言ってしまえばいいのに



異世界における誕生日は、私が経験してきたものと比べてはるかに盛大に行われるらしい。誕生日当日は朝から晩まで祝われっぱなしで、常に誰かがそばにいる。それはリドル先輩のときも同様で、私が先輩と話すことができる時間など、ほんのひとときのことであった。

「リドル先輩」

ハーツラビュル寮内で行われるリドル先輩の誕生日パーティー。私は寮生ではないものの、エース達の誘いを受けて、少しだけ参加することとなった。大勢に囲まれる先輩に控えめに声をかければ、彼はすぐに気がついてくれたようで、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。

「監督生。来てくれたのかい」

大輪の薔薇にも勝る麗しい笑顔に、ドキドキと心臓がうるさい。普段とは違う珍しい格好も相まって、ただ一言「お誕生日おめでとうございます」と言うのにも緊張で声が震えた。

そんな私に、彼は「ありがとう」と目を細める。それだけで満たされるような心地になり、今日はリドル先輩の誕生日だというのに、私がプレゼントを貰ってしまったかのようだった。

「寮長のことホント好きだよな〜」
「声が震えてたぞ、監督生」

幸福感に浸りながら会場の端の方でトレイ先輩の手作りだというタルトをつついていれば、どさりと左右の肩に腕が回される。エースとデュースだ。マブの二人は私の淡い恋心に勘づいているらしく、度々こうして私をからかってくる。しかし、肯定してやる義理はないため、私はいつも聞き流すことにしているのだ。

「美味しいね、このタルト」

そう言って最後のひと欠片を口に入れれば、露骨に話逸らすじゃん、とエースが呆れた声を出す。それ以上何も追求しないのは、彼らが私の頑なな性格を知っているからだろう。肩から腕を下ろしたエースが、じとっとした目線をこちらに向ける。

「言わなくていーの」
「何を?」
「……それは自分で考えて」

それだけ言うと、じゃーね、と肩をポンと叩いてエースは去って行った。どういうこと?とデュースに目配せするも、彼も曖昧に笑うだけで答えを教えてくれはしない。

「後悔しないようにな」

話が読めないまま、デュースも行ってしまう。一年生は片付けがあると前に言っていたため、恐らくそれに向かったのだろう。ハーツラビュル寮生ではない私に、ここでの役割は何ひとつない。

「後悔、ね」

デュースの放った一言が、心の奥に刺さって抜けない。思考を放棄するように頭を振ると、この会場のどこかにいるであろうグリムも放って、私は一人オンボロ寮に帰った。



「先に帰るなんて酷いヤツなんだゾ!」

オンボロ寮、談話室。本日何度目かも分からない文句を、グリムは飽きもせずにギャンギャンと繰り返している。そんなグリムの前にツナ缶を差し出すと、彼はパッと顔を輝かせた。

「ごめんごめん。これで許してよ、ね?」
「全く、仕方ねぇ子分なんだゾ」

簡素な謝罪であったとしても、ツナ缶を添えれば許してくれるのだから、私の親分は心の広い魔獣である。はぐはぐとツナ缶をかき込むグリムを横目に、私はぼんやりと開きっぱなしの教科書を見つめた。

リドル先輩への恋心を自覚したのは、図書館で彼に勉強を教えてもらったときのことだった。試験で赤点を取ってしまい、必死で頭に詰め込もうと教科書を前にうんうんと唸っていた私を、どうやら見かねたらしいリドル先輩が懇切丁寧に指導してくれたことは記憶に新しい。

好きだと思った。教科書より詳しい説明をする心地の良い声が、文章中の大事な単語を指差す白い手が、真剣な表情を浮かべた美しい横顔が。彼のおかげで、下から数えて片手で足りていた順位は、今では真ん中をキープしている。

リドル先輩は試験の度に私の勉強を見てくれた。良い点を取ったと見せに行けば、彼はいつも笑って私を褒めてくれるのだ。関係は良好と言って差し支えないだろう。だけど、私はその先に踏み込むことを躊躇してしまっていた。

いつの間にかどこかに飛んでいた思考は、突如電子音が部屋に響いたことで戻ってきた。音の出処は私の携帯電話で、画面を見ると一通のメッセージが入っている。それはなんとリドル先輩からのもので。ガタっと大きな音を立てて椅子から立ち上がれば、向かいにいたグリムが驚いたように肩を跳ねさせた。

