デスノ 跡継ぎ | ナノ
終末3
視
界がブレる。
全身が焼ける様な痛みを発する。
部屋までの距離は長く、永遠とすら思えた。
ベットに横にされ、殆ど闇に支配されている世界を眺める。
Lは廊下に居るのだろうか。
一人で居るのか。
Lを一人にしたくない。
独りは寂しいと知ってるから。
でもこんな姿も見せたくない。
「ケイ、薬はどこに?」
「もう、良い」
「ケイ?」
もう良い。
もういらない。
ワタリがわざわざ観葉植物を部屋に置いて、水を持ってこの部屋に行くのをLに怪しまれない様にしてくれた。
だからLには気付かれずに、朝と夜にサプリメントと称して薬を飲む以外にここで鎮痛剤を飲めていた。
でももう、鎮痛剤はいらない。
全身が内側から斬りつけられた様な痛みを発する。
もう少し頑張れると思ってた。
昔受けた痛みと、さして差は無いと思ってた。
けれど、それは大間違いだった。
浅はかな考えだった。
痛みに慣れていた私は、身体がどんな状態かを甘く見ていた。
痛みをそれほど認識していないだけで、体はもうボロボロだったんだ。
認識した途端、こんなにもボロボロだったんだと知らしめる様な痛みが身体を支配する。
跡継ぎ
死のカタチ
「ワタリ、聞いてくれ」
顔の筋肉が勝手に笑顔を作る。
身に染み付いた癖はここでも健在なのだと、痛みによって熱をもった頭で思った。
「はい」
ワタリは小さいけれど、はっきりと返事をしてくれる。
それに嬉しさを感じた。
いつもワタリに支えられている。
ワタリが居たから私はここまでこれた。
ワタリが居なかったら、今の私は無いだろう。
「前に言った事、覚えているか?私は周りに迷惑かけるなら、弱っていく姿を見せるなら死を選ぶと言っていたのを」
人の記憶は引き出し状になっていて、鍵さえあればいつだって出せる。
与えたヒントでワタリは思い出したらしく、静かに「はい」と返事をした。
「私はもうじき、動けなくなる。痛みで自我を無くして暴れるかもしれない。それは嫌だ」
好きな人達だから見せたくない姿。
衰えゆく身体も醜態も、好きだから、大切だから知られたくないし、見せたくない。
綺麗な記憶として、皆の中に残っていたい。
痛みに暴れて、誰が誰かすら判別出来なくなる様な自分を見せたくない。
世話をされるのも嫌だ。
重荷になりたくない。
一方的なものはもう嫌なんだ。
私は自分の足で立ちたいし歩みたい。
私は昔とは違うのだから、自由に歩ける足があるのだから。
それが不可能になった時、肉体は生きていても、精神は滅びるのだろう。
こんな考えの私が理由も無く、何も出来ず、横になったまま人工呼吸器に繋がれた身体で生きるのに、堪えられるはずがない。
それに、こんな身体では、Lに物事を教える事など出来ない。
もう私に役目は無いのだ。
だから、ワタリには酷な事を望む。
以前庭で栽培し、日干物にした植物の隠し場所をワタリに伝えた。
Lが見つけた時、興味を持って何かに使わない様に、いくつかある隠し部屋の一つに隠した植物。
何かに使うだろうとは思っていたけれど、まさか自分に使うとは。
否、本当は最初から自分に使うつもりだったのかもしれない。
「そこに人参に似た物がある。それを、飲める様に液化して欲しい」
干物のままでは固くて食べられないし、身体の吸収も遅くなるだろう?と、口は笑みの形で勝手に馬鹿な事を口走る。
この状況で馬鹿な事を言うのは不釣り合いでも、静寂やワタリの気持ちを思うと、笑っていなくては怖かった。
怖いのは死では無い。
もっと別の何か。
身体が痛い。
けれど心も痛くて、殆ど闇に覆われた視界で眩暈が起きそうだ。
笑わなくては。
「それをケイは本当に望みますか?」
「あぁ」
誰の面倒にもなりたくないから。
もう役目が終わったから。
そして罪を裁く為に。
「後悔はしませんか?」
「思考だけあって身体が動かず、世話を人にさせる方が私は後悔する」
排泄物すら自分でどうにか出来なくなるのは嫌だ。
Lやワタリに面倒事を与えたくない。
醜態を晒したくない。
『L』としての役目が終わったから。とは言わない。
ワタリは私を『L』に育てた事を悔いているのだ。
なのにそんな事、どうして言える。
けれど、私の本心だ。
私は『L』の役目を終えた。
それにこの状況が重なっただけ、ただそれだけの事。
私はもう此処にいる必要は無いだろう?
必要無いなら、用が済んだなら、綺麗なまま消えてしまいたい。
「畏まりました」
ワタリはそれしか言わなかった。
溜め息混じりの声。
済まない。
謝りたいけれど、謝るのは反則だ。
先に謝罪をするのは、先に自分が悪いのだと云う情報を与える行為。自分が今からする事を、相手に納得させる為の謝罪など、してはならない。
謝るぐらいならするな。そう言われそうだ。
だから笑みを作る。
私は今、上手く笑えているのだろうか?
