未透過の世界



何度めか繰り返した浅い睡眠から覚めると、明るい陽光がまぶたに焼きついて、思わずもう一度硬く目を瞬いた。
病室の薄く開けられた窓の隙間から風が吹き込んで、傷で上がった体温の高い頬をなぜる。
日はすっかり高くなってしまっている様だ。
午後の高い太陽が清廉な病室をてらしている。

痛む腹に手を添えると、どくどくと自分の心臓が脈打っているのを感じた。
少しだけ呻きながら体を起こす。
響く鈍痛に少しだけ息が止まりそうだ。
それでも自分の心臓が動いていることがなんだか不思議で、杏寿郎はゆっくりと息を吐いた。

………まだ当分は本調子というわけにはいかなそうだ。

鬼の一撃が砕いた肋骨は、完全には戻りきらず激しく動けば簡単にまた砕けてしまいそうな脆いものだ。
清潔な木綿の療養着の隙間から見える包帯にはまだ血が滲んでいる。

何日も目を覚さなかった。と聞いたが、今はもう何年も経っている様な気持ちすらする。

あまりにも静かなこの屋敷では、日にちの流れすら曖昧な感じがするのだ。

「………君、ひとつ聞きたいのだが」
「はい、なんでしょう?痛みますか?」
「いや……」

午前、午後で交代する付き添いの隠の人間の中でも、初めて見る目元の人物に声をかけた。
いつもよりうんと小さな声しか出ないことが情けない。
彼らは自分が急変しないか、つきっきりで見てくれているらしい。
それだけ大きな傷だった。ということだろう。
現に包帯に覆われた左目はもう動く気配すらない。

「名前、は…」

ギクリと今までの隠同様露骨に強張った顔をする相手に、彼女が余程厳しい戒厳令を敷いたのがわかる。
あの月夜の、片目で見上げた名前は、泣きそうな顔をしていたくせに、はらがたつほど、きれい、だった。

「隠頭については、その、なんともー…お答えは…」
「………連れてこい、なんて君にとって酷なことはいわない」

最初、初めて意識がもどってすぐには、それこそ次々と変わる隠にしつこく聞いた。
ときに思い通りに動けない自分をいいことに、彼らが名前と自分をわざと会わせない様にしているのではと勘繰ってみたりもしたが…
結局は意味のないことだ。

「ただ知りたいのだ、名前が今どうしているのか……これから」
「炎柱…いかなる質問にもお答えできないのです」

可哀想なほど萎縮した相手はおそらく杏寿郎が最初に名前について聞き、断わった相手に酷く激昂したことを聞いたのだろう。

「すまない、君を困らせたいわけじゃないんだ……ただ、恋しいと思う人が急にこの世から消えてしまった様で…」

らしくないことをしたと今になって後悔している。
努めて優しい声音で話し続ける杏寿郎に、相手は少しだけほっとした様に目元を緩めた。

「まるで気配もなければ、あの人が死んでしまったのではないのかと心配になる。人生に気配もない人は死んでしまったのと同じだ…」
「………………。」

窓の外で若い藤の枝が揺れている。
めがさめれば名前がいて、無茶をした自分を叱ってくれるのだと思っていた。
あの人の頬に手を添えて、きっと泣いてしまう彼女をなだめて……
ふたりで傷を癒せると。

それが叶わないのは、あの強い目と戦地で素顔を晒す彼女をみてわかっていたつもりだった。

「あの……柱」

おずおずと声をかけてきた隠に視線を向けると、相手は両手を胸の前で組んで迷う様に視線を泳がせている。

「……もういいのだ、もう」
「隠頭は、炎柱が目を覚ますまで……ずっと手を握っておられましたよ」

気まずそうにかけられる細い声に、自分の掌をじっと見つめた。
いくら見つめても何も変わらない手に、せめて何か残して欲しかった。と思う
気持ちが通じ合っていれば会えなくてもいいなんて、いつでも会える人間の綺麗事だ。

「………炎柱」
「…ありがとう、無理を言ってしまった」

思い通りに動けない傷が、今はただただ憎い。
まるで彼女の残り香すら感じられない病室で、その掌を静かに握った。















ぞわりと首の後ろが粟立って、思わず右手で首の後ろを触った。
自室で、完璧に綺麗に直った炎柱の羽織りを抱いていた名前は、その殺気にも似た気配に慄きつつ、自身が大事に抱えたそれに向き合う。
我ながら完璧に直したそれは血のシミすら残さず
美しい白に裾の朱がひらひらとよく映えていて、無意識に口角が上がる。

目が覚めたらと聞いて心から安心したと同時に、もう会えないのだと思うと酷く悲しかった自分を許してほしい。

ぐっと羽織りを抱き込んで顔を埋める。
感じるのは自分が洗濯した石鹸の香りばかりで、何もかも洗い流されたそこから彼を見つけることはもうできない。

私ってださいなぁ。最初からわかっていたくせに。

喉の力を入れて顎を引いて羽織りを体から離す。
机の上には積み重なった資料。音柱の潜入の計画書。
準備しなければいけないことは山ほどある。

相変わらず日の傾きに夕餉のことを考えてしまうのはあの温かい生活のせいだ。
頷いていれば、今頃あそこで、杏寿郎の帰りを待ちながら幸せに暮らしていただろうか。

(………杏寿郎はまだ、怒っているだろうな)

羽織りを渡してもらうために丁寧に和紙に包んでいく。
まるで何かを埋葬している様だ。と思う。

貴方が生きていてくれれば、それだけでいいのだ。
と、言葉がなくても伝わればいいのに。

薄く開けた窓から夜の匂いが吹き込んで来る。
名前を呼ばれた気がしたのは気のせいだろうか。




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