不服そうに、されど満更でもなさそうに
カチャン、カチャン、と何か小さな音が聞こえた。昨晩聞いたばかりの音だった。それに反応し、薄く目を開ける。開け放された窓から風と日差しが入ってきて、半ば無意識の内に手で日差しを遮った。
少しベージュ色の褪せた木目の天井をぼんやりと眺めてから、土方十四郎は寝転がっていた布団から起き上がり、周囲を見回した。屯所とはまた別の場所にある、土方の中で見慣れた景色だ。枕元に置かれていたジャスタウェイの目覚まし時計の針は九時過ぎを指している。
台所からの流水音やジュウジュウと何かが焼けていく音も混ざり合って、鼓膜を柔らかく刺激した。それらすべての音の主が誰なのか解っているから、土方は真っ先に台所へ向かう。
「万事屋」
「おー、おはよ」
そこにいたのはフリフリのベビーピンクなエプロンに均整のとれた身を包み、フライパンを片手に握りながら器用に卵を巻いている坂田銀時。
「…毎回思うがそれはテメェの趣味か?」
「ちがッ、貰いモンだっつの……嫌ならガン見しないでくんない?」
「そうは云ってねぇだろ」
「ああ、そう。変わった趣味ですねー副長サマは」
その言葉に土方はむっと一度だけ眉を顰めたが、それ以上発展させる事はせずに銀時の手元を見遣る。
「悪ィな。わざわざ」
「別に何でもねーよ。一人分も二人分も大して変わらねェし」
「そういうもんか?」
「そうそう。毎回毎回律儀だなー土方くんは。そこも可愛いけど」
「話を飛躍させるな!」
話しながら、フライパンの中にある卵焼きをくるっと一回転させる。鮮やかな手さばきだ。黄色に程よい焦げ目のついた卵が、一瞬だけ宙を舞う。そのままフライパンを火から上げて「こんなもんか」と満足げな顔で呟いた。均等に切り分け、すでに焼いてある魚の脇に添える。ご飯と味噌汁つきの、よく出来た朝食だ。
「美味そうだな。…マヨは?」
「あるから心配すんな」
「そうか。そこの椀取ってくれ、手伝う」
「ん、じゃあ俺並べるから」
箸に白飯、焼き魚。銀時の手でそつなく並べられていく二人分の朝食を見ていると、何故かくすぐったいような気分になる。
「熱っち!」
眺めていたら不覚にも手元が疎かになっていたようで、人差し指に熱い汁が跳ねた。
椀をひっくり返さずにすんだのは幸いだったが、銀時は表情を硬いものにして足早に戻ってくる。
「どうした!?」
「? いや、ちょっと零しちまって」
「見せてみろ」
云うが早いか、手首ごと強く引き寄せられる。痛ぇよと文句を云うが耳に入っていないのか、銀時は素早く蛇口を捻った。勢いよく流れ出てきた冷たい水に指をぐいぐいと押しあてられ、不快に顔を顰めた。
「離せ、冷てぇし痛ぇ」
「ヤケドは冷やすもんだから我慢しろ」
「大袈裟なんだよ! もう平気だっつの」
振り払うようにして脱出する。ジンジンするのは主に冷たい水の所為だ。指の赤みは少し残っているが、気にする程のものでもない。
「大丈夫か?」
「そう云ってんだろ」
女の細い指ならまだしも、剣ダコが茶飯事のような指なのだ。これくらいどうって事はないと解っているだろう。
そんな科白を溢すと、お前だから心配するんだろうがと少し怒ったようないらえが返ってきて。閉口してしまった土方に、まあ俺も騒ぎすぎたからごめんなと苦笑交じりに洩らした。
「え……いや、俺もその、悪かったし……次から気をつける」
「おう。…じゃあこれで仲直りにしようぜ、十四郎……」
「んっ……」
一度軽く触れてから、チュウと優しく口を吸われる。
「ふ、ぁ……飯が冷める……っ」
「……じゃ、続きは後にシような」
「ニヤニヤすんな、朝からなんて真っ平御免だっつの」
「じゃあ夜に食べるならイイだろ?」
「今から夕飯の話たァ、余程食い意地張ってんだな」
「ソッチじゃねぇって………やっぱ駄目?」
土方の瞳孔をじっと見つめて真剣に頼み込めば、柄の悪い見た目に反して彼は容易く言葉に詰まった。続く舌打ちも相変わらずだ。
「……駄目っつっても、やらしい事するんだろうが」
「…そりゃまァ、十四郎がエロ可愛いから?」
「どこがだよ!……クソ」
今回だけだからな。
不服そうに、されど満更でもなさそうに吐き出されたその科白を、銀時は何度聞いたかもう思い出せないくらいに聞いている。運び終わった味噌汁を啜りながら、しかしそれが愛おしいと思った。
「……卵焼きが甘すぎる」
「いや、そんなマヨだらけの状態で云われても困るからね。つーか味わかるの?」
「わかるに決まってんだろ、何年一緒にいると思ってんだ」
身を焦がすような劣情も甘だるく穏やかな充足感も、与えられるのは土方しかいないのだ。
end.
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