空条博士の謎の距離感



ぴっちり隙間なくカーテンを閉めているはずなのに、それでもその細い糸の折り目から漏れてきているのだろう淡い朝日に、目が覚めて早々やられた。
人生初の二日酔とかいうやつじゃないだろうか。コレは。
殺人光線を受けた眼球がその刺激を脳みそに伝えると、途端にガンガンと頭痛が始まる。
頭を上げるとそれはさらに強く痛みなんとか人子が上体を上げたときには、その痛みが段々と弱くなっていくまでただただぼぅっと床に転がっているお猪口と空の一升瓶。それから大きな獣が暴れたみたいにしわくちゃになって部屋の隅に丸まっている分厚いラグを眺めていた。
薄い銀色の氷を入れていたのであろうボウルには水がなみなみと残っていて、昨晩はどうやらこれを飲みきる前に寝てしまったという事を察する。
ラグがなくなってしまった剥き出しのフローリングの上にも小さな水溜りが幾つかできていて、とにかく誰かが……まちがいなく自分が暴れたのだという事にいきつくと、大きくひとつ。まるで酒気を出し切るかのように大きなため息をした。

(………これは…まずい。空条先生が起きる……もしくは帰ってくるまでにどうにかしなくちゃ……)

不幸中の幸いか、何かを壊したりはしていないようだ。
空条先生は、ベットで寝ているか……もしくは外に出て行ったんだろうか

(……まずい。非常に……まずい)

ひとつ何か動作をして血圧が上がるたびにズキズキ痛む頭を無視するように、残った気力で体を起こそうとする。その時人子は初めて自分の下半身の何か物凄く重たいものがのっている事に気がついた。


「………は?」


ズシリと自分の体に乗っている重みの正体を見て、人子は頭痛の事を一瞬忘れた。
伸ばした自分の腰にしがみ付くようにして腕を回した……というか、下腹に帽子を脱いで頭を埋めるようにして眠っているその重りはまさに………

(うわぁぁあああああああ!!)

出そうになった悲鳴を必死で飲み込んだ。
自分の口元を反射的に抑えてかたまる。

(どっ…どういう状況なんだコレ!?)

混乱しながら周りを見回す。
自分達が倒れているのは、二階へ続く階段の前だ。


(もしかして、2人で一緒に転がり落ちた…とか。)


寝息に合わせて上下する先生の背中にひとまず安心する。そぅっと先生の腕をどかそうとして手元にある自身の携帯に気づいた。
手を伸ばしてそれを取ると画面を開く。罪悪感を感じながらも、人子には今湧き上がってきたちょっとした欲望を抑える事ができなかった。
だってそう…自分好きなひとが……それも、あの空条先生が自分腹に顔を埋めているのだ。

(起きたら絶対怒られる…!でもだって…!)

携帯のロックを外して、カメラアプリを起動する。
画面の中に空条先生の寝顔を納めてシャッターを押そうとして瞬間。けたたましい着信音が鳴り響いた。


「ッ……!?はい……!もしもし…!」


大きく肩を揺らした後小声で電話に出る。
ところが、聞こえてきたのは伊東さんの脳味噌に響く怒声だった。














『ふ〜んナルホドね。それで今日の人子はそんな酷い顔なのね!』
「リンリン……リンリンの声って頭に響くね」
『ワーオ人子酔っ払い!』
「うう〜……ガンガンする…」


キュイキュイと笑うように高く鳴くリンリンの声が今は少しだけツラい。
翌日がシフトが変則で組まれていた事をすっかり忘れていた人子は、規則に厳しい男……伊東さんの怒声に慌てて空条先生の家を飛び出した。
意外にも起きない空条先生は、昨日どれくらい飲んだのだろうか?さすがにベットに連れて行ける力は人子にはなく、せめて冷えないようにとシーツを剥ぎ取って先生かけてきたのだが……

(……昨日寝たのはいつだろう)

体調は正直最悪だし、頭痛よりも何よりツライのは意外にも寝不足からくる体のだるさだった。
朝から昼まで呻きながら館内清掃や売店のレジをこなしていたので、一番日の高い時間の日光直撃は避けられた。今は夕方なのもあり、曇り空なのがせめてもの救いだが……デッキブラシで野外のプールサイドを掃除しているといつも通りおしゃべりに来てくれるリンリンの声にすら、今の人子の頭は反応してしまう。
事のあらましをリンリンに話せば、彼女は興奮したように相槌を打ってくれる。
恋話をする人間の友人がいない人子にとってはリンリンはやはり貴重な女友達だ。
ザバザバと排水溝に向かって汚れを押し出していると、ペタペタとゴム靴特有の足音が聞こえて振り返る。


