噛みあった歯車は回りだした




店員からお釣りと紙コップを受け取ると、隣に設置されているコーヒーメーカーの抽出口に合わせてコップを置いてからボタンを押す。こぽこぽと音を立てて注がれていく紅茶は白い湯気と共に茶葉のいい香りを漂わせている。溢して火傷をしないようにそっと取り出し、近くの棚から容器に入ったミルクの封を開けて注ぐ。プラスチックのマドラーを時計回りに回せば、コップに入った紅茶にミルクが渦を巻いてかき混ぜられていく。透明だった液体は瞬く間に白く濁り、底が見えなくなった。マドラーをごみ箱に捨ててから蓋をすると、店外で待っている真菰の元へと急いだ。


「ごめん、寒いから先に口を付けちゃった。」
「…私の方こそおめでたい日に付き合わせちゃってごめん。」
「何言ってるの。大切な友達の一大事を放っておけないよ。」


紙コップを両手で掴んで真菰はふわりと笑って見せた。彼女はどこまでも優しく、どこまでも私に甘い。救われてきた数はもう数えきれないのに、私が彼女に恩を返せた数なんて片手の指が折れるかどうかだ。ギブアンドテイクが成立していないにも関わらず、世話を焼いてくれる器の大きさは私には持ちえない。お湯を吸って柔らかくなったコップを持つ指に力を入れると、音を立てて内側へと凹む。歪になった形状に私の心の弱さをまざまざと見せつけられているようで、無性に握りつぶしてしまいたくなった。

冨岡が去った後、独り取り残されて呆然と立ち尽くしていた私の元に真菰が慌ててやってきた。彼女達のいた露店を俯きながら通り過ぎていく冨岡の穏やかでない様子を見て事態に気づいたようだ。しかし、計画を唯一知らされていなかった彼女は、当然何が起こったのか検討が付くはずもなく。わざと名前と冨岡を二人きりにさせる動きをした錆兎なら何か知っているかもしれないと問い詰めようとしたところ、俺は義勇を追いかけるから名前の元へ行って欲しいと言われ走り去られ、当然怒りもあったが名前のメンタルケアが優先だと思ったそうだ。


「帰ろうか。」


冷たくなった私の手を握った真菰の手の温かさに涙が零れそうになった。本当は一番事の顛末を気になっているはずなのに、何も聞かず先を歩く真菰に引っ張ってもらうようにして鳥居をくぐり元来た道を歩いた。この帰り道を四人で歩けるのではないかと期待していた部分があっただけに、足取りは重い。錆兎と真菰、私だけでなく冨岡が口元を緩めて微笑んでいる残像は振る雪にかき消されて消えた。日が昇る時間になってもシャッターの降りる商店が多い中、唯一煌々と輝くコンビニを見つけた真菰に寄らないかと提案されて頷き中へ入った。寒空の下とは違い、暖房の効いた温かい店内にいるうちに少しずつ固まっていた感情も溶けていく。ああ言えば良かった、こう返せば良かったと脳内で再生してもやり直すことなどできない。結果が変わる可能性も保証されていない。もしかしたら最初からうまくいくルートなど存在しなかったのかもしれない。それでも振り返らずにはいられなかった。ちゃんと両足は地についているのに、どこか空想世界を彷徨っているかような空虚感に襲われていた私を現実世界へと引き戻したのは、温まって何も買わず店を出るのは気が引けるとテイクアウトメニューのボードを見ながら言った真菰の一言だった。


「やっぱり温かい飲み物を飲むと落ち着くよね。」
「…うん。」


都会のコンビニとは違ってイートインスペースはないため、必然的に外の縁があるかないかの壁際で雪を凌ぎながらコーヒーカップ片手に屯する。喋るたびに咥内と外との温度差で息が曇り、上昇しては消えた。それをぼんやりと眺めていては悪戯に時間だけが過ぎていく。真菰が話しかけては来るものの核心には触れないのは、行き掛けに待っていて欲しいと言ったからだろうか。どんな結果になろうとも必ず伝えるつもりではいたけれど、やはり喜ばしくない報告は気が進まないものだ。私達の様子から大体察しはついているのだろうが、口にするにはまだ重かった。二人にとってかけがえのない友人である冨岡を長くに渡って傷つけ、更にはその傷を抉った。決して許されはしない。幾度となくやってきた拒絶をいざ自分が受ける番になると怖くて怖くて耐えられそうもない。それが私の受けるべき罰だとしても。


「…先に言っておくけど私、名前を責める気は全くないからね。」


静寂を破った真菰を横目に、コップに食い込む親指の力をふっと弱める。


「どうして…?真菰と錆兎の大切な友達に酷いことしたんだよ、ずっとしてきたんだよ。」
「それは私も錆兎も同じだよ。当人に任せようって見守ることしかできなかった。いつも気にかけていたのは名前ばかりで義勇にまで気を回せなかった。」


そんなことない、とすぐさま否定したかったが俯いた真菰の悲しげな表情を見て口を噤んだ。原因を作ったのは紛れもない私で、二人は解決に導いてくれていた。自責の念に囚われる必要などない。こんな時、真菰はいつもどうやって声をかけてくれていただろうか。慰めの言葉は違和感なく飲み込んでしまうから心に残りにくく、また、自分からかけたことなど殆どないから分からない。思い詰めることのないように話を切り替えるぐらいしかできそうもなかった。


「……少なくとも私は二人がいたから、あの日から前に進もうと思えた。真菰と錆兎と、冨岡のいる場所まで追いつこうとしたんだけど…、」
「名前なりに頑張ったんだね。」
「でもうまくいかなかった。簡単に解決する話ではないと分かっていたけど想像以上に溝が深くて…、冨岡が途轍もなく遠くに感じた。」
「うん、そっか…、きっと義勇も名前と同じように時間が止まったままだったんだよ。」
「冨岡も…?」


拒絶したあの日から絶えず関りを持とうとしてきた冨岡も私と同じだったなど信じられない。どんな態度を取ろうとも、次の日も、そのまた次の日も傍に居ることを辞めなかったのに。大人になるにつれて徐々に精神面が成熟したのだと勝手に思い込んでいた。弱い自分のままでは嫌われると、周りに助けを求めず表面上だけ強く繕っていたのかもしれない。そうさせてしまったのは他でもない自分で、二人の時間が交わらない限り永遠に解決しないのだとはっきり認識させられた。


「ずっと止まっていた時計の歯車が急に噛み合って動き出したらびっくりしちゃうでしょ?嬉しいとか、哀しいとか、感情が沸く前に制御できなくなっちゃったんだろうね。」


―どうする?義勇は諦めなかったけど名前は諦めちゃう?


真菰の問いかけに合間を置かず首を横に振った。私が罰を受けるのは自分と向き合い、冨岡の時間を進ませてからだ。それまでは決して折れてはいけない。いつの間にか牡丹雪へと変わり視界が悪くなった空は、これから進む道がいかに困難で見通しが立たないかを物語っていた。

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