ベホマの砂浜
自分が就職している企業が大手は大手でも、その設立理念はまさか一つの血統をサポートするためだけに作られたものだったとは。
入社当初、その本当の理念を聞かされた時はそんな個人のための企業とはつゆ知らず驚いたものだ。
しかし……まさか自分に与えられた仕事がガンガン最前線系の戦闘職だった事を、新人研修という名の実戦トレーニングで知った時には目ん玉が零れ落ちる程に驚いた。
とはいえ生還さえすれば危険手当は十分すぎるほど出るし、福利厚生も手厚い会社で気にいっていたのだが……。
「ぅ………。う。もう嫌…実家に帰して…」
そんな福利厚生のしっかりしているはずの会社に裏切られたのは先月のこと。
結局廊下での宣言も虚しく空条先生にプライベートジェットに突っ込まれ、あれよあれよと言う間に日本着。
結局名前は杜王町とかいう田舎町のホテルの一室で床にうずくまって泣いていた。
『空条先生!産休を申告します!』
『悪いな。優秀なシールド系の能力者がお前しかいねぇんだ。諦めな』
『……これは被雇用者の権利のはず…!』
『本当にガキができたのか?………大体お前にいつそんなイベントが起きるっていうんだ』
『………失礼な!』
『なんだその間は』
これ以上喋れはボロが出る。とそれについては黙り、危険な任務に妊婦を連れて行くのは道義的にどうなんだ。という名前の言及にも、彼は全く動じなかった。
『お前は対自分への攻撃はほぼ無効化できるだろう。いつも言ってるが戦闘になればむしろ俺の方が危険だ。大体名前は能動的に攻撃して危ない目に遭った事はないだろう』
『うっ………それは!』
確かに名前のスタンドは完全防衛型。
攻撃要素こそ皆無だが、自分を防御する事に関しては完全無欠である。
今までで空条先生と御一緒した任務では、自分は常に彼をシールドで守っていただけに過ぎない。
『むしろ守って貰いたいのは私の方なんだよ』
『………はぁ、本当にすぐ終わる調査なんですよね?』
『ああ。すぐに済む』
蓋を開けてみれば、そう長くはかかんねぇよ。という空条先生のお言葉は大嘘であり、結局これからも当分この街からは離れられそうにない。
全く久しぶりの空条先生とのコミュニケーションだったが故に、先生が自分に丁寧な言葉を使う時は大抵嘘だという名前の中でのマイルールを完全に忘れていた。
3か月目に突入した自分は悪阻のピークを迎えており、延々と部屋で嘔吐感に泣く日々を送っている。
食べたら食べたで気持ち悪く。空腹なら空腹で気持ち悪く。眠い時は眠い時で気持ち悪い。
要は悪阻のピークはピークでも激しい悪阻の当たりくじを引いたような感じで、ルームサービスのスープで口を濡らしては、ベットでさめざめと泣いていた。
赤ん坊のために食べなければいけないはずが食べられないこの矛盾。神様は人間を一体どうしたいのか……
ホテルのドアを数回ノックする音がしたが、全く動く気がしない。
というか帰ってくれ。今日の私には人を出迎えるために寝巻きから外着に着替える余裕はない
「おい。名前いるんだろう」
上司の来訪を完全に無視してベットで静かに横になる。
嗚呼神様。今日くらいは、私に穏やかな安寧の地を………
オラアァァアアアッ!!という某スタンドの叫び声と同時にドアが吹っ飛ぶ音がする。目を閉じた自分の顔にパラパラと飛び散ったドアの木屑が降りかかった。
本当神様。なんで私ばっかり。
「おい、いるなら返事をしろ。死んでるのかと思ったぞ」
「……見ての通り上司をお出迎えできる状態じゃないんですよ…」
顔に降りかかった木屑を手で払おうとする名前の腕を空条先生の大きな掌が掴んだ。そのまま払うと傷がつくぞ。
とフゥッと目を閉じたままの自分の顔に空条先生の息がかかる。
なんだこの状況。
