この指はふれるためにはない(幼少期)



芽吹き始めた桜の蕾がポツポツと白く、黒い幹の目立つ枝に砂糖を溢したみたいに小さくくっついている。
まだ生えきらない緑の葉より目立つその蕾を見て、こちらに来てもう一年は経とうとしていることに驚いた。
ほうと息を吐くと少し白む息に、夕暮れが霞始める。

毎日当たり前に過ごしていた日常の平成から、ある日突然この時代に来てしまった時には途方に暮れるしかなかった。
奇妙な出立で訳のわからないことを喚く汚い子供を探しに来たのは、時代にそぐわない金髪の男の人で
あの時は、そのブリーチしたみたいな金髪が平成っぽくて心の底から安堵したのを覚えている。
なんだかんだで、師になった槇寿郎様と瑠火様にお世話になり、子供ながらもなんとか平穏に命を繋げている現状には、感謝してもしきれない。

住処を分けてもらい、ひっそり暮らしている離れの脇にはまだ若い桜の木がある。
その華奢な枝にも小さな蕾がつき始めていることに素直に感動する。

春が近い。
まだ冷たい風が刈り上げた後ろ髪を撫で上げで身震いする。
すっかり慣れたベリーショートも、最初こそ男の子の様で辛かったが、慣れてしまえば女で生きていくより安全でずっといい。

少し傾いてきた日に、今日は早く終わった鍛錬が嬉しくて、マフラーで首を隠すと小銭を持って屋敷を出た。
この間の正月にありがたいことに自由に使えるお金まで分けてもらって、今日はこれを使う数少ないご褒美の日だ。
簡単な羽織りと袴で街へ出ると、夕暮れ前の街は買い物の人で溢れている。

多勢の人間が行き来する往来はひとの活気で湯立つようで、子供や大人の声があちこちから聴こえてきた。
目を瞑れば日曜日のショッピングモールみたいで少しだけ懐かしい。
人波をかき分けていく先は決まっていて、はやる胸を抑えてぐんぐん進んでいく。

名前の視界に、意図せず小さな金髪が飛び込んで来たのは二つ目の角を曲がった時だった。

(!……あれって…)

凸凹と民家と商店の入り乱れる街の外れ、小さな空き地で木の棒を持ってやいやいと騒ぐ子供の群れの中で見つけたそれに、足を止めると向こうはこちらには気付いていない様で構わず遊び続けている。

「杏寿郎!今度は俺と勝負だ!」
「いいぞ!何度でもつきあおう!」
「やっぱり華族は強えなぁ!」
「杏寿郎だったら将校にもなれるな!」

様々な年齢の男児達と棒切れを振り回して遊んでいるのは、見まごうことなき師範の長男だ。
ほとんど関わらない様に暮らしていたが、もうすぐ火の落ちる時間で、屋敷では夕飯が始まっていてもおかしくないだろう。
…何故まだこんなところにと思いながらため息をついた。
見つけてしまったからにはこのままにしておけない。
土ぼこりをあげながらわぁわぁチャンバラをする杏寿郎達を遠巻きに見つめている小さな子供から握っているだけの棒を借りると、夢中になっている群の中に体を滑り込ませる。

数発の鈍い打撃音にカラカラと棒が土の上を転がる音が次々と響く。
的確に体勢を崩して輪を散らしながら切り込むと、こちらに気付いた金赤の瞳がニッと笑って振り下ろした一撃を同じく棒で受ける。
じぃん、ビリビリと受けた腕が痺れるも、鋒を払って素早く足を杏寿郎の股の間に滑らせると一気に払った。

盛大に上がる土埃とべたん、という衝撃音の中体を起こして服に着いた土を払う。
突然の年上の乱入に恐れをなした子供達はとっくにクモの子を散らした様にいなくなっていて、広場には棒切れが数本地面の上に寂しく転がっていた。

「……ほむら!なんでここにいたんだ!」
「それはこっちが聞きたいですよ、もう夕餉の時間ではないんですか?」
「やっぱりほむらの不意打ちはずるいな!渾身の一撃だったのに!」
「………前にも言いましたが私の方が年上で体格が上だからです。すぐに追い越してしまわれますよ」

戻りましょう、と言わせないかの様に話しかけ続けてくる杏寿郎は相変わらずどこを見てるかわからない真っ直ぐな目で快活に笑っている。

(……帰りたくない、のかな)

ネガティブな面があるなんて意外だ。
このひたすらまっすぐな少年に反抗期なんであるのかと感心していたが、そういえば今朝瑠火さんが医者にかかりに遠くの街に出かけていることを思い出した。

(ということはこの時間に屋敷に師範と千寿郎さんだけ…!)

