揶揄は程々に




短くも長い夏休みが終わり、小麦色に日焼けした生徒達が元気よく登校する一方で、空席がちらほら目立つ。長期休暇で生活リズムが乱れた生徒が、中々元の生活に戻れず反動で風邪を引き休んでいるのだ。全くけしからんと思いつつ、自分も数日前から寒気や咳が止まらずマスクを着用しているため何も言えない。朝から薬を飲んで出勤しているせいで眠気が常に襲ってきて、授業中も黒板に頭をぶつけてしまった。あまりにもいい音を立てるものだから生徒達には笑われてしまうし、二学期の幕開けは何とも情けないものになってしまった。

昼休みを告げるチャイムと共に教科書を閉じ、授業の終了の礼をするなり元気な男子は購買へと意気揚々と歩いていく。その中には炭治郎、善逸、伊之助の姿があり、彼らは騒ぎつつも歩いて向かったのを見届ける。どうやら胡蝶先生が言っていた説教というのは本当に彼らに効果があったらしい。一体どんな怖い先生が説教をしたのだろうと未だに疑問が残っている。女子は弁当派が多いのか、教室に残り席を繋げて談笑を始めた。楽しそうな会話が飛び交う中に教師が邪魔するのは無粋だろうと私物をまとめて教室を後にする。

職員室に戻る足取りは重く、寒気や気怠さは時間と共に増してきている気がする。朝飲んだ薬が切れ始めてきたのだ。今すぐに倒れる様な辛さではないが、この調子のまま午後の授業に出れば、黒板に頭をぶつけるどころでは済まない。ゼリーのような喉に通りやすいものを食べてから薬を服用して、何としても定時までは耐え抜かなくてはならない。


「おいおい大丈夫か?」
「…うーん、大丈夫かと言われれば大丈夫じゃないです。」


職員室に戻ってすぐに机に突っ伏した私を見て、宇髄は向かいの机から身を乗り出した。弱った姿を見せたくはないが、座って頭を上げている方が億劫だ。一度座ってしまうと倦怠感から起き上がれなくなってしまった。机に頬を押し付けて冷たさに浸っていると、瞼も自然に閉じていく。このまま眠ってしまえれば幸せなのに、社会人、ひいては教師という立場がそうはさせてくれない。


「何か食えるもの買って来てやろうか?昼飯食ってないだろ?」
「そんなご迷惑をかけるわけには…。」


口ではそう言いつつも、内心期待はしていた。購買までゼリーを買いに行く元気はもう残されておらず、頼めるような相手もまた宇髄ぐらいしかいない。しかし、自分の先輩に当たる宇髄を遣うのは僅かばかりの理性が許さなかったために遠慮の言葉を口にしたが、顔を上げて様子を伺ってみる。


「気にするな、困った時はお互い様だろ。派手に頼れ!食いたいもん言え。」


財布を取り出した宇髄を見て、持つべきものは頼りがいのある優しい先輩だと思った。気が変わらないうちに欲しいものを伝えたほうがいい。この機会を逃したら薬を空っぽの胃に流し込むことになるから、熱は下がっても胃痛に苛まれるだろう。依頼をするため伏せていた上体を起こした瞬間、視界が真っ白に染まり、水気のある冷たい何かが顔一面に張り付いた。

驚きのあまり思わず飛びのくと、キメツ学園のロゴマークが入ったビニール袋が目の前にぶら下がっている。椅子にもたれるようにして首だけ後ろに倒せば、見下ろした冨岡の視線と交わった。露骨に嫌な顔をしてから視線を前に戻すと、冨岡の手から下げられた白いビニール袋が机にことりと落とされた。


「苗字、食べろ。」


支えを失った袋は持ち手が開き、中学生の頃から購買でよく買っていたみかんゼリーとスプーン、スポーツドリンクが覗いている。ゼリーはまさに先程宇髄に頼もうとしていた種類で、私の大好物ともいえる代物だ。学生時代のお昼のデザートと言えばいつもこれで、錆兎や真菰には、たまには別の物を食べたらどうかと呆れられた。それでも変わらず食べ続けていたから冨岡も覚えていたのだろう。会話などなくても一緒に居れば目に付くこともある。その証拠に私とて、冨岡の好みぐらいは大体わかる。残念ながら、知識が活用されることはなく、これからも活用される可能性は薄いが。


「よかったじゃねえか。冨岡が買ってきてくれたなら俺が行く必要もねえな。」
「え、あ、はい…。」


朝礼時に冨岡と顔は合わせたけれど、熱があるとか、何か買ってきて欲しいだとか、日常会話はしていない。冨岡の方は何か言いたげな様子だったが、一瞥して隣を通り過ぎたら特に話しかけては来なかった。つまり、冨岡が勝手に考えて、勝手に買ってきたのだ。受け取る義理はない。花火大会の一件があったからといって、今までの関係がぐるりと百八十度変わるはずもなく、冷戦状態は未だ継続中である。私が素直に受け取るはずがないと想定の上で、職員室内で渡してきたに違いない。周りの目があれば、無下に断れないと踏んでの行動だ。冨岡に借りを作りたくないが、今後の職場環境の維持の為にも必要な譲歩であると自分に言い聞かせる。


「…そのゼリーではなかったか。」


冨岡の中では私がなかなか手を付けない理由を、好みのゼリーではなかったと結論付けたのだろう。どこまでもずれている男である。ぽかんと口を開けて冨岡に目を向けても、マスクをしているお陰で間抜けな顔を見られずに済んだ。考える様な仕草を見せた後、買い直してくると言って置かれた袋を再び手に持ち、去ろうとする冨岡のジャージの裾を掴んで止めた。


「……いい、それ貰うから。」
「そうか。」


食べられるのに何個も別の物を買われてはたまらない。甘いものが嫌いな冨岡のことだ、どのみち買ったもの全てが私のところに回ってくる。長い付き合いから予期できることで、最初から受け取ってしまった方が後が楽だ。受け取ると言うなり踵を返して机に再び袋を置くと、またじっと見つめてきた。食べるのを見届けるまで動かないつもりなのだろう。


「青春だねえ。」
「…うるさいですよ宇髄先生。」


対面で薄笑いする宇髄を恨めしく思っていたら、勢い余った手でゼリーの蓋を強く引っ張ってしまう。飛び散った液は見事にお気に入りのカーディガンに付着した。動揺してると揶揄されて更に苛立ちを募らせた私が、素知らぬ顔で突っ立っている冨岡に肘鉄を決めるまであと数秒。

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