モノノ怪 日蝕 | ナノ
閉幕
私と姉は満州へ行った。
姉は身重であったにも関わらず、旦那が満州開拓の命令を受けたからと、満州へ向かった。
私は満州に行かず祖国に残りたかったのだが、姉にどうしてもと言われて断れずに満州入りした。
けれど、それが間違いだったのだ。
第二次世界大戦が始まると、祖国は満州にまで手を焼く暇など無くなった。
満州は、無法地帯となった。
満州がソ連軍に押されていく。
更には、大日本帝国に土地収奪されたと訴える原住民が、今こそ恨みを晴らす時と武器を持った。
ソ連軍に、原住民。もはや、満州は大日本帝国の手中に納まるものではなくなった。
満州に住む日本人が次々と襲われる。此処に居ては虐殺されるだけだ。
女だからあなた達は嬲り殺されてしまうと、同国出身の人に言われた。
ひしひしとそれを感じていた私と、産まれて暫くの赤ん坊を抱えた姉は、次の月が隠れた日、国境を越える事にした。
月が隠れた。
仲間の一人が、今日が好機ではないかと言った。
しかし空を見るかぎり、雲は疎ら。
いつ月明かりが降り注ぐか分からない。
けれど、次の時を待つにはもう限界であった。
国境越えが知られ始めているのだろう、配置される兵の量が少しずつ増えている。
私達のチームは今日この日、隠れ家を出て国境がある山の中に入った。
命綱はチームの皆が握っている紐だけ。
これを離して山に一人置き去りになれば、死が待っている。
皆息を潜めて、眼の利かない闇の中を紐だけを頼りに歩いてゆく。
先導者は稀に私達に伏せろと合図を出した。
近くに狙撃兵が居るのだ。
夜が明けるまでの時間は限られている。
陽が昇れば見つかり、私達は蜂の巣だ。
けれど、焦って此処を駆けたりすれば狙撃兵に気付かれ撃たれて、結果は同じ蜂の巣。
焦ってはいけない。
分かっていても、心は悲鳴を上げている。
気が狂いそうだ。
進みだした私達の耳に銃声が響いた。
その音はとても近く感じたけれど、先導者は歩みを止めない。
それは、私たちが狙われる距離ではないという事。
悲鳴が聞こえた。
次は獲物を追い込んで遊ぶように連射されている。
悲鳴と交ざって、笑い声が聞こえた。
彼等は、猟を楽しんでいるのだ。
闇に紛れて森の中を歩いているために、時折身体に枝が当たる。
痛みよりも、それで生じる音を私は恐れた。
枝を踏んではパキリと音がする。
枝に当たっては葉の擦れる音がする。
これが敵の耳に届いたら。
そう思うと怖かった。恐ろしかった。
私は紐を強く、強く握った。
またどこかから銃声が聞こえる。
今回は、すぐに伏せる合図が出された。
狩人達が近いのだ。
息を殺して、私達は木々と一体化するように努める。
女の悲鳴が何処か遠くで上がった。
耳慣れしない、異国の者の笑い声が響いた。
声が消えると、私達は足を動かした。
しかし私の後ろにいる女が背負っている赤ん坊が愚図りだしてしまったので、皆が足を止めた。
赤ん坊の声は不規則で、周りは静寂。
まるで此処に日本人が居るぞと見えない敵に合図を発しているみたいだ。
女は慌てて愚図る赤ん坊をあやすが、赤ん坊の機嫌は悪くなるばかり。
男が言った。
殺しなさい、と。
赤ん坊が命の危機を悟ったように泣いた。
すると、男が女から赤ん坊を取り上げようとした。
女は必死に抵抗して哀願したけれど、赤ん坊一人の為に皆が死ぬはめになると、周りの者達は一歩も退かずに女から赤ん坊を奪う。
女はさめざめと泣いた。
大声を出せば蜂の巣になると分かっているからこそ、心の痛みに声を張りあげることも出来ない。
赤ん坊は大人の大きな手に顔を覆われて、最初は暴れていたがすぐに動かなくなった。
亡骸は荷物になるからとその場に置いて、私たちは出発した。
暗い道だった。
綱にしがみついて道無き道を歩く。
どれだけこの綱を持つ他者を恨み殺意を抱こうと、綱を放せば己の身に降りかかるのは地獄であると知っているので、この綱を手放せる訳がない。
声も無く、息も殺して歩く。歩く。歩く。
気が、狂いそうだった。
そして私の後ろに居る女は狂ってしまったのだろう。
綱から手を、離した。
伸ばした手は空を掴んだ。
数歩後ろに下がればその人の背中に触れられて、その着物を少しでも掴めただろう。
そうすれば、その人は歩みを止めて振り返ってくれたかもしれない。
けれど手は何も掴まずに元の位置に戻って、その人は前へ前へと歩んでいってしまう。
見えなくなるまで見送る事しか出来ない己の身を、呪った。
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