「有難う、ワタリ、そして、ワイミー」
謝罪では無く感謝を伝えたい。
ワタリに、ワイミーに今までどれ程救われてきたのかを伝えたい。
彼が居たから今の私は存在する。
沢山の感謝を伝えたい。
カチ、という音がした。
音と感覚で分かる。
ワタリが暖房機具をつけたのだろう。
「ケイ、私がヘムロックを液化して持ってくるまでに、ビショップと話して下さい。あの子は何も知りません。何も言わずに毒を飲むのは、それこそ罪です」
「……そう、だな」
胃に重たい物が降ってくる。
身体が軋む。
吐きそうな痛み。
今まではこんなに酷くなかったのに。
まるで堰を切って溢れ出すみたいだ。
傷を認識すると痛みを感じるのと同じだな。
起き上がり、普通に見える様にベットに腰掛ける。
歩く音の後、扉が開く音。
「ワタリ、ケイは?」
すぐに聞こえるのは幼い少年の声。
困惑や不安、焦燥が入り交じっているのが声から分かる。
「ビショップ、私は席を外しますからケイと話をしていて下さい」
ワタリはそれだけ言った。
扉の方から走り寄る足音。
酷く胸が 痛む
***
ベットに腰掛けたケイ。
近付くと、笑みを浮かべられた。
いつもなら抱き締めてくれるのに、ケイは座ったままの格好で動かない。
笑顔を浮かべているのに、行動がその笑顔を裏切っている様に見えた。
「ケイ、大丈夫ですか?」
「階段から落ちたのは大丈夫だ」
笑顔なのに含みがある言い方。
『階段から落ちた』のは大丈夫。
では他の何かは大丈夫では無いと言うのだろうか。
何が駄目なのだろうか。
分からずにいると、ケイは溜め息をついた。
重たい、何かを孕んだ空間。
ケイは俯いてしまい、けして私を見ない。
見るのを拒絶しているのか。
私は何かしただろうか?
「ケイ……」
「L、座りな。立ったままでは疲れるだろう」
顔を上げて笑顔を向けられた。
気を使ってくれる。
座る場所を探して、どこに座れば良いのか悩む。
いつもの様に抱き締めて欲しいけれど、ケイはそうするつもりは無い様に座っている。
ベットに腰掛けたケイ。
何故だろう、触れる事が禁忌なのだと思ってしまう。
結局、私はケイの隣りに座った。
ベットが軋む。
加湿機から湯気が出始めている。
ケイと私は、手を伸ばせば触れられる距離。
なのに何で手を伸ばせないのだろう。
ケイは笑顔なのに、何がそう思わせるのか。
「L、あのな……」
そこでケイの言葉は途切れる。
中途半端な言い方に不安がよぎった。
ケイを見ると、眉根を寄せている。
やはり、身体が痛いのだろうか。
「ケイ?」
「順を追って話すから、聞いてくれ」
まっすぐに前を向くケイ。
横顔は、どこか疲れているみたいだ。
何故語り聞かせる私の方を見てはくれないのだろうか。
その答えは私が問うより先にケイの口から出た。
「私は死ぬ病気なんだ」
シンと静まり返る空間。
冷水を浴びせられた様な感覚。
加湿機の音と窓の外の風の音、窓硝子が風で揺れる音、それらがまるで外界の音の様にする。
私達だけ、空間から隔離された様な感じだ。
「冗談でしょう」
考えるより先に口が言葉を紡ぐ。
否定ばかりが頭に浮かぶ。
声が震えてしまう。
ケイは、嘘をついたりしないから。
こんな悪い冗談を言ったりしないから。
でも、冗談でしょう?
冗談でなくては、困る。
心臓が首の後ろにあるみたいだ。
脈が脳髄に響く。
脳味噌がぐらぐらして、気持ち悪い。
「こんな嘘はつかないよ。現に私の視力はほとんど無くなっているんだ」
「嘘です」
「嘘じゃない」
「嘘です!」
信じない。
こんなの信じない。
そんな事、信じられるはずが無い。
ケイが死ぬ病気?
今まで病気らしい部分は無かった。
いつも一緒にいたんだ。
だから気付かないはずが無い。
いつも笑ってた。
いつも笑顔だった。
死ぬ病気なのに人は笑えるのか?
笑えるはずがない。
信じない。
私は絶対に信じない。
ケイはふぅっと息を吐く。
何で溜め息をつくんですか?
私が悪いんですか?
私に咎があるんですか?
「L、どうすれば信じてくれる?」
「何があっても信じません」
「そうか」
そうだな。と言う。
溜め息混じりの声。
俯いていて目を伏している。
ケイは私を見ない。
それが凄く悲しかった。
いつもみたいに笑いかけて欲しいのに、笑ってくれない。
冗談だって笑ってくれないんですか?