「どうしたんだゾ」
「せ、先輩からメッセージが」
「先輩?」
「そう、リドル先輩から」

グリムの問いかけに返事をしつつ、おそるおそるメッセージアプリを開く。それは間違いなくリドル先輩からのもので、私は震える手で確認した。

「リドルのヤツはなんて言ってるんだ?」
「外を見て、だって」
「外?」

原文をそのまま読み上げて、ん?と首を捻る。「外を見て」とはどういうことなのだろう。言葉通りの行動をすれば良いのだろうか。そんな風に画面と睨めっこをしている間に、グリムが言われるがまま近くの窓のカーテンを開けた。

「あ」

シャッとカーテンを引く音に釣られて窓の外を見る。そこでは何故か、部屋着らしきものに身を包んだリドル先輩がゆるりと手を振っていた。

「リドル、先輩……?」

呆気に取られていれば、行動の早すぎるグリムが窓も開けてしまう。それと同時に、暑さの残る夜風が部屋に入り込み、前髪を揺らした。

「こんばんは。監督生、グリム」

箒を手にしているところ以外、先輩はいつも通りだった。

「こんばんは、リドル先輩」

困惑しつつも条件反射のように会釈をすると、彼はくすりと笑う。

「突然すまないね。驚かせてしまったかな」
「いえ、その、少し……」
「こんな時間に何の用なんだゾ」

グリムの言葉にちらりと時計を見やれば、もうすぐ十一時を回るところであった。厳格な先輩がこの時間に外にいるというのは、些か違和感を覚える。ましてや、彼がオンボロ寮を訪れるなど初めてのことだ。

「昼間、折角来てくれたというのにあまり話が出来なかっただろう?だから、少し話せないかと思ってね」

穏やかな口調でグリムに答えた後、リドル先輩はこちらに視線を寄越した。

「そういう訳だから、少し時間を貰ってもいいかい?」

大きな瞳が私を捉える。何と言うべきか悩んで、結局私はこくりと頷くに留めた。

「俺様はもう寝るんだゾ〜」
「あぁ、遅くに悪かったね。おやすみ、良い夢を」

空気を読んだのか、ただ単に眠かったのかは分からないが、グリムがひらひらと手を振って奥の部屋へと消えていく。小さな背中を二人で見送った後、ややあってリドル先輩が口を開いた。

「今日は来てくれてありがとう。嬉しかったよ」
「いえ、そんな!お祝いできて良かったです」

にこりと微笑んだ彼に、努めて自然に微笑み返す。夜半に恋焦がれる先輩と二人きりというこの状況は、私をときめかせるに十分過ぎた。

普段の煌びやかな先輩は言うまでもなく素敵なのだが、いつもは見ることのできないラフな先輩も大変美しい。先輩がいるというだけで、自分の寮だというのに落ち着かず、私はあちらこちらへと目線をさ迷わせた。

「本当はもっと良いものをお贈りしたかったんですけど……」

何か話題を、と考えた末につまらないことを口走ってしまう。恋をするとこうも上手くいかないのはどうしてなのだろう。そんな様子を見かねてか、リドル先輩は窓の縁を越えて、優しく私の手を取った。

「ボクは、何よりもキミが選んでくれたということが嬉しい」

だからそんなことを言うものではないよ、と柔く手を握られる。触れた場所からじんわりと熱が伝わって、脳内はもはやパニック寸前だ。「はい」という二文字すら上手く発することが出来ず、私はこくこくと頷く。それを見て、先輩は少し考えるような素振りを見せた。

「……キミが良ければ、ひとつ、ボクのお願いを聞いて欲しいのだけど」
「お願い……?」
「そう、お願い」
「も、もちろんです!先輩のためならなんでも!」

そう言って身を乗り出すように宣言すると、彼はくすくすと笑いを零す。そして、ふと真剣な表情をしたかと思えば、私の手の甲にひとつキスを落とした。本当に驚いたときは声が出ないものだということを、私は今身をもって実感した。触れられた手が熱くて、多分顔も真っ赤で。

「せ、先輩……」

上擦った声が漏れる。ドキドキしすぎて心臓が張り裂けそうだ。期待する。こんなことをされたら、どうしたって不毛な期待をしてしまう。

「来年の今日も、こうしてボクを祝ってくれないかい」

真っ直ぐな目が私を見つめていた。すぐには「はい」と言えなかった。私はこの世界での未来が確約されていない。いつ元の世界に帰ることになるのか、私にだって分からない。それでも、私は先輩を、リドル先輩のことを来年も、再来年も、そのずっと先も祝いたいと思ってしまうのだ。

「はい、祝わせてください」

結局出した私の返答に、リドル先輩は顔を綻ばせた。

「約束だからね」

彼が私の名前を呼び、小指を差し出す。そっと自分の小指を絡めると、どちらからともなく指切りげんまんをした。愛の告白なんていらない。明確な言葉だっていらない。この約束さえあれば、私は何だって乗り越えられるような気がした。



prevbacknext

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -