Be My Valentine



新卒の同期入社として知り合って早3年。お互いを苗字呼び捨てで呼び合うわたしたちは、ただの同期を超えて、はたまた男女の壁も越えて仲が良い。

入社当初はなんとなく話しかけづらい雰囲気を醸しているように見えた不死川だったけれど、話してみればなんてことなくて、人当たりといい面倒見といい、言い方は悪いが顔面偏差値だって、その辺のメンズよりもスペックというものがそもそも高い男だった。先輩社員からの好感度も高く、しばらくしてできた後輩からも慕われている。おまけに同期で友人というだけのわたしにもとても優しい。2人で飲みに行くこともしばしば、他愛のない話でも和かに相槌を打ってくれて、時々冗談なんかも言ったりする。不死川はとてもいいやつなのだ。

それに、それでなくても良く目立つ上背と特徴のある髪色の不死川は業績でも一目置かれていたりと、言うなれば才色兼備。もれなく感化されているわたしも、持ち前の負けん気で追いつけ追い越せと頑張ってはいるけれど、たいていいつもほんの少し及ばないのだ。


「今月もまた不死川の方が1件多い…」
「別に勝負じゃねェだろがァ」
「そうだけど、やっぱり悔しいものは悔しいのよ」


他部署よりもフレンドリーなうちの部署は毎月1回、月末近い華金に飲み会がある。各期毎にトップだった者にはちょっとしたプレゼントがあったり、敢闘賞なんてものも用意されていたりするものだから、皆こぞって狙いに行くのだ。ちなみにここ半年、すっかり少なくなってしまったうちの期のトップ賞は不死川、敢闘賞はわたしである。


「来月は絶対勝つー!」
「だからァ、勝負じゃねェんだっつのォ」


何度目かのグラスを掲げて宣戦布告すれば、不死川は笑いながらカチンとガラスを鳴らした。


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そうして恒例の席替えなんかを交えつつ、全員がいい感じに酔い始めた頃には、わたしも例外なく赤くなる頬を押さえていた。


「ちょっと御手洗い行ってくるね」
「はい、いってらっしゃいませー!」

すっかり酔っ払いのそれで両手を振る後輩に見送られ席を立つ。冷たい水を心地よく感じながら薄暗い洗面台で今更ながらにメイクを直して座敷に戻れば、ふと目に付いた薄色の隣には部内一の美女とされる胡蝶さんが居た。


「でも本当に、不死川くんはいつもすごいわぁ」
「いや、ンなことねェっす」
「社内貢献度も高いって、上層部でも噂になってるのよ。って、あらあらこれは秘密だったかも」
「ハッ、なンすかそれェ」


「あ、名前さんおかえりなさーい!」
「ん、あぁ、うん」
「もーう、どうしちゃったんですかあ?そんなとこ立ってないでこっちでもっと飲みましょうよお!」
「うん…あー、はいはい、今行くってー!…」


言いようのない妙なもやもやはアルコールともにとんでくれたりはしなかった。


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「それじゃあ改めて、来月も皆一段と活躍くれることを期待している!」

お決まりの締めの一言をもって宴は解散となり、それぞれが帰路についていく。わたしもその波に乗ろうと、もう一件と誘う後輩に断りを入れていればまた、ちょうど暖簾をくぐって出てきた不死川がばっちり視界に入ってしまった。隣にはやっぱり、胡蝶さん。


不死川はいつも飲み会の帰りに必ずわたしに聞く一言がある。

《ひとりで帰れるかァ?》

もちろん節操なく飲むことなんてないわけで、少しばかりふわふわする頭はあっても足取りはちゃんとしているし、家にだって真っ直ぐ帰れるのだからいつも大丈夫と断って頷いたこと一度もない。それに不死川の家はわたしの家よりも二駅手前であることも知っているから、わざわざ遠回りを頼むようなことはしないし、それにこの一言は不死川にとってはなんてことない、挨拶くらいの言葉だってことも理解している。