「信じなくても良いから聞いてくれないか?」
「信じないのだから、聞きたくありません」
聞くのは肯定になりそうで怖い。
耳を塞ぐ。
自分の声で邪魔をするとケイの声は一切聞こえない。
愚かな行為だと分かっていても、こうする以外思い付かない。
私の方を向いてケイは何か言っている。
聞かない。
聞こえない。
手がぎこちなく伸びてきた。
彷徨う様に来て、空間を探りながら私に触れると、抱き締めてくる。
優しく抱き締めてくれるケイ。
暖かい。
変わらない暖かさが苦しくて、息がつまる。
耳を塞いでいるのに、声で邪魔するのを怠ったらケイの声が聞こえてきた。
聞いて
その声はあまりにも切なくて。
拒絶をしている自分。
ケイを傷つけているのは私。
好きなのに、傷つけている。
聞くのは肯定になる。
でも聞かないのは拒絶で、現にケイを傷つけている。
選びたくないのに、選びたくない方を選ぶしかない。
耳から手を退かす。
他に方法を知らないから。
聞く以外でケイを哀しませない方法を知らないから、手を退かす以外他が無くて。
「有難う」
背中をぽんぽんとされる。
鼻の奥がツンとした。
私は今から聞かなくてはならない。
ケイの病気の事、死の事。
哀しかった。
つらかった。
ケイが嘘を言っていないと分かっているから。
真実を受け入れなくてはならないから。
私はそれに傷つくだろう。
でも聞かなくてはならない。
私はケイを拒絶出来ないのだから。
「たくさん嘘をついていた」
ケイの独白が降ってくる。
抱き締められたまま。
ぬくもりは変わらない。
変わらないのに、いつもみたいに安心が出来ない。
何故日常のままではいられなかったのだろう。
何故変化しなくてはならないのだろう。
変わりたくないのに。
このままでいたいのに。
「サプリメントは鎮痛剤。眼鏡は視力がなくなって、視点が合わないのに気付かれない為につけていた」
ケイの嘘を信じていた。
嘘だなんて思いもしなかった。
サプリメントは鎮痛剤。
ケイはずっと身体が痛かったのだろうか。
今朝はまだ薬を飲んでいない。
ではケイは今も身体が痛いのだろうか。
薬に毎朝と毎夜頼らなければならない程に、身体は常に痛いのだろうか。
一鱗すら、そんな姿をケイは見せなかった。
いつも笑っていた。
いつも……。
ラジオを聞く時、ケイは深くソファに腰掛けていた。
目を閉じて、身体をソファに預けていた。
あれが本当の、無理をしていない時の姿だったのだろうか。
だから散歩もあまりしなくなったのだろうか。
身体が痛いから。
では視力は?
ケイはこの頃時間を私に問う様になっていた。
近くに時計があっても私に問うていた。
私はそれをケイの新しい遊びなのだと思っていた。
でも本当は、ケイは目が見えていなかったから?
最近頭を撫でてくれる時戸惑いがあったのは、私がどこに居るか分からなかったから?
散歩をしなかったのは道が見えなくて危険だから?
勉強をやめたのは文字が見えないから?
どうしてこんなにもヒントがありながら気付かなかったんだろう。
気付くべきだった。
今更、回答をもらってから『どうして』が分かる自分。
もっと考えていれば分かったはずだ。
何で気付かなかったんだろう。
何で気付けなかったんだろう。
今ならすべて、ケイの行動や言動の理由が分かる。
今なら分かる。なんて、ふざけた台詞だ。
もっと早く分かるべきだったのに。
「気付きませんでした」
まったく分からなかった。
だってケイは嘘をつくなんて思ってなかった。
私を騙すなんて思いもしなかった。
信じていたから。
絶対にケイは私を騙したりしないと思っていたから。
なのに、ずっと私を騙していたんだ。
「私は嘘が上手だから」
嘘が上手なんて、苦笑混じりでも言わないで欲しい。
私が何か言うよりも先に、ケイ自身が自分の嘘に呆れている。
ずるい。
そんな態度を見せられたら、責められなくなる。
「それに、まさか私が病気だなんて思わないのが普通だ。気付かないのが当たり前なんだよ」
でもいつも一緒だったのに。
ケイは一回も尻尾を出さなかった。
私の気持ちをケイは沢山汲み取ってくれたのに、私はケイの気持ちを何一つ汲み取れなかった。
悔しくて、哀しい。
ケイの事を知りたいと思っていたくせに、沢山見逃していた。
「どうして嘘をついていたんですか?」
声が震えてしまう。
ケイは私の髪を梳く様に撫でる。
少しして、ケイは溜め息混じりに言った。
「気を使われたくなかったから」
ケイは気を使われたくないと言うけれど、何故気を使うのは駄目なのか。
裏切るのに優しくされるのは嫌だと云うのなら分かる。
後の痛みを考えたら嫌なのは分かる。
でも好きな人に気を使うのも嫌なのだろうか。
ケイの気持ちは複雑で、分からない。
理解出来ないのが悔しい。
「死ぬと分かっていると、どうしてもそういう人として見るだろ?私は特別視されたくないんだ」
言いたい事が何となく分かった。
いつか死ぬ人だからと見られたくない。
普通に接して欲しい。
『病気だから』と前置きをされたくない。
周りに気を使わせたくない。
その気持ちを分かってしまう。
分かりたくないのに。
分からなければ、そんなのはケイの身勝手な言分だと言えるのに。
なのに、孤児院で『可哀相』と見られるのが嫌だった私とその姿が被って、分かってしまう。理解してしまう。
ケイも、レッテルを貼られたくなかったのだ。
ただの人として、周りと平等でいたかったんだ。
「私はいつか寝たきりになる。痛みで我を忘れて暴れるかもしれない。そんなのは嫌だ」
ベットに横になったまま動かないケイを想像出来なかった。
ケイは私が起きた時は必ず目を覚ましていたから、寝たまま動かないケイを想像出来るはずがない。
ケイは息を深く吸い込んだ。
「だから今日でお別れをしよう」
「……」
ケイを見る。
抱き締められているから顔は見えない。
ケイの髪の毛が頬に当たる。
「何を言っているんですか?」
何がお別れ?
