dream | ナノ


小鳥の囀る声、風のなびく音、眠気を誘う陽光に、緩やかに流れる大気。否の打ち所が無い理想的な空間に、名前は鼻歌でも歌ってしまいそうなほど上機嫌で過ごしていた。私室の空気の入れ替えも終わり、清々しい空気に目元がゆるむ。常に薬臭くなっている部屋の染み付いた臭いはどうしようもないが、漂う空気が新鮮だというだけで何処か違う空間のように思えた。

「んー、誰も来なそうだし…このまま昼寝でも、」

「姐さーんっ!」

「…したかったなあ…」

静かな空間が一つの亀裂により一気に騒がしくなった。とてもじゃないが、清々しいという言葉とは程遠い喧騒と野太い声。この場所で静かな時間など取れるほうが難しい。いつものことだと一瞬にして諦めたものの、己の憩いを邪魔した輩は名前の沸点を小さく掠めてしまった。
──何でこんな時に限って私の邪魔を…っ!
瞬時に拳を握り締めた彼女は、温厚な見た目とは違い決して気は長くない。

「姐さん!筆頭がお呼びです!至急来てくださいっ!」

「…毎回毎回暑苦しいんじゃボケーッ!」

「うおおおおおっ?!」

名前は素早く懐に隠し持っていた医療用の刃物を三本手に持ち、袴姿で今まで鍛練でもしていたのだろうとうかがえる男たちに向かって躊躇無くそれを投げた。風を切る音とともに勢い良く飛び出す刃。今まさに大声を上げながら彼女に向かっていた男たちは、顔を青ざめ急停止して仰け反った。大声を出して彼女に近づくたびに成される行動だというのに、学ぶ輩は誰一人として存在しないようだ。野太い悲鳴を上げながらもすべての刄を間一髪で避けた男たちを見て、名前は小さく舌打ちをした。元来怪我を治す立場にいる彼女がこんな所業をするのは矛盾しているようだが、既に日常と化しているため名前自身躊躇いという言葉は捨てている。『言葉では通じない』というなんとも血気盛んな輩がこの場には多い。何度言えば理解してもらえるのか、と憂いだ顔をしながら名前は一つ溜息を零した。彼女自身、その輩の一人に区別されているとは微塵も思っていない。基本、皆自由人だった。

「姐さん!毎回毎回予告も無しに刃物が飛んで来んのはちょっと…っ」

「ちょっと……なに?あんたらこそ、何度“姐さん”って呼ぶなって言えば理解すんの」

「いや、そりゃあ……筆頭次第ッスし」

「従うな。反抗してみせろ」

「んな無茶なっ?!俺等が筆頭に殺されちまうっ」

「知るか」

「ええええええっ?!」

男三人女一人、どちらが主導権を握っているかは明らかだ。仁王立ちしている名前の前に、正座をする勢いで腰が低くなっている男たちは惨め以外の何者でもないだろう。診療室にもなっている自室から外に連なる廊下に移動し、名前は腰に手を当て顰め面のまま男たちを睨んだ。それを見て彼らの肩は竦み上がる。それは人として、そして皆を助ける“医師”として尊敬している人物の機嫌を損ねさせたからだ。力では負けないというのに、それすら曝せないほど萎縮してしまう名前の迫力。
──流石、筆頭がお見初めした御方だぜっ!
その迫力がもとで兵士たちにも認められているなど、名前はさらさら知るはずも無い。

「私のことは呼び捨て、または“さん”付け、それでもダメなら“先生”とお呼び下さい。“姐さん”など言語道断、私はあなた方の姐ではありません」

「いや、それは…」

「今日も素敵に説教たれてるな、Honey」

「…はあ……来た」

聞き覚えのありすぎる声に男たちを睨み付けていた視線を上げ、声の主を確認した途端名前は大きく息を吐いた。男たちの後ろには、いつのまに居たのやら袴姿の政宗が。腕を前で組み、にやりとした笑みを口元に磔ながら佇む彼は名前達の様子を見て気が良くなっているようだ。彼は毎回名前の反応を楽しむ節がある。なんとも悪趣味だ。

「こうなんのは目に見えてたからな。わざわざ出向いてやったぜ、Honey?」

「そんな、筆頭…俺等やられ損じゃないスかぁ…」

「Ha!そりゃ悪かったな。オメェ等戻っていいぞ」

「ウスッ…姐さん!筆頭のことお任せしますね!」

「姐さんって言うなっ」

再度刃物を手に持ち威嚇した名前を確認すると、男たちは脱兎の如く慌ててその場から逃げていった。格好と走っていった方向からして道場にでも戻ったのだろう。彼らが見えなくなったのを確認すると、名前は手に持っていた刃物を素早く懐に隠した。そして近づいてくる気配を感じ、また一度溜息を吐いてからキッ、と気の強い眼差しを向ける。睨み付けられた政宗は、やはり変わることなく笑んだままだった。

「…で、何用でございましょう、政宗様」

「ああ……ただお前に会いたかっただけだ。悪いな、寂しかっただろ?」

名前を障子に押し付けるような形で迫り寄り、政宗は女ならば誰もがとろけてしまいそうな程の微笑を浮かべた。そこいらに居る女中や町娘に向けられていたなら、きっと彼に一瞬で心を奪われてしまうだろうと予測できるほど甘い表情だ。だがしかし、それを向けられている女は女中でも町娘でもない。荒くれ者集団と称される伊達軍さえも迫力で畏怖させることが出来、尚且つ城主である政宗とは幼なじみという最強の称号を獲ている女である。そこらの一般人とは感覚が根本から違っていた。

「そうですか、それはわざわざご苦労様です。……私の記憶が正しければ、先刻お会いしたばかりかと存じ上げますが。わざわざ会いに来るほど時は過ぎておりませんよ?」

「Oh…片時も離れたく無いこの気持ち、お前はわかってるはずだぜ?」

「いいえ、まったく」

微塵も表情を変えることなく言葉を返し、名前は政宗の横から身体を抜け出すと開け放してある自室に戻った。乱れの無い動作で必要だと思われる物を瞬時に取り出し、その傍らに座布団を一つ敷く。腕を組み立ったまま障子の縁に体重をかけ、その様子を傍観していた政宗に名前は膝立ちのまま向き直ると掌で座布団に促す動作をして口を開いた。



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