2章第1話・歴史の話をしよう









「貴方の口から直接聞きたかったの」

アンジュはきつ然と言い放った。安濃津が胸ポケットに伸ばした手をがっちりと掴んで、

「タバコはダメ。また私達にハッキングを仕掛けるつもりでしょ?」
「そこまで非道ではないよ、私は」
「嘘つき」

国家が運営しているだけあって、帝国の研究所はリラクゼーションに関する設備は充実していた。窓に清涼な小川の疑似映像を流すカフェ、広々とした仮眠室、各種自販機に、そしてここ、広々とした喫煙ルーム。とはいえ、ガタイのいい長身のアレクとひょろ長い安濃津が座れば、2人が持て余した脚にアンジュは何度もつまずきそうになった。
思えば3人ともスーツだった。そこへスーツに白衣を羽織った人間2人は同僚に見えなくもない。

「貴方はずーっと嘘ばかり、これで何度目なの?」
「不可抗力、とは言わせない。お前が関わらなければジャックの父親もあんなことにはならなかった」

アンジュにうろんな頷きで応えていた安濃津は、アレクの剣呑な様子に目を丸くした。

「アリョーシャ、君…」
「その名で呼ぶな!」

アレクの腕を叩き、アンジュは立ち上がろうとした彼を無言で諭す。ついでに煙草も差し出して、

「アレク、ライター頼める?」

アレクは未だ安濃津から目を離さない。アンジュは、今度はアレクの耳を引っ張った。

「良いのよ、怒っても。でも火元から目を離しちゃダメ」

アレクは黙ってライターを持ち直した。アンジュがいつも使っているものと違わぬ火力に調整して、ゆっくりとアンジュの口元に近づける。アンジュの息遣いが安濃津のところにもはっきりと届いた。揺れる炎は人間とロボットの瞳を煌々と照らして、やがて役目を終え消えた。冬の青空のような紺碧の瞳と、穏やかながら鋭さを忘れない戦闘用ロボットのアイ。
安濃津は思わず、在りし日の2人を思い出して久方ぶりの動揺を覚えた。この研究所においてあらゆる感情が凪いでしまった、いや、無理やり生き続けた歳月に削り取られたとばかり思っていた激情がほんの少し、熱を持ったのを安濃津ははっきりと感じた。
彼らを守らねばならない。アンジュ、アレク、ジャック、ドーリィ、ノーマン。

そして、アレクの目はこんな時でもきれいだな、とアンジュは嘆息していた。あらゆる解析をこなすヒューマノイド専用のアイ。ジャックの軍用義眼である「キトゥン・ブルー」もいい勝負だが、なまじ人間に搭載するアイには容量などの制限がある。
アレクを「解析の鬼」と呼んだ、かつての彼の相棒。屈強な軍人であるアンジュの養父。
時折、アンジュは昔のようにこの3人を会わせたい衝動に駆られた。どうしようもなく昔が懐かしくて。かつての3人はそれはもう、幼かったアンジュのことを総出で可愛がった。
しかしそれは一番あってはならないことだ。アレクは事故によりここ30年より前の記憶を失っているし、何より、

安濃津は、ジャックの父親を死に追いやった。
アレクを稼働可能なところまで修繕した、アレクにとってはアンジュと同じく大事な「育ての親」であったジャックの父。ジュード・ターナー。
だからアレクは激昂を抑えられなかったのだ。ジャックに危険が迫ったあの時も、首謀者である安濃津と対峙したこの瞬間も。
アレクは変わらなった。30年前にアンジュと初めて会った時と変わらず強くて優しい、サーティーンコード・シリーズの始祖。父なのだ。

いつの間にか、安濃津はどこからともなく煙草を取り出し吹かしていた。彼が困りあぐねたときの癖だ。肺にまで入れなかった煙で遊んでいる。ドーナツ型の紫煙がいくつも飛んで、幻のように天に昇ってフィルターに音もなく壊される。