何でお別れ?
ケイとお別れなんて、考えられない。
本当に何を言っているんだ。
何でお別れになるんだ。
「分かって欲しい。私はそんなになってまで生きたくない。私は……」
ケイの身体を押す。
簡単に離れる身体。
信じられない。
ケイが信じられない。
「何を考えてるんですか?」
今、何を言おうとした?
『生きたくない』?
死に急くと言うのか?
私を置いていくのか?
何て馬鹿な事を考えているんだ。
私に生きる事を教えてくれたのはケイだ。
ケイから生きる幸せを学んだ。
朝起きた時に気持ち良く起きられるのも
日の暖かさを肌で感じるのも
夏に運動をした時に感じる熱さも
季節の変わり目の落ち着かない夜も
冬の寒さも
寒さの中にある暖かさも
すべて幸せだと感じた。
生きているからこそ、ケイが傍に居たからこそ、幸せだと思えた。
生きる幸せを教えたケイが死に急くなんて、そんな馬鹿な話は無い。
あって良い筈が無い!
「何でそんな事言うんですか!」
裏切りだ。
こんなの、今までに私に教えていた事をすべて覆す裏切りだ。
ケイは私を裏切らないと信じていた。
誰が私を見捨てても、ケイだけは傍に居てくれると信じていたのに。
ケイまで、私を見捨てるんですか?
私の方を見ているケイ。
こんな時だけこっちを見ないで欲しい。
そんな顔しないで欲しい。
まるで私がケイを傷つけたみたいだ。
ケイは指を絡めて、そこに俯いたまま額を押しつけた。
その姿は懇願するみたいに見えた。
祈る様な姿に見えた
。
懺悔します
真実は闇に
「
私は人殺しなんだ」
懇願する様な格好のまま、突然スッと空間を切る様な声。
女性にしては低い、男性とも女性ともとれない声。
その声が発した言葉。
『人殺し』
その単語が出た瞬間身体の筋肉は硬くなる。
嘘だと言おうとしたら、喉から掠れた呼吸音しか出ない。
私とはあまりにも次元が違う言葉。
「人を殺したくせに生きている。何の罪にも問われない。のうのうと生きて人生をまっとうするなんて、そんな矛盾があって良い筈が無いんだ」
堰を切った様に溢れ出す言葉は少し震えている。
信じられない。
ケイがそんな背徳的な事をしていたとは思えない。
優しいケイが人の命を奪えるはずが無い。
そう思うのに、今の状況はケイの言っている事が本当だと肯定している。
ケイは人を殺し、殺したくせに生きているのが嫌。
だから死にたい?
「ごめん、L。私は最低だ……」
今目の前で俯いている人は殺人犯。
いつも笑っていた。
いつも優しかった。
その笑顔の奥には、殺人者の顔があったのか?
誰を殺したのだろう。
ケイは正義の探偵なのだから、殺したと言ってもきっと悪い人のはずだ。
そうに決まってる。
「誰を……?」
掠れた声しか出ない。
喉が痙攣して、震えている。
ケイは溜め息の様なものをついた。
「Lの母親を……」
「……え?」
私の頭の中の熱は一気に下がり、違う熱がふつふつと沸き始める。
『母』?
その単語が出た瞬間身体の筋肉はまたも硬くなる。
駄目だ。
頭の中がぐらぐらして気持ち悪い。
たった一単語。
たったそれだけなのに、私はこんなにも胸が押さえ付けられる様な気持ち悪さを感じる。
圧迫されているみたいだ。
上着を強く掴む。
やり場の無い感覚。
「私が殺しを依頼した」
「なんで」
どうして?
母を殺されて悔しいとか憎いとか、悲しいと云う感情は無い。
あの人は母であり、私を産んだ人であり、私に暴力を振るった人だったから。
怖い人であり、会いたくない人。
傍にいたくない人。
実の母なのに恋しいとか、そういうのは無い。
だから悲しみは無い。
ただ、分からない。
何故ケイが母を殺したんだ?
ケイは一度深呼吸をする。
「Lが探偵になった時に、彼女が足枷にならない様にと云う考えで動いたつもりだった」
つもりという事は、違うのだろうか。
頭の中がごちゃごちゃして思考が纏まらない。
なんで。
どうして。
疑問ばかりが頭を支配する。
「本当はLを傷つけた人だと云うのが悔しくて、憎くて依頼したのかもしれない」
何故憶測なのか。
ケイ自身も頭の中がごちゃごちゃしているのだろうか。
私の為に母を殺したのだろうか?
ケイはそれでこんなにも苦しんでいるのだろうか?
それは私のせい?
