小鳥ぼっち



胸元の開いたその薄い紺のドレスに、丁寧にブラシを掛けられ……大事にされてきたのだろう灰色のミンクのファーを見て、なまえが真っ先に感じたのは奇妙な嫌悪感だった。
そのドレスはひと目で高価な物だとわかったし、揃えるようにして置かれた高いヒールの靴も、装飾品もなまえだって知っているブランドの物だ。
来週あるディオの会社が主催するパーティに母親の代わりに同伴するように指示されたときには、別段なまえは何も思わなかった。
ディオの隣で母親が今までしてきた通りのことをすればいいのだ。
生憎、最近時間だけは有り余っている。
膨大な関係者リストを覚えるのにも特に問題はないだろう。
そう思っていたのに、テレンスが持ってきたディオが用意したというそのドレスを見て、なまえの気持ちは急速にしぼんでいった。

(……これは、私には似合わない)

そんなことはない。
とジョルノは慌ててフォローしたが、ドレスを渡したテレンスは特に興味もなさそうに、嫌ならばどうぞ。御自分で好きなものを御用意されては。と短く告げると実に彼らしい無愛想な足取りで屋敷を後にした。
それが先週の話だ。

なまえは、人でごった返すディオの隣でおおよそ良くできているであろう作り笑を浮かべて単調な挨拶を繰り返していた。
深い紫がかったワインレッドのドレスは、大きく肩口が開いている。
体のラインを出すように絞られ、深いスリットの入ったこれを自分で選んで買った。
正直、なまえの好みではない。
けれどあの夜のようにしっとりとしたドレスとは違うものを、けれどディオの隣にいて恥ずかしくない大人らしいものにしよう。
と背伸びをした結果がこれだ。
うんと高い15センチのヒールはそれだけで辛い。パーティが始まって随分と経つが、彼の周りにくる人の波は絶えない。
こんなことならジョルノを連れて来ればよかった。
無理をして出した肩口は冷えてきて、踵が痛い。
チラリと視線をあげても、今日のディオとは視線が交わる事が一度もない。
お互い会場へ入る前にエスコートするように手を引いてもらったのを最後に体に触れる事すらなかった。
まるで、なまえなど最初からいないかのようだ。
ふと、今迄我慢してきた疲労感が爪先からじわじわと上がってくる。と同時に、まるで勢いづいた動物の群れのように高い声を出しディオへ群がってくる……テレビでよく見る綺麗な女性達に押しのけられる。
突然の衝突にバランスをとりながら後退りすると、どんどんと後からディオへ会いに行く人の群れに押されて、気づけばなまえは随分とディオから離れたところに立っていた。

人の少ないホールのすみを選んで歩く。
疲れてきていたし丁度いい。と思う反面、なんだか言いようのない虚しさが湧き上がってきた。なまえ自身に挨拶に来る者など、最初から誰もいないこの空間で壁に体を預ける。
思えば母親が再婚したから。といって、随分場違いな世界へ来てしまった物だ。
乳白色をした大理石床に視線を落とす。
じんとする爪先とツヤツヤとした床を眺め、伸びをするように顔を上げた。
天井のシャンデリアから吊り下げられたクリスタルのカットが光を反射する。
その光の粒を見ているうちになんだかもっと薄暗い所に行きたくなってきて、ようやく自分が随分卑屈になっていることに気がついて苦笑いをした。


「なまえ。こんばんは……私のことはもう忘れてしまったかな」
「承太郎さん……!」


だからこそなまえは、急に降ってきた声に目を丸くした。
低い、物静かな清潔感を含んだその声は、一時自分の脳味噌に麻薬のように刷り込まれていたその人の声だ。
顔を上げると、こちらを見下ろす承太郎さんの柔らかいグリーンの瞳になんだか良く見知った宝石を見つけたような気がして、思わず安心したように息を吐いた。


「承太郎さんも……来ていたんですね」
「まぁ、何しろディオが金を出して私がやった研究結果を祝うパーティだ……それもやはり派手な部外者が多くてうやむやになりかけているけれどね……」
「ん……そうでしたね、私主催者の娘なのに……」
「いいさ。忙しそうだったな。お母さんの代理も大変だったろう」


困ったように笑うなまえから、スッと視線を下ろした彼の目を追う。
行き着いた自分の爪先に、急に無理をしている姿が見つかってしまったような気がして、なまえは思わず爪先を隠そうと意味もない後退りをしてしまう。
こんなはずではなかった。
この色と高いヒールの似合う、落ち着いて、余裕のある大人の女性になれる気でいた。
それこそ、そう。母が彼の隣で息をするようにしていたように。

無意識に噛んでいたらしい唇を慌ててはなす。
けれど、そんななまえの様も承太郎さんには大して意味は無かったようだった。
視界の隅で小さく上がる承太郎さんの口角に羞恥で顔を赤くする。
そんな自分に、スッと伸びた彼のあの指は、絡め取るようになまえの手を握るとくっ…っと、柔らかい力でなまえを引っ張って歩き出した。










