「――どういうことですか、これは」



自分でも驚くほど怒りに満ちた低く、冷たい声が静かな部屋の中に一言、落ちた。腸は煮えくりかえっているが脳味噌はどうやら心底冷え切っているらしい。
だがしかし、それへの明確な答えを口にするでもなく、口元に緩やかな笑みを浮かべた相手――この学園の理事長である冴島礼人は、目の前に立つ俺をゆっくりと見上げ、ただただその表情を崩すことなく小さく喉を鳴らした。




***

嫌な予感はしていたのだ。
風間の言葉を聞いて直ぐ、ぶうたれる双子と篠山の事は気にせず急いで別荘から帰り、とりあえず適当に荷物を突っ込み、両親への挨拶もそこそこに(まあ母親からは全く以て何の見送りも無かったが)鬼嶋を引っ張りつつ他の奴らと学園へ戻った俺の前には、実に衝撃的な事実が待ち受けていた。

所々に壊された教室。…は、まだ良い。業者を呼べば直せるレベルだ。
廊下に散乱していた窓ガラスの破片。……も、まだ目を瞑るとしよう。これ位ならばこのクソ学園ならばあり得ない事ではない。
だが、許せないのは――いや、それよりもまず信じ難かったのは――あらゆる廊下の掲示板に貼り出されていた、ある紙の内容についてだった。

それを見た瞬間、他の状況の掴めていない生徒会役員の事などそっちのけで俺は理事長室へと足を向けた。そう、あのオカマだ。出来る事ならば二度と会いたくない相手だったが役職柄、加えてこの状況ではそうもいかない。
アポがなければ理事長には基本的に会えない事になっているが、部屋の前に立っていた秘書の松田さんは俺の顔を見て直ぐに、何も言わずに重厚感のある扉を開けた。恐らく、俺が来ると言う事を理解していたのだろう。当たり前だ。


挨拶もなしにズカズカと部屋に入ればすぐさま目に入る、とてつもなく無駄なドでかい机。
そこに優雅に腰かけていた理事長の視線が俺を捉えるとほぼ同時に、奴の目の前に俺は先ほど掲示板から引っぺがしてきた紙をバン、と叩きつけるように置いた。

「どういうことですか、これは」

正面から奴を見据えはっきりと問うたその言葉に、彼は数秒の間を空け、ただ面白げに目を細めるだけだった。
その反応に苛立ちを隠せず小さく舌打ちをし、再度「理事長、」と今度は先ほどよりも若干大きめな声を発する。


「この貼り紙の内容はどういう事かと、聞いているんですが」
「どういう事もなにも、そこに書いてある通りでしょう?御堂島君」


今度は返答とも言えない様な返答がきた。死ね、この性悪カマ野郎。とは流石にこの学園の実質最高権力者である理事長には言えない為に、ただ奴を殺気の籠った目で睨みつけるだけに留めてやった。忍耐だ、頑張れ俺。「怒った顔も可愛いわあ」だなんて言葉が聞こえるが無視。キメェ。



――貼り紙の、内容。
それは『文化祭に於いて全F組の参加を認可せず』という――実に、実に理解し難いものだった。理事長決定という文字が見えた瞬間ド畜生がと心の中で盛大に罵ってしまったのも仕方のないことだろう。



自分のいないうちに一体全体学園に何が起こったのか、何故この様な事態になったのかを説明して貰わなければ引き下がるわけには行かない。
否、例えどんな理由があるにしろ、この措置は余りにも行きすぎである事は誰の目にも明らかだった。F組が全員で何かしらの大事件を起こしたのでなければ、の話だが絶対にそんな事はあり得ない。現に南達は俺と一緒にいたのだ。
取り消して貰わなければ帰るに帰れないと、俺は今度こそと再び辛抱強く冷静に、口を開いた。


「…ふざけるのも大概にして、ちゃんと答えてもらえませんか。何故、この様な決定を?」
「あら心外、ふざけたつもりなんて毛頭無いわよ?夏休み中に2年F組生徒がA組の生徒を殴ったの。野蛮な人間にこれ以上好き勝手うろつかれても困るでしょう、これは学園が平和に文化祭を迎えられる様にと考えた結果よ」
「――F組の生徒全員が野蛮な人間だとお考えですか、偏った意見だ。貴方の甥っ子も、そこに所属している筈ですが」
「楓?私あの子苦手なのよねえ。目障りだから学年主席の成績でもF組に編入させたんだし。F組は元々成金上がりや素行の悪い不良達の集まり、言わばこの学園におけるクズの巣窟だわ。文化祭は色んな業界の方々がお見えになる大事な機会、台無しにされたら困るのよ」


聞けば聞くほど、腹の立つ話だった。
自分の甥の事が気に入らないからF組に入れた?理事長権限だろうとして良い事と悪いことがあるだろう。道理で何故編入テストオール満点でF組に入ったのかと思った。
F組の生徒がA組の生徒を殴ったという話が事実ならば、それは確かに何らかの措置を取らねばならない事だろう。だがしかし、それで何故F組にいる全ての生徒が文化祭への参加を拒否されなければならない?
クズの巣窟だと、好き勝手言いやがって。ただ自分の利益の事しか考えないこの腐った大人は、以前からF組の事を快く思っていなかっただけなのだろう。良い機会だからこの際切り捨てれば良いと、そう考えているだけじゃねぇか。

なんて理不尽な話だ。
内心でこの馬鹿理事長めがだの金亡者だのと罵倒の言葉をズラッと並びたてつつも表面上では取り繕ったまま、俺はゆっくりと口を開いた。話して分かる相手とも思わないが、このままにして良い訳は無い。