「自分勝手な理由だろう?そんな自分勝手で我儘な理由で人の命を私は奪った。……Lに物を教えたりしている時、私が『L』として活動している時の私は、Lに物事を教える為に生きなければと強くいられた。でもどうだ?今はもう私に出来る事は何も無い。役割も無い。ただの人となって自分の罪と向き合い分かったんだ。私は今までたくさんの人を死刑台に送った。なのに何で私だけ誰にも裁かれずに生きている?」
すべてを吐露する様にケイは一気に話す。
話していなければ自分を保っていられないとでも云うかの様に。
私は何も言えない。
何を言えば良いのか分からない。
私は、ケイは悪くないと言える。
でもそれにケイは納得しないだろうし、人一人の命が奪われているのは事実なのだ。
でも私はケイを悪い人とは思わない。
思えない。
ケイの行動は、いつか母が来るかもしれないと云う私の不安を解消してくれたのだから。
扉がノックされる。
驚いて扉の方を向くと、入って来るのはワタリだった。
ワタリはすべて知っていたのだろうか。
ワタリとケイは二人で私を騙していたのだろうか。
私だけ何も知らなかったのだろうか。
銀の杯を持ったワタリ。
背筋を悪寒が走る。
「それは何ですか?」
「ヘムロックの汁です」
ヘムロック。
聞いた事がある名前。
記憶の蓋が開いて、ヘムロックが毒人参なのだと思い出す。
「ケイ、本当に良いんですか?」
「私は良い」
何が良いのか。
この状況は何なのか。
何故ヘムロックの杯があるのか。
導き出される答えは心臓を止める内容。
ケイはこれを飲んで、死ぬつもりなのだ。
ワタリは私を見た。
そして私に杯を渡してくる。
私にケイを裁けと云うのか。
母親を殺された息子として、ケイを裁くのか。
こんな役、やりたくなんて無いのに
。
杯を渡す
杯を捨てる
B
ut fare thee well,
most foul,
most fair!Farewell,
Thou pure impiety
and impieous purity!
空騒ぎ
―シェイクスピア―
ケイが望むのは死。
身体の痛みも、盲目なのも、罪の事も、すべてから解放される為に、ケイは死を望む。
裁かれる事を望むのか。
命が残りどれ程あるのか分からない。
命が途絶えた時、ケイが悔いて死ぬならば私は
ケイの願いを叶えたい。
私はケイに願いを叶えてもらった。
だから叶えたい。
私がそれで救われた様にケイを救えるならば叶えたい。
ケイの願いを叶えるのが別れに繋がるとしても……それでも私は。
選びたくない選択。
杯を渡さず哀しませるか、杯を渡してケイを喜ばせながら別れるか。
選びたくない二者択一。
他の選択があれば良いのに。
私はケイに杯を渡した。
感謝を言われて、泣きたくなった。
銀の杯に口を付けるケイ。
杯が傾く。
毒がケイの口に入ってしまう。
やめさせたいのにやめさせられない。
対局な気持ちに身体が縛られて動けない。
目を閉じて、ヘムロックを飲むケイ。
中身が毒でなければ、私は今この影像を綺麗だと思うだろう。
ヘムロックは神経組織の破壊、筋肉の硬直や麻痺、聴覚障害、体温低下等急速に症状が起こる。
暫くして、ケイは身体が重たく感じると言って横になった。
横になったケイは目をやや伏しがちにしている。
「身体の感覚はどうですか」
ワタリが問う。
「よく分からない。……徐々に金縛り状態になるみたいだ」
ケイは柔く笑みを浮かべた。
何故笑えるのかと問いたくなった。
こんな状況で何故笑うのか。
「ワイミー」
「はい」
「ずっと、有難う。ワイミーが居てくれたから私はここまで来れた」
ワタリは目を見開いて、小さな声で『はい』と言い頷く。
そして天井を仰いだ。
音には出さないが、ワタリの首が痙攣しているのが私には見えた。
「L」
「……はい」
「来年プレゼントするって言っていた名前、今プレゼントしても良いか?」
「……はい」
来年、ケイはいない。
明日にはいない。
その事実が苦しくて、哀しくて鼻の奥がツンとする。
目の奥が熱い。
「偽名として与えていた、私が前に使っていたビショップより、家で呼ぶLの方が、君の名前になっていた。探偵としての称号ではなく、一個人を表す名として、『L』は存在するようになっていた」
だからプレゼントするのはL。ケイはそう言った。
「おかしいよな、私も数ヵ月前はLと呼ばれていたのに、今Lと呼ばれても、もう反応出来そうに無い。Lと聞いたら、君しか浮かばないんだ」
こんな、使い古しの名前しか浮かばなくてごめん。
謝罪を述べるケイに、謝らないでと言いたいのに、喉が焼け付いて声が出ない。
約束をちゃんと覚えていてくれたケイが愛しくて、苦しい。
母の死は私には何でもない他者の死だった。
だから哀しくも苦しくもなかった。
なのに今はこんなにも苦しい。
「ケイ」
「うん」
「素敵なプレゼントを有難う御座います」
ケイは見えない目で私の方を向いて笑った。
穏やかな笑み。
私はこの笑顔が大好きだった。
「ケイ」
ケイは笑みを浮かべたままどうしたと言う。
「愛しています」
初めて言った。
ずっと言いたくて言えなかった。
手が弱々しく伸びて来る。
頬に触れた後、頭を撫でる様に動く手。
「私も愛しているよ」
気持ちのこもった言葉は身体に染み込む。
愛しているのに、愛してくれているのに別れは来る。
何で人は別れるのに、人を愛するのだろう。
どうしてこんなにも苦しいのに人を愛するのだろう。
愛すれば愛するほど、別れはこんなにもつらいのに。
「死んだら人は星になるんだよ」
信じていないと言っていたのに、ケイは歌う様に言う。
人が死んだら星になる。そんなはず無いのにケイは信じているのだと口調が物語っている。
