世界は私に厳しすぎる




人生の中で後悔していることはあるか、と聞かれたら特筆して答えることはないけれど、記憶にこびりついて離れないことならある。気が滅入ったときはよく夢に見るし、その記憶の元凶と勤め先で顔を合わせた日には眠れなくなることもある。決まってそんな夜はお酒に溺れて眠るのだ。今日もまた、名前は、ウイスキーをグラスに注いで。



私を構成する世界の中心はいつだって錆兎と真菰だった。三人でいれば無敵、大人にだって負けないと、小学一年生ながらに考えていた。たまたま近所に産まれ、育ち、姉弟当然のように育って来た私達は固い絆で結ばれていた。遊ぶ時も、悲しむ時も、叱られる時も誰一人欠けることはなかった。大人になってもこの関係性は続くのだと確信していた。

それが打ち崩されたのは小学三年生に上がってすぐの事だった。常に同じだったクラスが初めて別れた。複数クラスがあれば六年間同じクラスで居続けられる確率など道端で列を作る蟻の大きさ位稀なことだと分かっていたが、悲しいものは悲しい。でも、私は真菰と同じだったからさほど不安はなかった。唯一クラスが離れた錆兎は元々社交的だからすぐにクラスの子と打ち解けたようで、放課後野球やらサッカーやら誘われる機会が多くなっていった。このくらいの年になると男女の隔たりというものが徐々に確立されていくが、錆兎は男子との付き合いも大事にしつつ、偶に断りを入れて私達と帰る日を作ってくれていた。その日も三人で帰宅しようと真菰と喋りながら待っていたところに、突然転機は訪れることとなる。走ってきた錆兎の片手には知らない男の子の手が握られていた。


「こいつ、義勇っていうんだ。俺と同じクラスで一人だったからさ。今日から義勇も一緒でいいか?」


口数が少ないその子は冨岡義勇と名乗った。彼を仲間に入れたいと言ってきた錆兎を、私も真菰も特に反対はしなかった。錆兎が連れてきた子なら間違いはないし、何より三人という数は半端なのだ。小学校におけるグループとは大抵偶数人、もしくは二人組。私達の場合、誰か一人がグループを離れることを指す。二人組になる時は錆兎が気を遣って私と真菰が二人でいられるようにしてくれていた。申し訳ないと思いつつ二人しか親しい友達がいない私は錆兎に甘えてばかりだった。しかし、義勇を入れることによって四人組になるのなら、これからはその心配もない。内気でおどおどした子だとは思ったけれど快く迎え入れることにしたのだ。

義勇は思った通り、弟タイプ…すなわち、世話が焼けるタイプだった。あと、圧倒的に言葉数が足りない。だから私達は手を焼いて事あるごとに義勇、義勇と甲斐甲斐しく見守ったものだ。ちょっとしたことで泣く義勇を錆兎が「男なら泣くな」と根性論で語るものだから更に泣き出す。決まって義勇を宥めるのは私の仕事で、ハンカチは常に水浸しだった。弟が出来たみたいで楽しかったが、徐々に二人の視線の先が私よりも義勇に注がれていることに気が付いてしまった。三人組が四人組になったのだから、視線の先が増えるのは当然のことだと大人になった今ならわかる。でも、当時の私にはそれがどうしても許せなかった。恐らくその感情の名前は嫉妬。義勇の様に自分が手のかかる子だったらどんなによかったか。

そして、グループ分けでも同じようなことが起こった。予想をしていた四人の関係性は私と真菰、錆兎と義勇。もしくは私と錆兎、義勇と真菰だった。義勇が嫌いなわけではなかったが、私は二人が居ればそれでいいと思っていたし、義勇のことは所詮数合わせに考えていた。だから二人組を作る時は義勇とはなりたくなかった。しょうがないから二人のどちらかを貸してあげる、と常々思っていた。でも実際私の隣に並ぶのは大半が義勇だった。錆兎と真菰が楽しそうに喋る背中をじっと見ていた。義勇は私に拙い言葉ながら喋りかけようとしていたけれど、生返事しかしなかった。あんたの話なんて興味にない、二人の会話を聞いているのだから邪魔しないで。そんな状態が続いた小学六年生、卒業を控えたある朝、義勇から呼び出された。


「…名前は俺の事が嫌いか?」


探るように聞いてきた義勇に胸の蟠りが大きく唸った。そうだ、私はもう随分と前から義勇が嫌いだったのだ。後から入ってきたくせに親友を横から掻っ攫っていったあんたのことが。数合わせなんて甘い考えを持たなければよかった。最初から拒絶していれば三人組のまま仲良くいられたのに。抑えていた感情が一気に腹から喉へ押しあがってくるのを止めずにぶちまけた。


「私は、義勇が、嫌い。」
「そうか…、でも俺は名前が好きだ。」


嫌いとはっきり告げたにも関わらず頓珍漢なことをいうものだから胸ぐらを掴んで叫んだ。今後一切近づかないで、と。しかし義勇は首を振って拒否の姿勢を取った。どうしてあんたはいつもいつも私の意思と反対の方向にいるんだ。何を考えているのか分からない義勇の瞳に映る自分は酷く醜い顔をしていた。桜舞う景色の中で卒業前の思い出の感動的な一ページとは言い難い争いは、担任の教師が止めに来るまで続いた。その日を境に私は義勇のことを冨岡と呼ぶようになった。錆兎も真菰もすぐに気づいたようで目を丸くしていたが、何も言ってこなかった。冨岡も何も言わず、ただ悲しそうな眼を向けた。こうすれば彼が自分から離れていくのではないか、という安直な考えだった。

結局それも無駄な努力に終わることとなる。小学校卒業後の進学先は中高一貫キメツ学園。入学式は四人揃って迎え、6年間という長い時間を過ごすことになった。四人組を望んでいたわけではない。私の冨岡に対する陰険な態度は隠さなかったが、彼は飄々としてグループを離れなかったから仕方なく一緒にいただけだ。

将来の進路を決める大学受験シーズンに差し掛かると流石に状況も変わってくる。全員が教職を志望して目指す大学を同じにしていたが、私だけ学力が足りず直前になって志望校を変更することになった。錆兎と真菰は残念そうな顔を浮かべたものの、大学は違っても集まろうと励ましてくれた。冨岡は何も言わず黙って私の選択を聞いていた。無事に四人とも卒業し、志望大学に合格して、いざ女子大生ライフと意気込んで入学式受付を済ませた私の前に冨岡の姿はあった。この時ばかりは私も詰め寄って「大学間違えてないですか」と嫌味を言った。冨岡が二人と同じ大学に合格していたことを真菰経由で聞いていたからである。彼は無表情で「間違えてない」と学生証を突き出した。それは確かに私が入学する大学の名前が刻まれいて、へし折ってやりたくなった。大学生活で特に会話らしい会話はしなかったものの、冨岡は決まって私の隣の席に座ってきた。しかも講義開始ギリギリを見計らってやるものだから席移動は出来ず、渋々受け入れざるを得なかった。そんな四年間を過ごして漸く離れられると喜んだのも束の間、無事教職免許を取得した私の教師生活1日目、着任式では体育科担当冨岡義勇が紹介された。絶句した、世界は私に厳しすぎると。

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