けれど、どうだろう。当たり前のセリフなのだとすれば、数秒後、その言葉は誰にかかるんだろう。きっと隣にいる胡蝶さんのはずだ。そうして胡蝶さんならきっと、返事はわたしとは違う。

《帰れない》

なんてあざとい女の返しなんだとは思うけれど、世の理的に正解なのは胡蝶さんなんだと思う。男は元来頼られたい生き物だと聞いたことがあるし、それは不死川だって例外じゃないはずだ。つまりこのセリフは元より、《いってきます》《いってらっしゃい》のように対である言葉の可能性だってなくはないのだ。

であるとするならばもし、今日この日にわたしに声がかかった日にはお酒のせいにして試してみてもいいかもしれない。業績はいつだって敵わなくとも、わたしだって不死川から一本取ってみたいのだ。


と、そうは考えるもあの様子からしてそんなことは起きうる気配がないし、待っているほどの理由にするにはあまりにも馬鹿げているような気もする。夜風が気持ちよく感じられるうちに帰ってしまおうと、近場にいた同僚に別れを告げて駅へ向かうため歩き出す。まだ終電には間に合うあたり、うちの会社はクリーンだ。なんて思いつつ近道だと傍道に入ろうとした時だった。

「苗字!」
「え?」

かけられた声に曲がろうとした足を180°返して振り向けば、不死川が立っていた。

「あれ、どうしたの?」
「いや、お前が帰るのが見えたから…その、1人で帰れるかァ?」
「!」

まさか、追いかけてきてまでも言われるセリフだとは思ってもいなかった。けれどなんとなく、毎度交わす言葉であるからしてしないのは、なんだか気持ちがわるいような気もしていたのは不死川も同じだったのかもしれない。

「苗字?」
「あ、うん…」
「帰れるかァ?」
「………い」
「ン?」

せっかく機会がおとずれたのだからと、実行するならやっぱり今だと、慣れないことをしたせいで掠れた声しか出なかった。まだまだ起きている街の中では届くはずもなかったその音を聞き取ろうと小首を傾げながら、頭一つ分大きな不死川がわたしに影を落とす。

「苗字、」
「か、えれな、い…」
「へ?」
「不死川、わたし、1人じゃ帰れない…」
「ッ…」

途端、空気が変わったのがわかった。黙ってしまった不死川に、やっぱりこれは外してしまったかと、わたしたちの当たり前はいつもの方だった、冗談でしたと訂正しようと顔を上げれば、いつもより大きく見開かれた三白眼と目が合った。

「っ、あ、不死川今のは、」
「苗字」
「ん?」
「帰っぞ」
「うん。って、え、待っ…!」


突如取られた左手は不死川の右手としっかり繋がれて、はじめての温度に驚く間も無くタクシーに押し込められる。そうして運転手にわたしの家の最寄り駅を伝えて車が走り出してからもなお、その手は握られたままだった。


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マンションの下で停まったタクシーの精算は当然の如く不死川によって行われ、エレベーターが到着してもまだ、握られた手は離れない。

「何階だァ?」
「あ、5階…」
「ン」

空いてる右手の人差し指でボタンを押して、扉が閉まって数秒。不思議な作りのこのマンションで一番奥の角を曲がった死角のような部屋だと伝えればその玄関前まで不死川と手を繋いだまま辿り着く。

「あ、の…送ってくれてありがとう」
「おう」
「………」
「………」

もうあとはカバンの中から鍵を取り出して鍵穴に差し込んでノブを回せば家の中だ。1人で帰れないと言ったわたしを文字通りこんなところまできっちりと送り届けてくれた不死川はまさしく有言実行をした。だからこれにて解散となるはずなのに、なかなか離れない指先はどうすればいいんだろう。

「不死川…」
「うん?」
「その、さっきはごめんね、変なこと言って」
「いや、」
「あ、はは…なんか、だいぶ酔ってるのかもしれない」
「ン?」
「いや、んと、ね…その、さっき不死川が胡蝶さんと話してたでしょ。それ見てたらなんか、よくわかんないんだけど…」
「うん」
「胡蝶さんて綺麗だし、女っぽいし、わたしとは正反対だなって思ったりして、ね」
「………」
「そ、それにわたしたちって、ほら、同期で、友達だから、さ。胡蝶さんとは全然違うっていうか、違うのはそうなんだけど」
「………」
「なんか…ちょっとまた悔しくなったのかも」


