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01
今回の引っ越しは一軒家だった。だからお隣さんへのご挨拶も私を連れてになった。
引っ越しで小学校が変わってしまったのが悲しくてしょぼくれていた私は、お隣さんに同じ小学校の子はいないかな。とか、同い年とかそんなことないかな。とか、むしろ年上のお姉ちゃんとかだったら人生相談とかできるかな。とか、そんなことを考えて勝手に期待してた。
出てきた人はとても綺麗な女の人で、わぁ!こんな素敵なお母さんがお隣さんになるんだ!とワクワクした。休日の午前なのにちゃんとお化粧してる!
「初めまして、隣に越してきたミョウジです。
ほら、ナマエ、ご挨拶」
「ミョウジナマエと言います」
「ご丁寧に有難う御座います。ナマエちゃんって言うのね、よろしくね」
にこり、と微笑む女性の背中にはお花が咲きそうで、小さいながらにこの人はお母さんとは違って女性って感じのするお母さんだな、と思った。お母さんは怒るし、怒ると怖いし、家ではすっぴんだし、おならだってする。この人はきっとおならしない。いやするだろうけど、人前ではしなさそう。
親が挨拶とその他諸々の話をしていて暇になるので、ついつい家の奥を覗いてしまう。
「あら、息子さんが」
「ええ、5歳差になりますね。ちょっと待っててください。百之助
」
「百之助くんって言うんですか」
お母さんたちの話に、あっ!って思った。ひゃくのすけ、男の人、5歳上。ということは今小学校6年生!同じ学校に通う人だ!
でも5歳も上なのか、とがっかりする。しかも男の人。私、仲良くするならお姉ちゃんが良かったなぁ。
「ちょっと待っててくださいね。百之助
百ちゃーん」
階段を降りてきてるのだろう音が聞こえて、丸坊主になってるお兄ちゃんが玄関の奥に姿を表した。これまた、休日の午前中なのにちゃんと外着だ。
「お隣さん?」
「そう、ミョウジさん。この子はナマエちゃんって言って、同じ小学校に通うんですって」
「初めまして、ナマエです」
靴を足に引っ掛けて、外に出てきてくれたお兄さんはびっくりするほど肌が白くて、そして何より顔がとても良かった。
本当にびっくりするほど綺麗な人で、芸能人かな?と言いたくなる。雑誌とかでモデルでもやってそう。それかドラマの子役にいそう。
目が合うと、お兄さんはとても大きな黒目をカッと見開いて、動きを止めた。
「百之助?」
「あ、ああ……初めまして」
お兄ちゃんはお母さんに名前を呼ばれると挨拶してくれた。そして私をジッと見てくる。大きな黒い瞳はとっても不思議で、光を吸い込んでるみたいで、本当に真っ黒だ。
隣にこんな素敵なお兄ちゃんがいるなんてラッキー!と年長の私は来年からの小学校生活にワクワクした。
***
親同士の話で、最初は登下校の道がわからないだろうから百之助が連れていってあげなさい。という言葉が出て、百之助お兄ちゃんは渋々と頷いた。
そんな訳で、早速一緒に登校である。
チャイムが鳴る前に、玄関にランドセルを背負った状態で待機してたら、ピンポーン、と引越してもどこの家でも同じ音が響いた。お兄ちゃんだ!
