モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
零れた涙
私が白い男の所に行くと言ったのを嫌がったのは、店を売り払うと言ったおばさんと、私を気持ち悪い目で見てくるおじさんだけだった。
後者に至っては身内から犯罪者が出ることを防ぎたかったのだろう、親族が騒ぐおじさんを宥めてくれた。
前者は白い男がおばさんと話し合い、最後に私の意向を確認して引取先は白い男になった。
親族は厄介な子供の身の振り方が決まったと安堵したのだろう、先ほどまでは口から沢山の音を発していたのに、今となってはその口は閉ざして静かにしている。
おかげで私も少しは落ち着きを取り戻せて、どこか他人事のように見ていた出来事が自分の身に降りかかっている事実なのだと、少し現実味を持って見ることができた。
すると、本当にこれで良かったのかという考えが首をもたげる。
いくらお父さんの知り合いとはいえ、見ず知らずの男の所に上がり込むなんて女子高生がすることじゃない。
それに、相手は私より年上ではあるがまだ若い。
私なんかが家に上がり込んでは、今話題の婚期とやらを逃しかねない。
いきなりの友人の事故死で気が動転して、あんなことを口走ってしまったのかもしれない。今は涼しい顔をしているけれど、内心では引き取りたくないとか、どうしようとか、考えているのだろうか。
確認したい。私は誰かの負担になりたくないし、何より知らない人の元に行くのもやっぱり怖い。
かと言って、今ここでそんな話をすれば、私を引き取ると騒いだ二人がやっと閉ざした口をまた開かせることになるだろう。
今までだったら、この状況をどうしたらいいのか親に相談できたのに。
相談する相手は学校にはいるけれど、友達だって私と同い年だからこんな重たいことを相談されても困るに決まっている。第一、ここに友達はいない。親族が話し合いをするからと、参列を断ったのは私だ。
ここには私しかいない。誰も守ってくれない。私がしっかりしなくては駄目なんだ。
寂しくなる気持ちを周りに悟られないように、背筋を伸ばす。
正座のままの足が痺れてつらい。
今は静かに、ただ静かに親族が帰って、この人と2人きりになるのを待つしかない。
親族は葬儀が終わるとすぐに姿を消した。
残ったのは私と白い男の人だけ。あれだけ知らない男だと警戒していたのに、私と二人きりにする環境をあっさり作る親族はやはり私を守ってくれる大人ではない。
けれど、その大人の態度に今は感謝する。これから私達は腹の中まで見せ合って、話し合わなければならないのだから。
しかしいざ話そうと思うと、話の切り出し方が分からない。黙っていると、疲れたでしょう、と白い男に声をかけられた。
「いえ、別に」
「両親を亡くしているんです、今はきっと、気力だけで動いているん、ですよ」
変な所で区切る喋り方。
けれど不快感はない。
「あの、今日は、ありがとう御座いました」
頭を下げる。
男は私の言葉から何かを察したのだろう、返事をしないままただ私を見つめてくる。
その瞳は青くて、日本人ではないのかもしれない。不思議な、晴れ渡った秋空みたいな色。
涼しい秋風の突風みたいに、悩みとか悲しみとか、そういう負の感情を吹き飛ばしてくれる。そんな瞳。
「西明さん?」
いきなり黙ってしまった私に男は心配そうに首を傾げる。
そうだ。今ここで話をしなければ。
お互いにわだかまりを抱えたまま過ごすなんて、絶対に嫌だ。
「私を引き取るって言っていただけたのは嬉しかったです。でも、無理はしないでください。お兄さんは見たところ結婚していないみたいだし、そんなところに私が一緒に住んだら、お兄さんの彼女も嫌だと思うんです」
「……。どうぞ、続けて」
否定も肯定もない、私だけにすべてを語らせようとする姿勢。
卑怯だ。大人なら、回答を早く出して欲しい。
「それに私、この店を売るつもりはありません。まだ高校二年生ですけど、高校を辞めて店に専念するのも考えてます。今はまだ、色んな事がありすぎてどうしたら良いか分からなくて、高校辞めるとか考えきれていないけど、でも、大丈夫です。私は一人でやっていけます」
「先ほどの話し合いは、親族を納得させるための、その場しのぎ、だと?」
相手の眉間に皺が寄る。
怒らせてしまったのだろうか。
けれど、これは相手を怒らせても言わなくてはいけない事だ。私は一度深呼吸をする。
「そうなります」
「俺からも、話があります」
男は人差し指を立てて、一つ目、と言った。
芝居がかった話し方。けれど美しい人だからだろう、絵になる。
「西明さんを引き取る事は、俺にとって無理な事ではありません」
優しい人なのだろうな、と心の中で思う。
どう考えても、子供を引き取るのは大変で無茶で無理な事だ。親族は皆、こぞって嫌がっていた。
「二つ目、俺は確かに未婚ですが、それは婚姻届を出していないだけで、この人だと決めた人が居ます。指輪ではなく、この珊瑚のピアスでお互いを契りました。……相手は随分昔に他界していますが」
「え…」
この若さで奥さんにする予定だった人がいて、しかも死別?
