甘い卵焼きは愛の証って別にそんなんじゃねーけど

 弁当の蓋についているゴムパッキンをなくした。
弁当箱は毎日洗い、その度ゴムパッキンも外していたはずだ。流れ作業になっていて一々手元を注視していないが、普通だったら外して洗い棚に置くもんだろう。毎日ずっとそうしてきたし。
でも今日は、その『毎日』がたまらなく恋しくなる。
どこかに落としてしまったのかと試しに流し台と冷蔵庫の間を覗いてみたが、奥行き1メートルの暗闇があるだけだった。どこでなくしてしまったんだろう。

 別になくなったって殊更困るものでもない。弁当箱は幸いもう一つあるし、ただ、今まで自分が使っていたこの灰色の弁当箱は、確かに使えなくなった。
 この弁当箱は去年から使っている。同僚の坂田銀八からの誕生日プレゼントだった。『愛妻弁当作ってよ』とか花の咲いた事を抜かして渡されたのを覚えている。折角だからと次の日から毎日使っているが、結局俺がそれを作る事はなかった。
 銀八は生徒に人気がある。手作り弁当やら菓子やら渡されているのを見かけた事も、一度や二度ではない。俺が本気にして、冗談に踊らされるのは真っ平だと思った。

 ところで、ゴムパッキンがなければ蓋の密封性がなくなる。持ち運びがとても不便になるし、衛生的にどうなのかは知らないが、まあ良くはないだろう。
 弁当箱はマヨをかけて食べる分、日々丁寧に洗っていたからか、傷もシミもなかった。損傷はなに一つなく、でもゴムパッキンがなくなったから、もう使えないのだ。使い続けた日数と比例して愛着はあったけど、どうにかなるわけでもない。
……ただ、ゴムパッキンがなくなっただけで弁当箱が機能しなくなるというのが、妙に気にかかった。しかし、流し台と洗い棚を隈なく探してみてもゴムパッキンは見つからない。
 次の日は、仕方ないから前に使っていた黒い弁当箱に白飯とおかずを詰めた。少し黄ばんでいるゴムパッキンが、きちんと蓋の溝に嵌っていた。


* * *


「アレ? そういや今日、弁当箱違くね?」
「ああ……」

 その日の昼休みは晴れていたから、国語科準備室ではなく屋上に足を運んだ。時季柄の所為で吹きすさぶ風は寒かったが、俺も銀八もコートを着込んでまで屋上に行った。冬の時期に屋上で弁当を食べる生徒は碌にいないから静かだし、冬は空が綺麗だからだ。
 今までモグモグと唐揚げを頬張っていた銀八は、どうしたのそれ、と俺の弁当箱のふちを箸でつついた。行儀の悪い奴の右手を、左手で追い払う。

「やめろ、汚ェだろうが」
「ンな事よりコレ。どこのクラスの女子に作ってもらった?」
「は…? 何言ってんだ」
「何ってそのまんまだよ。わざわざ黒を選ぶ辺りアザトすぎっつーか…やめとけやめとけ」
「いや、やめるも何もコレ俺のだし」
「……え、お前の? な、なんだ、ビビらせんなよー」

 銀八は一人で勝手に盛り上がった後、あからさまにホッとしたような面で、にへらと笑った。何が言いたかったのかよく分からないが「そーかそーか、お前のか」と途端に機嫌良くなっているから、まあ放っておこうと思う。

「弁当のゴムパッキンなくしちまって」
「俺があげたヤツ?」
「…よく覚えてるな。昨日洗ったとき、どっかに落としたみてェで」
「ああ、あの白いヤツな」
「そうだ」
「ソレ、俺が持ってるわ」
「………え?」

 ぽたり、と食べようとした卵焼きが落ちた。

「いやだって、昨日準備室で飯食べたじゃん。暇すぎて俺がお前のゴムパッキン奪ったじゃん。それでそのままだったろ、ほら」
「……あ」

 白衣のポケットから白い輪っかを出すと、指にひっかけてクルクル回す。

「忘れてたの? まあ昨日の時点で全然気にしてない風だったけどよ」
「……チッ」

 少しだけ、断じて少しだけだが、耳が熱くなる。変な感傷に浸っていた昨日の自分を殴りにいきたい。

「…土方? 怒ってんの?」
「たり前ェだ……探し回る羽目になったんだからな、昨日」
「マジでか。そりゃまァ悪ィな、嬉しいけど」
「……嬉しい?」
「だって大切にしてくれてるって事だろ? …あ、その玉子焼き食っていい?」