「……おい酔っ払い。お前まだ純潔か?」
「はッ…!?なんですかそれ!?」
「…………お前昨日真夜中に電話してきてただろ…すげぇ留守電入ってたぞ」
「す……凄い留守電…ですか?」


今作ってきたのだろうショー用の餌が入ったバケツを持つ伊東さんは、やれやれといった風にジャンバーのポケットから携帯を取り出した。
プールサイドに上がりこっそりとバケツの中身を覗き込もうとするリンリンを軽く避けながら、スピーカーにした携帯を人子の方に向ける。
聞きたいような、聞きたくないような複雑な気持ちのまま人子はそれに耳を傾けた。
聞きなれた機械音とお姉さんの声の後、メッセージが再生される。


『もしもし〜!いとうさぁん!あした朝、やくそくしてたのおくれたらすいませぇん!!「人子君……何処に電話してる?」あぁ……せんせぇ!私あしたいとうさんとやくそくがあってですね…うーん……なんだっけぇ用事…用事…「人子、今電話していい状況か?」えぇ〜?…ちょっ……くうじょうせんせぇ何を!?あっ………わわ…はなしてくださいぃぃ!!』


ブツッ。
とそこで途切れた留守電メッセージに、サーっと血の気が引いていくのが自分でもわかった。それを踏まえて考えてみると……なるほど今バツが悪そうに頬を書いている伊東さんは遅刻のせいもあるだろうが、今朝この留守電を聞いて一応電話をしてくれた……とも考えられそうだった。


「……とりあえず伊東さん。夜中にすいませんでした。そして……電話してくれてありがとうございます」
「おー………それで、覚えてないんだな?」
「はい……全く」
「今朝から滅茶苦茶気になってんだよ俺は。最後の方はあの先生呼び捨てだったじゃねぇか……何か携帯に残ってないのか?お前電話とか…メールとか、誰かに送ってないのか?」
「あ……そっそうですね!!もしかしたら誰かに迷惑かけてるかもですし!?」


その提案に慌てて自分の携帯をジャンバーから引っ張り出す。
ロックを外して最初に今日の8時ごろから数件残されている空条先生の不在着信に心臓が止まりかけた。

(………やっぱり私なんか壊してたかも…)

とにかく後で掛け直して土下座だ。
後に引くその不在着信を無視して、自分の発信履歴やメールをチェックするが、どうやら昨夜人子が連絡を取ったのは伊東さんだけのようだった。
"写真はどうだ"という伊東さんに頷いて、恐る恐る画像フォルダを開く。
そこには恐ろしいほどぶれた、床だとか天井だとかコップだとか意味のない画像が大量に保存されていて、背筋が冷たくなる。
気づけば人子は伊東と2人で肩を並べてしゃがみこみ、熱心にその画像を消しながら見入っていた。


「お前……写真魔だったんだな」
「い…意外です……両親も海でインスタグラマーですしなんかあるんですかねやっぱり…」
「おい……人子!これ動画だぞ」
「あっ……!本当だ!」


最後の最後で現れたその三角の再生マークを持つそれに2人して息を飲んだ。
………正確には、背後から覗き込むリンリンがいるので、2人と一匹だが……
人子の震える指先に2人でと一匹の視線が集中する。恐る恐る画面にタッチすると、再生されたその動画は激しくブレていた。


『「……人子、何を撮ってる?」「えー…おさけとからぐの模様とかかわいいかなー…って」「………人子」』


自分の声の間ずっとローテーブルの上を写していた画面が急に天井に向かって激しく動く。
ちらりと画面の右端に空条先生の顔が一瞬映り名前をよばれる。終わった短い動画に2人で顔を見合わせた。


