財布を忘れた日

春の陽気というと聞こえはいいが、今日は昼を過ぎた辺りから暑すぎるくらいの天気になった。
本日、土方の市中見回りのパートナーは沖田ではない。毎回必ず同じというわけではないのだが通例にもなっている組み合わせだった為、この状況──局長の近藤がストーカーに勤しむ事もなく自分の隣を歩いているという事実に、なんとなく不思議な心地がした。

「どうした、トシ」
「…いや、何でもねェ」
「そうか。たまにはいいよなぁ、トシと一緒に巡回ってのも」
「…ああ。だが、屯所の護りが気になって落ち着かねーんだ」
「心配性だなトシは。俺と見回り代わった時に総悟が『任しとけ』って言ってただろ?アイツも頼もしくなって…」
「だから、それが心配なんだよ」

すっかり感慨に浸り出した近藤に、土方は呆れながら返事をする。
今日一緒に巡回しているのは、花粉症になったらしい沖田の代役を、近藤が買って出たからだ。
土方は「外で昼寝なんかしてるからだろ」と憎まれ口を言ったりもしたけれど、案ずる気持ちがないわけではない。現にこうして留守番させている事が明白な証拠になっていた。


「あ…近藤さん、少しいいか? コーヒー買ってくる」
「今日は暑いからなぁ。やはり総悟の提案した隊服を導入しようか…」
「それはヤメロ。あんなもん、ただの悪ふざけの産物じゃねーか」

そんな事を話しながら自販機の前まで向かう。
財布を取り出そうとした、そこで気づいた。

「……えと、近藤さん、やっぱいい」
「ん? どうした、俺の事は気にしなくていいんだぞ?」
「いやその、……財布忘れた」

気まずげに土方が告げると近藤は一瞬意外そうな表情をして、それからニコニコ笑ってみせた。

「なんだ、そんな事か。トシがうっかりするなんて珍しいんじゃないか?」
「………」
「そんな悲しいカオをするな。トシがしっかりやってるのは俺が保障するよ。ほら、どれが飲みたいんだ?」

自分の財布を取り出し始める近藤に土方は慌てて制止の声をかけたが、近藤は意思を曲げる気は更々ないようで、結局折れた土方が缶コーヒーを一本奢られる事となった。
ガコン、と音を立てて取り出し口に落ちた青色の缶を手に取り、土方は小さくありがとうと告げる。

「気にすんな。もし逆の立場だったとしても、トシは俺に同じ事をしてくれただろう?」

不器用な声の主が、礼を言うのにあまり慣れていない事を知っている。近藤は柔らかくいらえを返すと、「俺もなんか飲もうかな」と釣銭を投入口に入れ直した。
ガコン、と落ちてきたのはどうやら炭酸飲料のようだ。

「それとこれとは別だろ」
「別なもんか。トシは優しいな」
「……ンな事思うのはアンタだけだよ」

つくづく人が良い。
図らずもなんだか面映ゆい気持ちになってきて、土方は誤魔化すようにプルタブを開けたコーヒーを喉に流し込んだ。乾いた喉に、冷えた苦味が染み渡るようだ。人によっては嫌う者も在るが、土方は後味の酸味も嫌いではなかった。


「アレ? 副長さんじゃねーの」
「……チッ」

それとは別種の苦味がやって来た事に、我知らず舌を打つ。
この苦さは一生かかっても好きになれる気がしない。否、好きになりたいとも思わないのだが。

「今日は暑ィな。つー事で団子奢ってくんね?」
「何がつー事でなのか説明しやがれ。暑いのと団子関係ねェし、そもそも誰がテメェなんかに…」
「万事屋、悪いが今トシの奴財布持ってねえんだ。屯所に忘れちまったみてェで」
「こ、近藤さん!」

悪気がないのは分かっているが、あまりこの男の前で自分が不利になるような事を言わないでもらいたい。
しかし時既に遅く、目の前の天パ男はユルい笑みをみるみる内に人を食ったものへと変貌させた。

「マジかよ。プププ、ダッセーの」
「うるせえ、万年金欠よりマシだコラ!!」
「ちょ、トシ抑えて! 市民の皆さんが見てるだろ?!」

近藤の言う通り、通りの通行人は『一般人相手に激昂する真選組幹部』を過ぎざまや、遠巻きに眺めている。
近藤に注意され、土方は渋々といった風に銀時の胸倉を掴んだ手を離した。
解放された時、銀時がなんとも恨みがましい目で近藤を睨んだ事に、二人は毛程も気がついていないようだったけれど。

「そうだ万事屋! それなら一緒に団子屋に行かないか?」
「…え? 団子? ……お前と?」
「そうだ。食いたかったんだろう?」

近藤はこの機を逃す事なく、口喧嘩の話題を収束させようと試みた。
確かに、自分が奢る事に対して思う部分がないわけではない。けれど今はただ、この分の悪い状況を脱却するのが先決だ。
ここで銀時が上機嫌に頷き、事態は丸く収まる……かのように見えたのだが。

「…あー、やっぱいいわ」

銀時の口からは、銀時らしからぬ台詞が紡がれた。にわかに驚いた近藤は、気にしなくてもいいんだぞと先刻土方に言ったのと同じ言葉を返す。

「いや、気にしてるとかじゃなくてよ。ゴリさんに奢って貰う謂われもねぇだろっつー」
「あァ!? テメェ、俺が奢る謂われもねぇだろうが!」
「あるだろ。お前がヘタレたオタクんなった時に、一生チビチビたかってやるって決めたから」
「嫌がらせ以外の何モンでもねえな」
「…嫌がらせ?」
「それしかねェだろうが」

嫌がらせとは心外だとでも聞こえそうな声のニュアンスからは、銀時の意を量りかねる。土方は眉間に皺を寄せて応えた。

「…ま、それでもいいけどよ。とりあえずお前アレな、ウチで今夜飲み比べだから」
「なんでそうなるんだよ! 仕事はねえのかテメェ」
「本日の業務は終了いたしましたぁ。尚、クレームは受け付けておりません」
「終了、ってまだ真っ昼間じゃねーか!」

のらくらとした会話に、相手をしているこちらの方が疲れてくる。
土方が苦い顔をしながら「ああもう分かったよ」とヤケ気味に返せば、やる気のない顔をしていた筈の男が愉しげに瞳を煌めかせた。図らずも絡めとられてしまった視線に当惑するが、銀時は土方が何か言うより少し早く、明後日の方向へと視線を投げた。

「…トシ?」
「え、あ、いや…行くぜ近藤さん。こんな野郎に付き合うのはもう充分だ」
「そ、そうか…? じゃあな万事屋」
「おう、またなゴリラ」
「近藤さんはゴリラじゃねーよっ」

幾度も繰り返したやり取りを終えた土方が、「なんか顔赤いけど熱中症にでもなったのか?」と近藤に尋ねられ思考停止するのは、銀時と別れてすぐの事だ。
そしてその始終を背を向ける事なく眺めていた銀時は「やっぱ満足なんて出来ねーよなぁ」などと一人言ちた。
やがて一直線にスーパーへ足を向けたのは、残念ながら土方の知らぬ話である。



end.


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