秘密ごとその腹のなか


喧しい集まりはどうしたって苦手だが、それも騎手関連のものだ。と言われれば断れない。
レースを取り仕切る協会のお偉方や、馬や騎手……はたまた単純なギャンブルに興味のある貴族の面々が集まって、どんなに騎手に期待をしているか。また、自分の馬がどんなに優れているのかを主張し合う大変厄介な集まりであった。
昼間から開催された立食パーティーが終わる頃には、殆どの騎手はすっかり気疲れしてしまい、ウンと憂さ晴らしがしたくなるものだ。数ヶ月に一度の頻度で行われる今日のパーティの終了後も例に漏れず、下品な言葉や下らない露骨なジョークを肴に安いエールでも流し込むたくなる騎手たちが集まり、安上がりな街の酒場で飲む。


「おい名前、今日こそは付き合ってもらうぞ。お前はいつも付き合いが悪すぎる、前回のレースのお祝いをさせてくれよ」
「それからついでに、お前がいつもどこから馬を引っ張ってくるのか教えてくれ」


良く知る騎手仲間の良く鍛えられた太い腕にがっしりと二の腕を掴まれ、ここまでかと観念して大人しくついていく。いつもはなんとなく避けていた名前も今日に限っては遂に、何時もの帰宅の言い訳も通じず若いジョッキー達と酒場に向かう事になる。
やはりここはあえて馬車だな。なんて言いながら騎手達は時代遅れの古めかしい貴族の馬車に乗り込んだ。逃がさないとばかりに両脇を逞しい彼らに挟まれて、想像以上の窮屈さに思わず眉根を寄せる。
わかっている。彼らは彼らなりに自分の事を親しく思ってくれているが故にこうして多少強引に引っ張って行ってくれるのだ。


「おい、飲みに行くんだろ。俺も乗せろ」
「あぁ……?ディエゴ・ブランドーか。お前が来たがるなんて意外だな。馴れ合いは嫌いなんじゃないのか?お貴族様」
「煩い。たまには良いだろう。良い女と美味い酒とギャンブルができる酒場を知ってる。行きたくはないのか?」


馬車の入り口に立つディエゴを眺めた後、騎手達はとまどったように視線を交わし合っていた。
誰もが戸惑っているそんな空気に、溜息をつく。


「……まぁ、ディエゴがくるなんて僕が来る以上に珍しいじゃないか。連れて行って貰おうぜ」
「名前…まぁ、そうか。お前が言うなら良いだろう。折角だ。乗れよディエゴ。お前にも馬の秘密を喋ってもらうぜ?」
「フン……それはどうだろうな」


ディエゴが乗り込むと馬車が大きく揺れる。
どかりと向かいに座った彼に、彼を見つめる騎手達の視線に……憧れにも羨望にも似た物が含まれているのを察する。
自分が助け船を出すまでもなく、彼は既にこの集まりの中心になろうとしていた。











「それにしても名前、お前本当に細っこいな。羨ましいぜ」


その話題が出たのは、ディエゴが言う酒場につき、三杯目のエールビールをようやく飲みきった時だった。
周りはどうやら随分なハイペースで飲んでいたらしく、向かいに立つ騎手の顔は真っ赤だ。
こういった話題にはある程度慣れている。


「……まぁ、いつも言ってるが体質だ」
「俺は次のシーズンに向けてかなり減量しなきゃな……だから羨ましいぜ。増やすことはあっても減らす必要は無いんだろ?」


確かに、軽いほうが有利だという説もある。
しかしながらそれは、名前の経験上あまり感じたことはない。重要なのは馬をある程度制御できるくらいの下半身の筋力だ。


「随分モテるだろう?貴族のお嬢ちゃんの中には、お前みたいに細っこいのが好きだ。なんてロマンチストもいるみたいだしな」


モテる。と言う言葉に、鼻で笑うような小さな息漏れが聞こえて音のほうへ視線を向ける。案の定、ディエゴが口元を隠す事なく俯いたまま震えている。


「………ディエゴ。笑うな。僕だってモテるんだ。お前程じゃないけどな」
「いや、気にするなお嬢ちゃん。別に馬鹿にしてるわけじゃない」
「なっ……!」


"お嬢ちゃん"というワードに思わず背中に冷たい物が走る。
しかしながら名前の心配をよそに、騎手達はディエゴのその言葉に豪快な笑い声を上げていた。


「悪い悪い名前…!お前が怒ると思って誰も言わなかった事をアッサリとディエゴが言うからよ…!」
「お嬢ちゃんか…!傑作だな!なるほど俺の妹よりお前の方がドレスが似合うんじゃないのか」