「………これ、どういうことでしょう」
「…そうだな。わかった事を今整理しとこうぜ」


ゴクリと生唾を飲み込んだ人子に対して、どこまでもくだらない事に真剣な伊東さんは人子の右隣に座った。


「多分最初はこうだ。教授はお前の右側に座ってた。それで人子、お前はケータイを左手で持って写真を撮ってる……それで」


まるでちょっとした名探偵の現場検証並みの鮮やかさで再現していく伊東さんは、パシリと人子の左手首をつかんでこちらを向かせ、その手を天井に向けるように動いた。
動画のようなカメラワークを再現させた結果。人子は左手首を伊東さんに掴まれたままスルリと軽く押し倒される体勢になっていた。


「………マジですか…?」
「これなら教授もあのアングルで写るし完璧だろう」
「……私この後どうなっちゃったんでしょう?」
「あー…………それは本人に直接聞いた方がいいかも」


曇天を背負った伊東さんが気まずそうに前方へ視線を流し、苦笑いを浮かべながら手をはなして人子の上から退いた。
上半身を起こして、伊東さんの視線の先を追うように振り返る。


「空条先生……!」
「まったく……連絡を入れただろう。出ないなら持ってないのと同じだな。来なさい」


少しだけ眉根を寄せた先生は、自分のそばまで来ると二の腕のあたりをあの大きな手の平で掴み上げて立たせる。
大股で先を歩く先生に引っ張られながらステージを後にした。











大股で引っ張られて連れて行かれた先は、来客用に使われる一室だった。
イベントのある日にしか使われない控え室は、うっすらと埃が積もっている。
そこでようやく手を離されてソファーに座ると、意外な事に空条先生は人子の隣に腰を下ろした。


「………電話しただろう」
「今日忙しくて見てなくて……私やっぱり何か壊してましたか?」
「……そういうんじゃない………朝いきなりいなくなると心配する……君は昨日酷く酔っ払ってたしな」
「ごめんなさい……先生起こしたらまずいと思って……それから、えっと……私昨日」
「やっぱり覚えてないか……彼にも迷惑をかけてたぞ」
「やっぱり……!さっきその話をしていて……あの…」


あれはどういう状況だったんでしょうか。
とそう言おうとしてもうまく言葉が出ない。
朝の事も、電話の事も動画の事もだ。
単純に恥ずかしいのもあるが、今この場で空条先生に軽蔑したように呆れられるのはやっぱり辛い……


「……人子、昨日の夜の事だが…」


どうして呼び捨てなんですか。とか、浮かんでくるいろんな疑問を我慢して、なるべく冷静に理解しようと空条先生の声に耳を澄ませる。
緊張している様子を察したのか、その声はプールサイドで聞いたものと違い柔らかいものだった。
携帯は見たか?と聞かれ無言で頷く。


「……最初君があまりに携帯で意味のない写真を撮り続けるから注意した……少し揉み合いになっていたら急に君がもう寝ると言って二階に向かい始めた」
「も……揉み合い…」
「どんな風だったかもう一度再現してやろうか?」
「いっ……いえ!?」


ずい。と空条先生の顔がこちらを覗き込むようにするのに、思わず後ずさる。
そうすると、なんでもないように身を引いた空条先生は、またあの穏やかな声で続けた。


「……それから、水槽で寝ると言いながら伊東君に用事があると言い出して電話を初めてな……引き止めているうちに君が気持ち良く歌い出して、そこからは俺も記憶がない」


良ければもう一度聞かせてもらいたい。と多少興奮した様子の先生は、またひとつ。人魚らしい半漁人の秘密を知りたくて仕方がないといった顔をしていた。


「……いろいろご迷惑をおかけしました」
「まぁいいさ。俺が誘ったような物だしな………今日終わるのは何時だ?帰りに何か食おう」
「……………」
「人子?」
「あの……先生、よーく説明してもらって昨夜どんなだったかはわかりました……けどあの、私絶対他にも何か……その、呼び方。とか…その多少荒っぽい言葉遣いとか……」
「何時に終わる?」


探るような人子の口調にも、先生の表情は変わらない。
変わらないどころか、まるで何も聞こえていないかのようにバイトの終わる時間をせっついてくる。

(何かが……おかしい)

今の距離感が、お互いがお互いの方へ歩み寄っているから感じられる親しさなのだ。と信じても良いのだろうか。
手を伸ばせばすぐに届いてしまいそうな距離に空条先生はいるような気がして、人子は自分の中でどんどんと育っていく欲求を抑える事が難しくなっていくのを感じていた。


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