「おはようございます!」
「ああ、おはよう」
家の鍵を施錠して、門を閉じて、百之助お兄ちゃんの隣に並ぶ。
「今日はよろしくお願いします!」
「……ええと」
「ナマエです!」
「ナマエ。行くぞ」
「はい!」
ランドセルを背負って歩く。信号に気をつけろ、とか、ここは黄色の信号でも走り抜ける車がいる、とか、一つ一つ教えてくれた。
親切なお兄ちゃんだ!本当に、いいところに引っ越してこれた。
「ありがとうございます」
「普通の事だから」
「それでも、嬉しいです」
「……」
「私、季節外れの転校だから不安がいっぱいだったんです。お母さんが急に家買ったって言うし、近くに知ってる人誰もいないところだしで」
「……」
「お隣さんが百之助お兄ちゃんで良かった」
「そう…」
「うん!」
百之助お兄ちゃんは以降必要以外は口を開かなくて、私もなに話したらいいか分からなくて、とりあえず元住んでたところの話をたくさんする。
百之助お兄ちゃんは相槌を打ってくれて、それだけで私はほっと一安心した。話を聞いてくれる人がいるっていうのは、こんなにも嬉しい。
「靴箱の場所は分からないから、最初に職員室に行く」
「はーい!」
嬉しくて持ってきた上履きに履き替えて、職員室に入る。お兄ちゃんが先生と何か話していて、すると女の先生が私のところに来てくれた。
「ミョウジさんの担任の先生はいま正門で当番してるから、少しここで待っていてね」
「はい」
「じゃあ、俺はこれで」
「ありがとう、尾形くん」
「百之助お兄ちゃん、ありがとうございます」
「ん」
手を振れば、手を振り返してくれる。百之助お兄ちゃんは、職員室を出てすぐの階段を登って行ってしまった。
ああ、寂しくなっちゃうな。
教室ではそこそこ楽しく過ごせて、皆んなすぐに仲良くなってくれた。
帰り道も同じ方向の子達が一緒に帰ってくれることになって、安心する。
「えー、ナマエちゃん、尾形さんの隣なの?」
「うん!6年生のお兄ちゃんがいて、今日…」
今日も朝一緒に登校してくれたんだ!って言おうとしたら、他の子が口を開いて、私の言葉を消してしまう。
「あそこの家には近づいちゃダメだよ?」
「えっ、何で?」
本当に、何で。あんなに良いお母さんで、あんなに優しいお兄ちゃんなのに?
女の子はひそひそ話をするように口に手を当てて筒みたいにして、私の耳元でこんなことを言った。
「あそこのお母さん頭がおかしいから、気をつけなきゃいけないの」
「頭がおかしい?」
聞き返せば、他の子まで口を挟んでくる。
「変なんだって。急に歌ったり、急に怒ったり、変なこと言ったり。とにかく近づいちゃダメだよ?今あそこのおばあちゃん入院してるから、誰もどうにも出来ないって困ってるの」
「そんな…!そんな事なかったよ!?」
「もう会ったの?」
「だってお隣さんで、ご挨拶あるもん」
「ええ
。じゃあそれだけにしときなよ?あそこのお家、有名なんだから。きっとナマエちゃんのママも他のママ達から話聞いてすぐ知るから、大丈夫だよ」
何がどう大丈夫なのか分からない。だってあんなに優しい人が。微笑んでくれて人が。そして何より、一緒に歩いてくれた百之助お兄ちゃんが、周りから石投げられるような、目をそらされるような、そんな扱いをされてるのが許せない。
でも、その場で何も言えなくて、周りの子達は隣だと大変かもね、とか、そんなことを言って、それが余計に嫌で、嫌で、いつもならよく回る舌が下の歯にくっついちゃったみたいに動かなかった。
家の鍵を開けて中に入ると、シンとしてた。
テーブルの上にはお金。それだけ。
お母さん、今日は帰ってくるのかな。
「百之助お兄ちゃんおはよー!」
翌日、また玄関に腰掛けておいて、お隣さんの玄関の開く音がしてすぐに家を飛び出す。
お兄ちゃんの大きな後ろ姿を追っかけて、隣に並べば大きな瞳を見開いてこっちを見てきた。
「一回じゃ分からなかったか?」
「ううん。お兄ちゃんの説明でわかったよ。でも一緒に行けたら良いなって」
「俺、嫌だから」
「えっ、何で」
「からかわれるし」