「あなたの口から直接聞きたかったの。この国や共和国、公国はいったいどういう状況におかれているのか」
「話すと長くなるなあ…アレク、私にも火を」
「断る」

ちぇ、と安濃津は肩をすくめた。アレクの目は安濃津の肢体が時折透けたり質量を失ったり、果ては虚数の素子に「裏返る」のを見逃さなかった。安濃津はそれもお見通し、というように胡散臭い微笑を浮かべた。

「安心したまえ、私はこの研究所においてはあまりに自由がない。では、この戦争においての主要国は帝国と、帝国が建国されたこのジヌス大陸と大海を挟んだ向こうの国、共和国。この2国について…」
「その辺はあんまり聞いても仕方ないわ。ジヌス大陸側の諸国を味方につけている帝国と、その帝国より更に優位にある、同じジヌス大陸の中心に立つ公国。…私だって、共和国の人たちを10割批判するつもりなんてないわ。だって、彼らの目的は…」
「そう、汚染の少ない土地。ただそれだけだ」

安濃津は、ふ、ふ、と煙草に息を吹き込んだが、

「消えてしまった。私の呼気は酸素が多いはずなんだが」

と、シガレットホルダーにまだ長い煙草を放り込んだ。

「中継塔の管理はうまくいっているかい?」
「あんたより詳しい自信はあるわね。帝国の人員も割いてもらってるし、…大陸オルビス共和国に技術を共有してもらうわけにはいかないの?こっちの大陸にはもう資源があんまりないし」
「それは15世紀前にかなり物資として資源を消費したものだから…」

安濃津はしばし言葉を切った。アンジュをまっすぐ見つめ、ゆっくりと頭を下げた。

「我々、旧時代の遺した負の遺産を、よりによって君に背負わせてしまったことをとても後悔している。…済まなかった」

アンジュはぽかんと口を開けた。アレクに思わず目をやる。
アレクは怒ってはいなかった。ただ無表情に、安濃津を見下ろしていた。

「…アレク?どうしたの?」
「君が指示を出すならこの男を殴ってもいい」

安濃津は頭を下げたままだった。

(見ず、聞かず、ものを言わぬ人間になりたかった)

30年前、アンジュに科学の道を拓いてくれた安濃津が、いや、トーチが呟いた言葉の意味が、今ほんの少しわかった気がした。ただ、その彼に、アンジュの強い憧れと淡い気持ちに気づいていなかったわけでもなかろう彼には、きつ然と、科学の生んだ賢者でいて欲しかった。
アンジュは安濃津に歩み寄った。この時やっと、自分たちは部屋の端と端に陣取っていたことを知って、アンジュは少し笑ってしまった。

「トーチ、この煙草じゃ軽すぎるかしら」

ゆっくり顔を上げた安濃津は何も言わなかった。ただ、いつもの手品を見せてくれた。すーっと右手が透けたかと思うと、指先に青い炎がゆらゆらと煌めく。
アンジュはその炎が大好きだった。今も昔も。自分がまさかその火に直接世話になる日が来るとは思わなかったが。
アレクが見守る中、2人は青いともしびにそっと煙草をかざした。微かに甘い上等な煙草の匂いが2人を包んだ。

「…ちょっとあんた」
「何だい、アンジュ」
「その銘柄、私がいつも買ってるやつじゃないの。どういうこと?」

安濃津はぷいっと目線を外して、胸ポケットの煙草を無理やり詰めて隠した。

「さあてね、君も私も好きなんだろう。尤も、これは私が40年ほど前から吸っている銘柄だが」

アレクに背を向けているアンジュの顔は火だるまのように赤く染まっていた。



中継塔とは、いわゆる「地球の浄化装置」である。ジヌス大陸中枢に位置する公国に拠点を置いた旧時代の生き残り達が、徐々に地球全体へと中継塔を建設し、少しでも居住に適した地域に戻そうと試み、そしてその活動は戦後15世紀経った今も続いている。

