現実相愛論
今日もまた、マニキュアの小瓶は文机の上に鎮座している。
「また忘れ物?」
「そうだ」
「……ふーん」
俺が屯所へ行く度に部屋にあるソレを、土方は気にも留めていない風だった。
それでも俺がその小瓶を見慣れることはなくて、相変わらずしょっぱい気分にさせられていた。
──でも、それも今日で終わるんだ。
「いい天気だな」
「ああ」
「なァ土方」
すぐそこにある終わりへ向けて、足を一歩踏み出す。
「俺さァ、お前のこと好きじゃねェんだ」
「………」
「興味あって、遊んでみたかっただけ」
「………」
「だからさ、やめようぜ、もう」
もう何度も練習してきた一連の言葉は、吃ることもなく俺の口からするすると滑り落ちていく。驚きをそのまま表したような土方の瞳に映る自分の顔が、滑稽で仕方なかった。
結局最後まで想いを伝えるのが恐かっただけの、臆病者の真顔だ。
「そうか」
「…悪ィ」
「良かった」
「え?」
『良かった』?
想定してたのと全く違う答えに動揺する。
土方は俺から視線を外すと、口元だけで静かに笑った。
「……俺もテメェを利用してたからな、性欲処理に。だから良かった。俺もテメェのことなんざ、」
「そーか。ならいいんだけどよ」
その先の言葉を聞きたくなかった。
言の刃が刺さって痛い。身体じゃなくて心が痛い。
所詮夢はガキのみるモンで、三十路手前の大人が本気にするモンじゃないってことだ。
分かっていたくせに、自分から切り出したくせに、エゴだと分かっていても、深く深く傷つけられた気がした。
「…これでシメェだ。じゃあな」
お互い忘れようぜ、あっさりとそう云って小瓶を摘むと、土方は副長室から出て行った。
開け放されたままの障子から足音が遠ざかる。
見えなくなった背中に、俺は何も云えず立ち尽くした。
この気持ちはなんだろう。苦くて不味くて、ひどく後味が悪い。
気づいた途端膜を張った視界に、慌てて目を擦った。
でもすぐにまた滲んで歪んだ視界に逃げ隠れ出来ないと悟る。
与えられるままを甘受すると、重力に従ってポタポタと滴が落ちていった。温かくて塩辛い。
俺はこの関係に終止符を打ったつもりだった。それなのに心は重くなるばかりで。
「……ッ」
違う。確かに終わりにはしたかったけど、この結末を望んだわけじゃなかった。
ただ俺が臆病風に吹かれていただけのことで、本心からの答えなんてとっくに出てる。
──俺は、土方の気持ちが知りたかった。
「ッ土方!」
もう一度目を擦る。今度は歪まなかった。馬鹿みたいに簡単な答えに、俺はやっと気がついた。
「待てよ!まだ話は終わってねぇ!」
声と一緒に誰もいない部屋を飛び出す。
軽い。さっきまで動かなかった身体が弾かれたように走り出した。
もう少し手を伸ばせば届く。届いた。
「土方っ……!」
後ろから思いきり抱きしめる。土方の背中に温もりを感じた。
「ごめん土方」
「………」
「おれ、あの、さっきの嘘で……やっぱお前のこと好きだから」
なんだこれ、情けねェ。
「だから、忘れるとか云うなよ……!」
絞り出した自分の声は震えてて、上擦ってて、腕も強張ってるし、格好悪い。悪すぎる。
だけど、土方の肩も同じように震えていた。
「……ああいいぜ。俺も…テメェと同じこと考えてたよ」
「…へ?」
「ンだよ、アホなツラしやがって」
振り向いた土方と真近で目が合う。
心底愉しげに笑ってる土方の、その目元は赤くなっていた。
まるで、俺と同じことをしてたみたいに。
「…泣いたの?」
「…るせ、ほっとけ」
「ほっとけねぇよ。惚れた奴泣かせるとかサイテーだ」
「なら俺だってサイテーだな」
「………。つーかお前あの女は?」
「あの女?」
「だから、忘れモンの…」
「…コレのことか?」
「あ……」
造作もなく云って土方が隊服のポケットから取り出したのは、あの小瓶だった。
「ただの道具だ、こんなもん」
「え、どういう意味?」
「……テメェに、俺を見てほしかったんだよ」
「な…何だよそれ! そんなことしなくたって俺ァ、」
「ああ、もう解った。今まで試すような真似して悪かったな。……馬鹿なのは俺の方か」
お前が仕事の時たまに乗ってる白黒の車が空を飛ぶようになったら、黒は作りモンの笑顔なんざ捨てて、セフレじゃなくなった白と小指を繋ぐ。そんな夢、叶う筈ないって思ってたけど。
「…さァて、んじゃ戻るか?」
「ああ」
縁側を並んで歩く。距離にしてみれば短いそこで、誰もいないのをいいことに指を絡めあった。
考えてみたら、白黒の車は空を飛ばなくたっていい。そこまで無秩序じゃなくてもいいんだ。しがらみが全くないよりも、少しくらい不自由な方が俺達らしい。
「コレはもういらねェな」
キラリと一瞬秋の日差しを浴びて、綺麗な放物線を描いて、小瓶はゴミ箱に消えた。俺の臆病なユメと一緒に。
現実相愛論
(いまここにある相思相愛)
Thank you for reading!