「痛っ……!」
「ヒフがめくれているな。帰りもその靴を履いていくのは無理だろう……仕方ない。どうせ使い捨てだ。それを履いて帰りなさい」
「……………はい」


ベットに腰をかけ、足元に蹲る承太郎さんの言葉に返事をする。
足元に転がっているのは使い捨ての紙らしさを残した部屋付きのスリッパ。
思わず滲み出ていたらしい不満気なその返事に、足元でなまえの爪先を手のひらで包むようにして観察していた承太郎さんが顔を上げた。
どこか薄暗いホテルの一室というのは、どうしてかこんなに不思議なムードを作り出すのか。
自分の爪先の靴擦れや、冷えただろう体を心配して自分が取っていた部屋へ通してくれた承太郎さんを、このホテルのベットサイドの薄ぼんやりとした明かりが照らせば途端に何か悪いことをしているような錯覚に陥る。


「……随分冷えているな。綺麗なドレスだが、首元の飾りがなければ寒いだろう。女性はそういう飾りには詳しいだろう……?毛皮とか、ショールだとか……」
「毛皮……は、なんとなく苦手で」


そう言って、暖房の入ったらしい暖かい部屋で、自分のうなじを人差し指でなぞってみる。
普段やらない癖に、丁寧に髪をアップにして、キラキラした安物の……それでも自分なりにドレスに合わせようと買った小さな蝶のついた髪飾りにそっと触れる。
もしかして、承太郎さんに無理をしているように映ったのなら、ディオにはもっと似合わずみっともなく、みすぼらしく見えたのかもしれない。
だからディオは、パーティで母親にしていた様に、側にいるなまえに触れようとはしなかったのだろうか。
自分にはまだわからない。
大人の静謐な色気の出し方も、目配せも装いも………


「なまえ、少し。良いだろうか」


考え事をしていたせいで、すっかり上の空だった自分の耳元、すぐ側に承太郎さんの声を
受け初めて自分の頬のすぐ側に承太郎さんの頬があることに気がついた。
彼の手は返事を待たずなまえのうなじを、さっき自分がそうしていたようになぞって、シャリシャリと安い金具の音をさせる髪飾りを抜き取る。
途端にぶわりと自由になった黒髪が広がって、空いた肩口を暖めた。
纏めていたせいでくるんとカールした毛先を遊ぶように指で梳かしていた承太郎さんの手が、蝶の髪飾りを耳元へ刺す。
シャラリ。と大きく金属の揺れる音がした。


「………うん。その方がずっと君らしい」


満足気に緩められた承太郎さんの目元に見入っている内に、彼はまた呪文のように続けた。


「……お母様が大変な今だ。色々気苦労も多いしそれに君が慣れようと努力しているのはパーティで一目見てわかった。けれどどうだろう。私には今の君が一番美しく見えるよ」


そう言って部屋の大きな姿見の前になまえを立たせる。
少女のように下ろしたままの黒髪はくるりと毛先で弧を描いて、薄くなった紅いルージュはピンクに近い色づきになってしまっている。
ガサガサとしたスリッパを履いたせいで小さくなった背丈は背後にいる承太郎さんの長身のせいで余計に小さくなったような気がする。
耳の上で揺れる蝶々は、なまえが頭を動かすたび楽し気に揺れた。
一流企業のトップの隣に立つ。と言うよりも、背伸びをして大人の夜会に遊びに来た子供といった佇まいだ。
それなのに何故か、なまえは自分の口元が昔のように柔らかく弧を描いている事に気がついた。








すっかり人のいなくなったホテルのロビーを承太郎さんと二人で歩く。
承太郎さんは無口なのに、恐ろしく聞き上手ですね。と言うと、まぁ、君だからな。と零す彼の声は優しい。
あれから取り留めのない話をしているうちに、時間はあっという間に過ぎ去ったらしい。
最初こそパーティの事を考えていた自分も、まるで母親が倒れる前の様に話してくれる承太郎さんの立ち振る舞いのせいか、気づけばすっかりお開きの時間になっていた。
まるで授業を抜け出した後の放課後の学校の様な心持ちで広く静かな深夜のロビーを歩く。
後ろをついてくる承太郎さんの足音は静かだ。


「………帰りたくないなら、私の家に送ろう。また徐倫も前みたいに君と遊びたがっている」
「う……ん。そうですね」


でも。とそういう前に、少し離れた場所でエレベーターの到着を知らせる控え目な鐘の音が鳴る。
同時に床を踏む荒々しい足音。殺気立った様な空気に振り返り、あの金髪を見つけて固まった。
ビリビリと痺れる酷の怒りを湛えたあの赤の瞳は、なまえの肩口で揺れる黒髪に戸惑った様に揺れすぐにまたなまえを睨みつけた。


「ぁ………」
「どこに行っていたッ!どれだけ探したと思っている!」


乱暴にネクタイを緩めながら、なまえの腕を強く掴み、車の止まったタクシー乗り場へと速足で進む。
痛みに顔を歪めても、ディオはなまえの顔など一度も見ようとしない。
すがる様に承太郎の方を振り返ろうとすると、一際強く締められた腕に思わず声が漏れた。


「きゃ……あッ!」
「早く出せ」


まるで荷物を放り込む様に後部座席になまえを詰め込むと、その隣へ座ったディオの短い言葉をきっかけに車はゆっくりと発進した。


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