「いや、終わらないんだ」

安濃津は煙草を目いっぱい吸い込んだ。軽めの銘柄、女性が好むような柑橘の香り。
匂いというものは記憶に直結している。アンジュは40代と思えぬような幼げな顔でぶすくれている。
「終わらないって、それは私も承知の上で中継塔のコアであるブラックボックスをメンテしてるのよ。仕方ないじゃない。…本当は、もっと住める土地を増やしてこの『地域格差』をなくしていきたいけれども」
「そうだな、そうすれば戦争は…ああ、もう終わらないところまで来てしまった。我々は多くの血を流し過ぎた…」

アンジュは無言で煙草の火を眺めていた。狐火のように不思議な青い火は心を落ち着ける作用があるという。これは30年前の、かつて安濃津と親友だったアレクが言っていたような気がする。

「…あの頃はよかったわ。情報統制とか戒厳令とかややこしかったし、仮初の戦勝国だったんでしょうけど、帝国の人はみんな今より楽しそうだった」

アンジュは長らく技術者として公国のシティに住んでいた。それでも帝国での暮らしを懐かしみ、また国を思う気持ちは残っていた。

「…公国の政治をどうにかするんじゃなかったの?トーチ」
「そうだ、我々に最後に会った時、お前はそう約束していたはずだ」

アレクがようやく口を開いた。未だ剣呑ではあったが。

「ロボットの私が持ち得るデータは日々更新されているが、公国と他国との格差、また公国内の『良家』と一般国民との格差は停滞したままだ。…資源が枯渇しようとしている今、他国は人間をも資源として売ろうとしている。その中心が…」
「そう、公国だ」

安濃津は首肯する。アレクの相貌はますます険しくなった。アンジュもそれに関しては何も言える立場にない。

「公国はとびぬけて自然が清浄で住みやすい、いわば特級地よ。本当は中立を保つはずだったけれど…ねえ、どうして30年前に公国と帝国は手を結んだの?あの時から戦争は大きく変わってしまった」
「…資源だ」
「え…」
「石油、石炭、木材、それに…」

アンジュは青ざめた。

「あの時から…人間が資源にされてきたって言うの?生体部品や…」
「それから燃料」
「食料は?」

安濃津は自虐的な笑いを浮かべた。

「自分が防ぐことができたのはそこだけだ。カニバリズムなど、旧時代の残滓である私こそが防がねばならなかった」

笑ってはいる。だが安濃津の目には確固たる闘志がちらついていた。決して、公国を、帝国を、いや、共和国を含めたこの世界の如何なる地も腐らせることはできない。

「公国の技術提供によって共和国の危機感は否応なしに増すこととなり、こうして戦争は瞬く間に泥沼化した。…引き金を引いたのはこの、」
「もういいわ、貴方はいいの」
「アンジュ、私は、」
「酷い顔してるわね。ライゼナウに何されたのよ」

少し虚を突かれたのか、安濃津はやがて薄い笑いを浮かべた。首筋を指さして、

「新しい電脳の研究さ。兵士をAIのように操る技術の実験台を私のボディで…」
「ちょっと待って、やっぱりあの野郎引きずり出してくる」
「いやいやいや待ちなさい、待ちなさいったら」

ずっかずっかと歩き出したアンジュを大の男、プラス、ロボットが必死で止めにかかった。安濃津はにっこり笑って、

「アレク、こういう時だけは気が合うねえ」

アレクは反射的に目の焦点を絞った。キュイン、キュインと耳当たりのいい精密機器の音がする。ロボットのそれは臨戦態勢の音、または怒りの音と呼ばれる事がままあった。

「済まない、アレク。そういうつもりではなかったのだが」
「この場でなければ貴様を粉みじんに砕いていたところだ」
「アンジュの前でなければ、だろう。君は優秀だ」

アレクは不機嫌も露わにアンジュのもとに戻った。番犬か、剣か、それとも盾か。聞けば、アンジュにも「ジャックの父親の話は明日」とくぎを刺されていたらしい。どおりで手持無沙汰なはずである。