机を叩きながら揶揄いの言葉を掛けられているのに、何処か安堵の感情が湧いてくる。
止めろよ。もう、と小さくこぼしながら空になったグラスにポーズだけの口をつける。


「なぁ名前、ひとつ触らせてくれよ」
「………はぁ!?」
「お前の脚とか、腰だよ。そんな細っこいのにどんな筋肉のつけ方をしたらあんなに速い馬にしがみつけるのかずっと気になってたんだぜ?」


突然の騎手の言葉に思わず間抜けな声を零す。彼らはすっかり自分を同性だと信じ込み、その純粋な騎手としての知的好奇心が故に今にも名前を抑え付けてでも確認してきそうな勢いだ。
勿論、同性同士がお互いの筋肉を触り合う行為が体育会系の競技では一般的に行われている事ぐらい名前も知っている。


「……みんな悪い酒だぞ、僕はもう帰る」
「そりゃないぜ名前、みんな知りたがって…」
「送ろう。名前」


席を離れようとする名前を追いかけるようにディエゴが上着を手に取り席を立つ。
それだけで、皆の視線が彼に集まる。
全く随分なカリスマ性である。


「なんだディエゴ…お前まで帰るのか?」
「まぁな。新聞通り今は一緒に調整中だ。名前の貧相な体にどんな不思議な筋肉がついてるのかお前らの代わりの確認して来てやるよ」


同性愛を思わせるジョークも、この眩いばかりに美しく女性関係の噂が絶えない男が繰り出せば本当にただのジョークにしか聞こえない。
店を出て、通りで車を拾おうと歩く名前の前を当然のように歩き続けるディエゴに、名前は改めて、自分が彼と歩いているのがとことん不釣り合いな人間だろう。と自覚した。
酒場でだって、最初はあんなに良く思われていなかったはずの騎手達に、今は帰るのを惜しまれる程好かれている。ディエゴも随分楽しそうに飲んでいるように見えた。
だからこそくるり。と振り返ったディエゴが、随分不機嫌そうに眉間に皺を寄せている事実に名前は素直に驚いた。


「…ディエゴ、随分機嫌が悪そうだな」
「趣味の悪い冗談だ。下らない」
「冗談……?もしかしてあの、筋肉を触れせて欲しいとかなんとか……そういうのが?」


ぽつりと彼がこぼした感想が意外で、全く同調できない自分を置いていくかのように、再びディエゴが歩き始める。


「別に…良くある遣り取りじゃないか。男同士腕相撲するのと同じだ。みんなお互いの体を触って自分がどれだけ男らしく鍛えられているのか確認したいんだろ」
「男同士な。お前は女だろう」


そう言った彼は、くるりと名前と向き合うと名前の目をじっと覗き込んできた。
男のくせに随分長い睫毛にぼぅっと見とれる自分は今、大層間抜けに見えるだろう。


「お前は…一生このままなのか?」
「このまま…?」
「女には戻らないのか」


初めて他人から尋ねられたその質問に、思わず息を飲んだ。
始まりがあれば、終わりは必ず来る。そしてその終わりは確実に日々近づいて来ていた。


「………負けたら」
「名前?」
「次で負けたら、やめる」


嘘だ。
嘘っぱちだ。

本当は違う、自分は10代も後半なのに薄い体つきをしているそれは、初潮が来ないからだ。初潮が来れば全て終わる。レースは勝とうが負けようが関係ない。
そういう約束になっていた。
初潮が来れば、姉と同じように何処かへ嫁いで行くのだろう。けれどそれをディエゴに言えなかったのは、まだ大人の女ではない体の事を彼に知られるのが、何故か嘘をつくよりもずっとずっと嫌だったからだ。
大きな掌で、ポンと背中を押される感覚がした。
その弾みで体が自然に一歩前へ進み、ディエゴの上着にポンと顔が当たる。
背中を押した犯人は、顔を上げた名前を見下ろして随分楽しそうに、あの意地の悪い笑みを浮かべていた。


「そうか…。だったらすぐに終わりだな。次のレースで勝つのは間違いなく俺だ」
「それは……わからないだろう」
「わかるさ。俺が女に戻してやるよ。そしたら溜まりに溜まった誕生日のドレスとやらを着せて街中引き廻してやる。お前を男だと信じてた連中の間抜けな顔が今から楽しみだ」
「止めろ!どんな辱めだ!」


クックッ。と愉快そうに喉を鳴らすディエゴを見上げる名前は、自分が今恋人同士がするように抱き寄せられている事に気付いて、暴れるようにして体を話す。
そんな名前の様子すら、随分機嫌の良くなったディエゴには関係がないらしい。


「近すぎるぞ!ディエゴ!」
「いやなに。どんな筋肉のつきをしているのか確かめようと思っただけだ。同性では良くある事だろう」


さっさと帰るぞ。と短く告げるディエゴの背中を追いかけながら、何かおかしな事が始まろうとしている事に名前は不思議な高揚感を感じていた。



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