光栄だよ」
こちらも杖を構える。
けれどリドルは学校の方をちらりと見て、杖をしまった。
「時間切れだ」
外で魔法を打ち合っていたから、周りも気付いたようだ。
「ナチ」
「何?」
「君の命は、僕が貰う」
「奪えるものならどうぞ。僕は簡単に命を差し出したりはしないよ」
「今の内にせいぜい強がっておきな」
リドルは姿を消した。
ポートキーを持っていたのだろうか。
「ナチ!何じゃその格好は」
後ろからかかる声。
見れば、草と土で汚れている。
手袋に至っては、義手を地面に突き刺したから地面に埋まったままだ。
隠すために、左手の手袋を右手につける。
「ダンブルドア先生」
「どうした、ナチ」
「僕ではリドルを説得出来ませんでした」
「……そうか」
「それから、僕の命を奪うまでは、表立った行動は取らないと思います。リドルは今、僕の命を奪う事を優先するはずです」
リドルも完璧主義者だから、それが分かる。
リドルの計画の中での僕のポジションは、目の上のタンコブのようなものだから、何よりもまず消し去りたいだろう。
「僕が死んだら、先生は動いて下さい」
「それまでナチはどうするのじゃ」
「リドルと戦います」
「一人でか?」
「えぇ。リドルも一人で来ると思いますから」
リドルは自分の手で僕を仕留めたいはずだ。
完璧主義者は、自分ですべてをこなしたがる。
だから、他人は使わないで一対一で挑んでくるだろう。
その自己満足の為に完璧主義者は身を滅ぼす事があるのにね。
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