「私はLを見守っているよ。空からだから、Lが何処にいても私は見ていられる」
頭から撫でてきた手は頬に触れる。
ケイの手はとても冷たい。
別れが近いのだと知る冷たさ。
ここで泣いては駄目だ。
ケイは私に笑顔をくれた。
今ここで泣くのはケイの努力を潰す事になる。
頬に触れた手に私の手を重ねる。
「見守っていて下さい。立派に成長しますから」
笑える様に、馬鹿げた事を言う。
口の端を上げて、ケイに私は笑える様になっている事を教える。
今までの努力を無にさせたりはしないから。
口の端を上げて笑みを作る。
目が見えていたら、きっといびつな形だと気付かれるだろう。
ケイは少し驚いた顔をした後、にこりと笑ってくれた。
「凄く眠たいんだ」
目を閉じて、手をベットに戻す。
浅い呼吸。
「おやすみ、L、ワイミー」
「おやすみなさい、ケイ」
「おやすみなさい、ケイ」
おやすみなさい
さようなら、最も美しい人
さようなら、清純な罪人、罪深い純潔。
ベットに横になったまま動かない女性が居た。
その周りを二人の男性が囲んでいる。
男性の一人は初老で、もう一人はまだ幼い少年だ。
ベットには穏やかな寝顔の女性。
床に膝をついた少年はその手を握り、祈る様にした。
俯いて祈る姿。
急に、堰を切った様に泣き出す少年。
女性は目を開く事なく、慰める事も無い。
「最期に貴方の笑顔を感じ取れて、ケイは幸せだったと思います。よく頑張ってくれました」
死にゆく人に笑顔を向けるのは難しい。
相手が愛する人ならば尚更だ。
愛すれば愛するほど、別れで笑顔を作るのは難しくなる。
堪えていたものを吐き出す様に嗚咽する少年。
初老の男性は天井を仰いだ。
それでも押さえきれなかった涙が肌を伝う。
窓の外では粉雪が舞い始めた。
急に降り出した粉雪。
それはすぐに粒を大きくし、静かに絶え間なく空から零れ落ちる。
まるで天も、泣くのを堪えていた様だった。
一つ前の分岐へ戻る
→
キ
ンと高い音が響いた。
その後カランと床を金属が転がる音。
「ワタリ?」
「私ではありません」
身体の痛みに連鎖する様に発生した頭痛の中、響いた高い音。
脳味噌に針が刺さる様な痛み。
音を奏でたのはLなのか?
「L?」
「また私は母に奪われるんですか?死んでもなお私から幸せを奪うんですか?あの人はなんでこんなに苦しめるんですか?」
「……」
小さいながらも強い憤りが混ざった声。
早口で、誰に聞かせるつもりもない口調。
不安になる。
私のせいで自暴自棄になってしまったのではないかと焦りが生まれた。
このままでは駄目だ。
「L」
「訊かせて下さい」
急に淡白な声。
今どんな表情なのか。
分からなくて、私は頷く事で返事をした。
「こういう時に重視されるのは殺された親族側の意見ですか?法ですか?」
Lが何を言いたいのかが分かる。
浅ましい私を知ってもなお、そんな事を言うのか。
「親族側だ」
人の命が関わるのは法が重視される。
親族がいなくても犯人は裁かれるのだから。
それに親族側の意見が重視されたら極刑判決ばかりになるだろう。
そうならないところから見て、重視されるのは法であり感情は無視されるのだ。
なのに私はまだ嘘をつく。
愚かな自分。
Lの気持ちを優先する様な姿勢にもとれる自分の行為。
けれども、本当は私が期待しているのかもしれない。
母親を死にいたらしめた私を許して欲しいと考えているのかもしれない。
……そんな自分に吐き気を感じた。
「なら、私の意見は重視されるんですよね?」
「あぁ」
話を合わせる姿勢を取る自分。
理性と本能が対立している。
「ケイは言いましたよね?良い行いだけでは世界は成り立たないから悪い行いもしなくてはいけないって。ケイは私を母から救ったんです。それでも裁かれたいのなら……私は死で償って欲しくない。母を殺したのならば、その分生きて欲しい」
思っていた通りの台詞。
罪として生きろと言う。
でもそれは、簡単に言えば私に生きて欲しいという事だろう。
私の罪を罪として見ていないL。
私は卑怯だ。
Lが私を救おうとするだろうと、心の中で思っていたに違いない。
狡くて弱くて卑怯な自分。
醜態を晒してまで何故望みを持つのだ。
「傍にいて下さい。それを私は望みます。この意見は駄目ですか?」
最後の方は声が裏返っていた。
鼻を啜る音。
「ワタリ」
闇に声を掛ける。
「はい」
「ワタリの判定はどうだ?」
「私もケイの傍に出来るだけ居たいと思っています。そのような私に、公平な判定は出来ませんよ」
「そうか」
私がずっと我儘を口にしていたのか。
意固地になって、周りを振り回したのか。
Lが居るだろう場所に手を伸ばす。
服に触れた。
もう少し上に手を伸ばすと、肌に触れた。
肌は濡れていた。
私の我儘でLを泣かせて、ワタリを哀しませていた。
悲しみは今だけだと、考えていた。
別れがLやワタリを悲しませても、それはいつか癒されると思っていた。
私がいなくなってもLにはワタリが、ワタリにはLが居てくれるから大丈夫だと思っていた。
いつかは来る別れが少し早くなっただけだから
話も出来なくなって、ただ横になっている私を見ている方が苦しいだろうと思ったから
別れると分かっている人と過ごすのは、切ないだろうから
来る別れに恐れを抱く様になるから
何も出来ない私から愛情が離れていくと思ったから
だからもう離れようと思った
私は間違っていたのか。
私が間違っていたのか。
私は考えを変えなければならないのだろうか。
私の考えは間違えているのだろうか。
ふと、気付く。
私はこの考えに囚われていたのだろうか。
考えを固定している柔軟性の無さ。
これが私なのか?
