いたみはへんしん



家を飛び出して、そこから本当に帰ることはなくなった。
出入りしていたクラブから、なんとなくヤのつく自由業の人たちに関わることが増えて、自分の能力をその怖い大人の下で使うことが多くなった。
殺しはしない、お金を借りて逃げる人間を捕まえたり時々ボーナスをやるからと言われて簀巻きにされた大人を蹴ったり殴ったり適当に痛めつけたりした。
生憎トラブルがあったとしても、この能力を使えばそれも簡単に処理できた。
言ってしまえば普通の人間が起こす面倒事なんて最早名前にとってはなんてことなかった。
10代の家出少女が真っ当な生活なんてできないことは確かだったが、家というような住処を持たず、仕事をくれる大人が人がいなくなったら適当に住んでも良いと家主だけがぽっかり消えたみたいなマンションの部屋を幾つか紹介してくれて、感じる怪しい臭いを無視してそこを転々としていた。
長く何処かへ居座れば、たちまち祖父の関わるSPW財団の人間らしき人物が近所にちらほらと現れる。
それに気づいてからはいよいよ住居を移すスピードは速くなっていった。

そうして気づけば家を出て3年が経っていた。

成人すれば、もう少しだけ陽の当たるところで暮らしても良いかもしれない。なんて、そんなことを考えながら血生臭い仕事から帰って、珍しく抗いがたい眠気を感じてシャワーも浴びずベットで目を閉じた。
疲れすぎて眠れなくなったのかと思っているうちに、目の奥が痛くなってきて、一時間もすれば吐き気のするほどの頭痛に悩まされる。
誰かが耳に穴から棒を突っ込んでかき混ぜているかのような激しい痛みに気絶するように意識を失い気づけば朝になっていた。
念のため一日休もう、そう思っているうちにまたズキズキと頭が痛み出して、関節も熱を持ったように心臓の鼓動に合わせて痛みはじめた。
インフルエンザにも似た症状に慌てて市販の痛み止めを飲んだが、その不快な症状が治る気配はなかった。それどころか夕方には、まぶたが腫れぼったいような気になって、上手く目が開かなくなる。腫れはやがて顔を全体に広がって、ぱんぱんに腫れた顔は歪なじゃがいものようだった。
いよいよ何かの病気になってしまったと焦っり、普段健康保険証なしで見てくれる所謂うっとぐらい医者にかかるも、闇医者ではその突然現れた奇妙な症状に小首を傾げるばかりだった。


「一体どうなってるの……」
「それは……オレに聞かれてもわからん。撃たれたのかと思ったらえらい事になったな……」
「……どうにかして、もう顎も痛くて口を開けられそうにないの…体じゅうの骨が砕けたみたい」
「…………こりゃあ、いよいよ真っ当な医者にかかった方がいいぞ」
「無理よ……私にはもう」


世話になっていた年配の闇医者は自分が訴える奇妙な症状に相槌を打つだけ打って、時々死んでないか見に来てやる。とだけ言って、名前の腕に点滴だけを刺して帰っていった。
徐々に熱が出て、38℃を超える頃には、顔の腫れは岩みたいに固くなって、関節は上手く曲がらなくなった。
体じゅうの関節が痛い。眠っていると固く腫れた顔からゴリゴリと骨を削るような、はじけるような音がする。
なんども痛みに目を覚まし、また気絶するように眠った。
ダンボールで箱買いしていたポカリスエットで口を濡らして、何日も泥のように眠る。全身の痛みと不快感。それに茹だるような熱に眠りに落ちるたびもう目を覚まさないかもしれない。と覚悟していた。
そんな死を感じる生活を一週間ほど続けて、その痛みは、ある朝急に嘘のように無くなっていた。
厚く硬くなった顔の皮膚が自然にめくれ上がって、日焼けの跡みたいにめくれてくる。
ただいたみが消えてもあの気を失うほどの眠気だけは健在で、そこからまた数日。泥のように眠った。



「う………ん」



ある朝。急に頭がスッキリとして目が覚めた。
自分が眠っている間に来たらしい医者が点滴を付け替えて行ったらしく、それもほとんど空になっている。
枕元に、緑色の手術に使うような布が広げられていて、そこに剥がれた分厚い皮膚のようなものが大量に乗せられていた。
腕に刺さった針を乱雑に抜くと、何日もまともに立っていなかったせいでふらつく体をなんとか奮い立たせて、壁にへばりつくようにして風呂場に向かう。
不思議とあの眠気も痛みもなく、顔や全身に感じていた腫れもない。
今はただ、何週間もお風呂に入っていない事で感じる自分の体臭や絡みついてベタベタになった髪の不快感から解放されたくて、やっとの思いで浴室のプラスチックの椅子に座った。
シャワーを手に取ろうと手を伸ばし、鏡の中にいた見知らぬ人間に驚いて声を上げるが、カラカラで弱り切った喉から漏れたのは小さな悲鳴だった。


「………ぅそ。だれ……」


鏡の中にいたのは、絡まったボサボサのプラチナブロンドに、青白いほど白い肌をした見知らぬ女だった。
何より名前を戦慄させたのはその女の血のように赤い目の色。
それが自分と同じように恐怖に怯えゆらゆらと震えている。
ひたり、と自分の顔に手をやると女も同じように自分の顔を触った。
そこまで来てようやく、この女が自分自身だという事がわかって血の気が引いてくる。
体が一気に冷えてガタガタ震えだし、とっさにシャワーを捻って暖かいお湯を浴びながらずっと体を抱いていた。
視界の中に金色がツヤツヤと光っている。
恐る恐る手にとって、自分のものだと確信すると、ようやく名前はゆっくり疲弊しきった体を洗い始めた。









やがてここ数週間金で名前の面倒を定期的に見にきてくれていたらしい闇医者が帰って来て、自分の姿を見て感慨深げにため息混じりの感歎の声を漏らした。
曰く。彼が剥け始めている分厚い皮の一部を剥いで、綺麗に取り去ったところ、そこには新しい健康な皮膚があったらしい。
一晩中夢中でそうして名前の皮を剥いでいた彼は皮の下から現れた美しい女にすっかりまいってしまったらしい。
厚い皮を剥いで美女を取り出す感覚は卵を孵す高揚感に似ていたのかもしれない。
男はすっかり濡れた髪の自分をトロリとしたなま暖かい目で見つめている。
髪を乾かしている間も、名前は鏡に映った自分をぼぅっと見つめていた。
よくも悪くも無個性な外見でしかなかった黒髪の自分が、悪夢のような数週間を過ごした後に人形のような女になってしまった。
洗面所に立ってようやく自分が背が10センチ近く伸びている事にも気がつく。見知らぬ自分の新しい顔は、いくらその医者が興奮気味に絶賛しても名前はただその顔に母親のものとは違う攻撃的な冷たい印象を受けただけだった。
自分という人間がすっかり見知らぬ人間になってしまった。


「一体どうしてこんなことに……」
「それは医者の俺でもわからねぇよ。なぁ名前、俺の家に来い。まだ脱水と栄養失調でフラついてるし元の仕事に戻るには筋力も衰えてる」


言われてみれば少し起きて体を洗っただけなのに、すっかり疲弊しきった自分の体はまた重たくなってきた。
運動もしていないのに動悸がしてきて、だるくて面倒でこくこくと頷くと、男は名前の頭から毛布をかけて抱き上げた。
部屋を出る直前、この数週間汗や涙でぐちゃぐちゃになった布団と、周りに散らばる干からびた皮膚だったものの残骸が、なんだか今までの自分の死骸に見えて人知れず小さく泣いた。


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