デスノ 跡継ぎ | ナノ
存在理由
少年の心にある傷はあまりに大きい。
絞り出すような声で泣きそうにやめて。ぶたないで。と言う少年。
初めて聞いた声が恐怖を全面に表していて、胸が押し潰されるような気持ちになった。
この子の声は、決してこんな使い方をするものではない。
これくらいの年なら歌うように声を発し、感情を思いのままに表現すべきなのだ。
それなのに発するのは心が引き裂かれてしまいそうな悲鳴だけで、どう接すれば良いのか分からない。
蹲る子供を前にして何も出来ない自分が腑甲斐なくて、そんな事を思う自分が余計にみっともない大人だと痛感させられた。
おねしょは洗ってしまえば済む事なのに、何故そんなに怯えるのか。
そんなの、考える必要も無いくらい明白だ。
シーツを洗おう。痕跡を残したままでは居心地が悪い。
それより先に、腹が冷えたら困るから少年を風呂に入れよう。
少年が浴室で温まっている間にシーツを洗えば良いと考えて、少年に一人で風呂場に行かせようと思った。
けれど、止めた。
少年を一人にするのは酷な行為だ。
心細い時には誰かに傍にいて欲しいものだと思い、私も風呂場まで共に行く事にした。
少年が浴室に入ったのを音で確認してから、脱衣所に入る。
一人で居ては意識を集中させるところが無くて、苦い経験や記憶を思い出される。ならば疎まれても、私が近くに居てこちらに意識を向けさせたほうが良い。
だから一人が苦手という小さな嘘を吐いて、声が聞こえるだろう場所に腰掛けた。
ワタリが『L』について、少年に早く教えて欲しそうだったので、少年に『L』について話して聞かせた。
少年が精神的に疲れている時にこんな事を話しては余計疲れさせるだけだとも思ったが、顔を見ずに話せる今のうちに話しておきたかったのだ。
Lになる事は人間関係を無くし、今までの自分を捨て、人を疑って生きる事だ。
少年の未来にある様々な可能性や人間関係を断ち切らせる発言を正面切って話すなど、私の中にある後ろめたさが無理だと叫ぶ。
狡いと分かっていながらも、私は浴室への扉を背もたれにして壁に向かって一通り話した後、質問は無いかと問う。
それはカケだった。
少年が声を出せると分かった今、普通に声が出せるのか、試してみたかった。
また緊張に喉が締まって発声は無理だろうと、心のどこかでは思っていた。
だから、深呼吸をさせてみたものの「手を二回打てば、いいえになるよ」と見切って言ってしまうところだった。
「……あ」
小さな声が聞こえて、心の中で飛び上がる。
まさか、話せるのか?
少年は震える声で、少し早い口調で言葉を紡いだ。
驚いた。
同時に、少年の秘める強さに歓喜を覚えた。
よく話してくれた。とは、あえて誉めない。
それは、今まで話す事が出来なかったという事実を肯定する事になってしまう。
驚きを隠しながら、平素のふりをして質問に答える。
この子が欲しがる答えを都合良く並べてはわざとらしいと思い、素直に答えた。
そして出た、もう一つの質問。
「ケイ…は…どうして探偵になったんですか?」
この質問に、躊躇した。
私が『L』なったのに理由は何もない。
先代のLに引き取られた時点で、私の未来は『L』なのだと決まっていた。
だから理由なんてない。
あえて理由を求めるなら、私は……
跡継ぎ
存在理由
私はこの家に引き取られてLとして生きる命を受けるまで、存在を否定されて生きてきた。
存在を否定というより、者ではなく物として扱われていたと言えば分かりやすいだろう。
私の一番古い記憶は、裸電球一個が天井の真ん中からぶら下がった、コンクリートで四方を囲まれた四角い空間だ。
窓もない、換気扇が回る音だけがする空間。そこで幼少期を過ごした。
そして、孤児院に引き取られて幾月か経った頃に、先代のLに引き取られた。
そこでの扱いは、衣食住では困らなかった。
困らなかったけれど、精神衛生上良くないものだったと、今なら思う。
先代のLは私を『次代のL』という名の物としてしか扱わなかった。
この世に生を受けてからずっと、私を人として認めてくれる人は居なかった。