凝り固まった見解は視野を狭くする。
そう思って生きてきたはずだ。
なのに私は、凝り固まっているのか。
「その望みは駄目じゃないよ」
胃が捩じれる様な痛みを感じながら身体を動かして抱き締める。
私は考えを変えなければならない。
ずっと持っていた意見を変えるのは難しい。
けれども変えなければならないのだ。
「良いんですか?」
嗚咽混じりの声。
私は笑った。
「杯の中身は床に零れているんだろ?」
Lは身体を少し痙攣させる。
咎めているわけでは無いのだと伝えるように背を撫でた。
絶対に毒を飲ませたくない。そんな気持ちの現れからの行動だったのだろう。
私は君を咎める権利を持ってはいない。
「私はワイミーとLを愛しているから」
Lにもワタリにも、そう伝えるとLはぎゅうっと私にしがみついてきた。
肩口に顔が押しつけられて、服が濡れる。
「私も好きです。愛しています。だから傍に居て下さい。離れないで下さい」
嗚咽混じりに吐露されるLの気持ち。
言葉の数だけで気持ちが伝わる事はあまり無いだろう。
沢山の言葉で沢山の気持ちが伝わる事はない。
むしろ言えば言うほど言葉は軽くなって、怪しむのが普通だろう。
今、Lの気持ちは私の身体に浸透する。
永遠に離れないのは無理だけど、それでも、望むなら。
私はどんな姿になっても生きよう。
もしも嫌いになったら
いらなくなったら
邪魔になったら
その時は銀の杯を渡して
私は望まれるままに在りたいから
ある一室。
それは病室の様なイメージを持たせる白の空間。
換気扇が常に起動していて、静かに低い音を奏でている。
ベットを囲む様に様々な機械は並ぶ。
規則正しく電子音を奏で、画面の線を振動させる機械もある。
ベットに横になっているのは一人の女性。
身体に無数の配線を付け、伏しがちな目。
人工呼吸器が空気の移動音を出す。
動かない女性は生きながらの屍の様に見えた。
真っ白な空間に、一人の人間が入って来る。
まだ幼い少年だ。
少年が窓を開けると、白いカーテンはまだ少し冷たさが残る風に揺れる。
窓の外には新緑を身に纏い始めた樹。
少年はベットの横にあるパイプ椅子に座った。
「ケイ、こんにちは」
指どころか、薄く開けた瞳すら一つも反応する事は無い、ケイと云われた女性。
少年はケイの手を握る。
指先は人肌よりも若干冷たく、握り返してくる事は無い。
「今日も良い天気ですよ。でもまだ、風は少し冷たいです」
少年は聞いているのかいないのか、むしろ聞こえているのかすら分からないケイに話かける。
窓の外からは子供の笑い声が聞こえてきた。
延命処置を施され、生き長らえるケイ。
その隣りにいる少年は手を握りながら、慈しむ様にケイに笑みをむけていた。
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喉
元まで出かかった言葉を、どうにか飲み込む。
ここで罪を懺悔して、どうなる?
Lの母親を殺したのだと詫びて、それでどうすると云うのだ。
何も変わらない。
私がLの母親を殺した事実は覆らない。
それなのに懺悔して、罪の意識を和らげるつもりか。
それに私は、彼女を死に至らしめた事を倫理感からは己を蔑んでいるが、心のどこかでは正論だったと思い込んでいる。
なのに懺悔?
ふざけるな。
形だけの謝罪に意味は無い。
周りに罪を提示して許しをもらう?いつからそんな卑しい考えを持つ人間になった。
本当に、駄目な大人になったものだ。
Lを支えるどころか、重荷になろうとしている。
最低な人間だ。
「L。済まない、L」
口をついて出る謝罪の言葉。
何に対しての謝罪だろう。
罪に対する謝罪。
Lを置いていく事への謝罪。
わがままな自分を許して欲しいとの、謝罪。
嗚呼、やはり、元から関わらなければ良かったかもしれない。
こんなに苦しめるならば、関わらないほうが良かった。
「ケイは、酷い」
「そうだな」
「そんな風に言えば、私が、受け入れざるを得ないと知ってて、なのに、どうして……」
聞こえるのはLの嗚咽。
嗚呼、泣かせてしまった。
ほら、私はこの子を悲しませてばかりじゃないか。
守りたいのに傷つける。
慈しみたいのに酷い事を言う。
こんな存在、一緒に居ていいはずが無い。
Lにとって、マイナスの効果でしかないのだから。
そんな存在は、居ない方が良い。
「L、愛しているよ」
「なら、生きて下さい」
「それは出来ない」
「何でですか」
これが私なりのけじめだから。だなんて、言えるわけもない。
敏いこの子にヒントを与えて、どうするのだ。
気付いてくれと言わんばかりではないか。
気付かせて、私を死に追いやる理由を汲ませて、Lを苦しませるつもりか?
