アンノウンの恋生



いつもなら慎重に下りるはずの石段を踏み外した。

「っわ、」

声にならない声が虚しく響き、前につんのめる。不幸中の幸いと言うべきか、さほど段数があった訳では無かったため怪我はほぼない。しかし、手を着いた先には石ころが転がっていたようで、手のひらは酷いことになってしまった。そこはじんじんと痛みだし、生理的な涙が浮かぶ。立ち上がる気力はもうなかった。

「おーおー。派手に転びやしたねィ、お嬢さん」

突然の声にぱっと顔を上げると、端正な顔立ちをした青年がわたしに手を差し伸べていた。あまりにも突然のことで手を取れずにいると、彼はわたしの前にしゃがみこんだ。そしてわたしの着物に付いた砂をはらいながら、「いやあ、あんな転び方する奴ァ初めて見やしたよ」なんておかしそうに笑った。

「……すみません」

何となく居心地悪くなって小声で謝るも、彼はまったく聞いていないようで「手、さっさと洗わねェと」とわたしを半分無理矢理立ち上がらせ手を引いた。

「あの、一体どこに」
「屯所」
「と、屯所……!?」
「なに、拷問するとでも思ってんで?」
「だって、屯所って、真選組の……」

人を裁くところ、と言いかけて口を噤んだ。何故なら、彼がこちらを見てにいっと笑みを浮かべたからだ。

「治療するだけでさァ。ち、りょ、う」

彼の言葉に何となく嫌な予感がした。その言い方はまるで悪戯っ子がおもちゃを見つけたときのようだった。


私が転んだ場所はどうやら屯所から近かったようで、少し歩いただけですぐに着いた。とはいえ、歩いている間中色々な人の注目を浴びた。真選組の人に手を握られ歩いていたからだろうか。逮捕された人だとは思われていないと良いけれど。

「こっちでさ」
「あ、はい……」

屯所に着いてからも彼はわたしの手を握ったまま進んでいく。初めて入ったここはとても広くて、なんだかわたしは場違いなような気がしてならなかった。

「入って」

とある部屋の前で立ち止まった彼はそこの襖を開け、わたしに入るように促した。あまり物のない、簡素な部屋だ。

「適当に座ってくだせェ」

そう言われても適当とは一体何処のことを指すのだろうか、などと考えてしまい、結局わたしは隅っこの方にちょこんと腰を下ろした。彼は部屋の棚の中から包帯やら消毒液やらを取り出している。二人だけの空間がわたしにはどうにも居心地が悪く、下を向いて待っていた。

「……寝てやす?」

ガタガタという物音が止まったかと思うと、そう声を掛けられた。顔を上げると、彼はいつの間にかわたしの前にしゃがみこんでおり、微妙な顔をしている。

「えっ、お、起きてます」
「あんた静かだから起きてんのか寝てんのか分かんねェや」

怒られるのかと思い、シャキッと背筋を伸ばす。しかし、彼は怒る様子もなく無遠慮にわたしの頬をつまみ「目ェ覚めやした?」と笑った。

「……覚めましたよ」

彼の笑いに釣られてそうにこりと微笑み返すと、彼は面食らったような表情で目を瞬いた。

「あんた、笑えたのかィ」
「そりゃ、まあ……」

笑うくらいなら誰にでも出来ることだろうに。そう思いながらわたしは曖昧に返事をした。と同時に、今までのわたしはそんなにも笑っていなかったのだろうかと心配になる。

そんなことを考えたからだろうか。私はまた難しい顔をしていたらしく、彼はまたわたしの頬をつまみ、無理矢理口角を上げさせた。

「笑った方がいいですぜ。そっちのが可愛い」

そう言って、彼は爽やかな笑みを浮かべた。そんなの、今まで言われたことない。彼は普通なら恥ずかしくなるような歯の浮くセリフをさらりと零し、しかもそれが似合ってしまう。

固まってしまったわたしに首を傾げながら「ん?どうした?」なんて問い掛ける彼の顔が近くて、熱にうかされたような心地がした。ああ、居心地が悪い。



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