ずっと人として見てもらえなかった。
私はただの物だった。
ワタリは私に優しく接してくれたけれど、先代のLに私をLらしく育てろと命を受けていたから、出会って暫らく経つまで、ワタリも私を次代のLとしてしか見ていなかった。
そんな時だったから、Lになれば私を必要してくれる人が現われるのではないかと思っていた。
私を必要としてくれる人が欲しかった。
私を、私の存在を求めて欲しかった。存在意義が欲しかった。
ただ在るだけでなく、価値が欲しかった。
だからLになった。
「私は、私の存在を必要としてもらえる仕事だったからかな」
こじつけの理由を口にする。
私がLになるのは絶対で拒否権など無かったが、あえて理由をつけるのならば、こういうものだろう。
先代が亡くなって、自由となった身でもLを続けたのは、刷り込みと、天職であった事と、ほんの少しの認めたがりな気持ち。それだけだ。
「他に質問は?」
次の声を求める。
話せるうちに話したほうが良い。
そうでなくては、また話せなくなってしまうから。
「……無い、です」
「跡を継ぐ継がないは、今すぐ答えを出さなくて良い。君の人生だから君が決めるんだ。時間はある」
催促はしない。
少年の一生に関わる問題だ。
じっくり考えると良い。
拒否するなら、私とワタリがこの地から姿を消すだけだ。
私はLになった事を後悔こそしていないが、選択権を与えられるのと与えられないのでは気分的に違う。
だから少年には選択権を与えて、ゆっくり考えて、悩んで欲しい。己の未来を選び、勝ち取って欲しいのだ。
私には出来なかった事だから。
暫らくの沈黙の後、
「私は、『L』になりたいです」
少年が言った。
そんな簡単に答えを出して良いのだろうか。
だがこの子は頭が良いから、しっかりと考えての発言だろう。
少年がそう望むならば、私がわざわざ不安を与える事を言う必要はどこにもない。
「有難う。改めてよろしく、L」
心から、感謝した。
残りの時間を共に過ごす子が決まったからなのか、何故かは分からないけれど、心の底から有難うと言いたかった。
Lがそろそろあがるだろうと思い、脱衣所から出る。
暫らくして、服を着たLも脱衣所から出てきた。
「お、今度はちゃんと髪を乾かしてるな」
芯の有る黒髪は重力を無視してあちこちを向いているが、それは乾いている証拠だ。
「部屋に戻ろうか」
頷く。
先程、私に質問が出来たのは向き合っていなかったからか。
相手の姿が見えないと声を出せる。
良いではないか、それで。
しっかり話せていた。
それだけで、今は十分だ。
「L、私の部屋で寝てくれるかな」
Lが私を上目遣いに見る。
大きな瞳は、どうして急に?と言いたそうだ。
「ベッドが乾いてないんだ」
言うと、Lは俯いた。
別に責めているわけではないのだが、おねしょを悪いと思ってしまっているようだ。
おねしょなんて、洗えば済む事なのに。
「Lの部屋以外にもベッドは有るんだが、長い間使っていないから寝たら身体が痒くなりそうなんだよ。だから今日は、私の部屋を使ってくれないかな?」
Lは頷いた。
Lを一人にすべきか、否か。
Lは怯えている。
一人にしない方が普通は良い。
だが怯える原因が母親だ。
母親と同じ性別の人間が居る方が、怯えるかもしれない。
だが一人殻に閉じ籠り、人に怯え拒絶し続けられるのは困る。
せめて私とワタリには慣れてもらわなくては。
多少荒治療だが、仕方ない。
提案するのは自由だ。
「一緒に寝ようか」
Lは私を目だけで見上げた。
その瞳には動揺と、恐怖。
提案は、却下だ。
「とは言っても、私は仕事があってすぐには寝ないから、Lは先に寝ててくれないか?」
Lの瞳は変わる事なく、動揺している。
目は口ほどにものを言うとは、本当だな。
仕方無い。
「……人が居ると寝付けないよな。私もそうだ。私はリビングに居るよ」
部屋に入って、机に置いたノートパソコンを持って部屋から出る。
Lが黙って、困った顔をして私を見ていた。
「どうした?」
俯いて、地面を見て、真新しい上着を小さな手がぎゅうっと掴んでいる。
手が震えるほど力まなければならないのは、何故?
