07 事件発生

その夜、鈍痛で目を覚ました。薄く目を開けると見慣れない天井が目に入る。自分が医務室にいることを思い出し、カーラは思わず低く唸った。窓からは月明かりが微かに差し込んでおり、おそらくまだ真夜中を回ったばかりだろう。寝返りを打とうとしても背中が痛くて動けず、苛立ちが募るだけだとは分かりつつも、どうしてこんなことになったのだろうかと数時間前の出来事を思い返さずにはいられなかった。




* * *




事は、午後一番の飛行訓練で起きた。グリフィンドールとスリザリンの合同授業だった。

これまでに三回あった飛行訓練では地上二、三メートル程度の高さでちょっと飛んでみる、というところで終わっていたため、そろそろもう少し高いところまで自由に飛ばせてくれるはずだとカーラは朝から楽しみにしていた。昼食でお腹いっぱいになった一年生が校庭に揃うと、マダム・フーチは鋭く笛を鳴らし注目を集めた。

「今日は箒に乗りながら手を使う練習をします。そこで、このボールを使ってちょっとしたゲームをいたします」

マダム・フーチがそう言って掲げたのはふわふわした手のひら大の毛玉だった──ピンクや紫の毛糸で、手で掴みやすいようでこぼこに編みこまれている。しかしマダム・フーチによるとただの毛糸玉ではなく、ある程度ボールの持ち手の意図を汲みながら飛んでくれるそうで、落下減速の呪文などもかけられておりホグワーツではクィディッチ初心者が練習でクアッフルの代わりに使うものらしい。カーラはミニゲームと聞いて心が躍り、思わず前のめりになってマダム・フーチの説明に耳を傾けた。

ルールは二人一組になってパスを投げあい、簡易ゴールにふわふわボールを投げ入れる。そして相手の二人組はゴールを入れられないようにディフェンスをし、終了までに多く得点した方の勝ちだとマダム・フーチは説明した。その時グリフィンドールのポッターとブラックが目を見合わせてニヤリとしたのをマダム・フーチは敏感に察知し、妨害で手を出したり相手にぶつかったりするのは厳禁、もし破れば寮の得点はマイナスになるだろうと警告した。

「減点されるほど間抜けじゃないよな──」カーラは確かにブラックがそう囁くのを聞いたが、もし地上五メートルの上空で悪戯でもしたら最悪落ちて死ぬこともあり得る。ポッターやブラックが嫌がらせをする相手など、セブルスしか思い当たらなかったが、さすがにあの二人そこまでばかじゃないだろう。カーラはそう自分に言い聞かせた。

肝心のチームメンバーと対戦相手は、マダム・フーチが実力のバランスを見てさっさと決めていってしまったのだが、カーラはこの時点でかなり嫌な予感がしていた。というのも、スリザリン側がカーラとセブルス、グリフィンドール側がジェームズ・ポッターとピーター・ペティグリューだったからだ。

セブルスは絶望としか言いようのない表情をしていた。友人のよしみで大目に見たとしても、セブルスが優秀な飛び手だとは言いがたいとカーラも思っていたため、学年一箒に乗るのが上手いと噂で、しかも犬猿の仲であるジェームズ・ポッターと対戦することとなったセブルスの心中は計り知れない。極め付けに、つい先ほどポッターと決闘まがいの大騒ぎになった後だ。

「セブルス、顔色が……」
「大丈夫だ」

セブルスは食い気味に答えるが、どうみても大丈夫そうではない。しかしあまりしつこく心配してもプライドを傷つけるだろうと、カーラはそれ以上追求しなかった。

カーラはといえば、先日の湖のほとりでの出来事を思い出し、ピーターが相手かと少々気まずい気持ちにはなったが、それよりもポッターの方が気にかかった。セブルスと違ってカーラはポッターと個人的に敵対している訳ではないので、むしろ箒の名手と噂のポッターと対戦できるなんてラッキーだと思った。

ミニゲームは2,3組ずつ順番に行われた。それ以外の生徒は皆見やすい場所に陣取って、好きずきに観戦している。そろそろカーラとセブルスの番だというその時、後ろからはやし立てるような口笛が聞こえた。

「おい、スニベルス!ガタガタ震えて箒から落っこちないように気を付けろよ」
「それとも女の子に守ってもらうか?」

ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックだ。振り返らなくても分かる。カーラはセブルスの袖を引っ張って無視するようにとジェスチャーしたが、セブルスは完全に無視して二人に突っ掛かった。

「喚くことしかできない卑怯者どもが」
「おぉぉ、スニベリーちゃん怖い。あぶく舌はどうなったい?」
「黙れ。箒に乗るまでもなく今ここで失神させてやる」

セブルスは言うが早くさっと杖を抜いた。が、ポッターとブラックの方がもっと早かった。しかも左右から囲まれている。セブルスが不利なのは明らかだった。

「スニベルス、いつもみたいに泣かないのか?」
「ピーピー泣いて見せたら、スリザリンのお姫様が助けてくれるかもしれないぞ!」
「だま……」
「グリフィンドールの二人、いい加減にして。マダム・フーチがこっちに来てる」

