貴方という光の道標 | ナノ


▽ 12


翌朝優華はトントンという規則的な音で目を覚ました。テーブルの上に置いてあった時計を見ると、その針は9時前をさしており、予想外に深く寝入っていたらしいことがわかる。そして室内には何やらいい匂いが漂っている。優華はベットから降りると手で軽く髪を整えてダイニングキッチンへ続く扉をあける。

「おはようございます。」

そこにはこちらへと振り向いて爽やかな笑みを浮かべる安室の姿があった。いくら本調子ではないとはいえ、大して知らない男の人の家でこんなにも熟睡してしまっていたことに優華は気恥ずかしさを覚えてしまう。兄が生きていてこのことを知られたら間違いなくお説教だななどまだ目覚めきっていない頭でぼんやりと考える。

「おはようございます・・・。すみません。寝坊してしまいました。」
「構いませんよ。僕は今日は仕事はお昼からですし、あなたがゆっくり休めたのなら何よりです。もうすぐご飯が出来ますが、食べれそうですか?」
「ご飯・・・。」

一人で暮らしていた優華にとって朝起きたら食事が準備されていたなんて状況はもうずっと昔のことだ。当たり前のように家族揃って食事をしていた日々が優華の脳裏に蘇る。

「あまり食欲がないですか?」
「あ、いえ、そんなことないです。頂きます。」
「では顔を洗って来てください。その間に盛り付けますので。」
「わかりました。」

安室に促され洗面所へと向かった優華は蛇口を捻って冷たい水を出すと顔を洗っていく。その冷たさはどこかまだ寝ぼけていた頭をしっかりと覚醒させていくようだ。頭がすっきりしたところで置いてあったタオルで顔を拭いて目を開けた瞬間、突っ張るような痛みを感じ、優華は思わず眉間に皴を寄せる。

「さすがに・・・2日連続は厳しいなあ。」

そう呟きながら鏡を見るとこげ茶色の瞳が困ったような顔で見つめ返してくる。しばらく鏡と向き合っていた優華は軽くため息をつくと、ダイニングキッチンへと向かった。

ーーー

部屋へと戻った優華はテーブルに準備された朝食を見て目を瞬かせた。そこに並べられていたものは、白ご飯、具沢山の味噌汁、焼鮭、きんぴらごぼうに、卵焼き。おまけに海苔やお漬物まで用意されている。それはまるで料亭並みにしっかりとしたメニューだった。

「どうかされましたか?」

テーブルを見たまま固まってしまっている優華に安室は不思議そうに声をかける。

「あの、これ全部安室さんが作られたんですか・・・?」
「ええ、そうですが。苦手なものでもありましたか?」
「いえ、全部大好きなものばかりです。というか、苦手なものがあるとかじゃなくて、ただすごいなあと・・・私いつも手抜きでパンばかりなのでこんな立派な朝ごはんなんてめったに食べることなくて。」

優華は恥ずかしそうに頬をかく。そもそも朝があまり得意ではない優華はついつい時間ぎりぎりまで寝てしまうこともあり、手のかけた朝ごはんを作る時間などほとんどとれなかったのだ。

「パンだって立派な朝食ですよ。朝ごはんを食べないよりずっと体にいいです。」

そう言うと安室は優華に椅子に座るように促す。二人は向かい合って座ると頂きますと食前の挨拶をすると箸をとる。

「お、美味しい・・・!」

お味噌汁を一口飲んだ優華は味噌汁を見つめながら驚いていた。しっかりと出汁の風味が活きていて塩分は控えめなのに味はしっかりしている。温かい汁が体中に優しく染み渡っていくようで優華はほっと息をついた。そんな優華の態度に安室は笑う。

「気に入って頂けたならよかったです。」
「本当に美味しいです。安室さん本当にお料理お上手なんですね。・・・私、食事担当は安室さんにお願いしてよかったと今心から思っています。こんな美味しいものを作る安室さんに私の作った料理なんて食べさせられない・・・。」

優華はどこか遠い目をしながら呟いた。

「でも桜月さんも料理はされるんですよね?」
「一応人並みには出来るつもりですけど、安室さんのご飯食べたらとてもじゃないですけど私の作ったものなんて・・・。」
「そんな大袈裟な。」

安室は苦笑いするものの、優華の表情はこの上なく本気だった。それくらい安室の作った朝ごはんは美味しかった。これほどの腕があるのならばそれこそ自分の店を構えることも出来るのではないだろうか。優華はそんなことを思ながら箸をすすめる。

「僕は今日は昼から夜まで喫茶店のバイトがあるんです。なので帰ってくるのは少し遅くなります。」
「わかりました。」
「晩御飯は冷蔵庫にカレーとサラダを作ってありますので、それを食べてください。」
「え!?晩御飯まで作ってくださってるんですか?」
「夕べ作ったんですよ。」

優華がベッドを占拠して眠りこけている間にまさかの晩御飯まで作ってくれていた事実に、優華はいよいよ本気で居た堪れなくなる。

「なんだか・・・何から何まで本当に申し訳ないです・・・。」
「気にしないでください。言ったでしょう。料理は僕の趣味なんですよ。」

安室はニッコリと笑いながら何でもないかのように答えるが、優華としては居候させてもらった上に食事の準備までしてもらい、どこまで世話を焼かせてしまっているのかと情けなく思ってしまう。

せめて掃除や洗濯はしっかりとさせてもらおう。

優華はこの上なく美味しい朝ごはんを満喫しながらも心の中で強く決意した。

ーーー

昼前に安室が喫茶店のバイトへと出かける時間になった。ハロと共に玄関先まで見送りに出た優華に安室はにこやかに笑いながらも注意点をあげていく。

「物騒ですからきちんと戸締りはしてくださいね。」
「わかりました。あの、安室さん・・・。行ってらっしゃい。」
「・・・行ってきます。」

少し戸惑いながらも照れくさそうに伝えられた言葉に安室は驚いたように少し目を見開く。けれどそれも一瞬のことで、その次にはいつもの笑みを浮かべ、安室は家を後にした。

「行ってらっしゃい・・・か。」

バタンと音を立ててしまった扉を見つめながら優華はぽつりとつぶやいた。兄が亡くなって以来もう何年も言うことのなかった言葉だ。身内以外に心を許せる存在などほとんどいなかった自分がその言葉をこんな異世界で他人に向かって言うなんて信じられなかった。けれどなぜか当たり前のようにその言葉が出た。それがなぜなのかはわからない。兄と同じ金髪である安室に無意識に兄の面影を重ねているのだろうか。優華はそんなことを思いながら扉を見つめ続ける。

しばらくして優華は踵を返すと寝室に向かう。そして自分の鞄の中から懐中時計を取り出した。兄が大切にしていた懐中時計で、今は優華の大切な宝物。何の気なしに懐中時計の蓋を開けた優華は大きく目を見開いた。

「動いてる・・・。」

その懐中時計は兄が亡くなった時から時を刻むのをとめてしまっていた。修理にも出したものの直らないと言われて時計としての機能はもう果たしていなかったというのに、なぜ。優華はしばらく懐中時計を見つめた後、そっと机の上に置いた。そして机のそばに置いてあった昨日のうちにドラッグストアで買っておいた荷物の中から一つの箱を取り出す。それはコンタクトの洗浄液だった。安室は夜まで仕事だと言っていた。優華は決心したようにその箱をあけてセッティングする。そして自分の瞳にその手を伸ばすと、密かに着けられていたコンタクトをゆっくりと外す。

その奥から姿を見せた瞳は吸い込まれるような、深い紫色だった。

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