自分でもよくわからない言葉を辿々しくも紡いでしまうのはぜんぶ、きっとお酒のせいで、きっと繋いだまんまの手のせいで、きっと、不死川がわたしを見つめているせいだ。


「それで、帰れねェって?」
「うん…」
「そうか」
「っ、けど、キャラじゃないことするものじゃないよね。送ってくれてありがとう」

なんだかもう顔を上げているのも辛くなって、落とした視線は依然繋がったままの手を捉えた。もういい加減外気だって冷たくなっているし、いつまでもこんな廊下で立ち話をするのもよくないだろうとはわかっているのに、不死川をこれ以上引き止めておく理由だってないはずなのに。繋いだこの手を離したくないような、このままでいれたらいいな、なんて、普段思いつきもしない気持ちになるのはどうしてなんだろう。

「手、」
「ン?」
「繋いでちゃ鍵探せないよ」
「あァ…」

そう言えば緩んでしまうと思っていたはずの力がきゅっと込められて、思わずもう一度顔を上げればきれいな深紫が真っ直ぐにわたしを捉えていた。

「し、不死川…?」
「俺は、苗字のことを同期だが友達だと思ったことはねェ」
「えっ…」
「誰にも彼にも優しくするほど、俺はお人好しじゃねェよ」
「っ、」
「ふ、その顔、全然伝わってなかったんかァ」

そう言って眉を下げた不死川が困ったように笑った。

その顔を見つめるわたしは正解の顔ができていただろうか。友達だと思っていないと言われた、その言葉だけがぐるぐると巡る脳内は冷えて、アルコールは一瞬で消えた。


わたしはなにかずっと勘違いしていたらしい。


今すぐにでも離してほしい手はどういうわけか一段と力が込められて離れてくれない。早く玄関に飛び込んで、服だって着たまま頭からシャワーを被りたいというのに。


そうでもしないと、今の今まで気づかないふりをしていたこの気持ちを無かったことにできそうもないのに。


そう願っても所詮は男女の差で、越えられたと思っていた壁だってしっかり存在していた通りに力でもわたしは不死川に敵わない。

「不死川…離して」
「いやだ」
「っ、な、んで…っ」
「だってやっぱり、伝わってねェから」
「…っ、も、う、わかった、…わかってるから、っ」
「わかってねェよ」

少しだけ強くなった語気と共にぐいとひかれた手首。力なんてもの、到底入るはずもないままぶつかった不死川の胸板は紛れもなく男の人だ。

「なにすっ、」
「苗字は最初から、俺の好きな女なんだよ」
「………は?」

押し付けられたそこから耳に響くのはどくどくと力強い脈拍で、背中に回された両腕はわたしをすっぽりと抱きしめた。存外高い不死川の体温がすっかり冷えた身体中に熱を戻す。

「勘違いしてんじゃねェよ」
「っ…だって、不死川が、」
「悪ィ、泣かせるつもりはなかった」
「…ば、か」

じわりと滲んだワイシャツからは嗅ぎ慣れた香水の匂いが濃く伝って、離れたばかりの左手でくしゃりと握って額を擦れば、頭上で小さく喉が鳴った。


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「…不死川、ねぇ、さすがにちょっと寒すぎるよ」
「そうだなァ」
「中、はいらない?」
「あァ…でも、その前に」

ゆっくりと身体が離れていって、ほんの数十センチの距離で見上げた不死川はやっぱり端正な顔をしている。

「苗字」
「はい、」
「好きだ、俺と付き合ってほしい」
「…うん、お願いします」




すっかり冷え切った身体を寄せ合って、やっと開いた玄関扉を越えて、靴を脱いでソファへ座るまで、やっぱり不死川はわたしのことを離してはくれなかった。





2022.02.14

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