「…!ごめんなさい」
そっか。大きな人って小さな子と一緒に歩いたりしないよね。
前の所の友達も、お姉ちゃんに「付き纏わないで!」とか言われて泣いてたことあったっけ。
「……今日はいい。昨日の今日で、もし1人にして自己にあったら嫌だから」
「ありがとう!!」
優しい。きっとお兄ちゃんは優しさで出来てるんだ。
「ところでお前、昨日も今日も自分で鍵閉めてたけど、お母さん仕事早いの?」
「えっ、あー…あー…」
「別に言いたくなければいいけど」
「ええとね…」
なんて言おう。大概から言うと嫌な顔されるし、友達は離れていっちゃうんだよなぁ。
「お母さん、その、色んなところに泊まるのが好きで…」
「?」
そうだよね、分からないよね。普通こんな事ないもんね。
「……その、お母さんシングルマザーで、恋人が沢山……その、いて……」
「分かった」
制するように手を前に出されて、口を閉じる。百之助お兄ちゃんは手で口元を覆いながら、何も喋らなくなってしまった。
普通じゃない話だもんね。そりゃ、聞きたくないよね。
「食事は摂ってるか?」
「うん。お金置いてあるし。ここコンビニ近いから、凄く楽」
前の家はコンビニが遠くて苦労した。お母さんはすぐじゃないかと言っていたけれども、私にはとても遠かった。それを思えばここは天国だ。
「洗濯は?」
「やり方知ってるよ。出来るよ」
干し方も、前の家のアパートはお向かいさんがいて、その人を見様見真似で干せるようになった。洗剤とかは難しいけど、絵で書いてあるからどうにか出来てる。と、思う。
「もしかして私、臭い?」
「臭くない」
「良かった」
お風呂は毎日入るものだって私に教えてくれたのも、食事は3食+おやつを2回食べるというのを教えてくれたのも、毎日着たり使ったりしたら洗うのだと教えてくれたのも、お祖母ちゃんだった。お母さんは嫌ってたけど、私は大好きなお祖母ちゃん。
もう会えないのかな。寂しい。
「お前は大丈夫か?」
「なにが?」
「男が家に来たりはしないのか?」
「家に来たりはしないなぁ。多分お母さん、私のこと言ってないと思うし」
「そうか」
「うん」
以降は無言。ずっととぼとぼ歩いていると、学校まであと少しかな?というところで百之助お兄ちゃんが口を開いた。
「お前が嫌でなければ、朝一緒に登校していい」
「本当!?やったー!」
両手を上げて喜ぶと、大袈裟、と笑われた。
「でも、嫌になったらすぐに離れろよ」
「嫌にならないよ」
「どうだか」
昨日の変な話を思い出すけど、そんなので私は百之助お兄ちゃんを嫌ったりしない。
だから毎日、毎日毎日朝は早めに玄関に座って、百之助お兄ちゃんが出てくるのをじっと待った。
1週間くらい経って、週の始まりの月曜日。百之助お兄ちゃんのいってきます、という声が聞こえて、いつもと違う「いってらっしゃい」が聞こえた。
あれ?誰?百之助お兄ちゃんのお母さんみたいに鈴の音ではない。
慌てて外に出れば、玄関先にお婆さんがいた。えっ誰。
「あらおらよう。あなたがナマエちゃん?」
「え、あ、はい」
「初めまして、百之助の祖母です」
「初めまして」
頭を下げられたので、こちらもペコリと返す。そう言えばおばあちゃんが入院してるって言ってたっけ。いいなぁ、お婆ちゃんと一緒に住んでるんだ。
「祖母ちゃん、今日の夕飯、こいつも一緒でいい?」
「ええ、ええ、良いわよ。ナマエちゃん、好きな物はなぁに?」
「えっ、た、卵焼き…です」
「わかったわ。楽しみにしててね」
行ってらっしゃい、とおばあちゃんがニコニコと手を振る。
「お兄ちゃん、なんで急に?」
「ずっとコンビニじゃ飽きるだろ」
「でも私、お金持ってないよ?」
「3人分作るのも、4人分作るのも変わらないだろ」
「ええ
…そういうもの?」
「そういうもの」
頷く百之助お兄ちゃんに、ええ
とまた声が出てしまう。
その日から、週の初め、月曜日は尾形家で食事を摂らせてもらえることになった。
***
「ねぇナマエちゃん、尾形さんの所に行ってるの?」