 銀八の視線は、弁当箱の真ん中──さっき取り落とした卵焼きに注がれていて。

「オイ、これを食うのか?」
「ダメなの? いつもくれるじゃねーか」
「…いや、なんていうか……これ俺の食いかけだし。衛生面とか考えねェのかお前? 人の弁当箱、箸でつついたりするし」
「いや食いかけ食べるのは、土方のだからっていうのが理由だけど」
「……は」
「玉子焼き、毎回俺の為に甘くしてくれてんだろ?」
「……なっ、」
「愛妻弁当はきっちり頂くからね、俺」

 銀八が得意げに笑ったから、その横っ面をはたきたくなった。
なぜだか耳の熱さは冷めないままで、それどころか頬まで熱くなる。まともに顔が見られなくて、まだ温かい缶コーヒーを口に流し込んだ。

「う、自惚れんな。そんなわけねぇだろ、俺は甘いモンがす、好きなんだ」
「……そーかそーか。だから缶コーヒーブラックなんだな」
「……馬鹿にしてんだろ」
「いやしてないっつの。可愛いよ土方、すげぇ可愛い。イケメンで優しくて可愛いって最強じゃねーか。玉子焼きも美味いし……なぁ、機嫌直せよ」
「ち、近ぇよ顔が。口が軽いのは他の事に使え」
「今使わないでいつ使うんだよ。つーか軽いて。軽いつもりねェし。日本語は正しく使うべきですよ、土方先生?」
「…教師面すんな」
「じゃあほら、俺のたこさんウインナーあげるから。アーンしろ、アーン」

 銀八がまた笑ったら明日の玉子焼きはマヨまみれにしてやろうと思ったけど、頭を絞った結果がたこウインナーならそれはそれで悪くない。大の大人がウインナーをタコの形にする手間をかけているのが、なんとなく可笑しい。口に入れてから、これは坂田の箸だったと気づいた。…俺もコイツと大して変わりないのかもしれない。
 はいこれ、と渡されたのは確かに俺の弁当箱のゴムパッキンで、受け取ったときに一瞬触れた銀八の指先は俺のよりも温かかった。


* * *


 家に帰ってから、受け取ったそれと黒い弁当箱を一緒に洗ってみた。洗いあげて、拭いたそれらに元通りゴムパッキンを嵌める。
黒が一つに、灰色が一つ。これでいつも通りだ。弁当箱に蓋をする。蓋はきっちり閉まり、これでまた灰色の弁当箱は使えるようになった。多分、黒い方は元通り食器棚の少し奥に仕舞いこまれる事だろう。

『いや食いかけ食べるのは、土方のだからっていうのがデカいけど』
『玉子焼き、毎回俺の為に甘くしてくれてんだろ?』
『愛妻弁当はきっちり頂くからね、俺』

 灰色の弁当箱を取り出しやすいように一番前に置いていたら、昼休みのアイツが頭をよぎって。

「……クソ」

 心臓に悪い冗談だ。銀八の冗談だったとしても俺は、明日の弁当に入れる卵焼きをきっと甘くしちまうんだろう。一年前から染みついた流れ作業がそうさせているだけであって、断じてナントカ弁当じゃねェけど。
ただ、昨日の今日で気まずいのも確かで。とりあえず今日はもう何も考えず寝てしまおうと思う。


 後日、銀八が女生徒から渡された手作りクッキーを断っているのを見た。
 屋上で飯を食べながら、テメェでも断る事があるんだなと揶揄してやったら、一度も受け取った事ないよと返された。
今更知った事実に衝撃を受けていると、勝手に卵焼きをつまみ食いされた。

「今日も甘いねー、土方センセ」

 指先を赤い舌でペロリと舐めて、悪賢い顔で笑う。
 箸を使え箸を。
そう言いたかったが急に胸が沸き返るような心持ちになって、うまく声にならなかった。



end.


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