はだしでがらすの束を踏む



煉獄杏寿郎が初めて死を意識したのは隊士となって暫くしてからのこと。
命辛々、とはまさにこの事か、と思いながら痛みに喘いで日輪刀を地面に突き立てそれにすがるようにして崩れて落ちた。
敵を倒した安堵と、仲間の亡骸に言いようのない悔しさが渦巻く。
もっと、もっと強くならなければ。

ごふりと喉元に迫り上がる熱い何は、極度の疲労で最早吐血なのか嘔吐なのか判断がつかない。
胸の内が悪くなって、体が急速に冷えてきた。
そして何より、音が。遠い。

何者も守れないまま、死ぬのか。
弱いまま。俺は死ぬのか。

そう思った時、恨めしいほど眩しい月が不意に翳って、生きている人間の音がした。
辛うじて上体を起こしている自分の眼を覗き込む切れ長の目は、まるで何も起きていないかのように穏やかだ。
隠の人間だ。と認識したと同時に堰をきったようにごぷりと派手に血液を吐瀉してしまう。
隠の肩口を思い切り濡らしたそれに隠は一瞥すると、杏寿郎の頬や額に手を当てた。

「今吐血した。内臓損傷の可能性有り、体温低下、意識はある。呼吸も強いが急ぎです」

響いた女の声に、目の前にいる人間が女性であるという事にやっと気がついた。
自分より幾分か小柄な女性は周りの隠の動揺した空気を感じたようで少しだけ眼を細めた。

この近くに、藤屋敷はない。ここまでの道は遠く険しい、数日で渡れるようなものではないはずだ。

「では、私が負って帰ります。止血帯と紐を早く!」

言うや否や彼女は杏寿郎をやすやすと横たえると酷く痛む傷口を消毒しかなり強く止血帯を巻きつける。
腕にすら力の入らない自分をおい上げると器用に紐で固定して立ち上がった。

その上からガバリと布を羽織ると、彼女の体温と自分の体温が一緒くたになって、芯からの冷えが少しだけマシになったような気がした。

スタスタと、山道を走る。
上下する霞む視界と、自分にはもう彼女の肩口しか見えない。

「杏寿郎君、大丈夫だよ、揺れるけど、痛み止めが効いたら眠って」
「お…れは」

頬を撫でる風に彼女がかなりの速さで走っている事に気がついた。
少年とはいえろくに力の入らない男を背負っているとは考えられない。

喘ぐように何か口にしようとする自分に、彼女は息も上げずに小さく言った。

「私たちは弱いから……せめて守らせてね」

聞こえた小さな女の声に、杏寿郎は今度こそ眼を閉じた。

次に眼を覚ましたときには医務室の一角で、背負って帰った女はもう別の事後処理に行ったと聞いてがっくりと項垂れた。
名前を聞きたい一心でしつこく他の隠に絡んで、長い時間経ちようやく聞き出したのは下の名前だけで、彼女の事は彼らもよく知らないらしい。と言うことだけはハッキリした。

それから今の今まで
杏寿郎は事後処理が終わるまで可能な限り隠の群れに眼を凝らしたが、あの凛とした目元の女は何年も全く。影も形もなかった。


そう、つい先日の死線まで。
死の間際の冷え冷えとした寒さの中。再び月を背負って現れた彼女は
無様に転がる自分の顔にあの時と同じように手を当てた。

『杏寿郎くん、よく、がんばったね』

あとはまかせてね。
とそう言って呼吸をするのがやっとの自分を抱きとめたのだった。















積み上がった紙の束を容赦なく倒しながら、非情にも名前の体は易々と飛ばされて背中をしこたま打ちつけながら倒れる。
後ろ手に上体を起こした時には反応のしようのない速さで、名前の体の横に手をついた相手が覆いかぶさる様に覗き込んでいた。
鬱金色に金赤の瞳がチラリと光る2つの双眸は緩められることもなくこちらに迫る。
やけに強い目をした整った双眸がじりじりと近づいてきていることに気づいたのは迫力に気圧されてすぐのことだった。

「えッ……炎柱、何故この様な…!」

上擦るのお手本のような情けない声にピタリと止まった煉獄はその双眸の強さを緩めることはない。
ハラハラと舞い上がっては落ちていく書類を背景にする白の着流しの男は、薄い唇に笑みをのせている。
昨夜、屋敷の者に引き渡した時の
弱い灯火のような瞳の面影もないそれは猛禽類のものに似ていた。
と同時に元気な彼の瞳はこんな色をしていたのか
と見惚れてしまう自分もいる。

「昨夜は世話になったからな!是非に名前に、今度こそ礼をと思っていたのだが」

息のかかりそうなこの距離にも全く動じているようには見えない。
そっとその下から逃れようと後ろ手にずるりと後退りすれば、やけに体温の高い掌が名前の足首を掴んだ。

「ヒッ…!」
「ひとつ良いだろうか!」
「は…はい!」
「君は悲鳴嶼とまぐわおうとしていたのだろうか!」
「まっ……ぐっ!?」

想定外の言葉にぐっと喉がつかえて顔色は青を通り越して白くなるのがわかった。
整った目鼻立ちにうかぶ薄い笑みは表情を読み取るのが難しい…が、どこかピリリと張り詰めるような空気がある。

「なんでそんなことを!?」
「男女が素足を触り合って口吸いしようとしていたように見えた!」

俺にはな!
とでかい声で堂々と告げる煉獄に違う違うと顔を激しく横に振ると、幾分かやわらいだように見える表情に少しだけ胸を撫で下ろす。

「行冥さんは私の足の浮腫みを取ってくれただけで…そんなやましいことしてるように見えるなんて…」

急に押し黙った煉獄の爛々とする瞳はジッとこっちを見ているが、どこか遠くに意識を置いているようにも見えた。
そのー束の間の沈黙を破る

「じゃあためしてみるか」

ためす。
その言葉を飲み込むより先に名前の足首を掴んだ煉獄の右手が、ひょいとその情けない素足を自身の右肩に乗っける。
足から離された手がとんと太腿に置かれると、思わず生唾を飲んだ。

「えっと……何を」
「水の取り方なら俺も知ってる。もっと大元を押さなければ意味がない」
「おおもと…」

馬鹿みたいに鸚鵡返しする名前を他所に、スッと動いた煉獄の視線が下がった。
嫌な予感に後ずさるよりも早く煉獄の指先があろうことが内股の足の付け根に滑り込んできた。

「はぁッ!?ちょっ」

スパンと小気味よく障子が開いて夕陽が惜しげもなく部屋に降り注ぐ。
間抜けな名前の声をかき消す大声をあげたのは、夕陽を背にした見慣れた後輩。後藤だった。

「あんたら!?なにしてんだぁぁぁああ!!」
「なに、名前に俺の子を背負ってもらおうと………っグ!?」

反射的に突き出された名前の足が思いきり煉獄の顔面を踏みつけた。
一瞬の隙をついたその機会を逃さず体制を立て直した名前は目にも留まらぬ速さで廊下を駆け出した。


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