デスノ 跡継ぎ | ナノ
ヘムロック
目を覚ますと視界はまだ真っ暗で、夜なのだと分かる。
「寝付けない?」
隣から発せられる声に驚いて、勝手に肩が震えた。
隣に、何が居る?
「……」
私は声の主を見て、一瞬母に見えて空気が塊になったように喉につかえて息が出来なくなったけれど、違う事に気付いて肩を下ろした。
随分としっかりした声をしていたから、ケイも寝ていなかったのだろうか?
ケイは枕元の時計を見る。
「後少しで太陽が昇るな。もう起きるか?」
私は眠気が失せているけれど、ケイは眠くないのだろうか。
見ていると、ケイは笑みを浮かべた。
「起きようか。今日は庭を案内するよ」
ケイは上体を起こして延びをした。
跡継ぎ
Hemlock
「おはようございます。ケイ。L」
「おはよう、ワタリ」
私も口を開いて声を出そうとしたのに、口を開けるだけで止まってしまった。
声が、出ない。
昨日はケイとならば話せたのに、ワタリとはまだ口を利いた事が無いから不安で話せない。
「L『おはよう、ワタリ』だ」
「お……っはよ、う、ワタリ」
ケイの言葉をそのまま口にするのもいっぱいいっぱいで、恥ずかしさに消えてしまいたくなる。
ワタリが私を見ているようで目線が痛くて、床を見る。
「おはようございます、L」
優しい声音。
恐る恐るワタリを見ると、優しく微笑んでいた。
こんな表情、向けられた事が無かったから落ち着かない。
人に笑顔を向けられるのには慣れていないのだ。
笑顔の後には、必ず暴力や怖い言葉が降ってくる。
ワタリはそんな事をしない、ケイもそんな事をしないと分かっていながらも、恐怖が足先から這い上ってくる。
どうして、こんな。
きっとこの人達は私を傷つけたりしないのに、どうして。
「お二人とも、寝起きの格好でうろちょろされては困ります」
ワタリは俯いた私を怒ることも叱ることもせずに、ただ柔らかくそう言った。
「もう朝食の準備は整っておりますので、着替えは後で良いですから顔を洗ってしゃきっとしてきて下さい」
「分かったよワタリ。しかし……」
ケイが口元に手を当てて、小さく笑う。
「まるで私達のお母さんみたいだな」
「Lにとってはお爺さんですけれども」
「それは良い。私には母で、Lにとっては祖父。三世帯とはなかなかいい家だ。なぁL」
急に話題を振られて、意味も考えずにすぐに首を縦に振ってしまう。
ケイは笑みを浮かべて、頭を撫でても良いかな?と問うてきた。
頷けば、ケイは優しく頭を撫でてくれる。
三世帯と考えると、祖父がワタリなら、ケイは母になるのだろうか。
母に、なってしまうのだろうか。
私の母のように、暴力を振るうようになるのだろうか。
「さて、顔を洗いに行こうか、L。せっかくの食事が冷えてしまうからな」
ケイに連れられて、洗面台へ行って顔を洗う。
水は顔が痛くなるほど冷たいわけではないけれど、それでもやはり冷たくて、眠気が飛んだ。
朝食は小皿が沢山並んだ、とても豪華なものだった。
今まで一つのお皿に盛られた物を食べてきていたから、どうやって食べればいいのか分からない。
汚らしく食べたら怒られるかもしれない。
そう思って、ケイの食べる姿を盗み見て同じように口をつけていくとどれもこれも美味しくて、頭がくらくらした。
量も私にちょうど良くて、食後に出されたデザートも食べきる。
お腹がいっぱいになってふと窓の外を見ると、そこには新緑の世界。
来た時は余裕がなくて見られなかったけれど、今は少し、何をするでもなくソファにただ座っているだけだから時間も落ち着いていて、眺める事が出来る。
大きな窓の向こうに広がる庭は絵本や御伽噺に出てきそうなほど広い。
否、家も豪邸と言われる部類なのだから、庭がそれに比例するのは当たり前なのかもしれない。
「L」
ケイに名前を呼ばれる。
ケイは微笑んだまま、まだ庭を案内していなかったな、と言った。
「今日は庭を案内するよ」
ソファから立ち上がったケイは伸びをする。