まぁこれだけ払えたらいいだろう。とお許しが出て自分の手で木屑を払って目を開けると、ドアだった残骸と外出準備万端の空条先生が見えた。
「……まさかまた」
「海に行くぞ。支度しろ」
「………今日はとてもそんな体調では」
「いいから準備しろ。妊婦に必要なのは適度な運動だろう」
「うう……は、はい」
よろよろと情けない姿で適当なワンピースをひっつかんで、バスルームに消える
この街に来て早々、先生お目当ての東方仗助君も発見し、ここ数日は穏やかな日々が続いている……と信じたい。しかしながらどうして、自分まで空条先生の個人の研究に同行せねばならないのか……。
顔面蒼白の妊婦を全く気にもかけず連れ出した空条先生はしばらく名前の手を引いて海岸を連れ回した後、遂に目を閉じて動かなくなった名前を見て、やれやれと荷物からシートを取り出して砂浜に敷いた。
そのシートに横になると、曇りの海だと言っても、砂は太陽の熱を受けてポカポカと温かく、風が吹いてくる分ホテルの部屋より幾分か気持ちがいい。
自分からだいぶ離れたところでダイバースーツでザブザブと岩場に張り付く不気味なヒトデを集める空条先生に、しっかりと自分のスタンドでシールドを作り出し先生に貼り付けておいた。
また大量のヒトデを捕まえては何やら選別しているらしく、その目は真剣そのもの。
ふと、いつかの船の上でビッシリとカラフルなヒトデを甲板に隙間なく並べていたグロテスクな光景を思い出して鳥肌がたつ。
あまり遠くに行かれると、さすがに効力が薄くなっていってしまう。
規則的な波の音を聞きながら目を閉じる。
久しぶりに吐き気なく眠れそうで、気づけば意識はとろりとした闇の中に落ちていった。
(……ようやく寝たか)
この辺りでとれる珍しいヒトデを幾つか採集し、名前の近くに腰を下ろしてノートを広げる。
現在時刻と潮の流れ。それから天候と気温などを記載しながら、見つけたヒトデの外見を端的にスケッチようと鉛筆を滑らせている音が二人の間に流れる。
ふと鉛筆を止めれば、名前のすーすーという寝息が聞こえてくる。よほど深く眠っているのか少し緩みがちな口元がなんだか新鮮で、思わず手を伸ばすと名前がピクリと身動きをした。
(……何をしようとしてるんだ俺は)
冷静になってその手を引っ込めた承太郎は、コートを脱いで彼女の体に掛けてやる。
ここのところ隣の部屋から一晩中聞こえる泣き言にほとほとうんざりしていたが、意外にも自分にはそのホラー映画のような深夜の騒音よりも、まともに寝られていないだろう
名前の体調のほうが気になっていた。
彼女の腹の中には彼女の半分と知らない男の半分が育っていて、その分身のためにコーヒーやアルコール。はたまたカフェインという物質を過剰に避け、感染症を恐れて街中をマスクをつけて歩き回っている。
まだ腹が出ているわけではない彼女は、自分には殆ど今までの彼女と同じに見える。だからこそ余計に、承太郎には名前が妊婦だという実感がなくて……悔しさにも似た複雑な恋情にこんなにもジリジリと1人苦しんでいる。
風がさらりと名前の髪を一房浮かせて、耳元が露わになる。
米粒よりも小さな耳についた青い石は、昔一緒に向かった外国の調査で、商人相手に彼女が必死で値切って手に入れたラピスラズリのピアスだ。
彼女には、お腹の子供の父親を匂わせる装飾品や持ち物が一切ない。
一体どうして彼女が、こんなにも急に。
少しだけ寝息を乱して名前が身動ぎをした。
(……名前には悪いが、少しだけ調べてみるか……)
このまま起きなければ、背負って帰ってやろう。とそんな気になってくる。
彼女の腹には他の男の半分がいるが、ここに彼女と彼女の半分を守れる男は自分しか居ないのだ。
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