▽ 1
肌を突き刺すような寒さが支配する闇夜、時は丑三つ時、生き物たちは静かに眠りにつく時間帯。
何もかもを飲み込んでしまいそうな漆黒に染まった海からは、波が寄せては返す音が繰り返される。その波音に混じってコツコツという音が闇夜に響き、その音は闇の中に吸い込まれていく。雲に隠れていた月が姿を現すと、月明りだけがほんのりと照らす闇夜を一人の女が歩いていた。このような時間にスーツ姿で人気のない海沿いを歩く姿は違和感しかないが、生憎それを指摘する者は誰もいない。女はまっすぐ前を向き、ピンと背を伸ばして迷うことなく足を進めていく。その顔は女というよりも少女といった方が似合いそうな顔立ちだ。その顔はどこか憂いを帯びているようにも思えた。
―彼女の名前は桜月優華。冥府にある死者の生前の罪業を裁く機関である十王庁で、死者に関するトラブルを専門に扱う閻魔庁召喚課職員である。トラブルがあった時に調査に当たり、原因を究明することが彼女の仕事。所謂、死神、と呼ばれる存在である。
見つけた。
優華の視線の先にいるのは、髭を生やした黒髪の若い男。そしてその男の視線の先にはもう一人、金髪の男。金髪の男は漆黒の海を見つめ続け、黒髪の男など存在しないかのように全く身動きもしない。黒髪の男もそれを指摘することもなく、その姿を見つめている。それはまるで同じ場所にいるのに、同じ場所にいないようだ。
―いないようだ、ではない。実際「同じ場所」にはいないのだ。
二人の様子をしばらく眺めていた優華は、切なげに一度目を伏せると何かを決心したように声を発した。
「こんばんは。」
黒髪の男は驚いたように振り返り、少し目を見開いた。対して金髪の男は全く反応を返さない。しかしそれは当然だった。
―なぜなら金髪の男には優華の声は聞こえていないのだから。
「君は・・・?」
少し戸惑うようなそぶりを見せて黒髪の男が尋ねる。そんな男の戸惑いを気にするでもなく、優華は淡々と告げた。
「初めまして。私は桜月優華といいます。閻魔庁召喚課職員・・・通称死神と呼ばれる者です。あなたをお迎えに上がりました。・・・諸伏景光さん。」
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