「…トーチ、それ以上はダメ、一度座りましょう」
「ふふ、ばれたか」
「当り前じゃない。そんな安物のボディ、冬の紫外線に当たっただけでもただれてしまう」
「こうして話をするには事足りるだろう」
「……そうね。ライゼナウとは仲良しみたいだけれど」

安濃津はふふ、と笑った。

「駄目なんだ。確かにこの体では。ライゼナウの持つシステム一つでバラバラに朽ちてしまう。…済まない、戦争を防ぐこともできず、私は、」
「ドーリィを育ててくれたわ。あの子の事が本当に気がかりだったの。ありがとう」

ほら、アレクも、とアンジュが急かす。アレクは憮然と一礼して、どっかりと腰を据えてしまった。

「あの子がカギだって、誰も傷つけずに世界を救うことができるって、あの子本人もしっかり分かっているの。…貴方の遺伝子は本当によく定着してくれたわ。リュウグウノツカイやイルカ、クジラ…これだけの異なる類を混ぜる実験、許されると思っていないわ。だけど私は…」

いつの間にか、アンジュははらはらと涙を零していた。アレクは初めて聞く事柄にまた目の焦点を切り替えて、いや、混乱させている。

「あの実験に、君も?」
「ええ、そうよ、アレク。ごめんなさい、私、やっぱり貴方の『お姉さん』にはなれなかった」
「…いいや、この数年来、倉庫に押し込まれていた私を生かしてくれたことに変わりはない。だから、」
ええ、ええ、とアンジュはうなずいた。アレクが駆け寄り、そっと、ガラスを扱うように抱きしめた。だが目線は、殺意すら感じる目は安濃津を射止めて離さない。

「…指示をしたのはお前か、安濃津塔一」
「そうだ。ライゼナウとこの子しか実験に適した頭脳はいなかった」
「人殺しめが…!!」

やめて、アレク。

アンジュはまた、ジャックの前でアレクが誤作動を起こしたときのように「セーブ」をしようとした。だが出来なかった。アンジュの中に少しだけ、ほんの少し、自分の重罪を塔一のせいにしたいという気持ちがあったのかもしれない。

だって、私はアレクの怒りに安堵してしまった。

「そこまでだ、木偶の坊」

ガチリ、とアレクの中で嫌な音がした。アンジュの羽織っていた白衣から決して、アレクは手を放そうとしない。アンジュ本人ではなく、白衣を掴んだのは彼の中で「アンジュを築けまい」というプログラムが働いたせいでもある。

「木偶の坊はやめたまえ、レオナルド」

アレクを持ち上げようとした途端、安濃津の腕が草木をちぎるような音を立て、ごっそりと床に落下した。
それほどまでに、彼の腕は弱かった。

「トーチ!」
「アンジュ、大丈夫だ。すぐに再起動させるとアレクにダメージが残る。…レオナルド、私はアンジュに同行する。それができない時はアレクがアンジュを守る。…最上位命令に据えた事項だ。変更は私以外のコマンドを受け付けない」

喫煙室に入ってきたのはライゼナウ1人だった。安濃津より目線1つ小柄なはずなのに、その威圧感はすさまじい。

「腕、取れてしまいましたね。…ああ、石膏像のようだ。飾っておきたい」

落ちた腕はいつの間にか土くれと化していた。アンジュはぐっと堪えて、

「トーチの体を治すわ。私も現場に入れて、大統領」
「嫌だ」

ありったけの憎悪を込めた、ゾッとするほど冷たい声だった。安濃津が素早くいさめずに置いていたら、恐らくアンジュも献体にされていただろう。
安濃津は腕のないボディでアンジュの盾を務めた。彼も決めたのだ。
30年前に。


大切な者たちを守ると。



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