「私に……」
小さくて、震えた声。
人が前に居ても話せる状態がもう訪れるなんて、思ってもいなかった。
震える声には不謹慎ではあるが、この子の強さを感じて、ほんの少し嬉しくなる。
「気を、使わないで下さい」
「気?使ってないぞ」
Lは黙って俯いた。
恐がられるのは覚悟して、頭に手を置く。
案の定、Lは身を強張らせた。
それに気付かないふりをして、頭を撫でる。
「寝た方が良い。疲れていると碌な事が無い。寝れなければリビングにおいで。私が居るから」
これだけでは、Lは一人で見えない何かに怯えてもリビングに来ないな。
「眠れないなら一緒に話をしような」
私は君と話がしたいな。というような意味を含む。
この一言で何かが変わるとは思えないが、言わずにいるよりもは、言ったほうが気持ちは伝わるだろう。
「じゃあまた」
くしゃりと髪を撫でて、私はノートパソコン片手にリビングに向かった。
もう犯人は分かっている事件。
後はもう犯人が犯行に及ぶのを確かめれば、捕まえられる。
もう捕まえても良いのだけれど、現行犯逮捕の方が良い。
次に事件を起こす場所も日時も、把握している。
もう警察に指示は出しているから、もう私が口を出す事は無い。
ネットにも接続しない、自宅でしか使わないノートパソコンの中で資料を纏め上げて、それで終了だ。
一通りを終えて、伸びをする。
リビングに近付く足音。
Lかな?と思ったが、違うようだ。
足音で分かる。
ワタリだ。
「やはりケイでしたか」
笑った。
やはり、という言葉に、居て当たり前という雰囲気を感じる。
それは確立された居場所を持っているみたいで、こそばゆい。
「居ちゃ駄目か?」
「ここはケイの家です。居て悪い場所があるはずありません」
格式張った言い方。
ワタリらしいと言えばらしいけど、壁を感じてしまう。
「仕事ですか?」
「あぁ、でも明日には終わる」
「明日、犯人は犯行に及ぶのですね」
「あぁ」
ソファの背を使って、背中を反り天井を仰ぎ見る。
ワタリが私の背後に立って、私の頬を大きくて温かい手で包んでくれた。
「隈がひどいですね。少し休まれた方が良いのでは?」
「平気だよ。馴れている」
「顔色も優れませんね」
「いつもの事だ」
「……病院に通ってはどうですか?」
閉じていた目を開く。
ワタリは眉間に皺を寄せ、眉尻を下げていた。
そんな悲しそうな顔を、してくれるな。
「治る見込みのないものに、金をかける必要は無い」
「お金は沢山あります。治療して少しでも命長らえるならば、出し惜しみする必要ないでしょう?」
「私は私に、金をかけたくは無いなぁ」
「ケイ!」
「……」
頬を包む手をやわく退かして、背筋を元に戻した。
「少しは自分を大切にして下さい」
「済まない」
謝ったのは、無理だから。
「なぁワタリ」
「……何ですか?」
「お金は沢山あるんだよな。ワタリは業界に顔が利くし……」
「……」
「明日には、こちらの仕事が一段落する。暫らく、Lは休業したい」
「ケイがそう仰るならば」
「ワタリは業界とのパイプ作りを、これからも頑張って欲しい」
私が仕事を休んでも金に困らない様にしたい。
何よりこの先に広がるだろう情報社会では、パイプが大切だ。
「分かりました」
「色々と済まないな……」
「謝らないで下さい。貴女が謝る必要はありません」
私は苦笑した。
「ただお願いがあります。病院に通わなくても良いので、せめて薬は飲んで下さい」
「分かったよワタリ」
ワタリは溜息をつく。
「何か淹れましょうか」
「じゃあコーヒーを頼もうか」
「眠れなくなりますよ」
「眠いならコーヒーを飲んでも寝るさ」
「また屁理屈を言って」
ワタリは苦笑して台所に行き、しばらくした後コーヒーを持ってきた。
ワタリもソファに座る。
「先刻何やら足音が聞こえていたのですか何かあったんですか?」
ワタリの事だから、事情に気付いているのでは無いだろうか。
「今あの子、Lは私の部屋にいる。理由は……まぁLの部屋に行けば分かる。理由を知ってもLには知らない顔をしていて欲しい」
「だいたい予想はつきますので、了解しました」
私は笑った。
「ケイは何処で寝るんですか」
「私はここ」
「何故」
「Lがじきにここに来るから」
「寝ているのでしょう」
「否、きっと来る。私の勘は当たるんだよ」
「はぁ」
曖昧な返事。
「だからワタリは寝ていてくれ」
「……」
「Lとお話をするんだよ」
「あの子も寝れないではないですか」
「眠たくなったら寝る」
「そう、ですか」
ワタリはソファから立ち上がり、それではと言ってリビングから出て行った。
カチ カチ カチ カチ
カチ カチ カチ トン
カチ カチ トン トン
秒針に混ざる足音。
目を開く。
立ち上がって、廊下に通じる入口に向かった。
階段を見ると、Lが居た。
私は先ほどまで練習していた笑みを浮かべる。
「L、来てくれたんだ」
まるで待ち望んでいたかの様な台詞。
Lの心に染み付いている親から受けた仕打ちを除くには、まず自分が望まれた存在だと認識する事だ。
