空条博士と半魚人の恩返し



閉館時間になってようやく涙が引っ込んだ自分は今非常に情けない顔をしている自覚がある。
目は腫れ上がってパンパンだし、声を出せば鼻声しかでない。
効果はないだろうと思いながらも人のいないスタッフルームでハンカチを洗って、伊東さんが来るのを待っていた
結局、何が起こったのかは誰にもわからなかった。
伊東さんだけはショーが終わった後に人子の側に駆け寄ってきて、色々話をしたが、あの時何が起きたのかは結局わからずじまいだった。ただ、自分には以前先生が教えてくれた秘密……先生の能力で助けられたのだということだけはわかった。
結局ショーが終わった後はすぐに別の水槽で行われるペンギンの餌やりの解説に連れて行かれた空条先生はおそらく同じ様に一日中水族館のイベントに連れまわされているようで、自分に会いに来る様子はなかった。
しかしながら、自分が空条先生に助けられたことだけは真実なのである。


「伊東さん伊東さん、これから空条先生をステージに連れて行っていいですか?」
「………あの教授か……なぁ人子、あの教授知ってるんだろう」


一瞬びくりとした人子を見てため息をついてから、やっぱりあの人お前を海水から守ったもんな。と呟くと、シャチはいないから。と言って鍵を投げてよこしてくれた


「……あの、それで空条先生は今どこに…」
「あの人館内を見たいって言ってたからな、もう閉館して随分経つが中にいると思う。俺が探してきてやるよ。よくわかんねぇが服を脱ぐならあと一時間待て、誰も来ないか見ててやるよ」


言葉だけを聞くと大層色っぽいように感じるが、そういう意味合いじゃないことは十分承知だ。ありがとうございます。と御礼を行って、人子はステージの方へと歩いて行った。












ようやく今日の自分の仕事をこなしたらしく、館長から深々と頭を下げられ、御菓子の箱のようなものを受け取ってから、もう閉館でスタッフもいない中申し訳無いが、夜の館内を見て回って良いかと聞けば、ぜひにと快諾してくれた館長に甘えて館内を歩き回る。人子君を探して歩いていたはずが、よくよく考えればあの子もスタッフルームに引っ込んでしまっているのかもしれない。とイルカプールの前に来て気がついた。
随分怯えた顔をしていたあの子を一人にしてしまったことが非常に不本意で、今になって漸く携帯番号を聞いておけばよかった。とつくづく思った。
しんと人のいない水族館に物音がして、振り返るとイルカのトレーナーらしい男性が目の前のプールを指差し、御礼がしたいそうです。とそれだけ言った。


「御礼……?」


目の前の、イルカプールをみつめる。
このプールはショーに使う長さ60メートル、幅30、水深12メートルの巨大なプールを一階に埋め込んだ形で使用されている。
ショーの際にわざわざこの館内からイルカを見る人がいることも納得するほどの大きなプールだ。
ゆるゆると泳ぐイルカ達の群れの中に、何かが沈む。ゴボゴボ泡を吐くそれが人子君だと認識したと同時に、ホワイトボードをくわえたバンドウイルカが目の間にやってくる。


"空条先生!ショーステージへどうぞ"


やれやれ、と思わず口角を上げると、ボードを持ったイルカも笑ったような気がした。









伊東。というらしいトレーナーに案内されてステージへ戻る。
あんなに賑やかだったステージも観客が一人もいないとなると不気味なほど静かだ。
ステージに自分だけを残して、見張っておきます。と言った伊東さんは大量のバスタオルを置いて出て行った。


「人子君?」


声をかければ、ゆらりと遠くの水面が動いた気がした。
遠くから加速して泳いでくる二つの魚影は、やがて水面を押し上げるように現れると、盛大に水を散らしながら水面を飛び出し、弧を描きながら空中を飛んだ。
ターコイズブルーの濡れた鱗が、ショーステージの正面を反射してキラリときらめく。
魚の半身をしならせてイルカと飛ぶ人形の姿は、人口照明の元であるのが惜しくなるほど幻想的な眺めだった。
何度もイルカと同じ様に飛ぶ彼女が水面に上がるたびイルカと小突き合うようの笑う。
イルカの甲高い声と、人子君の笑い声が広い空間に響く。
その様は自分が想像していたよりもずっと幸福な景色だった。
ただ、どうしてだか、こんな大きなプールで楽しそうにはしゃぐ彼女を見てるとどうしようもない寂しさのような物も湧いてくるのだ



「人子君!」


気づけばたまらず名前を呼んでいた。
シンとしたプールの中、あのブルーの魚影がこちらに近づいてくる。
ざばりと水面からイルカと一緒に上がってきた彼女は楽しそうに笑うと、イルカのリンリンです!
と誇らしげに隣で尾びれを上げるバンドウイルカを紹介した。
いや、それよりもきになることがあるのだが


「人子君……もう大丈夫なのか?」
「はい…!あの、ありがとうございました。よくわからないけど助けてくれたんですよね」


別に自分の友人が危険な目にあっているのに助けるのは当然のことだ。
気にしなくて良い。と言った自分に、人子君はプールサイドに置いてあった荷物を指差した。


「空条先生、お嫌じゃなかったら、準備してあるので一緒に泳ぎませんか?シャチはいませんけど、リンリンがイケメンと泳ぎたいそうです!」
「あ……あぁ。それは、ぜひだがしかしその、人子君」


今日は上は着ないのかね。と、彼女の上半身を指差す。
いつもは水着を着ているのに、今日の人子君はその女性らしい曲線を隠すことなく晒している。それを無防備に出されるとどういうわけだか、非常に落ち着かない。


「あぁ、気にしないでください。野生の半魚人ってこんなもんなんで」


カラッと言う彼女はイルカと泳いでいるせいか今日は随分野生的だ。
もしかして半魚人は繁殖活動に乳房を使わないのかもしれない。だから、それはきっといやらしい物ではないのだろう……そうやって理性的に考えようとしていると、バンドウイルカに抱きついたまま自分が水着になるのを待っているらしい彼女はキィキィとイルカ特有の音を出していた。


「先生、今ならイルカとおしゃべりし放題です!」


これで、ちょっとは先生の期待する人魚っぽいですかね。
そう言う人子君は今日自分が期待する人魚を体現しようとしてくれているらしかった。


「もっと、その……私が美人なら人魚姫になったんでしょうけど…!」
「いや、そんな事はない。私には君は人魚姫に見える」


思ったまま言うと、暫く固まった彼女は赤面してブクブクと水の中へ沈んでいった。
プールサイドに、キィキィ興奮気味に鳴くイルカと自分だけが残される。
珍しい。あの子もこんな風にその辺の女子のように自分に対して赤面する事があるのか……


「おい人子君。出て来なさい。そういうわけだからせめて水着を着てくれないだろうか」









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