小説(HQ)

鉛のように重たい瞼をなんとか持ち上げ、ぼんやりとした視界で天井を見上げる。
「気持ち悪い、頭痛い」
これが俗に言う二日酔いというやつなのだろう。吐き気に胸焼け、そしてガンガンと痛む頭。どうやら私はアルコールに強くないようだ。
「・・・とりあえずシャワー」
なんとか起き上がり、おぼつかない足でよろめきながらも浴室を目指す。ああ、ダメだ。ちょっと吐きそう。

ゴンッ!

「・・・ッゥ!いっ・・・たぁい」
ただでさえ痛む頭に追い打ちをかける、壁にぶつかった痛み。ジワッと目尻が熱を持ち、ぶつけた場所を慰めるようにさする。
昨日、調子に乗って飲みすぎた。初めての飲酒、適量を見誤ったのは失敗だった。黒尾さんの言うこと、ちゃんと聞いておけばよかった。でも、飲みすぎたのは私だけじゃないはず。彼ら・・・黒尾さんも今頃、二日酔いに苦しんでいるのだろうか。
今しがた、頭をぶつけたばかりの壁。相変わらず物音のしない隣の部屋に、思い出すのは昨夜の醜態。
「こちら、二日酔い」
モヤモヤする気持ちを誤魔化すための、ほんの遊び心だった。ドラマで見たモールス信号のマネをして、軽く壁をノックしてみる。
「そちらは、どうですか?」

トンッ、トトンッ

静まり返った部屋に響く、ノック音。聞こえているかさえ怪しいのに、布団にくるまって苦しむ黒尾さんを想像して思わず顔がニヤける。

トンッ

「えっ!」
突然返ってきたノック音に、驚いて思わず後ろへ後ずさる。軽く尻もちをついてしまい、誰かに見られていないかと周囲を見渡すが、当然、私しかいない。
「黒尾さんも、二日酔い?」
少しノックの回数を増やして。伝わるはずがないのに、黒尾さんになら分かってもらえる気がして。再び静かになった部屋でじっと返事を待つ。

トトッ トンッ トトトンッ

「俺も、ヤバい。しんどい。とか?」
気づいたら、あんなにムカムカしていたのが嘘みたいに消えていた。もう少しモールス信号ごっこを楽しみたい気持ちもあったが、お互い具合が悪いのだ。足にグッと力を込めてなんとか立ち上がるが、思い出したようにガンガンと痛む頭を抱える。
「ナマエちゃん」
「!」
今、たしかに名前を呼ばれた。
時刻は昼前、カーテンの隙間から差し込む明かりはギラギラして眩しくて。とてもそっちへ行く気にはなれないはずなのに、足は自然とベランダへと向かっていた。
空耳かもしれない、気のせいかもしれない。それでも確認せずにいられなかった。鍵を開けて、窓を開けて。容赦なく突き刺す太陽に目を細めてベランダへ顔を出せば、口角を緩く上げた黒尾さんと目が合う。
「おはよう」
「・・・オハヨウゴザイマス」
「なんでカタコト?」
肩を揺らして静かに笑う彼に、今更思い出した気まずさから目を逸らす。もう騙されちゃダメだ、黒尾さんは胡散臭くて、食えないタイプだ。
「体調どう?」
「すこぶる元気・・・・・・じゃないです」
「ブッ・・・!そりゃあんだけ飲めば、ねぇ」
素直に二日酔いだと白状するのは悔しくて。元気だとアピールしようと声を張ったが、脳がやめなさいと痛みで警告を鳴らす。涼しい顔をして笑う、この人が憎い。私よりもアルコール度数が高いお酒を飲んでいたのに、どうしてこんなに平気そうなんだろう。
「起きてからなんか食べた?」
「まだなにも」
「三十分で準備できる?」
「へ?」
「美味いラーメン屋、連れてく」
「えっ、いや、あの・・・」
「ラーメン苦手?」
「普通だと思います・・・けど」
「じゃ、準備できたらインターホン鳴らしてね」
トントンと早いペースで進む会話に、受け答えするのが精一杯で。引き止める間もなくカーテンの向こうに消えてしまった黒尾さんに、思考を止めた脳がフル回転を始める。
「なに着ていこう」
それに三十分って思ってるよりあっという間だし、シャワーも浴びてない!絡まる足に何度か転びそうになるが、ムカムカとモヤモヤで埋め尽くされていた胸は、淡い感情で埋めつくされていた。




* * *





気づけば誕生日から一週間が経過していた。
突然の休講に、肩を落としたのも数分。少し迷って連絡を入れてみた友人は、図書館で自習しているという。それならカフェに行こうと、大学近くの小洒落た店で待ち合わせ。軽く手を上げて落ち合い、注文した飲み物に口をつけながらガールズトークに花が咲く。最後に話したのは誕生日前、まずは互いに近況報告をする中、話題はどうしても黒尾さんのことへ。
「それで?初デートがラーメン屋?」
「ちっ、違うの、デートとかじゃなくて・・・」
「じゃあなに」

『潰れたら介抱するって、約束したデショ』

「私が、二日酔いでしんどそうだからって」
「・・・・・・えーっと。誰さんだったけ?」
「黒尾さん」
「そうそう、その黒尾さん。ホントに信用できるの?」
この反応はごもっともだ。お隣の大学生と仲良くなって、一緒に楽しくお酒飲んで。翌日には二人で近所のラーメン屋へ行って、当たり障りない話をして帰宅して。
「いい人、だよ」
「ふーん。まっ、付き合ったら教えてね」
「つっ、付き合うって!そういうのじゃないよ!」
「ついにナマエにも春がやってきたかー」
「だから違うってば!」
からかう彼女にも、いい人が見つかったらしい。この後のデートで絶対落とすと意気込む姿に、心の底からエールを送る。恋をする女の子はキラキラして、すごく可愛い。

どうか二人の恋がうまくいきますように。
恋の神様に願った純粋な願いは、無惨に裏切られるなんて。この時は想像もしなかった。


降って積もったソレの名は

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