私が庭を見ていたから、気を使ったのだろうか。
気を使わせるつもりは無かったのに、どうしよう、我儘を押し付けてしまった。
「外に出るから着替えよう」
ケイはいつも通りの口調で、ただ頷く事しか出来ない。
部屋に入ると、着替えたら出ておいでと言われた。
ケイは自分の部屋で着替えをするらしい。
クローゼットの中にある服を見ると、絵本の王子が穿いていそうな短パンとサスペンダー。
それ以外にも私が好きなシャツとジーンズもある。
けれども、この家の住人であるならば外に出る時はそれなりの格好をしなくては駄目だ。
ワタリは基本的にスーツなのに、私だけこの家に合わない格好をして外に出ては、嫌がられるかもしれない。
着慣れない服を選ぶ。
着替え終わって鏡を見ると、服装と自分があまりにもかけ離れていて、不格好だ。
やっぱり私はこの家には向いていない。
「L、着替え終わったか?」
ノックをされて、慌ててドアを開ける。
いつから廊下で待っていたのだろう。
分からない。
ただ分かることは、私が待たせてしまったという事実。
廊下にいるケイは長袖のシャツのジーンズという随分と簡単な格好で、私の服装とまるで合わない。
選択肢を誤ったのだと気付いたけれど、それは気付くには遅過ぎて、不満から打たれるかもしれないと歯をくいしばる。
するとケイは私の前にしゃがんで、微笑みかけてくれた。
「うん、可愛い」
そう言って頭を撫でてくれる。
ケイは決して怒りはしない。
ワタリに一言告げてから出かけようと言ったケイに連れられて、一階の奥へ向かう。
ノックをして、返事を受けたケイが扉を開けて私を先に部屋に入れてくれた。
そこには変わった装置や三角フラスコと言った実験器具。
「ワタリ、私達は庭の散歩をしてくるから、何かあったら声をかけてくれ」
「畏まりました」
「じゃあ、L、行こうか」
部屋を眺めていたので、ケイの呼び掛けに過剰に反応してしまう。
ケイは微笑んで、しゃがんでこの部屋はね、と話してくれた。
「ワタリの実験室。ワタリは発明者なんだ」
「ケイ」
「ん?」
「外に出るならば、少年にも名前を付けてあげなくてはならないでしょう」
「名前……」
ケイは少し上を向いて、視線をどこかに向けた後、ビショップ。と言った。
「L、昨日言ったのを覚えているかな?Lは探偵の名前だって」
頷けば、よし、と返される。
「探偵は素性を明かせないから、外では名を偽らなくてはならないんだ。だから今は、Lは外で『ビショップ』と名乗ってくれないか?」
「『ビショップ』……」
「私はどうにも名前を考えるのが苦手でね、『ビショップ』は以前私が使っていた偽名なんだが……それでも良いか?」
ケイが元使っていた偽名。
どこで使っていたのか、ケイはケイが本名で、探偵の時だけ『L』と名乗っていたのではないかと色々と疑問点が浮かぶけれど、どうやって訊けばいいのか分からずにただ頷くだけにした。
きっと事情があるのだ。
そう思うことで終わらせる。
「私は外では姓がクウォーク、名前がケイ。ワタリもキルシュ=ワイミーと呼んでくれ。良いかな?」
「はい」
ワタリはワイミーで、ケイはケイ。
とにかく今はそれを覚えて、使い分ければいい。
玄関で私の服装に合わせてケイは革靴を出してくれたけれど、ケイは履き潰したシューズだった。
この家は、服装は自由なのかもしれない。
「さあ、行こうか」
扉が開けられる。
光が眩しくて目を閉じて、ゆっくりと開ける。
そこには緑の大地と樹木。それから青と白。
沢山の色に溢れている。
「とりあえず一周しようか」
玄関扉を閉めたケイは私の隣に立って、こっちから回ろう、と北を指す。
庭は樹木を統一していると思っていたのだけれど、そうではないらしい。
平べったい葉から細長い針のような葉まで、様々だ。
花壇もあって、花が陽射しの下で鮮やかさを見せつけるように満開になっている。
「この庭は統一性がない分、年中楽しめるぞ」
ケイが笑って言う。
一つ一つ、草花の名前や特性を教えてくれる。
常葉樹に、落葉樹。
今咲き誇っているに花もあれば、葉を茂らせているだけで蕾も無い樹木もある。
手入れの行き届いた庭。
ケイはこの庭が好きなのだと笑った。
「さて、続いては、庭園だな」
裏側に回ってきたところで、一か所だけ芝生で覆われずに土がむき出しの場所が現れた。
ケイはそこに近づくと、葉を撫でる。
「ビショップは嫌いな野菜があるか?」
頷けば、私もだ、と返される。
「嫌いな野菜を此処で育ててごらん。意地でも食べてあげたくなるから」
つまりケイは嫌いな野菜を大切に育てて、だからこそ実った野菜を食べると。
しゃがんだケイは隣を叩いて、座ろうと勧めてきた。
隣に腰かけると、芝生が布越しにちくちくと痛い。
踏み心地は柔らかそうだったのに、実はこんなにも堅かったなんて。
実っている旬の野菜を眺めているケイは、食べごろかな、と言って野菜をもいだ。
「この中で知らない野菜はあるか?もしあるなら、今日ワイミーに調理してもらおう」
言われて、野菜を見る。
図鑑だったり本物を見た事がある物が多い。
ふと目に入ったのは、野菜達から離れた隅っこにある、土に近い部分が紫色に変わっている葉。
それを眺めていると、ケイはそれは食べられないよ。と言った。
庭園にあるのに、食べられないとはどういうことなのだろう。
ケイを見れば弱く笑っていて、何か、余計な事を訊いてしまったのだと思った。
「プラトンの書いた『パイドン』っていう本は知ってるか?」
突然内容が飛んだので、意味が分からないままに問われたことだけを応えるように頷いた。
「凄いな、私は君の年には知らなかったぞ。聡明だな」
「読んだ、だけです」
「あれを読もうと思うその心意気が必要なんだ」
パイドンは孤児院にあって、だから読んだだけのことなのに、そこまで褒められるとは思わなかった。
読んで良かったと、思う。
「その物語に出てくるヘムロックを覚えているか?」
「毒ニンジン、ですよね」
「そう。そして今ビショップが分からなかった野菜が、それだ」
これが、毒ニンジン?
まさか、どうして。
庭園にどうしてこんな毒物があるのか、理解出来ない。
「ヘムロックは、苦しみを与えずに死をもたらしてくれる。そう描かれていただろう?」
ケイは穏やかな口調で、囁くように言う。
目線は私に向いていなくて、どこを見ているのだろうか?
そんな落ち着いた表情で何を見ている?
「穏やかに訪れる死で迎える最期なら、それほど素敵な事もないだろう」
何を思ってそう言ったのか分からないけれど、私はその意見にとても納得が出来た。
望まれずに産まれ、望まれないまま生きて、日々痛みに耐えてただ生きるならば、穏やかに死を迎えさせるヘムロックは魔法の薬になるのだろう。
母といる時、自分が生きている理由も分からずギリギリのラインで生命を保っていた自分を思い出す。
あの時にヘムロックを知っていたら、もし傍にあったならば、私は迷わずヘムロックを口にしていただろう。
「済まない」
葉を撫でたまま動きを止めていた私に、ケイは謝罪する。
何に対しての謝罪か分からずにケイを見ると、変な話をしてしまったな。とケイは悲しそうに笑った。
そんな顔、しないで欲しい。
「さて、続きを案内するよ」
ケイが尻を払いながら立ち上がるから、私も立ち上がって尻をはたいた。
ちくちくと尻を刺していた芝生の痛みがなくなって、少しすっきりする。
「行こう、ビショップ」
そう言って、ケイは私の手を握る。
驚いて肩を震わせたけれど、ケイは柔らかく握っただけで私を引っ張ったり、引きずったりはしない。
隣に立つだけだ。
暖かい掌は私に比べて大きくて、手がすっぽりと納まっている。
人の温もりに慣れていないから繋がった手から伝わる温もりに違和感を感じるけれど、決して嫌ではなくて。
むしろ、とても安心する温もりだった。
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