2章第2話・Songs








黒箱第2章2話

視力は普段の数値の半分程度にまで持ち直した。聴力は特にいじっていないものの、電脳がオフラインの状態でもウェンルーの怒号はよく聞こえた。

「やっべえわ」
「見れば分かる」
「いや、見えねえところもやべえんだよ。潜水艦だ」
「潜水艦?」
「ああ、真下に上がってきた。ステルスが強力過ぎてUボートどころじゃねーよ。お前の目で探知できなかったってことは…」

国家が使役する軍用潜水艦。
初めて背筋に冷たいものが走った。ドーリィを船倉に連れて行こうと動いたが、彼女はそれを頑なに拒む。

「<まだ動いちゃダメ>」
「でも、恐らく奴らの目的は君だ」

ドーリィの銀の瞳が瞬いた。不安からだろうか、恐怖からだろうか。この輝きは守らなければ、その思いが邪魔をして俺には読み取れなかった。

「ジャック〜まあ抑えて抑えて。共和国が探査目的でこっちに来た可能性もあるだろ?あんま急ぐんじゃねえ。姉御の言うようにだ、この船の主戦力は一応おめーなんだからよ」
「…ウェンルー、お前そんな奴だったか」
「惚れなおしただろ」

元軍人なりに驕っていた俺は自分を恥じた。ウェンルーは俺なんかより多くの、いや、ディーンさんと同じくらいの修羅場を軽くのしてきた強者なのだ。要は、海尊のドンとして生まれついたこいつには勝てる気がしない。

「お前はドーリィの手を離すな。分かったか、ジャッキー君。いざって時は…」
「いざ?」
「俺達なんざ切り捨ててさっさと逃げろ」

怒りなど感じる余裕もなく圧倒された。親指を立ててこれ以上ないスマイルを送り、ウェンルーは船底へと走っていった。

「<ジャック、抑えて抑えて>」
「…ああ」
「<抑えて抑えて>」
「テロップで何度もリピートしてくれるのは有難いけどさ、一つ言っていいか?」
「<どうぞ>」
「君の顔がよく見えない」

ドーリィのバイザーに映し出されたテロップが一瞬ブレた。

「抑えて抑えて。ドーリィは俺の荷物を頼むよ。妹への土産が入ってるから」

俺は甲板に出たディーンさんに通信を送った。恐らく潜水艦の妨害で届いてはいない。だが。

「は〜いジャック!ドーリィ!駄目よ、まったくダメ…!塩水かぶってお肌がギシギシよ!」
「メサイアの規模が話に聞いていたより大きい…」
「そんなの外に出たら分かるっての!凍死するかと思ったわ!」

ドスドス船内に戻って来たディーンさんを見て、ドーリィは目を丸くした。俺もディーンさんの強がりは初めて見たので、ドーリィの肩を抱いて引き寄せた。だがドーリィの力はもっと強かった。いつの間にか抱えていたブランケットでディーンさんの分厚い体を包み込む。ディーンさんは驚いたようだったが、張り詰めた顔をこれ以上なく緩ませてブランケットごとドーリィを抱きしめた。

「大丈夫よ、船内にいる限り精神に損失は…」
「姉御、無事か!?だめだ、船底の簡易防護も効かなくてよ…」

ドーリィの肩に思わぬ力をかけてしまい、俺はディーンさんとウェンルー双方に殴られた。防護に守られていたはずのウェンルーでさえ、メサイアの影響を少なからず受けている。顔色が真っ白だ。
ついでにディーンさんはウェンルーもぶっ飛ばした。

「かーっつ!!何でそんな、全員を不安にさせる情報ばっかり仕入れてくんのかしらねえウェンルー!」
「死因が姉御のヘッドロックなんてやだよ!」
「うるさい!とにかくストーブ焚きなさい!ドーリィはバイザーにメサイア対策のプログラムがくっついてるけど、あとの2人は覚悟なさいな…!」