想像もしていなかった。
もしかしたら、童顔なだけで結構な年なのかもしれない。
片耳に付けられた赤い珊瑚のピアス。
もう片方は、この人が愛した人の耳についていたのだろう。
結婚を誓ったのに、結婚できなかったのは、相手も交通事故などの不慮の事故だったのかもしれない。
指輪というありきたりな物ではなく、覚悟を決めるように身に穴を開けて繋がったこの人と奥さんになる予定だった女性を思うと、少し胸が切なくなった。
「三つ目、俺は店を手放せとは一言も言っていない」
「でも、あなたと住む事になったら、この店を離れることになります。店はせめて月に一回は換気をしないと品が傷むし、家も傷みます」
「四つ目、俺の家は二駅先です。駅からは少し離れていますが」
「…え?」
「だから、月に一度、二人で換気と掃除をしに来るのは容易な距離です」
「でも、」
「五つ目、俺も個人で店を営んでいます。久倉ほどではないが、営業の腕は良いと思う。西明さんに助言できます」
「……でも」
「六つ目、高校は出なさい。今のご時世で中卒は少ない。西明さんは成績も良いのだから、大学に行く事を進める」
「大学はお金がかかります」
「金の心配より、志望校に入れるだけの学力があるかを心配したらどうですか」
「なっ」
これでも私は学年上位だ。
大学だって、両親が生きていたら行くつもりだった。
私が何か言い返そうとすると、男はクスクスと笑った。
「そうそう、聞き分けの良い子を演じなくて良いんですよ。親が居なくても、俺がいますから」
「……」
「ほら、疲れたでしょう。疲れたから、悪いほうにばかり考えがいってしまうんです。夕食を、食べに出かけましょう」
男はそう言って、私に手を差し出してくる。私は手を引かれなくては歩けない子供ではない。
手を無視して前に進めば、男は尚のこと笑った。
「西明さん」
「これから」
相手が何か言おうとするのを遮る。
相手があれほど私に話してくれたのだから、私も、ちゃんと言葉で返さなければ。
この人は私の母でも父でもない。雰囲気で察してくれるわけではない。だから言葉にしないと。
後ろにいる男に振り返って、まっすぐに見つめる。
「これから、よろしくお願いします」
頭を下げる。
「私の物を貴方の家に運んだり、手続きとか、そういうのがきっといっぱいあります。私はそういうの、まだ親に教えてもらって居なくて、分からないことばかりで迷惑をかけることになると思います。けれど」
頭に優しく手が置かれる。
驚いて顔を上げると、男が笑っていた。
「これから俺たちは家族なんですから、そんなこと言わなくて良いんですよ。二人で頑張りましょう」
ね?と男が言う。
優しい言葉に、鼻の奥がツンとした。
両親が死んでから、必死に堪えて来た悲しみや辛さが堰を切ったように溢れてくる。
だから優しくされたくなかったのに。
親族は誰もうわべだけの台詞で優しさなんてどこにもなかった。すぐに私の引き取り先の話になって、だから悲しみよりも悔しさが勝って涙も出てこなかった。
今になって泣くなんて思わなかった。
泣く私のそばで、男はずっと頭を撫でていてくれた。
泣き止んで腫れぼったい目を冷やしながら、先ほどコンビニで買ってきてもらった弁当を温める男を盗み見る。
全く気にしていないようで、レンジに弁当を突っ込んでいた。
泣いている間、そばに居てくれたことに何も言ってなかったと思い出して、意を決して口を開く。
「ありがとうございました…」
「泣けて良かったです」
「私は泣きたくなかったです」
「おや、おや」
ピー、と電子音が鳴る。弁当が温まったのだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。えっと…お兄さん、なんて呼べば良いですか?」
「お兄さんで良いですよ」
「それはちょっと……」
お兄さんと私は年が離れているし見た目も全く違う。なのにお兄さん呼びしてみろ、どういったプレイだと思われかねない。
私はどこにでもいる、平凡な女子高生なのだ。変なことには巻き込まれたくない。
「そうですね、では、薬売り、で良いですよ」
「え?」
「皆、私をそう呼ぶんです」
「薬剤師なんですか?」
「俺は漢方薬を扱う店を開いてます。患者や周辺からも薬売りと呼ばれているので、そう、呼んで下さい」
名前を聞いたのだけれど…。名前が好きでないのだろうか。見た目も変わっている人だ、流暢な日本語を話すけれど、もしかしたら名前も横文字なのかもしれない。
まぁ、私には関係のないことか。
「薬売りさん」
口に男を表す単語を口にする。
それはひどく舌に馴染んで、けれどどこか違和感があって。
何なのだろう。
こんな単語、始めて口にするのに、変な感じだ。
呼んだのに、反応が無いから適当な呼び名を言って私をからかっただけなのかもしれない。
そう思って男を見て、驚いた。
男は嬉しそうな、悲しそうな、複雑な表情。
口元は笑っているのに眉根は寄っていて、そんな表情させるために呼んだのではない。
相手は私の目線にやっと気づいたのか、ハッとして、そして柔和な笑顔を浮かべた。
「済みません。普段野郎か老人ばかりなので、女の人にそう呼ばれるのは久しくて……懐かしくなってしまいました」
奥さんになるはずだった人を思い出したのだろうか。
少し、居心地が悪い。
弁当の蓋を開けて、割り箸を動かす。
奇妙な食事の時間は、無駄につけたテレビの音が騒がしくしているだけだった。
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