帰り道、前に百之助お兄ちゃんのお母さんを悪く言ってた友達から質問されて、また舌が動きを止めてしまう。
「私言ったじゃん、近づいちゃダメって」
「なんで私たちが言ったこと守れないの?」
なんでこんなに責められなきゃならないんだろう。まるで退路を塞ぐように前に立つ2人。ああ、恐ろしい。
「それにナマエちゃんのママ、ぜんっぜん見ないけど、何してるの?ママが、ナマエちゃんがコンビニで買い物してるのをよく見るって言ってたよ」
「うちのママもナマエちゃんが1人なんじゃないかって心配してたよ」
喉がキュッと締まって、息が辛くなる。あ、とか、えっと、とか、どうにか声を出そうとするけど、舌がうまく動かない。
お母さんが家にいないってバレたら、またややこしくなる。お祖母ちゃんにもまた迷惑かけるし、お母さんも嫌な顔をする。
どうしよう、なんて言おう。
「お母さん、仕事忙しくって、たまにご飯とか作らない時があるんだよ。だからそう言う時買いに行ってるの」
「でも、毎日って言ってたよ?」
「毎日忙しいの?」
やめてよ。やめて。これ以上深掘りしないで。
お母さんを「変なひと」って思わないで。私を可哀想だなんて思わないで。
「あら、ナマエちゃん」
「っ!おばあちゃん…!」
そこに居たのは袋を下げた百之助お兄ちゃんのおばあちゃんだった。
「あらあら、ナマエちゃんのご学友ね。こんにちは」
「……こんにちは」
「……」
1人は挨拶したけれど、もう1人は頭を下げるだけだった。
きっと親から口を聞くなと言われてるのだろうなと思って、余計に悲しくなってきた。
「これからも、ナマエちゃんをよろしくね」
じゃあ私はこれで、と家に帰ろうとするから、おばあちゃんの荷物を奪うように待つ。
「おばあちゃん重いでしょ!私が待つよ!」
「あらあら、ありがとう」
「私おばあちゃんのお手伝いするから、じゃあね!また明日!ばいばーい!」
友達に元気に手を振ってすぐに背中を向ける。
トコトコと歩いて、角を曲がって、後ろにいないのを確認してほっと一息吐く。
「ナマエちゃん、夕飯、これから毎日おいでなさいな」
「……」
「私、孫は2人欲しかったのよ」
ふふふ、と笑って頭を撫でてくれる。
私の涙の防波堤が崩れるのは、とても簡単だった。
***
「おかえり、お兄ちゃん」
「…?今日、木曜日……」
「おばあちゃんがね、毎日食べにきて良いって」
「そうか」
玄関で靴を脱ぐお兄ちゃんは私の髪型を見て首を傾げた。
「これはさっき、お母さんにやってもらったの」
「良かったな」
今日は百之助お兄ちゃんのお母さんは機嫌が良くて、鼻歌を歌いながら私の相手をしてくれた。その時に、アイロンってやつでくるくるに巻かれたのだ。
ランドセルを置きにだろうか、二階へ登っていってしまう。一階には台所と水回り、それからお祖母ちゃんのお部屋がある。二階はお兄ちゃんとお母さんの部屋、それから使われていない部屋があるのだと言っていた。
それからというもの、私はコンビニに寄る回数が減った。土日はおばあちゃんと買い物に行って、私の朝ごはんになるパンを買ったり出来たから、コンビニからは自然と遠ざかった。
たまに帰ってきたお母さんは私を見て、良い子にしてた?と聞くだけだったから、うん、とだけ返して、尾形の家でご飯を食べさせてもらっていることは言わなかった。言ったら多分、お母さんは怒るから。
最初はご近所さんがお母さんに告げ口しないかなと不安もあったけど、ご近所さん達もお母さんが帰って来てないことに気付き始めたみたいで、私の家は触れてはいけない家、という認定がされたようだった。
助かる。
「ねぇ百之助お兄ちゃん」
「……なに?」
「なんでそんなに嫌そうな顔するの」
「ナマエが口を開くと話が長いから」
「そんなに私、お喋りかな」
「割と」
「ん
。そっかぁ。そんなこと考えたこともなかった。でね、お兄ちゃん」
「宿題してる」
リビングのローテーブル。私とお兄ちゃんは教科書とノートを広げている。
宿題をちゃんとこなしているお兄ちゃんはとても偉い。私は尾形家に来るようになって、宿題はしっかりしろ、と何度も言われて一緒にやるようになった。