俺はドーリィを凝視した。ドーリィもディーンさんを凝視して、慌ててバイザーを脱ごうとした。当然、それを俺達全員が止めた。居酒屋でバイザーを調べた時に分かったのだろう。まさかそれがこんなに早く役に立つとは誰も思わなかったのだろうが。
ドーリィ、君は優しすぎる。自分だけが助かるかもしれない、なんて君の優しさが許そうとしないだろうが、約束したじゃないか。

君の事は、俺が守るって。

俺が口に出そうとした時だった。視界がぐんにゃりと曲がった。眼球ごと歪んだかのように世界が反転し、恐らくディーンさんもウェンルーもその場に倒れ伏した。視界だけでなく音感も乱れてヒビが入ったみたいだ。誰もが誰の事も認識できない。
何とか立っているのはもちろん、ドーリィだけ。張り詰めた顔で今にも泣きだしそうな1人の少女だけ。
俺は立ち上がろうとした。大きな慟哭に近い泣き声やすすり泣きが混在し、いや、これは幻聴だ。全てが未だ聞いた事のないドーリィの声で響き渡るが、ドーリィは自分の為に泣けるような子じゃない。

ドーリィ。

声になっていたか分からない。ただただ、脳に直接マグマを流し込むような激痛の中、俺は。



どのくらい時間が経ったろうか。頭から温かなブランケットをかけられたような、今まで感じた事のないような幸福感に包まれて俺は目を覚ました。

「ドーリィ!」

やっと声に出すことができた。口から飛び出したのは不安いっぱいの叫びだったが。多少悔しかった。
いやに静かだった。船内は皿と料理と拳銃その他諸々が散乱し、大の男2人が昏倒しているという、それは惨憺たる光景だった。電脳が若干旧式だったり違法パーツを使っていたと思われる2人は未だ目を覚まさず、うずくまっている。しかし呼吸は安定していた。
でもドーリィがいない。代わりに、甲板への扉から寒々しい海風が凄い勢いで流れ込んでくる。

「ドーリィ」

水族館で彼女を見失った時と似た焦燥に襲われた。また何かが起きている。間違いなく、彼女に何かが起きている。
雪の降った日に似た静寂。音が食われている。メサイアに?それとも、未だ汚染の爪痕が色濃い海水のせいだろうか。
全てがぼんやりとしている。俺の意識も、足元の感触も、義眼の見せる景色も。その中で唯一はっきりとしているのは、

ドーリィ。

静寂はとても美しい怪音に切り裂かれた。誰かが歌っている。歌っているのにその声は聞こえない。そんなもの、歌と言えるのかと疑問に思うだろうが、それは確かに歌だった。人間に捉えられないような高周波、または低周波の歌。ちょうどクジラが海底で奏でる歌が地上に舞い降りたような。
細かな事はどうでも良かった。俺はその歌をもっと、もっと聞きたくて仕方なかった。音源を探して勝手に義眼が走査を始める。歌を求めてふにゃふにゃと歩を進める。
あの時も、水族館で聞こえたのも君の歌だったのか。



「止まって」

俺はその場に倒れ伏した。気が付けばそこは甲板の上、雨はとっくに止んで真水と海水の入り混じる空気が新鮮だった。さっきまであれ程淀んでいた空気はどうしたのだろうか。
俺の動きは止まった。動けなかった。ボディに力が入らない。ドーリィのせいだろうか、と邪推した途端、水族館のあの光景が鮮明によみがえった。そして、俺を包むこの、動けない不安よりも身を任せる安堵に満ちた感覚はあの水族館で体感していた。

ドーリィ、君は一体何者なんだ。
口ももちろん動かない。静かな寝息のような呼吸音が伴うだけだ。そこにそよ風のように温かい手が伸びて、俺の頭を包んだ。ドーリィ。何かささやいている。異国の言葉、いや、言語ですらない。ハウリングのような、クジラのハミングのような、人間が出せる音ではなかった。
コンマ数秒程度の歌だったので何もかもが定かでない。しかし俺の頭はいきなりクリアになり、全身にエネルギーが行き渡った。