人を追い込む理由に自分が含まれては、気分が悪いだろう。
それも幼い時にそんな目に遭わせては、トラウマになりかねない。
「これが私の生き様なんだよ。私は、Lとワタリに囲まれて生を全うした」
「まだ、ケイの命は消えていないじゃないですか」
「本当なら、とっくに死んでいたよ」
本当ならば、痛みでもう動けなくなっていただろう。
それを退けたのは、過去の経験と、そして私を支えてくれる人がいてくれた事。
それが私を強くした。
だから、ここまで生きられた。
「L」
「っう……」
嗚咽が聞こえる。
喉を痙攣させて、苦しそうだ。
今、どんな顔をしている?
手を伸ばすと、濡れた柔らかい頬。
「Lに会えた事で、私は心を得る事が出来た」
「私は、ケイに会えたおかげで、幸せの意味を、知りました」
「ありがとう、L」
「悲しいです」
「うん」
「悲しくて哀しくて……でもケイと共に過ごした時間が愛しくて、大切で、私はケイを恨む事も、憎む事も出来ません」
気持ちが溢れ出してしまいそうだ。
愛している。
この子に、誰よりも幸せになって欲しい。
嗚呼、言葉が見つからない。
何が世界の脳、Lだ。
私は愛する者たちにかける言葉すら、上手く見つけられない。
せめてどうにか、この気持ちを伝えたい。
陳腐な言葉しか浮かばない。
だけど、伝えたいのだ。
この気持ちを伝えたい。
闇に、手を伸ばした。
しがみつくようにLを抱く。
きつく抱きしめると、体の境があやふやになる。
いっそこのままLの一部となれたら良いのに。
知識を伝授するだけではなく、私の細胞一つ一つに刻み込まれた『L』としての知識を、Lに渡せたら良いのに。
そうすれば、Lがこれから困難にぶつかった時、支えてあげられるのに。
なのにそれが出来ない。
これから私は朽ちてゆく。
自由の利かない体になる。
Lを支える事はおろか、負担になるばかり。
最期まで、本当に一人前になってLがもう大丈夫だと私に笑って言えるくらいまで一緒にいたい。
そんな浅はかな願い、意味が無いのにしてしまう自分が憎い。
いつから私は、絶対にあり得ないことを望むようになったのだ。
「ケイ……」
「ありがとう」
「ケイ?」
「ありがとう、私の傍に居てくれて。私と暮らしてくれて」
「それは、私の台詞です」
「違うんだよ、L。本当に感謝を述べなければならないのは、私だ」
こんなに人として、生きる事が出来るようになった。
絶対にあり得ない事を願うのは、人間の高慢さだろう?
私はそれを手に入れた。
それを、手にする事が出来たんだ。
これも凡て、Lのおかげだ。
「ありがとう」
そして、さようなら
扉が開く音。
足元に流れてくる冷気。
ワタリが戻ってきたのだ。
「ケイ」
「ありがとう、ワタリ」
Lを解放する。
いつまでも抱きしめていては、苦しいだろう。
「なんですか、それは……」
Lが不安げな声を出す。
それ、とは、何の事だろうか。
考えて、ああ、と思う。
「庭にあったものだよ」
言いよどむワタリに代わって、答える。
Lは分からないらしく、黙ってしまった。
「ヘムロックを、覚えているかな?」
問えば、息をのむ音。
「この時の為に、作っていたんですか?」
「まさか、気紛れから作っただけだよ。私は高尚なソクラテスのような死に際を演じたいなんて、思ってはいないからね」
ただ、タイミングが重なっただけさ、と告げる。
私が死ぬ間際に、安らかに死ねる薬があった。
それだけだ。
安楽死を望むのと、なんら変わらない。
そこにその技術があって、それが許可されたから、安楽死をする。それと同じ。
「ケイ、本当に、飲むのですか?」
「残念ながら」
「私たちを、置いて逝かれるのですね」
「寿命もあるからね」
飄々とした口調。
何故だろうか、こんなにも安らかに死を受け入れられている。
ワタリにはLが、Lにはワタリが居る。
そう思うと、死ぬのが不思議と怖くなくなった。
手を差し出すと、冷たい金属の触感。
杯だ。
受け取ると、Lが私の名前を呼んだ。
「済まないが、二人とも、部屋を出て行ってはくれないか」
「見届ける事は、許されないのですか?」
「二人が居たら、飲めない」
素直な気持ち。
Lやワタリが居る前で、どうして劇物を口にできるだろうか。
「畏まりました」
「ワタリ!」
「ビショップ、ケイの最期の我侭です。聞いてあげなくては」
「そんなの、嫌です」
「ビショップ、お願いします」
ワタリの懇願する声。
Lが折れるのも、時間の問題だろう。
二人が出ていく音がする。
「L、ワイミー」
最期に呼びかけるなんて、残酷な行為だろう。
二人の足音がとまる。
「愛しているよ。二人を、空から見守って、いるよ」
最期の方は声が震えた。
何を泣く。
まだ涙を流しては駄目だ。
「見てて下さい、ケイ、私は、貴女を超えるLになりますから」
「私はこの子の横で、サポートをしています」
一拍の間。
さようならは、言わない。
扉が閉まる音がする。
私は一息ついて、杯に口をつけた。
死んだら人が星になる。
そんなの迷信だ。
けれど、
迷信すら信じたいと思えるほど
私は、
心を得る事が、出来た
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