宿題はして当たり前。そんなことも知らないのか、と叱ったりはせず、淡々と、知識は身を助けるからしろ、と言ってくるから、そうなのかと納得できたのも大きい。
最初はお兄ちゃんは自分の部屋で勉強していたけど、私が一緒に勉強したいと言い出して、お兄ちゃんの部屋に折りたたみ式の小さな机を置いて一緒に勉強し始めた。内容が読み取れなくて、答えが分からなくて、お兄ちゃんの背中に教えてと言うたびに振り返って机から離れて教えてくれて、をしていたら、毎回振り返るのも私の場所に来るのも面倒になったらしくて、リビングで机挟んでやるぞ、と言われたのだ。
そんなわけでリビングで教科書を広げての勉強会。時折おばあちゃんがお菓子やお茶を持ってきてくれるから、またそれが嬉しい。
いや、今はそうじゃなくて。
「お兄ちゃん」
「……なに」
とうとうお兄ちゃんは折れたようで、私の話を聞くためにシャープペンシルを置いてくれた。やったね!私も鉛筆を置いて、ランドセルから紙を引っ張り出す。
「今度家庭訪問があるの」
「……それで?」
「お母さん、次いつ帰ってくるか分からなくて、これどうしようかと思って」
渡した紙は、家庭訪問の予定表。ミョウジ家は来週になっている。
「……親の電話番号とか知らないの?」
「知ってはいるけど、かけていいか分からなくて」
もし男の人と会ってる時に電話してしまったら大変だ。前にうっかりかけた時は、こっぴどく叱られた。
「知らせずに、学校やらに今の生活知られた方が後々厄介だと思うけど」
「うぅ
ん……」
「電話、かければ」
家電を指さされる。暫くうだうだしてたら、さっさとしろよと机の下で足を蹴られる。痛いよ。
重い腰を上げて、電話番号を押す。プルルル…と呼び出し音が鳴って、重い空気を吸い込んだ。
『はい、もしもし?』
少し高めの、外向けの声。お母さんだ。
「お母さん?ナマエだよ。え?……あ、えっと、今、尾形さん…そう、お隣さんの家にお邪魔してて……、えっと仲良く………そう、勉強……うん。うん」
お母さんは表示された電話番号が家の番号と違ったことを指摘して、それから何勝手に人様の家に上がり込んでるの!と叱ってきた。
そりゃそうだよね。人様の家から電話してるってなったら、そりゃ怒るよね。お母さんの怒りが落ち着くまで相槌を打って、とにかく波が引いて行くのを待つ。
「あのね、お母さん、学校から家庭訪問の紙が届いて…そうなの。来週の金曜日、16時からって。お母さん平気?うん、ごめんね。ありがとう」
日付と時間を再確認されたあと、ぷっ、と切られた。
どっと疲れが出て、溜息と一緒に受話器を置く。手汗を服で拭っていると、お兄ちゃんはこっちをじっと見ていた。
「ナマエのお母さん、怒号のように喋るんだな」
意外、と思われたかもしれない。お母さんは外ではとてもニコニコして穏やかな顔なのだ。だからみんな騙される。騙されて、本当の姿に気付かない。
「……聞こえてた?」
「漏れてた。受話器越しでも鼓膜が痛くなる声だった」
「はは…そうだよね。はぁ、疲れた」
「おつかれさま」
麦茶の入ったコップを渡される。ひんやりと冷たいそれに、嫌な汗が引いていくみたいだ。
「ねぇお兄ちゃん」
「この日さ……ううん、何でもない」
金曜日だから、お母さんは家庭訪問が終わったらさっさと家を出ていくと思う。きっと機嫌が悪いから、食費は置いていってもらえない。今まで尾形家で食べてた間のお金を貯めていたから、それを使ってコンビニで買おう。この日まで夕飯食べにきて良い?なんて聞いたらダメだ。惨めになる。
「お母さんが出かけたら、うちに来ればいいよ」
お兄ちゃんはぽつりと言った。
「お祖母ちゃんだってナマエが食べに来るのをきっと待ってる。でも、ナマエのお母さんが家にいるなら、無理はしないほうがいい」
「うん…!!」
なんて優しいんだろう。
私、この家の子になりたいよ。
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