モノノ怪 飽和する世界 番外 | ナノ
七夕
七月七日は天気が良いのが基本だ。
どれだけ連日雨が降りしきろうとも、この日だけは何故か晴れる。
それは今年も変わらない。
変わったと云えば、私が居る場所だ。
去年は近所でささやかな七夕祭りをしたな。そんな事を思った。
もうあの地には戻れない。分かっていても、記憶を辿れば必ず浮かぶ故郷。
もう戻れないのだから思い出しては胸を燻るこの思いは、望郷の念だ。
女々しいったらない。
帰れないのだから、引きずっていても、意味はないだろうに。
七
夕
の
流
星
群
「西明」
襖の向こうから声がして、終わったと伝えれば襖が開いて変わらない姿が現れた。
それに少しばかり、不公平さを感じる。
「……じろじろ見るな」
穴が開くとはよく言ったものだ。
そんな眼光鋭く見られては、本当に穴が開きそうになる。
「珍しいですから、ね」
薬売りが、笑う。
七夕祭りがあるこの街に来たのは七夕の数日前。
薬売りに祭りの日くらいは鮮やかな浴衣を着て、祭りに参加しましょうと言われたのは今朝だ。
鮮やかな着物なんて持っていやしない残念だったなと鼻で笑った私に、薬売りも笑った。
そしていつ何処で仕入れたのか、薬売りが大きな荷から出したのは、浴衣だった。
しかも、鮮やかな浴衣。
どこまでも用意周到な男に驚愕している間に、あれよあれよと言い包められて着る事になってしまった自分に、軽く自己嫌悪だ。
「自分で買った着物だろうに、珍しくもないだろう?」
強がってみても、薬売りは笑うだけだった。
いい加減その視線から解放させてくれ。
「頭の中では何度も着せていたのですが、現物を見るのとは、やはり違う、という事、ですよ」
「勝手な妄想で私を汚してくれるな」
汚していませんよ、と言う薬売りに、どうだか、と返す。
尤も、薬売りの事だから本当に変な妄想はしていないのだろうが。
「西明」
「何だ」
「何だ、ではありません。行きましょう」
手を握られる。
薬売りが目を細めて童子のように笑むものだから、不覚にもこちらまで胸が温かくなった。
街道に出ると人が多かった。
握った手に少し力がこめられて、本当ならば離す予定だった手が離せなくなる。
人が集まる方角を見れば、太鼓が用意されていた。
撥を持った人もいて、今から和太鼓の演奏があるのだと察しがつく。
「聴いていきますか?」
隣から問われた。
人混みはあまり好かない私は、長時間の滞在となるだろう和太鼓の演奏は少し遠慮したい。
しかし薬売りが聴きたいと言うならば、やる事の無い身だ、音色に耳を傾けても良いだろう。
「薬売りは聴きたいか?」
「俺は、演奏を聴くよりも、二人きりに、なりたい、ですね」
「それもそれで嫌だ。街道を見て歩こう」
噛まれたりしている身で、この男に二人きりになりたいと言われてついていく馬鹿はいない。
街道を進めば手を繋いだままだったので、薬売りもついてくる。
少し歩を早めた薬売りが隣に立ち、こちらを見て笑った。
その表情に笑みを返す事も、悪態を吐く事も出来ずに前を向いて、歩を進める。
色とりどりの着物が行き交う街道。
流れる景色を眺めていると、薬売りが、風車、と呟いた。
何だと思って薬売りを見てみれば、薬売りは何処かを見ていて、その目線を追う。
そこには親と手を繋いだ子供が、空いた手に風車を持っていた。
夏の夜だからだろう、殆ど風は無い。
けれど風車は、くるくると回っていた。
少しの風を読み取るそれは、綺麗な若草色。
「薬売りにも買ってやろうか?」
「冗談を」
薬売りはくすくすと笑う。
「お二人さん、お二人さん」
隣から声をかけられて、何だろうかと見てみれば、子供を連れた男性がいた。
「何か?」
「短冊が二枚、余ったんです。良かったら書きませんか?」
書きませんか?と言いながらすでに短冊をこちらに差し出している。
薬売りに視線を送ると、薬売りが受け取った。
すると男は子供に行こうか、と言って立ち去る。
短冊を受け取った薬売りを見れば、筆が無いですね、と場違いな回答を寄越してきた。
「短冊は昨日書く物だろう」
「ですが、あちこちで、配布してます、よ」
「……街は風習が薄いというが」
田舎者と言われればそれまでだが、風習は守らなければいけないと思う。
昔から引き継いできたものが少しずつ姿を変えて移ろいゆくのは仕方ないのだろう。
けれども、出来れば後世まで守りたいものだと思ってしまうのは、私の我儘だろうか。
「郷に入らば、郷に従え、と言いますし」
書きましょうよと、言外に伝える薬売り。
確かに周りが楽しんでいる時に、風習云々を言うのはお門違いだろう。
それにせっかくの祭りなのだから、私だって楽しみたい。
「そうだな」
短冊を売っている女性に声をかけて、筆を貸していただけないかと言えば、あそこに置いてありますよ、と笑顔で返された。
利き手を繋ぐ私は手を離そうとするが、薬売りが手を離さないで空いている手で筆を持つ。
「薬売り」
「はい」
「このままでは私が書けない」
「俺が書いて、あげますよ」
「冗談じゃない」
自分の願い事を口にするなんて、絶対に嫌だ。
薬売り相手であれば尚更。
弱味ではないけれど、薬売りに内面を知られるのは癪に感じるのだ。
私が絶対に退かないと分かったらしい薬売りは、手を離す。
ぬくもりが消えた手に、少し水気を含む風が触れた。
「何と、書いたんですか?」
「わざわざ教える奴がいるか」
「では、見てきます」
願い事を書いた短冊を笹につけて、手を繋いだ今、薬売りの手を引いて制止する。
「短冊は、誰にだって、見られるものじゃあ、ないですか」
「誰も他人の願い事なんぞに興味無いさ」
「俺は、西明の願いに、興味があります。凄く」
「無くていい」
薬売りは実に残念そうにして、私に手をひかれて歩き出す。
見たい見たいと言う薬売りに、駄目だ駄目だと返しながら歩けば、街道の祭り部分が終わりを告げた。
「何処に、行くんで?」
「地上の天の川を見に行く」
「……はあ」
気の無い返事。
意味が分からないと言いたげな口調に、私は少しだけ笑った。
川沿いを歩いて、郊外へと向かう。
一人で街を歩いている時に見つけたとっておきの場所。
連日続く雨の中では見せられないと諦めていたので、今日晴れたのは本当に幸運だ。
後少し。
あのしだれ柳を過ぎればすぐ。
川沿いに背の高い草が目立ち始めたところで、光がふわりと宙を泳いだ。
ああ、しまった。
隠していた秘密が、自分から姿を現すなんて。
「蛍……」
「正解」
しだれ柳を越えると、その先に広がったのは数多の光が飛び交う世界。
空に天の川があって、地上に光があって、水面に光が反射して、その世界はさながら、宇宙だ。
薬売りはほぅ、と息を吐く。
それだけで、私は心が満ちた。
言葉など要らないこの空間は、私にとって、とても甘美なもので。
幸福な時間を可能なかぎり
願い事が、叶った
〜戯言〜
2009年七夕企画です。
私は薬売りの願いが気になります。
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