「…全F組の連帯責任にさせる事は無いでしょう。F組という括りの中で物事の判断を下すのは教育者として如何なものかと思いますが」
「教育者?可笑しな事を言う子ねえ、私が何故あの子たちの事を考えなければいけないの?これはね、ビジネスなのよ、ビジネス。貴方が何をどう言おうと、理事長決定は生徒会権限では覆らない。――分かったらさっさと自分の仕事に戻って、未だに抗議してくる煩い蠅共を黙らせてきて頂戴。貴方の仕事はそれだけ、余計な事はしないで良いの」


わざとらしく溜め息交じりで言われたその言葉に、俺はただ黙って彼を見据え続けた。
ビジネスだと、そう考えるのは仕方がない事なのかもしれない。それは紛れもない事実だろう。だがしかし、今回の事ははいそうですかと納得出来るような事じゃあない。大人の勝手な都合で振り回される子供の気持ちを考えろってんだ。

立ったままそこを退こうとしない俺に呆れた様な目線を向けてきた後、理事長はゆっくり――ゆっくりと、俺に突き付けるような口調ではっきり、言った。



「御堂島君。F組は、この学園における最下層の人間が集まるクラス――その認識は学園全体に広がっているわ。F組が参加しないという事になって安心している生徒が沢山いる、その事がそれを証明する事実よ。これから先、その認識は変わらない。もう何十年も前から染みついてきた「事実」なんだから」



…分かってくれるわね?
そう言ってニコリと微笑みを浮かべた理事長の目は、全く笑っていなかった。
底冷えのする様なその視線に、だがしかしそれ以上に怒りの感情がフツフツと煮えたぎっている俺は臆することなく、ただ無言で見つめ返す。

「事実」だと。歴史がそう言っているから、俺達はそれに従うしかないって?阿呆みたいな考え方を正さないまま、ずっとそれを続けて行くのか。歴史ってのはそういう事なのか。


変わらないと、何故言える。
やってみた事すら無いと言うのに、何故そう決め付ける。
ふざけるな。変えてやる、俺が。そんなクソ喰らえの固定観念なんざいらねぇんだ。体育祭でアイツ等は、A組の生徒もB組の生徒もC組の生徒も、そうしてF組の生徒だって、肩を組んで一緒に騒いでいたじゃないか。


歴史ってのは、昔の過ちを学んでやりなおす為に学ぶものだろう。そこから何かを得る為に、過去を振り返るんだろう。
変えられないものなんてねぇ。多くの時間を要するかも知れなくても、やり遂げられない事なんてない。大事なことは最初の一歩を踏み出す事だ。そしてそれを、今まで誰もやってこなかったのなら。誰も、歩み出そうとしなかったのなら。



俺がやる。
俺が、変えてみせる。
それがきっと、ここに居る――生徒会長である、俺の仕事だ。



そんな思いを込めて相手を未だ見詰め続け、そうして――俺は静かに、口を開いた。


「…理事長の考えは、分かりました。決定を撤回して貰えないのなら最早議論の余地はありません。『抗議してくる奴らを黙らせる』のが俺の仕事ですね?それでは」


失礼します、と俺の普段を知ってる奴が見れば誰だお前はと言いそうな程に丁寧に、かつにっこりと笑みを浮かべて踵を返す。これ以上ここに居ても意味がねぇ。
扉の前まで来て、ドアノブに手を掛けた、その時――後ろからふっと、微かに笑う様な気配がした。
それに思わず眉間に皺を寄せて振り返ると、先ほどと同じ、椅子に座ったまま面白げに口元に笑みを浮かべる理事長の姿。
…何なんだ、何を笑っている。俺をイラつかせる天才かこいつ。

「…何か?」
「ふふ、別に大したことじゃあ無いんだけれど。…ねぇ、御堂島君。どうして私が、今まで目を瞑ってきた素行の悪いF組の存在について、とやかく言いだしたんだと思う?」
「――…は、?」

不可解な言葉だった。
意味が分からない、という表情を隠さないまま相手を見つめれば、何も知らないのねえと何とも腹の立つ言葉をくすくすと笑いながら呟いた相手は、一つ呼吸を置いた後、再び俺に視線を向けた。

「貴方の幼馴染の鹿川南君のねぇ、存在が大きいのよ。鹿川君は本来ならA組に居て良い――いいえ、居るべき存在。でも中等部に上がる時、本人が自分は煙草を吸うからA組じゃなくてF組にしてくれと頼まれたの。鹿川君のお父様はこの学園に沢山の寄付金をしてくれているから、彼の願いはこの学園では殆どが叶う。煙草を容認したのもそれね」
「…知っています。だからアイツは、特別に一人部屋なんでしょう」
「そう、それにあのふざけたランキングにも投票してはいけない事にしてあげた。そんな鹿川君が居たから、F組のお馬鹿さん達が騒いでるのも見過ごしてあげていたのよ」
「……南は、今回の文化祭に参加する筈ですが」
「そうね、でも『最後』だわ。もう鹿川君に遠慮をする必要はないって事」

何だそりゃ。3年はこれで卒業だから、最後にどんな扱いをしようと関係が無いと言う事か?南がいなけりゃ本当に何の価値も無くなると言いたいのか。このクソ野郎。
どんだけ腐ってんだと、最早何かを言う気力さえ起こらず最後に思いっきり殺意を込めた目線で相手を睨みつけてから、俺は今度こそドアノブを引いて外へ飛び出し、渾身の力を込めてその重い扉を閉めた。





――残された理事長が、本当に何も知らないのねぇ、と呟きながら、ただ可笑しげに喉を震わせていたのも知らず。





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