カーラは三人の背後からマダム・フーチが異変を察してこちらに向かってきているのに気付き、なるべく唇を動かさないように忠告する。三人は素早く杖をしまうが、こんなに大きな声で言い争っていたら目立つのは当たり前だ。周囲の生徒はざわつきながら成り行きを見守り、マダム・フーチは四人に駆け寄るなり眉をしかめた。

「もう揉め事ですか?」
「いいえ、何でもありませんマダム・フーチ。ちょっと私たち、箒の乗り方について話し合っていたんです」
「ええ。ミス・グレイに教えて欲しいと頼まれたものですから」

カーラはとっさにその場を取り繕って微笑んだが、ポッターが便乗してありもしないことを言うので口元がひくつくのを感じた。マダム・フーチがまだ疑っているのは明らかだったが、この授業では杖は厳禁ですよと釘を刺してゲームの審判に戻っていった。

「誰が箒の乗り方を教えて欲しいって?」
「ん?違うのかい?スリザリンのお姫様は、箒に乗るなんて野蛮なことはできないんじゃないかと思ってね」
「ちょっと、さっきからそれ何?私のこと?」
「ハッ、白々しい!みんな陰で呼んでるぞ。いつもスリザリン連中を家来みてーに引き連れてんだろ」
「そんなこと……!」

グリフィンドールのいじめっ子達の標的は、セブルスからカーラに移っていた。周囲の生徒はもう誰もミニゲームなど見ておらず、こちらの方が面白いとばかりに興味津々の目を向けている。カーラはお姫様を気取っているつもりも、友人を家来のように従えているつもりもなかったが、ここで真っ向から言い返しても意味がないと口をつぐんだ。そして、カーラは一旦ブラックを放っておくことにして、ポッターに向き直った。

「ポッター、怖いの?私たち二人にゲームで負けるかもしれないから」
「ちょっと……それは聞き捨てならないな。僕が誰に負けるだって?」
「あら、聞こえなかった?あなたが私たちに負けると言ったの」
「聞き間違いじゃないらしいね。一つ言っておくけど、僕に箒で勝つだなんて皆の前で言わないほうがいい、恥をかくのは君だ。普通の女の子よりちょっと速いくらいじゃ話にならないよ」
「そう言い切れるだなんてすごい自信ね?でも、弱い犬ほど何とかって聞いたことないかしら」

カーラがそう言い放った瞬間、ポッターの血管が切れる音が聞こえたような気がした。ポッターは顔をピクピクさせながら、そうだね、5分後には分かることだと冷静を装って言った。

「じゃあ罰ゲームを決めないとね?僕たちが勝ったら、君ら二人は僕たちの言うことをなんでも一つ聞くこと」
「いいわ。じゃあこちらが勝ったら、金輪際私たちには関わらないで」

ポッターはふふんと鼻を鳴らしながら頷き、周囲の人だかりに向かってみんな聞いたかい、スリザリンの二人組が僕に勝負を挑むそうだ、と声を張り上げた。野次馬は大いに盛り上がる。

セブルスはこめかみをひくつかせながら、また勝手なことをするなと人でも殺せそうな目でカーラを睨む。カーラはその場の勢いでセブルスを巻き込んだことを一生懸命謝ったが、少なくとも一週間はまともに口を聞いてくれそうにない。かねてより箒の腕前が気になっていたポッターに、スリザリンのお姫様は箒になんて乗れないなどと言われてつい頭に血が上ってしまったのだ。カーラはセブルスの機嫌をとることは諦め、ホグワーツ史上最高の乗り手と名高いポッターにどうやって勝つか、頭の中でシミュレーションした。

カーラだって箒の扱いには自信があった──小さい頃からルシウスやその取り巻きに、箒で追いかけられてばかりいたからだ──が、ポッターとまともに一騎討ちをして勝てるかというと正直自信はない。しかし、全く勝算のない勝負を持ちかけた訳でもない。ピーターにボールが渡ったタイミングでゆさぶりをかければこちらのペースに持ち込めるかも、と考えたのだった。
これまでの授業でそれほどピーターを注意深くは見ていなかったが、たまにちらと目に入る様子だと箒の腕はセブルスと五分五分か、それ以下だった。それに先ほどの言い争いの間、ピーターはオロオロとブラックの顔色を伺ったり、ポッターが笑うのに合わせてへへへと笑って見せたりと、終始落ち着かない様子だった。おそらくグリフィンドールの人気者二人と仲良くなりたいが、まだポッター達からは真の仲間だと認められていないのだろう。きっと、なんとしてもヘマはできないというプレッシャーに押しつぶされそうになっているはずだ。

カーラは汽車でピーターと仲良くなった時のことを思い出して心がチクリと痛んだが、「なんでも言うことを聞く」などという恐ろしい条件を勝手に受け入れたからには、セブルスのためにも絶対に負けられないと思った。

そうして、ついにカーラ、セブルス、ポッター、ピーターの番となった。

- ナノ -