夏の思い出



「クラス会?中三のときのクラスで?」

カラリとグラスの中で氷が溶ける。それをストローで手慰みにかき混ぜると、カフェオレの色が少し薄まった。センスの良いBGMが流れるカフェで、私は友人の話に耳を傾けていた。

「そう!卒業して半年経ったじゃん?久しぶりに皆で集まろうって」
「へぇ〜」

楽しげに伝えてくる彼女に適当な相槌を返せば、「も〜ちょっとは興味持ってよ〜」と不満げな声が上がる。そう言われても、と私は困ったように眉尻を下げた。彼女には悪いが、私は中学のときのクラスメイトに再び会いたいとは思っていないのだ。嫌いなわけではない。ただ、関心がないだけである。

「ほら、遠くの高校に行っちゃった人とか中々会えないじゃない?」
「まぁね」

私と友人含め、大多数の人は中学近くの高校へと進学した。しかし、クラスメイトの中には寮から通う必要があるほどの遠さにある高校へと進んだ人もいる。そう、例えば。

「伏黒君とかさ」

伏黒君。何気なく友人の口から繰り出された懐かしい名前に、私は思わずきゅっと自分の手を握りしめた。確か、伏黒君は宗教系の学校へ行ったと風の噂で聞いた。曖昧なのは、私が彼と連絡すら取り合っていない仲である証拠だ。私たちの関係性を一言で言えば、ただのお隣さんである。仕組まれているのではないかと思うほど、席替えの度に私は彼と隣同士になった。ただそれだけで、彼とした会話だって片手で足りる程度しかない。

伏黒君は隣に並ぶのが嫌になるほどの美少年だった。不良だとか舎弟がいるとか、ありとあらゆる憶測が飛び交っていて、とてもじゃないが親しみやすい人ではなかった。だけど、その第一印象を打ち壊す出来事が起きたのだ。あれはそう、暑い夏の日のことだった。


夏休みに一度ある登校日前日に、私は明日提出の課題を学校に置きっぱなしにしてあることに気がついた。時刻は夕方七時。いくら夏だとは言えども、流石に外は暗くなり始めていた。部活動の練習が終わる時間でもあり、学校はじきに閉まってしまう。忘れた課題が分厚い数学のワークなどであれば私は潔く諦めていただろう。しかし、間の悪いことにそれは三十分もあれば終わるであろうプリント課題であったのだ。

今思えば、朝早くに学校でやってしまえば良かったことなのだが、焦りに焦っていた私は今取りに行くしかないと思い込んでしまっていた。さらに悪いことに、両親の帰宅時間は遅く、私は一人っ子であった。要するに、下校時刻の過ぎた学校に忍び込むなどという馬鹿げた行動を止めてくれる人は誰もいなかったのである。

無駄に度胸だけはあった中学生の私は、まだ玄関が施錠されていないことに喜びながら夜の学校へ忍び込んだ。三年の教室は安直にも三階にある。おいそれと電気を付けるわけにもいかず、私はスマートフォンのライトで階段を照らしながら自分の教室へと足を進めた。ホラーやオカルトの類いは苦手だったのだが、何としても課題を持ち帰らなければ、という強い信念が恐怖心を殺していたのだろう。行きはよいよい、帰りはこわい。普段通りスムーズに進むことができた行き道と違って、机の中にしまったままの課題を手にしてからというもの、私は「何かいたらどうしよう」という考えに思考回路がジャックされてしまった。

自重で軋む廊下やライトの反射、風の音など、些細なものにもビクリと肩が跳ねる。早く帰ろう。そう思うのに、恐怖がどんどん私の足を重くした。目を閉じ耳を塞いでその場にしゃがみこんでしまいたい衝動に駆られ足を止めた途端、とんと何かが私の肩を叩いた。

「おい」

少し低い声が空気を震わせる。私はこのとき初めて、人は本当に驚いたとき声が出なくなるのだと知った。ひゅっと喉の奥が引きつって苦しい。冷や汗と手の震えが止まらない。スマートフォンのライトは最早意味の無いところを照らしていた。

「おい、大丈夫か?」

同じ声が、今度は目の前、いや、頭上から聞こえた。そう思った瞬間、私は反射的に顔を上げていた。その行動を即座に後悔したが、生理的な涙で潤んだ瞳の向こうに映ったのは、想像していたような恐ろしい化け物などではなく、美しく見目麗しい同級生であった。

「ふし、ぐろ、くん……?」

掠れた声が、目の前で戸惑ったような表情を浮かべた人物の名を紡ぐ。自ら進んで行ったこととはいえ、真っ暗な学校に一人きりという限界状態に身も心もやられていた私は知っている人間の登場にひどく安心して、思わずその場に座り込んで泣いてしまった。初めは「おい」だとか「なぁ」だとか、困惑した声が何度か降ってきていたのだが、一向に泣き止まない私を見かねてか彼は隣に腰を下ろした。

「……大丈夫か?」
「……ちょっと、だめかも」
「じゃあ、落ち着いたら言ってくれ」
「……うん、ごめん」
「別に」

伏黒君は思っていたよりパーソナルスペースが狭いのか、随分近くに座っている。そのおかげで私のすり減っていた心は緩やかに回復した。一人ではないということがこんなにも心強いことだとは思わなかった。

「ごめん、もう大丈夫」

ずっ、と鼻をすすりながら目元を拭いそう言うと、彼はそんな私を見て少し笑った。とても大丈夫そうには見えないとでも言いたげである。

「……なに?」
「いや、なんでも」

伏黒君が誤魔化すようにそっぽを向く。その目線の先は真っ暗闇で、そういえばここを通って帰らなければいけないんだった、と私はまた泣き出しそうになった。

「こんな時間に何しに来てたんだ」
「え?あ、えっと、忘れ物して……」

突然の質問にしどろもどろになりながら答えると、彼は不思議そうにこちらを見やる。

「今更?」
「課題、置きっぱなしにしてたのを今日思い出して」
「あぁ、そういう」

手に持ったままだったプリントを掲げれば、納得したように彼は頷いた。そういえば、彼は何故こんな時間にここにいたのだろうか。何も持っていないあたり、忘れ物を取りに来たようには見えない。そもそも彼はどこから出てきたんだっけ。

「帰ろう。送っていく」

冷静になった途端に溢れ出てきた沢山の疑問をぶつける間もなく、伏黒君が立ち上がった。「え?」と彼の方へ目線を向けると、すっと手が差し出される。戸惑いつつもそっとその手を取れば、存外強い力によって引き上げられた。

「い、いいよ、一人で帰れるから」

彼の言う「送る」とは多分家までのことを指すのだろう。しかし、それは流石に申し訳なさすぎる。学校から自宅まではそれなりの距離があるのだ。それゆえに遠慮をしたのだが、私の言葉に伏黒君はくすりと意地悪く笑った。

「さっきまで散々泣いてたくせに?」

彼の節張った人差し指がつつ、と私の目元をなぞる。びくりと身体を強ばらせると、彼はまた少し笑った。なんというか、こう、彼はサディストなのかもしれない。

「伏黒君がびっくりさせるからじゃん……!」

せめてもの抵抗としてそう抗議するも、彼は何処吹く風である。今日だけで、伏黒君の意外な一面を知り過ぎてしまったような気がする。

「帰ろう」
「……うん」

再び彼が手を差し出した。まんまと彼のペースに載せられてしまっていることを自覚しながらも、私はその手を取ったのだった。


「……る?ねぇ、聞いてる!?」

目の前の友人の声にはっと意識が浮上する。

「え、あ、ごめんごめん。聞いてるよ」

慌てて取り繕うようにそう言うと、「絶対聞いてなかったでしょ」とジトっとした目線が向けられた。

「で、来る?クラス会」
「うーん」

私は悩むようにストローでグラスをかき混ぜる。一口飲むと、先程よりも薄くなっているような気がした。

「行けたら行く」
「絶対来ないやつ!」

ダン、と机を叩いて嘆く友人に私はくすりと笑った。



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