疎まれるだけの存在では無いと気付いて欲しい。
「おいで」
立ったままだと上から物を言っているみたいで威圧感があるだろうと、しゃがんで手招きをする。
Lは近付いてきた。
しゃがんだままでは何も出来ないので、立ち上がる。
リビングの扉を開けたまま待てば、Lは促されるかのようにリビングに入った。
「何か飲むか?」
返ってくるのは沈黙。
いらない、というわけではないだろう。
水分を摂っていないから喉は渇いている筈だ。
私は台所に入る。
冷蔵庫の中には、ワタリが子供のL用にと買った様々なジュースがあった。
キッチンにジュースを全部出して、それとコーヒーと紅茶、ココアも用意する。
流石にこれだけ種類があると、普段ティーセットとケーキを運ぶだけのトレイには収まりきらないな。
仕方ないか。
「L、こっちに来て」
Lを呼べば、俯いたまま歩いて来た。
「抱っこするよ」
予告をして、脇の下に手を差し込む。
抱き上げると、Lは思った以上に軽かった。
Lが狼狽して見てくるので、私は笑みを絶やさない様にする。
「ここから飲みたい物を選んで」
Lはキッチンに並んだジュースやらを見てあまりの量に選びづらいのだろう、大きな瞳をキョロキョロと動かしている。
「……」
コーヒーを指した。
「コーヒー?」
Lは頷いた。
夜にコーヒーか。
カフェインが入ってるからより眠れなくなりそうだ。
「飲んだ事あるのか?」
否定。
子供には苦いと思うけれど、せっかく選んだものを拒否するのも良くないし、挑戦してみるのも悪くない。
「分かった。今から淹れるからソファに座って待っていてくれ」
下ろすと、Lは小さく頷いてリビングに向かった。
コーヒーを淹れる。
ワタリが淹れる程美味しくないのが私のコーヒーだ。
どうやったらワタリのコーヒーみたいに美味しくなるのか、いまいち分からない。
見よう見まねだけでは味を同じには出来ないな。
自分の分も淹れて、砂糖とミルクもトレイに置いてLの元へ行く。
「はい、どうぞ」
Lは頭を下げた。
有難うと言葉で言えないから行動で示す。
「Lは甘い物好きみたいだから、砂糖をいっぱい入れた方が良いだろう。一回試し飲みをしてごらん」
Lはまず何も入れず飲み、変な顔を作った。
苦いと全面で表現している。
Lは角砂糖とミルクを見た。
「何個でも入れると良いよ」
そう言えば、一つ入れては少し飲んでを繰り返す。
1個
2個
3個
4個
5個
6個
7個
8個
……待て。
入れ過ぎだろう。
確かに私は何個でも入れると良いと言った。
だが、入れ過ぎだ。
甘党といえど、ティーカップ一杯にここまで入れないだろう。
Lはミルクも入れて、普通に、何事もなかったかの様に飲む。
「美味しいか?」
Lは頷く。
この子は凄い甘党だ。
こちらも飲みながら、横目にゆっくりと飲む姿を眺めていると、Lは飲み終わる前にうとうとし始める。
それはそうか。この子はまだ幼いのだから、眠たくなるのは当たり前だ。
「寝るか?」
首を横に振る。否定。
「でも眠たいだろう?」
否定。
否定ではなく、寝る事を拒否しているのだろうか。
寝れば嫌でも夢を見る。
見知らぬ人間と生活をするとなった今、精神的に不安定で嫌な夢を見る。
それにこの子は過去も過去だ。
良い夢など、見た事が無いのではないだろうか。
「なぁ、L」
Lは私を上目遣いに見る。
「一緒に寝ようか」
Lは元々大きな目を見開いた。
「一緒に寝れば、怖くないだろう?」
「……」
「最初は人が隣に居ると落ち着かなくて寝付けなくても、毎日一緒に居るようにすれば寝れるんじゃないかな」
「……」
「嫌?」
否定。
「め……」
震える声が音を紡ぐ。
耳を澄ませて聞いていれば、迷惑をかけてしまうとの事を言いたいようだった。
「迷惑?迷惑をかけているのは私なんだよ。君に無茶な要求ばかりしているからね」
でも、と口ごもる。
子供なのに、甘えるのに抵抗を感じるのか。
「試しにやってみようよ。それでどうしても駄目だったら、自室で寝よう」
それでも迷うので、私はもう少しだけ強要してみる。
強要するなんて嫌な大人になったものだな、と自分に思う。
Lは躊躇した後、頷いた。
良くぞ認めてくれた。
「寝ようか」
私は空になったカップを二つ持つ。
「あの……ケイ……」
「ん?」
「どうして、そこまでしてくれるんですか?」
私は少し考えた後、
「私は何かをしているつもりはない。けれど、強いて言うなら、自分の内側に入れた人は大切にしちゃうからかな」
Lはよく分からなかったような顔をする。
「Lを好きだってことだよ」
Lは私を見る。
私はコップを洗って、Lの手を握った。
「さ、寝よう」
一瞬だったけれども、握り返してくれた気がした。
〜戯言〜
好きな人は甘やかす。それか、屈折した愛情でいたぶる。
誰もがそのどちらかでしかなのではないでしょうか。
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