こんな時間に長男がここにいるなんて大変だ。瑠火さんがいない今日師範はきっとカンカンに怒っているに違いない。

「……杏寿郎さんもうかえ」
「ほむらは街に用事があるんだろうか!」
「…えっと……」

読めない。
けれど頑なに帰ろうとしていないことだけはこれで確信する。
日はもう落ちかけているし自分の用事にも時間がない。
ひとつため息をつくと、小さな巾着の中の小銭を確認する。

「………一緒に行きますか?」
「うぬ!ほむらが無事に屋敷に帰るまで見送るぞ!」

師範の息子と一緒に出掛けるだなんてすごく面倒だ。
なんだかめちゃくちゃ元気だし、大事な息子に何かあったらと思うと、子供の自分で大丈夫かと心配になって気が気じゃない。

(よく知らないけど本能で動くタイプに見えるし…)

歩き慣れた道を進むと、大きなビル通りというよりは、低い庄屋が並んだ小売店が並ぶ道に出る。
落ち着いた雰囲気のそこで、小さな木の屋根付きの四角い鉄板、一人分と言った屋台の前に座る老人の前で足を止めた。

「文字やきふたつ、金魚で!」
「あいよ、ほむらちゃんいつもありがとうね」

そういうと老人は慣れた手つきで薄い粉物の液体を火を入れた鉄板に垂らしていく。器用に鉄板の上で金魚の絵が描かれると、思わず二人で手捌きに魅入ってしまう。

「すごい!綺麗だ!」
「つい魅入っちゃうよね」

この時代に来て驚いたのはこう言った出店なら別段祭りじゃなくても普通に毎日やっていることだ。
今では全くお目にかかれない不思議な出店が沢山あるのは楽しいし、この薄くて甘い煎餅焼きみたいなお菓子は値段も安くて、楽しいので名前のお気に入りだ。

「文字やきかぁ……このあたりはあまり来ないから初めて見た!」

最後に金魚の上に丸く溶いた生地を流すと裏返す。
甘い匂いと、小気味よい音をあげるクレープみたいな生地にここに携帯があれば友達に送るのに。と思って少し悲しくなる。
本当ならあと数ヶ月で卒業式だった。

「ほら、ほむら!先に食べろ!」
「えっ……いいよ、自分は…」
「元気がないしな!食べて元気を出せ!」

意外とひとの機微に聡いことに少しびっくりして、じゃあお先に。と油紙で包まれたそれを受け取った。

「俺の金魚もよろしく頼む!」

と言って鉄板に魅入る杏寿郎を、薄い湯気越しに見下ろした。
かじりついた素朴な甘さが唾液線を刺激してジンとする。
…気をつかわれてしまった。自分だって元気がなかったくせに。

「……今日はどうして遅かったの?」

差し出がましいだろうなと思いながら声をかける。
杏寿郎は別段気を悪くした様子はなさそうだ。

「ん……少しだけ母様が心配だった。でも、俺は強いからな、あまりくよくよしない様にと思って体を動かしていたらこんな時間だった!」
「そっか……まぁでも、動いていると嫌なこと忘れられるの、わかるよ」

止まるとどこにも行き場がなくなってしまいそうな感じ、不安なことを忘れるためにクタクタになるまで動いて、時間が早く経って大人になれればいいのに。と思う感覚。

焼き上がった文字焼きを抱えて通りを歩く。
自分の少し前でフワフワした金髪が揺れている。

「今日見つけてくれたのがほむらでよかった!」
「そうですか、帰ってちゃんと夕餉も食べてくださいよ」
「御馳走になったからじゃないぞ、俺のことを気遣ってくれて嬉しかったからだ」

にこりと笑う少年は本当に曇りがなくて眩しい。
これからどんどん大きくなって、きっと槇寿郎様の跡を継いで柱になるのだろう。

「大したことではないですよ」
「わかると言ってくれて嬉しかった!今度は俺が御馳走しよう!」

では怒られてくる!
と叫んでまっすぐ走り出した背中を見つめて名前はいつのまにか自分が笑っていたことに気がついた。

「………もう行かないけどね」

いかないよ。
煉獄家の、四人の顔を思い出してぐっと飲み込んだ。
馴れ合うな。自分は

「ここの人間じゃないしね」

しんとした道に砂利を踏む音だけが嫌に静かに響いた。
早く大人になりたい。早く大人になって、鬼殺隊士になって、とにかく生きて…
生きてそれから………

空っぽの自分の未来が怖くなって、思わず名前は駆け出していた。


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