「ドーリィ!」

ドーリィはもんどりうって甲板ですっ転んだ。急に起き上がった俺の頭が彼女の額を直撃したのだ。

「ご、ごめ、ドーリィ…!?」

彼女の濡れた銀髪が魚鱗のようにきらめいた。だが髪がなびくほどの風はすでに吹いておらず、思わず空を見上げて俺は硬直した。
暗雲に大きな大きな穴が開いていたのである。この船を中心にぐるりと、青い青い大空が広がっていた。
これが、ドーリィの力。
確信に近いものを感じたが、俺は本人に聞くことはできなかった。ドーリィの白魚のような手がまた伸びてきて、

今は聞かないで。

ふるふると、首を振っただけで彼女の言わんとするところが分かった。なぜだろう。もう何年も前から彼女とこうして言葉にならぬ言葉を交わしていたような気がした。すぐさまドーリィは甲板から船室へと駆ける。
分かったのならいいと、その背中には書いてあった。


「2人とも!無事だったのね!?」
「はい、ディーンさんも元気そうで、いてててて」

船室で倒れていたはずのディーンさんとウェンルーもぴんぴんしていた。さっき見た真っ白な顔色が嘘のようだ。無論、甲板で何が起きたか、今話すことはしなかったが俺は知り得る限りの状況の報告に徹した。

「上からメサイア、下からは高性能の潜水艇にロックされました。だけど浅瀬に行けば何とかなるかもしれない。一刻も早く近くの島に避難すべきだ」
「島ぁ?この辺の海図じゃ島なんざなかったぞ、ジャック」
「ウェンルー、その海図、去年更新された奴だろう」
「あ?ああ、そうだな」
「消されてる。島がひとつ、海図から消されているんだ」
「は?」
「島そのものは俺が目視できる範囲にあった。方角の計算なら俺にもできるから2人は操舵を頼む」

ディーンさんは俺が言い終わらないうちに鉛筆を俺に突き付け、

「あんたを信じるわ、ジャック。いいえ、あんたたちを信じる」
「…ありがとうございます、ディーンさん。戦場でよく言ってくれましたよね」
「まあね!おらウェンルー、さっさと観測室に戻りなさい!ドーリィのバイザー借りて、さあ!」
「よしきた!姉御!ドーリィの鱗にかけて俺、やっちまうぜ!」

ドーリィは驚いてウェンルーをまん丸な目で見つめた。俺は精一杯の笑顔をドーリィに向けた。

「俺もみんなも信じてるよ、君のこと。…証拠の数はちょっと足りないけど」

ドーリィの目をバイザー抜きで見ると心が洗われるようだった。とてもきれいだ。きれいで、透明な銀色の回廊が目の奥へと広がっているようで…。

「もしかして、君の目は魔眼なのか?」

我ながらバカなことを言ったと思う。ドーリィもゲームやおとぎ話に出てくるようなワードは知らなかったと見えて、開くことの叶わないであろう薄い唇は疑問であふれ、震えている。

「喋ったらダメなんだろう?人魚みたいだ」

駄目だな。
この場にいると俺は際限なくドーリィを口説いてしまう。戦場で幾度となくもらったラブレターも興味がなかったのに、自分でもどうかしていると思った。ディーンさんに殴られないうちに海図を書き直さなければ。

「ドーリィ、今から海図を書き直す。君は、…歌を歌ってくれ。メサイアを追い払う歌だ。それが君の力なんだろう?」

ドーリィは少し視線を泳がせて、海図に小さく何かを書き記した。

『ヒトを惹きつける歌でもある』

ほんの少し癖のある字だった。この癖は見たことがある。安濃津博士。俺が呟くと、ドーリィは少し顔を赤くした。



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